17 / 96
16 暗い街道 2
しおりを挟む
平原が闇に沈んでしばらく経った。東へと伸びる街道を通る者は誰もいない。
西の方角のラガースの町からは、暖かそうな明かりが瞬いている。
リザは心の底から孤独を感じた。
この暗く広い空間に、自分はたった一人で立っているのだ。
しかし、今は大切な友人を守らなければならない。下を覗き込むと、ニーケは体を丸めて痛みをやり過ごしているようだ。
リザは次第に焦りを覚えていた。最後の陽の名残も消えた街道に旅人が現れるとは、さすがのリザにも思えなかったのだ。
いつまでもニーケをこのままにはできないわ。町から人を呼んでこよう。
手配書は回っているけど、一晩くらい帽子を被って少年の振りで押し通せるかもしれない。
「ここに突っ立っていても、仕方がないわ! ニーケ、私、町まで戻って人を呼んでくる!」
「……リザ様っ!」
ニーケが何か叫んだようだが、リザは振り返らずに町へと走った。一刻の猶予もない。
早くニーケの手当てをしないと! もし、骨が折れていたら……。
全部私のせいだ! 私が逃げ出したりしなければ何も問題は起きなかったのに。
わずかな明かりを頼りにリザは街道を走った。しかし、思うように進めない。ここで自分まで怪我をしたら、もうこの旅はおしまいだろう。
「もう少しよ! リザ、頑張って!」
遠かった町の灯がリザの額にまで届くようになった時、東の方角から蹄の音が響いてきた。
──誰か来る!
振り返っても、暗くて何も見えない。
しかし遠くに小さな灯りが上下している事はわかった。蹄の大きな高鳴りは市民や商人ではない、訓練された馬の足音だ。
リザはもう何も考えずに、道の脇に避け、馬が近づくのを待った──が待つほどのこともない。
馬はあっという間に近づいてきた。それも一頭だけではない。大きな黒い影の塊は、まるで物語で読んだ怪物のようだった。遠かった蹄の音が間近で響き、荒々しい息遣いまでも伝わる。馬をよく知らないリザには恐ろしい光景だ。
しかし、躊躇うゆとりはなかった。四、五騎の騎馬隊がすぐそこまできている。先頭の騎馬が乗馬用のカンテラを持っていた。
「お願い! 待って! 待ってください!」
馬が駆け過ぎるのに並走しながら、リザは叫んだ。しかし聞こえないのか、それともリザなど無視するつもりなのか、騎馬隊はどんどん通り過ぎていく。
「待って! 待ってぇ! 怪我人がいるんです!」
地響きを立てて最後の馬がリザのすぐ横を通り過ぎていく。彼女の足ではとても追いつけそうにもない。リザは生まれて初めて本気で走った。
「あっ!」
小石につまづいて盛大に転んでしまう。
膝を打ったらしく痛くてすぐに立ち上がれない。これではニーケの二の舞だ。それでもリザは土くれを掴んで必死で叫び続けた。
「お願い! 気づいて! 私はここよ!」
その時──。
蹄の音に紛れて「止まれ!」と叫ぶ、男の声が聞こえたような気がした。
道に両手を突きながらリザが茫然としていると、町の灯りを背景に、列の中程の騎馬がゆっくりと馬首を返す様子が見えた。
「……助けてください!」
答えはない。
カツカツカツ
乾いた響きを立てながら、大きな騎馬がリザの方にやってくる。
「あ……」
その人馬はものすごく大きかった。地面に這いつくばっていたので、余計そう思ってしまったのかもしれない。
しかし、その姿に勇気を得て、リザは地べたに両手をついたまま叫び続けた。
「お願いです! 連れが怪我をしてしまったのです。どうかお助けください!」
「……ラガースの子どもか」
リザからほんの二ルーメル先でとまった大きな影から低い声が降ってくる。風除けに立てたマントの襟のせいか、声がくぐもっている。他の馬が町の灯火を受けて赤茶色に見えるのに対し、その人馬はどこまでも黒かった。
「いいえ! た、旅の者です。私……僕の主人が溝に落ちて足を怪我してしまったんです! どうか、お助けください」
少し落ち着いてきたリザは、低く聞こえるように声を落として言った。
「夜旅か、感心せんな。セロー、見てやれ」
「は!」
前方からもう一騎やってくる。若い男のようだ。
「立てるか?」
最初の男は馬から降りてリザの腕を掴む。あっと、思う間にリザは立たされていた。まるで操り人形にでもなった気分だった。
「怪我はなさそうだな。怪我人はどこだ?」
「こっちです……きゃあ!」
リザは素早く気持ちを切り替え、暗い街道を戻ろうとしたところ、腰をさらわれて馬に乗せられてしまった。すぐに男が背後に跨り、支えてくれる。
セローと呼ばれた男が素早く前に出た。この青年がカンテラを持っていたのだ。灯火は、暗闇に慣れた目に意外なほど明るく、暖かく思えた。
その時わかったのだが、男達は一様に略式の鎧とフード付きの分厚いマントをつけ、大きな剣を携えている。どうやら地方の騎士のようだ。
王宮の兵士と似ているが、彼らとは纏う空気が全然違う。例えるなら飼い犬と野犬の違いだろうか。
「あ、ありがとうございます」
二騎はリザが懸命に走った道をあっという間に引き返した。
「ここです」
リザはニーケがいるはずの側溝を指して叫ぶ。
「お嬢様、親切な方をお連れしました!」
「リオ? リオなのね!」
ニーケはリザの偽名を呼んだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ。でも、ごめんなさい。道まではとても登って行けそうにないの」
「どうしたら……え?」
リザが困っている間に、するりと馬から降りたセローがカンテラを置いて側溝に滑り込む。下で何やら低く囁いていたようだが、あっという間に彼はニーケを横抱きにしてのしのしと斜面を登って来た。
「……」
リザは思わず、背後の男を見上げた。
同じ鞍にまたがっていても非常に背が高い。しかし、旅人用の鍔広帽子を深く被り、マントの襟を立てているため、整った鼻梁の線しか見えなかった。
「お嬢さん、一旦下ろしますね。でも、立たないでください」
セローがニーケをそっと地面に下ろし、置いてあったカンテラを取り上げた。
「エリツ様、お連れしました」
エリツと呼ばれた男は黙って馬を下り、リザにも手を貸して下ろしてくれる。地面が見えるのでもう安心だった。
「あ、ありがとう、ございます……」
その時、揺れるカンテラの灯りを拾った帽子の奥に、ちらりと緑の光が見えたような気がした。
西の方角のラガースの町からは、暖かそうな明かりが瞬いている。
リザは心の底から孤独を感じた。
この暗く広い空間に、自分はたった一人で立っているのだ。
しかし、今は大切な友人を守らなければならない。下を覗き込むと、ニーケは体を丸めて痛みをやり過ごしているようだ。
リザは次第に焦りを覚えていた。最後の陽の名残も消えた街道に旅人が現れるとは、さすがのリザにも思えなかったのだ。
いつまでもニーケをこのままにはできないわ。町から人を呼んでこよう。
手配書は回っているけど、一晩くらい帽子を被って少年の振りで押し通せるかもしれない。
「ここに突っ立っていても、仕方がないわ! ニーケ、私、町まで戻って人を呼んでくる!」
「……リザ様っ!」
ニーケが何か叫んだようだが、リザは振り返らずに町へと走った。一刻の猶予もない。
早くニーケの手当てをしないと! もし、骨が折れていたら……。
全部私のせいだ! 私が逃げ出したりしなければ何も問題は起きなかったのに。
わずかな明かりを頼りにリザは街道を走った。しかし、思うように進めない。ここで自分まで怪我をしたら、もうこの旅はおしまいだろう。
「もう少しよ! リザ、頑張って!」
遠かった町の灯がリザの額にまで届くようになった時、東の方角から蹄の音が響いてきた。
──誰か来る!
振り返っても、暗くて何も見えない。
しかし遠くに小さな灯りが上下している事はわかった。蹄の大きな高鳴りは市民や商人ではない、訓練された馬の足音だ。
リザはもう何も考えずに、道の脇に避け、馬が近づくのを待った──が待つほどのこともない。
馬はあっという間に近づいてきた。それも一頭だけではない。大きな黒い影の塊は、まるで物語で読んだ怪物のようだった。遠かった蹄の音が間近で響き、荒々しい息遣いまでも伝わる。馬をよく知らないリザには恐ろしい光景だ。
しかし、躊躇うゆとりはなかった。四、五騎の騎馬隊がすぐそこまできている。先頭の騎馬が乗馬用のカンテラを持っていた。
「お願い! 待って! 待ってください!」
馬が駆け過ぎるのに並走しながら、リザは叫んだ。しかし聞こえないのか、それともリザなど無視するつもりなのか、騎馬隊はどんどん通り過ぎていく。
「待って! 待ってぇ! 怪我人がいるんです!」
地響きを立てて最後の馬がリザのすぐ横を通り過ぎていく。彼女の足ではとても追いつけそうにもない。リザは生まれて初めて本気で走った。
「あっ!」
小石につまづいて盛大に転んでしまう。
膝を打ったらしく痛くてすぐに立ち上がれない。これではニーケの二の舞だ。それでもリザは土くれを掴んで必死で叫び続けた。
「お願い! 気づいて! 私はここよ!」
その時──。
蹄の音に紛れて「止まれ!」と叫ぶ、男の声が聞こえたような気がした。
道に両手を突きながらリザが茫然としていると、町の灯りを背景に、列の中程の騎馬がゆっくりと馬首を返す様子が見えた。
「……助けてください!」
答えはない。
カツカツカツ
乾いた響きを立てながら、大きな騎馬がリザの方にやってくる。
「あ……」
その人馬はものすごく大きかった。地面に這いつくばっていたので、余計そう思ってしまったのかもしれない。
しかし、その姿に勇気を得て、リザは地べたに両手をついたまま叫び続けた。
「お願いです! 連れが怪我をしてしまったのです。どうかお助けください!」
「……ラガースの子どもか」
リザからほんの二ルーメル先でとまった大きな影から低い声が降ってくる。風除けに立てたマントの襟のせいか、声がくぐもっている。他の馬が町の灯火を受けて赤茶色に見えるのに対し、その人馬はどこまでも黒かった。
「いいえ! た、旅の者です。私……僕の主人が溝に落ちて足を怪我してしまったんです! どうか、お助けください」
少し落ち着いてきたリザは、低く聞こえるように声を落として言った。
「夜旅か、感心せんな。セロー、見てやれ」
「は!」
前方からもう一騎やってくる。若い男のようだ。
「立てるか?」
最初の男は馬から降りてリザの腕を掴む。あっと、思う間にリザは立たされていた。まるで操り人形にでもなった気分だった。
「怪我はなさそうだな。怪我人はどこだ?」
「こっちです……きゃあ!」
リザは素早く気持ちを切り替え、暗い街道を戻ろうとしたところ、腰をさらわれて馬に乗せられてしまった。すぐに男が背後に跨り、支えてくれる。
セローと呼ばれた男が素早く前に出た。この青年がカンテラを持っていたのだ。灯火は、暗闇に慣れた目に意外なほど明るく、暖かく思えた。
その時わかったのだが、男達は一様に略式の鎧とフード付きの分厚いマントをつけ、大きな剣を携えている。どうやら地方の騎士のようだ。
王宮の兵士と似ているが、彼らとは纏う空気が全然違う。例えるなら飼い犬と野犬の違いだろうか。
「あ、ありがとうございます」
二騎はリザが懸命に走った道をあっという間に引き返した。
「ここです」
リザはニーケがいるはずの側溝を指して叫ぶ。
「お嬢様、親切な方をお連れしました!」
「リオ? リオなのね!」
ニーケはリザの偽名を呼んだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ。でも、ごめんなさい。道まではとても登って行けそうにないの」
「どうしたら……え?」
リザが困っている間に、するりと馬から降りたセローがカンテラを置いて側溝に滑り込む。下で何やら低く囁いていたようだが、あっという間に彼はニーケを横抱きにしてのしのしと斜面を登って来た。
「……」
リザは思わず、背後の男を見上げた。
同じ鞍にまたがっていても非常に背が高い。しかし、旅人用の鍔広帽子を深く被り、マントの襟を立てているため、整った鼻梁の線しか見えなかった。
「お嬢さん、一旦下ろしますね。でも、立たないでください」
セローがニーケをそっと地面に下ろし、置いてあったカンテラを取り上げた。
「エリツ様、お連れしました」
エリツと呼ばれた男は黙って馬を下り、リザにも手を貸して下ろしてくれる。地面が見えるのでもう安心だった。
「あ、ありがとう、ございます……」
その時、揺れるカンテラの灯りを拾った帽子の奥に、ちらりと緑の光が見えたような気がした。
0
お気に入りに追加
523
あなたにおすすめの小説
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
【完結】やさしい嘘のその先に
鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。
妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。
※30,000字程度で完結します。
(執筆期間:2022/05/03〜05/24)
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます!
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
---------------------
○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。
(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
○雪さま
(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
(pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274
---------------------
【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。
airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。
どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。
2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。
ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。
あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて…
あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる