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43 城の暮らし 4

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 毎日毎日、リザは少しずつ城での行動範囲を広げていった。
 午前中は図書室に通い、自分に理解できる本から読み進めている。辞書を見つけたので、コルに引き方を教えてもらい、わからない言葉を調べることも覚えた。
 厨房にはあれから行っていないが、城には他に洗濯室や、冬場に備えて保存用の食料を作る部屋もある。
 建て増しを重ねた古い城には意外なところに階段や細い廊下があるが、リザは丹念に歩き回り、もう迷わなくなった。
 アンテがそんなリザをよく思っていないのはわかっている。しかし、リザとても、全て言いなりになる自分にはもう戻りたくないのだ。
 午後は跳ね橋を渡って畑を眺めたり、コルに連れられてうまやを見に行ったりしている。一度動物の鳴き声が内壁の外から聞こえたので何ごとかと尋ねてみると、屠殺とさつ「をしているところだった。
「家畜の仔は冬から春にかけて生まれるのですが、秋は屠殺期でもあります。冬に備えて家畜をつぶして、その肉を分けて塩漬けや燻製くんせいにするのです。皮はめして、骨は砕き、全て利用します」
「いつか見てみたいわ」
「エルランド様がお許しになればね」
 コルは真面目な顔でいった。リザと彼は近ごろ随分親しくなった。
 彼はエルランドの父親の代から仕えた古株で、子どもの頃から彼を知っているという。
 コルも元は傭兵で、歳を取ったためにもう戦うことはないが、がっちりとたくましい体は衰えを知らないようだった。
 若い頃からいろんな戦場へ出たというコルは、いつも温厚で負の感情を見せない。仕事ぶりは徹底して真面目で、若い者の世話をよくしていた。エルランドが信頼して城を任せる理由がよくわかる。
 コルを介して男の使用人達もリザに親しみを見せることが増えた。仕事の手を止めて男達はリザに帽子を取って挨拶をする。彼らは村人だが兵士でもあった。全てエルランドの仲間達だ。
 しかしコルは、彼らがリザに話しかけることは許さなかった。もちろん、自分がいないところで彼らがリザに近づくことも認めていない。
 一方、城の中で働く女達は相変わらずリザと距離を置いているようだった。
 アンテの目もあるのだろうが、彼女達達のよそよそしさは、リザをこの城の女主おんなあるじだと認めていない。特に意地悪をされることはないが、話しかけても短い返答があるのみだった。
 部屋付きの召使、ターニャも役割はきちんとする。必要もないのに部屋の掃除をし、敷きむしろを取り換えたり、敷布を洗濯したりしてくれる。
 しかし、やっぱりリザには必要以上に近づきたくないらしく、仕事はリザが部屋にいない時にするのが常だった。
 アンテの姿はほとんど見ない。見てもリザを視界に入れると、そそくさとどこかに行ってしまう。なのに、リザのすることは全て彼女に知られているようだった。
 リザは心が折れてしまいそうな自分と戦っていた。

 自分を奴立たずだと決めつけても、何もいいことはないわ。嫌われることには慣れているし、私を嫌うのは私の問題じゃない。
 自分を人の役に立たせるのは自分だと言うことはもう学んだ。全て心の持ち方、向き方にあるのだわ。
 だから、下を向かない。
 できることを探してするの。

 リザは久しぶりに自分の荷物を衣装箪笥から出した。そして底の方から小さな額を引っ張り出す。
 それはリザが描いた花の絵。最後の市場で売れ残った品だ。小さな花なので派手ではないが、精密に描いたのでリザは気に入っている。
 それを暖炉の上の棚板乗せると、部屋の雰囲気が少し変わったような気がした。
「絵を描く道具が欲しいわ」
 ターニャには頼みにくかったので、リザはコルに絵を描く道具はあるかと尋ねた。
「そうですね。地形図を作成するためのものなら、お館様の部屋にあるかと思いますが、何に使われます?」
「絵を描くのよ」
「そりゃそうですな!」
 当たり前の答えにコルは笑い出し、自分でエルランドの部屋から固形絵の具とペン、そして幾枚かの紙を持ってきてくれた。絵の具には鮮やかな色が少ないが、仕方がない。元々は地形や図面を描く道具なのだ。
「少なくてすみません。紙はここでは貴重品ですので。で、何をお描きになるので?」
「まずは、コルの顔」
「は?」
 リザは板に紙を固定すると、驚くコルの顔をするすると写生した。最初はごく薄い茶色で、それからどんどん色を足していく。
 わずか数分の間に、びっくりしているコルの顔が出来上がり、それを見たコルは絵の顔よりもさらに目が丸くなった。
「これは! 私ですな!」
「だって目の前で描いたのに!」
「いや、驚きました。非常にお上手ですな! リザ様にこんなご才能があったとは! 王宮で教育されたので?」
「いいえ、自分でなんとなく。いつもは花や小鳥を描くんだけど。コルの顔は特徴があるから描きやすかった。本当なら、もっと色数を増やして細かいところまで描き込むんだけど……」
「いや十分です。私だって今までに絵師を知らないわけではないですからな。彼らと比べても遜色がない」
「よかったら。どうぞ? 差し上げます。額がないから頼りないけど」
「良いのですか? 離れたところに住んでいる息子夫婦に送ってやりましょう。孫ができてまだ顔を見に行っていないのですよ。これで孫が私のことを知ってくれます。額など、すぐに作れます」
「ありがとう。お孫さんが喜んでくれると嬉しいわ。エルランド様の話では、収穫が終わったら市が立つってことだったから、絵具や紙を買ってもらえたらいいのだけれど」
「いくらでも買ってくださいますよ。春と秋は収穫物を商う大きな市が立ちます。最近は王都からやってくる商人も増えました。昔じゃ見られなかった品まで手に入るようになったのですよ」
「エルランド様のおかげね」
 その時、ターニャが桶と雑巾を持って現れた。いつもなら二人が浴室に行く時間なので、リザとコルがいたことに驚いている。
「失礼いたしました!」
「いいのよ。ターニャ、いつもの仕事をして頂戴」
「え? でも……」
「ほらほら、早くしないとアンテに怒られるわよ」
「……」
 仕方なくターニャはいつも通り部屋の掃除を始める。いつものように敷布を取り替え、あらゆる出っ張りを拭いていく。
 暖炉の棚板を拭く時、昨日まではなかった絵を見つけたターニャは、それをしばらく眺めていたが、慎重に絵をどかして、棚板を丁寧に吹き上げて掃除は終わりだ。
 そして振り返った時、にこにこしたリザに自分の横顔を描いた絵を見せられて、ターニャは腰を抜かしそうになった。
「え? ええっ⁉︎」
「どうかしら?」
 それは真剣な顔をした若い女の肖像で、薄いそばかすや耳の横で三つ編みにされた髪まで丁寧に描かれていた。短時間でここまで描写するリザに、コルも密かに驚いている。
「こりゃ似てる! ターニャそのものじゃわい」
「……」
「いつもお掃除してくれてありがとう。こんなものでよかったらあげるわ」
「えっ⁉︎  でも……」
「私が額装して届けるよ。アンテには黙っているといい」
 ターニャはどんな態度を取ったらいいものか、しばらくあたふたしていたが、やがて小さく「ありがとうございます」と呟いた。
「この城で働いているものは、大抵家族を外に置いてきているから、絵姿を送ろうと思うのですよ」
 ターニャが出て行ってから、コルはそう説明した。
「良いことをなさいましたね」
「だったらいいんだけど……アンテは余計なことをすると言いそうね」
「アンテも本当はわかっているんですよ。リザ様が良い奥方様だということが。しかし、人によってはゆっくりとしか伝わらないこともあるのですよ」
「……そうね」
 リザはコルの言う通りだと思った。

 私とエルランド様もきっとそうなのだわ。

 エルランドが明日帰城すると伝えられたのは、その夜のことだった。

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