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『イストラーダ領主、エルランド・ヴァン・キーフェル閣下からは、もうすぐ離縁届けが届く手筈になっております』

 王の侍従、メノムからもたらされた知らせは、リザを打ちのめした。
 既に陽は落ちたが、灯もともさない部屋は真っ暗だ。閉じ切らぬ窓からは初秋の風が吹き込んでいる。
「一人になって考えたいの」と、リザは心配するニーケを遠ざけ、夕食もとらなかった。
 大丈夫、とニーケの前では平静を保っているように振るまっていたが、その実リザは打ちひしがれていたのだ。

 捨て置かれた花嫁だと悟ったつもりでいながら、心のどこかで待っていたのだわ。
 私は、あの方のことを。
 五年前、深い声と金緑の瞳で、私を迎えに来ると言ったあの方。私の髪と肌に触れた手。そっと重ねられた熱い唇。
 忘れたことはない。眠りに落ちるまで抱きしめてくれた人のことを。
 あの夜のことを、私は幾度思い返しただろう。

 そう──。
 リザは彼を一日千秋の思いで待っていた。
 ニーケに強がって見せても、いつか、もしかしたら……と言う思いを捨てきれないでいたのだ。
 離縁されると言う事実よりも、そんな自分に絶望していた。
「お笑いだ。あの方はとっくの昔に私を見限っていたと言うのに!」
 この国の貴族や王族の離縁は、双方の同意でなされるものではない。
 よほどのことがない限り、主権は身分の高い方にある。この場合は王だった。
 リザがいかに王家の血を引こうが、降嫁された身の上で、身分の低い母の娘と蔑まれた身では逆らいようがなかった。
「……自分が馬鹿すぎて涙も出やしない」
 リザは乾いた唇で呟いた。

 メノムが帰ってすぐに、ニーケやオジーが駆け回って集めてくれた情報では、シュラーク公爵家というのは、代々王家を守り、政治をになってきた重要な家柄だと言う。王家と遜色そんしょくないほどの富を持ち、西の地方に広大な領地を所有しているのは有名な事実だった。
 おそらく兄王が公爵家とのつながりをさらに密接にしようと、リザの利用方法を変えたのだ。
 幼い王女に辟易して辺境で活躍している領主エルランドに離縁を持ちかけ、彼はそれを了承したのだろう。
 王家に生まれた者の結婚は、自分の意思では決められない。事実リザの四人の兄姉達は、国内の名家や外国の王家と婚姻を結んでいる。
 当代のシュラーク公爵は、先年妻を亡くしたばかりの五十前の男らしい。
 公爵自身に悪い噂は聞かないが、成人した者も含め、子どもが六人もいるのだから、今さら後継こうけい争いなどは起きないし、長らく放って置かれた庶出しょしゅつの王女とは言え、王家の血を迎えることは悪い話ではなかったのだろう。王家に恩を売る心づもりもあるのかもしれない。
 ヴェセルにしてみれば、リザのすぐ上の姉ナタリーが国内の有力貴族に嫁いだ直後で、使える駒はリザだけと言うことなのだ。
 エルランドとの婚姻が形式だけだったことは、彼がすぐに領地に去ったことからも公然の事実だった。
『兄ではない、陛下と呼べ。カラスの分際で』

 相変わらず兄上は、私を知恵も意思もないカラスだと思っているのだわ。

 リザは白くなるほど唇をかみしめた。
 エルランドがこの離縁話を二つ返事で同意したのか、そうでないのかはわからない。
 けれど、この五年の間、なんの音沙汰もなかったことは厳然たる事実だ。
 最初の頃は、新しい土地を治める仕事で手一杯なのだろうと考えていた。しかし何年待っても、一枚の手紙すら来なかった。
 それを思うと、リザはいかに自分が、誰にも必要とされてないのかを思い知らされ、身の内が凍り付く。
 あまりに値打ちのない自分が馬鹿馬鹿しくて涙も出ない。

『全て言いなりになるのは嫌だと思った』

 エルランドはそう言って、自分を置いて行ったのだ。
「私も、全て言いなりになるのは、嫌だ」
 リザは独りごちた。
「兄上もあの方も、私に好き勝手に利用しているのに、私はどうして自分のやりたいようにできないの? そんなの嫌、嫌だ。絶対に嫌!」
 今こそリザにはわかった。
 皆が自分を言いなりになる人形だと思っているのは、自分がそう振る舞ってきたからだ。何もかも受け入れて自分の意思を持とうとしなかった。
 手紙が来ないなら自分から書けばよかったのに、そうはしなかった。考え付きもしなかったのだ。
「だったら」

 ──愚かな自分を捨てたいのなら、今からでも自分の考えを持てばいいのだわ。

「私は」
 勝手に離縁を決められて、父親のような年齢の、知らない男のもとに嫁ぎたくはない。
「結婚なんか二度としたくない」

 これが私の意思だ!

 リザは顔を上げた。放り出した絵を拾い上げる。
「私だってできる。全て言いなりになるのは、嫌だ」
 だから──。
「逃げよう」
 リザは心を決めた。
 そして立ち上がった。

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