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21 辺境騎士と王 1
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エルランド・ヴァン・キーフェルは王都への道を急いでいた。
三人の護衛は必死でついてくるが、とても彼の愛馬、アスワドの優秀さと馬術には及ばない。そもそも辺境一の戦士の彼に護衛などいらないのだ。
しかし、王を訪問するのに随身もつけない訳にはいかなかった。今や、エルランドも歴としたとした騎士で辺境領主である。
昨夜思いがけず助けてしまった二人──特に少年がなぜか気にかかっていたが、セローを残してきたので、彼がうまく計らうだろう。
今は、目の前の問題にケリをつけなくてはいけないのだ。
五年前、彼が王家から拝領した極東の捨て地イストラーダは、深い森林、数箇所の湖と湿地、あとは荒地と山地ばかりの何もないところだった。
人口も希薄で村は貧しく、昔作られた頑丈な砦はいくつかあるものの、誰もこんな土地を治めたいとは思わなかったのだろう。
エルランドの家は祖父の代に領地を失った。
代々のキーフェル家の領地は南の地方にあったのだが、その頃起きた南方国境の紛争でミッドラーン国が大敗を喫した時の指揮官が祖父だった。
その結果、隣国に領地を奪われ、祖父は十代の父を残して戦死した。その責務を負わされ、キーフェル家の爵位は取り上げられたのだ。
その後、南の国に王位簒奪事件が起き、その混乱に乗じて攻め入ったミッドラーン軍は勝利し、国境は元の位置に回復した。しかし、キーフェル家の領地は返還されることなく、今は別の領主が治めている。
父は散々苦労して傭兵隊長となったが、祖父の領地を取り返すことなく亡くなり、エルランドも物心ついた時から武器を取って、父の仲間たちから戦い方を学んだ。
彼が国内外の様々な戦場で戦ってきたのは、祖父や父の悲願を果たすためだったと言える。
長い傭兵暮らしの間に多くの仲間が集まり、彼を中心に部隊ができあがった。連戦連勝のキーフェル隊は、いつの間にか父を凌ぐ実力の傭兵隊長となった。
そしてミッドランド国王命を受け、再び北上しようとしてきた南方民族を叩きのめしたのだ。
その対価として得た領地、イストラーダ。
この五年間、エルランドは必死で働いた。街道を整備し、痩せた土地でも育つ大型のヤギやシカを家畜として増やした。
三年前には深い山中の谷間から鉄樹が見つかった。鉄樹は木質が硬い樹木で、伐り倒すのは難しいが、燃え尽きるまでに時間がかかるため、非常に優秀な燃料となる。調べてみると、険しいイストラーダ山地の谷間に、この鉄樹の森が多くあることがわかった。
伐採や運搬など様々な苦労はあったものの、今では鉄樹材はイストラーダの主要産業となりつつある。
また、今まで誰も見向きもされかった湿地帯で、良質の粘土が掘り出されたため、イストラーダ中から職人を集めて陶器の製造も始まっている。
極東の捨て地イストラーダは、少しずつではあるが、貧しさから脱却しつつあるのだった。
エルランドはここ二年、東の州の中でも一番多くの金や物資を国に収めた。新参の領主が急激に豊かになるのは、国にとってあまり好ましくないと知っている。だからエルランドは、自分の城と仲間を養う以外は、ほぼ全ての富を領地と国のために捧げてきたのだ。
──だが。
五年前、捨て地と共に彼に与えられた末の姫。
あの日、薄暗い拝堂で垣間見た、藍の瞳の魅力。
彼ははっきり覚えていた。
十四歳の王女リザは、弱々しく見えたし、実際に酷く怯えてもいた。しかし、彼女はその場にいた兄王初め、参列者の誰よりも達観していたのだ。
結婚式と言う茶番劇に。
あの夜、俺は確かに彼女に仄かな異性を感じていた。
普通なら哀れみしか感じないかわいそうな娘だ。
なのに、弱さの中に不思議な強さと魅力が備わった瞳に、エルランドは不覚にも異性として魅了されてしまったのだ。
熱い塊が心の奥から競り上がり、思わず小さな唇に触れたことは、誰にも知られてはいけない秘密だった。
エルランドは領地に連れていけない娘に、迎えに行くと約束した。リザは健気に待っているとは言ったが、おそらくそんな約束など信じてはいなかったのだろう。彼女の望みは彼の名を呼ぶことだけだったのだから。
弱くて強く、無知なのに賢い娘。
エルランドは、一晩中甘い息をこぼして眠るリザを見守っていた。
翌朝、王女が住んでいるという離宮まで送った。驚いたことに、そこは宮とは名ばかりの廃墟で、かろうじて一階が住めるくらいの酷いところだった。
押しつけられたとはいえ、こんなところに妻となった娘を置いていくのかと、自己嫌悪に苛まれながら、エルランドは王宮を後にしたのだ。
だからエルランドは約束通り年に数回手紙を書き、好きなものを買うようにと働いて得た金を送った。
しかし、リザから返事が返ってくることは一度もなかった。
金はどこかで着服されているのかもしれないとは思ったが、体調や気候を尋ねるだけの罪のない手紙にも返事はなかったのだ。
使者を送ろうかとも考えたが、あの王や侍従によって、面会が許可されると思えなかった。
それなら自ら会いに行こうと実行に移そうとしたことはあったが、その度盗賊の集団が街道に出没したり、洪水が起きたりしてエルランドがイストラーダを離れることはできなかった。
気がつけば、あの夢のような一夜から五年が経っていた。
そこへ王からの手紙が届いたのだ。
『イストラーダ領主、エルランド・ヴァン・キーフェルは、ミッドラーン第五王女リザを長きにわたり放置している。ここに国王ヴェセル三世は、愛する妹を冷酷なる夫から解き放つため、この婚姻を無効とする。ついては同封した離縁状に署名を致し、この書状を届けた使者に託して返されたし』
手紙にはそう記されていた。
──ふざけるな、畜生め!
エルランドは読むや否や、王からの書状を破り捨てたくなる気持ちを非常な努力で堪えた。
しかし、ふざけているのは王ばかりではない。自分とて同罪なのだ。
使者には返事はしばらく待つようにと伝え、召使には彼を歓待するように命じた。
「直ちに王都に向かう!」
その日のうちにエルランドはイストラーダを発った。
散々酔いつぶれた使者が目を覚ました時、エルランド既に一日以上の行程を進んでいた。
道中は使い慣れた偽名を使用し、自分の不在を隠してひたすら馬を駆った。それは一番厳しかった戦場と同じくらいの勢いだった。
途中、怪我をした娘と少年を拾ったのは偶然だ。それなのに、なぜか昨夜から彼の心は酷く乱れている。
街道を行く人々は、黒い騎馬の疾走に慌てて道を譲った。
やがて道幅が広がり、町が大きく建物が立派になる。王都ミッドラスはすぐそこだ。
そこに彼の妻、リザがいる。いるはずなのだ。
「全て思い通りになると思うな!」
エルランドは見えてきた王宮の尖塔に向かって怒鳴った。
三人の護衛は必死でついてくるが、とても彼の愛馬、アスワドの優秀さと馬術には及ばない。そもそも辺境一の戦士の彼に護衛などいらないのだ。
しかし、王を訪問するのに随身もつけない訳にはいかなかった。今や、エルランドも歴としたとした騎士で辺境領主である。
昨夜思いがけず助けてしまった二人──特に少年がなぜか気にかかっていたが、セローを残してきたので、彼がうまく計らうだろう。
今は、目の前の問題にケリをつけなくてはいけないのだ。
五年前、彼が王家から拝領した極東の捨て地イストラーダは、深い森林、数箇所の湖と湿地、あとは荒地と山地ばかりの何もないところだった。
人口も希薄で村は貧しく、昔作られた頑丈な砦はいくつかあるものの、誰もこんな土地を治めたいとは思わなかったのだろう。
エルランドの家は祖父の代に領地を失った。
代々のキーフェル家の領地は南の地方にあったのだが、その頃起きた南方国境の紛争でミッドラーン国が大敗を喫した時の指揮官が祖父だった。
その結果、隣国に領地を奪われ、祖父は十代の父を残して戦死した。その責務を負わされ、キーフェル家の爵位は取り上げられたのだ。
その後、南の国に王位簒奪事件が起き、その混乱に乗じて攻め入ったミッドラーン軍は勝利し、国境は元の位置に回復した。しかし、キーフェル家の領地は返還されることなく、今は別の領主が治めている。
父は散々苦労して傭兵隊長となったが、祖父の領地を取り返すことなく亡くなり、エルランドも物心ついた時から武器を取って、父の仲間たちから戦い方を学んだ。
彼が国内外の様々な戦場で戦ってきたのは、祖父や父の悲願を果たすためだったと言える。
長い傭兵暮らしの間に多くの仲間が集まり、彼を中心に部隊ができあがった。連戦連勝のキーフェル隊は、いつの間にか父を凌ぐ実力の傭兵隊長となった。
そしてミッドランド国王命を受け、再び北上しようとしてきた南方民族を叩きのめしたのだ。
その対価として得た領地、イストラーダ。
この五年間、エルランドは必死で働いた。街道を整備し、痩せた土地でも育つ大型のヤギやシカを家畜として増やした。
三年前には深い山中の谷間から鉄樹が見つかった。鉄樹は木質が硬い樹木で、伐り倒すのは難しいが、燃え尽きるまでに時間がかかるため、非常に優秀な燃料となる。調べてみると、険しいイストラーダ山地の谷間に、この鉄樹の森が多くあることがわかった。
伐採や運搬など様々な苦労はあったものの、今では鉄樹材はイストラーダの主要産業となりつつある。
また、今まで誰も見向きもされかった湿地帯で、良質の粘土が掘り出されたため、イストラーダ中から職人を集めて陶器の製造も始まっている。
極東の捨て地イストラーダは、少しずつではあるが、貧しさから脱却しつつあるのだった。
エルランドはここ二年、東の州の中でも一番多くの金や物資を国に収めた。新参の領主が急激に豊かになるのは、国にとってあまり好ましくないと知っている。だからエルランドは、自分の城と仲間を養う以外は、ほぼ全ての富を領地と国のために捧げてきたのだ。
──だが。
五年前、捨て地と共に彼に与えられた末の姫。
あの日、薄暗い拝堂で垣間見た、藍の瞳の魅力。
彼ははっきり覚えていた。
十四歳の王女リザは、弱々しく見えたし、実際に酷く怯えてもいた。しかし、彼女はその場にいた兄王初め、参列者の誰よりも達観していたのだ。
結婚式と言う茶番劇に。
あの夜、俺は確かに彼女に仄かな異性を感じていた。
普通なら哀れみしか感じないかわいそうな娘だ。
なのに、弱さの中に不思議な強さと魅力が備わった瞳に、エルランドは不覚にも異性として魅了されてしまったのだ。
熱い塊が心の奥から競り上がり、思わず小さな唇に触れたことは、誰にも知られてはいけない秘密だった。
エルランドは領地に連れていけない娘に、迎えに行くと約束した。リザは健気に待っているとは言ったが、おそらくそんな約束など信じてはいなかったのだろう。彼女の望みは彼の名を呼ぶことだけだったのだから。
弱くて強く、無知なのに賢い娘。
エルランドは、一晩中甘い息をこぼして眠るリザを見守っていた。
翌朝、王女が住んでいるという離宮まで送った。驚いたことに、そこは宮とは名ばかりの廃墟で、かろうじて一階が住めるくらいの酷いところだった。
押しつけられたとはいえ、こんなところに妻となった娘を置いていくのかと、自己嫌悪に苛まれながら、エルランドは王宮を後にしたのだ。
だからエルランドは約束通り年に数回手紙を書き、好きなものを買うようにと働いて得た金を送った。
しかし、リザから返事が返ってくることは一度もなかった。
金はどこかで着服されているのかもしれないとは思ったが、体調や気候を尋ねるだけの罪のない手紙にも返事はなかったのだ。
使者を送ろうかとも考えたが、あの王や侍従によって、面会が許可されると思えなかった。
それなら自ら会いに行こうと実行に移そうとしたことはあったが、その度盗賊の集団が街道に出没したり、洪水が起きたりしてエルランドがイストラーダを離れることはできなかった。
気がつけば、あの夢のような一夜から五年が経っていた。
そこへ王からの手紙が届いたのだ。
『イストラーダ領主、エルランド・ヴァン・キーフェルは、ミッドラーン第五王女リザを長きにわたり放置している。ここに国王ヴェセル三世は、愛する妹を冷酷なる夫から解き放つため、この婚姻を無効とする。ついては同封した離縁状に署名を致し、この書状を届けた使者に託して返されたし』
手紙にはそう記されていた。
──ふざけるな、畜生め!
エルランドは読むや否や、王からの書状を破り捨てたくなる気持ちを非常な努力で堪えた。
しかし、ふざけているのは王ばかりではない。自分とて同罪なのだ。
使者には返事はしばらく待つようにと伝え、召使には彼を歓待するように命じた。
「直ちに王都に向かう!」
その日のうちにエルランドはイストラーダを発った。
散々酔いつぶれた使者が目を覚ました時、エルランド既に一日以上の行程を進んでいた。
道中は使い慣れた偽名を使用し、自分の不在を隠してひたすら馬を駆った。それは一番厳しかった戦場と同じくらいの勢いだった。
途中、怪我をした娘と少年を拾ったのは偶然だ。それなのに、なぜか昨夜から彼の心は酷く乱れている。
街道を行く人々は、黒い騎馬の疾走に慌てて道を譲った。
やがて道幅が広がり、町が大きく建物が立派になる。王都ミッドラスはすぐそこだ。
そこに彼の妻、リザがいる。いるはずなのだ。
「全て思い通りになると思うな!」
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