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35 東の領地 1

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 東への旅は七日続いた。
 騎士たちだけなら、五日程度の行程なのだそうだが、リザとニーケをおもんぱかって旅はゆっくりと進められたのだ。
 ニーケはやはり、ついていくと言ってきかなかった。ハーリ村の大叔母に会いに行けと、リザが何度言ってもそれはしないと言うのだ。
「大叔母さんには会いません。会えば旅が遅れますし、私だってもう心は決まっています。私はリザ様と一緒にいることの方が大切なんです」
 こうして二人は再び共に歩き出したのだ。しかし、もう二人ぽっちではない。
 五人も旅の仲間が増えたのだ。
 旅の間はリザもニーケも少年の格好をしていた。馬に乗り続けなければいけないのもあるが、やはり安全上の理由が大きい。二人を騙そうとしたようなならず者の集団には、その後出会うことはなかったが、すれ違う旅人の中には、顔を隠してこそこそ行きすぎる者や、好奇心をむき出しに一行を目で追う男達もいたのだ。
 もちろん屈強な騎士達を前に、手だしはしてこず、エルランドがひと睨みするだけで大人しく去っていった。
「絶対に俺から離れるな。少し辛いだろうが、移動する時は常に馬に乗っているように。辺境を舐めると怖い目に合う」
 エルランドはそれだけは厳しくリザに幾度も伝えた。
 七日の間にリザは一人で馬に乗ることを覚えた。
 大きな軍馬に一人でまたがることはできないが、エルランドに支えられてあぶみに右足をかけ、えいと身体を持ち上げる。最初は怖かった高さにも慣れてきた。
 まだだく足や駆け足はできないが、エルランドに手綱を持ってもらって、並足で歩かせることならなんとかこなせるようになったのだ。リザの腕前と言うよりも、馬が賢いからだろうとリザは思っていたが、エルランドは領地に着いたら大人しい雌馬を用意すると言ってくれた。
「リザ様はとても筋がおよろしいです」
「イストラーダはやたらに広いから、馬なしじゃどこにも行けませんよ」
 ザンサスは褒めちぎり、セローは笑う。
 リザとニーケは、エルランドの供の四人の騎士たちとも打ち解け始めていた。
 一番若くて快活な青年がセロー。
 一番年長で頰髯を生やしているが、顔ほどは怖くないザンサス。
 長身で短剣投げの名手ランディー。
 背が低く、東民族の血を引いている男がカタナである。
 ザンサスとカタナには、すでに子どももいるということだった。
「さっきから誰ともすれ違わないわ」
 ニーケは相乗りしているセローに言った。
「州境を超えました。もうここはイストラーダなんですよ。この時期はこの先出会う旅人はほとんどいません。もう少し後なら収穫祭で市が立つんですが。城下村の広場にたくさんの店が出ます」
「お城はどんなご様子ですか?」
「見たらびっくりするよ、ニーケさん。昔の砦を修繕しただけの代物だから」
 ザンサスも横から口を出した。
「まぁ確かに、外見はボロボロですよね。中はわりと住みやすくしましたけど。今日の晩はお城で眠れます」
「……」
 リザはそのやり取りを黙って聞いていた。
 背後にいるのはエルランドである。
 ニーケは四人の騎士の馬に交代で乗っていたが、リザだけはエルランドがずっと相乗りしていた。
 ハーリの宿以来、二人が一緒の部屋になることはなかった。東へ行くほど治安は悪くなり、夜は交代で見張りをするというのが理由だったが、同時に二人が今後のことについて話す時間もなくなってしまった。
 しかし彼は、何くれとなくリザに優しくしてくれていた。
 町や村はどんどんまばらになり、昨夜などは森の大樹の影で野営となったが、エルランドはリザの傍にいて、眠るまで付き添ってくれたのだ。
 リザは嬉しく思っていたが、同時に彼が義務として、自分に気を使っているのではないかとも感じていた。

 エルランド様は始めようと言ってくれたけど、私たちが形だけの夫婦であることには変わりがないのだわ。
 もしかしたら仮にも王女だから、立場を尊重してくれているだけかもしれないし……。

「リザ」
 物思いを破ったのは、背後から聞こえる低い声だ。
「午後には城に着く予定だが、これからの生活について少し伝えておこう」
「はい」
 リザは前を見たまま頷いた。
「イストラーダの生活は決して楽なものではない」
「……」
「ようやく基幹産業が育ってきたとはいえ、まだまだ発展途上だ。俺達には仕事が山ほどある。収穫期で野党も増え始めるだろうから、その見回りもある」
「ええ」
「住む人々は働き者だが、頑固で扱いにくい面も多い。特によそ者には厳しい。俺も最初はその憂き目にあった。リザが俺の妻として一緒に戻るということは、セローの鳩で既に伝えているが、彼らがあなたをどう受け止めるか、俺でも予想ができないんだ。何しろ王家をうやまうなんて概念がほとんどない。彼らは王家など別の国の話だと思っている」
「ああ……それならへいき」
「平気?」
「だって、私は敬われたことなんてないもの」
 けろりとリザは言った。
 ずっと離宮で暮らしていたし、たまに王宮に呼ばれることはあっても、他の兄弟たちからも無視されたり、カラスと蔑まれたりしてきたから、冷淡な扱いがむしろ当然だったのだ。
「だから慣れてるわ」
「そんなことに慣れなくていい……俺はリザを敬っている」
「ありがとうございます。でも」
 リザが王宮での扱いを口にするたび、エルランドは自分を責めるように目を伏せる。
 しかし、リザはそれが嫌だった。彼が自分を義務に感じている気がするからだ。

 私が敬って欲しがると思ってるのかしら?
 敬うと言うことは私の立場ってことよね。

「私のことは放っておいてくれて構わないの。エルランド様は自分のお仕事をして。私も自分にできることを探すから」
「……リザはあまり頑張らなくていい」
 エルランドは知っている。
 リザは自分のことはなんでもできるし、仕事に興味を持っていることを。
 昨夜の夜営の際も、天幕を貼ったり、火をおこすところを注意深く見ていた。簡単な料理を手伝おうとさえしたのだ。
 王女なら、たとえ庶子だとしても、常に数人の女官にかしずかれ、身の回りの一切を人任せにして当然なのに。昨夜こっそり握った掌には貴婦人にはないはずの、うっすらとしたマメがあったのである。自分でものを持ったり運んだりしていたからだろう。
 しかし、エルランドはリザにもう苦労はさせたくなかった。今まで辛い思いをした同じだけ、大切にしたいと思っていた。

 リザは強いし勇気がある。辺境で生きていくには十分な資質だ。
 だが、気を許してはくれていない。警戒は解いてくれたようだが、時々他人を見るような目で俺を見ている。
 まずは安心させてやらねば。今までのように、自分で生活の金を稼がなくてもいい暮らしを与えてやるべきだ。

 肩までしかない黒髪がエルランドの前で揺れていた。
「……え?」
 思わずリザは振り返った。エルランドの指が自分の髪に触れていたからだ。
「綺麗な黒髪だ……これからは伸ばすといい」
「そうする」
 リザはくすぐったいのをこらえて言った。その目が荒野の向こうに突然現れた異物を捉えた。
 昼下がりの荒野の向こうに、異様な形の城が姿を現しつつある。
「あ。あれは……?」
「イストラーダ城だ。城壁と堀があってその中に城がある」
「あれがイストラーダ城……」
 それは逆光でひどく黒く見えた。まるでカラスが羽を広げているようだ。

 極東の地、イストラーダ。
 リザの未来を託すところだった。

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