13 / 96
12 逃避 1
しおりを挟む
『イストラーダ領主、エルランド・ヴァン・キーフェル閣下からは、もうすぐ離縁届けが届く手筈になっております』
王の侍従、メノムからもたらされた知らせは、リザを打ちのめした。
既に陽は落ちたが、灯も点さない部屋は真っ暗だ。閉じ切らぬ窓からは初秋の風が吹き込んでいる。
「一人になって考えたいの」と、リザは心配するニーケを遠ざけ、夕食もとらなかった。
大丈夫、とニーケの前では平静を保っているように振るまっていたが、その実リザは打ちひしがれていたのだ。
捨て置かれた花嫁だと悟ったつもりでいながら、心のどこかで待っていたのだわ。
私は、あの方のことを。
五年前、深い声と金緑の瞳で、私を迎えに来ると言ったあの方。私の髪と肌に触れた手。そっと重ねられた熱い唇。
忘れたことはない。眠りに落ちるまで抱きしめてくれた人のことを。
あの夜のことを、私は幾度思い返しただろう。
そう──。
リザは彼を一日千秋の思いで待っていた。
ニーケに強がって見せても、いつか、もしかしたら……と言う思いを捨てきれないでいたのだ。
離縁されると言う事実よりも、そんな自分に絶望していた。
「お笑いだ。あの方はとっくの昔に私を見限っていたと言うのに!」
この国の貴族や王族の離縁は、双方の同意でなされるものではない。
よほどのことがない限り、主権は身分の高い方にある。この場合は王だった。
リザがいかに王家の血を引こうが、降嫁された身の上で、身分の低い母の娘と蔑まれた身では逆らいようがなかった。
「……自分が馬鹿すぎて涙も出やしない」
リザは乾いた唇で呟いた。
メノムが帰ってすぐに、ニーケやオジーが駆け回って集めてくれた情報では、シュラーク公爵家というのは、代々王家を守り、政治を担ってきた重要な家柄だと言う。王家と遜色ないほどの富を持ち、西の地方に広大な領地を所有しているのは有名な事実だった。
おそらく兄王が公爵家との繋がりをさらに密接にしようと、リザの利用方法を変えたのだ。
幼い王女に辟易して辺境で活躍している領主エルランドに離縁を持ちかけ、彼はそれを了承したのだろう。
王家に生まれた者の結婚は、自分の意思では決められない。事実リザの四人の兄姉達は、国内の名家や外国の王家と婚姻を結んでいる。
当代のシュラーク公爵は、先年妻を亡くしたばかりの五十前の男らしい。
公爵自身に悪い噂は聞かないが、成人した者も含め、子どもが六人もいるのだから、今さら後継争いなどは起きないし、長らく放って置かれた庶出の王女とは言え、王家の血を迎えることは悪い話ではなかったのだろう。王家に恩を売る心づもりもあるのかもしれない。
ヴェセルにしてみれば、リザのすぐ上の姉ナタリーが国内の有力貴族に嫁いだ直後で、使える駒はリザだけと言うことなのだ。
エルランドとの婚姻が形式だけだったことは、彼がすぐに領地に去ったことからも公然の事実だった。
『兄ではない、陛下と呼べ。カラスの分際で』
相変わらず兄上は、私を知恵も意思もないカラスだと思っているのだわ。
リザは白くなるほど唇をかみしめた。
エルランドがこの離縁話を二つ返事で同意したのか、そうでないのかはわからない。
けれど、この五年の間、なんの音沙汰もなかったことは厳然たる事実だ。
最初の頃は、新しい土地を治める仕事で手一杯なのだろうと考えていた。しかし何年待っても、一枚の手紙すら来なかった。
それを思うと、リザはいかに自分が、誰にも必要とされてないのかを思い知らされ、身の内が凍り付く。
あまりに値打ちのない自分が馬鹿馬鹿しくて涙も出ない。
『全て言いなりになるのは嫌だと思った』
エルランドはそう言って、自分を置いて行ったのだ。
「私も、全て言いなりになるのは、嫌だ」
リザは独りごちた。
「兄上もあの方も、私に好き勝手に利用しているのに、私はどうして自分のやりたいようにできないの? そんなの嫌、嫌だ。絶対に嫌!」
今こそリザにはわかった。
皆が自分を言いなりになる人形だと思っているのは、自分がそう振る舞ってきたからだ。何もかも受け入れて自分の意思を持とうとしなかった。
手紙が来ないなら自分から書けばよかったのに、そうはしなかった。考え付きもしなかったのだ。
「だったら」
──愚かな自分を捨てたいのなら、今からでも自分の考えを持てばいいのだわ。
「私は」
勝手に離縁を決められて、父親のような年齢の、知らない男のもとに嫁ぎたくはない。
「結婚なんか二度としたくない」
これが私の意思だ!
リザは顔を上げた。放り出した絵を拾い上げる。
「私だってできる。全て言いなりになるのは、嫌だ」
だから──。
「逃げよう」
リザは心を決めた。
そして立ち上がった。
王の侍従、メノムからもたらされた知らせは、リザを打ちのめした。
既に陽は落ちたが、灯も点さない部屋は真っ暗だ。閉じ切らぬ窓からは初秋の風が吹き込んでいる。
「一人になって考えたいの」と、リザは心配するニーケを遠ざけ、夕食もとらなかった。
大丈夫、とニーケの前では平静を保っているように振るまっていたが、その実リザは打ちひしがれていたのだ。
捨て置かれた花嫁だと悟ったつもりでいながら、心のどこかで待っていたのだわ。
私は、あの方のことを。
五年前、深い声と金緑の瞳で、私を迎えに来ると言ったあの方。私の髪と肌に触れた手。そっと重ねられた熱い唇。
忘れたことはない。眠りに落ちるまで抱きしめてくれた人のことを。
あの夜のことを、私は幾度思い返しただろう。
そう──。
リザは彼を一日千秋の思いで待っていた。
ニーケに強がって見せても、いつか、もしかしたら……と言う思いを捨てきれないでいたのだ。
離縁されると言う事実よりも、そんな自分に絶望していた。
「お笑いだ。あの方はとっくの昔に私を見限っていたと言うのに!」
この国の貴族や王族の離縁は、双方の同意でなされるものではない。
よほどのことがない限り、主権は身分の高い方にある。この場合は王だった。
リザがいかに王家の血を引こうが、降嫁された身の上で、身分の低い母の娘と蔑まれた身では逆らいようがなかった。
「……自分が馬鹿すぎて涙も出やしない」
リザは乾いた唇で呟いた。
メノムが帰ってすぐに、ニーケやオジーが駆け回って集めてくれた情報では、シュラーク公爵家というのは、代々王家を守り、政治を担ってきた重要な家柄だと言う。王家と遜色ないほどの富を持ち、西の地方に広大な領地を所有しているのは有名な事実だった。
おそらく兄王が公爵家との繋がりをさらに密接にしようと、リザの利用方法を変えたのだ。
幼い王女に辟易して辺境で活躍している領主エルランドに離縁を持ちかけ、彼はそれを了承したのだろう。
王家に生まれた者の結婚は、自分の意思では決められない。事実リザの四人の兄姉達は、国内の名家や外国の王家と婚姻を結んでいる。
当代のシュラーク公爵は、先年妻を亡くしたばかりの五十前の男らしい。
公爵自身に悪い噂は聞かないが、成人した者も含め、子どもが六人もいるのだから、今さら後継争いなどは起きないし、長らく放って置かれた庶出の王女とは言え、王家の血を迎えることは悪い話ではなかったのだろう。王家に恩を売る心づもりもあるのかもしれない。
ヴェセルにしてみれば、リザのすぐ上の姉ナタリーが国内の有力貴族に嫁いだ直後で、使える駒はリザだけと言うことなのだ。
エルランドとの婚姻が形式だけだったことは、彼がすぐに領地に去ったことからも公然の事実だった。
『兄ではない、陛下と呼べ。カラスの分際で』
相変わらず兄上は、私を知恵も意思もないカラスだと思っているのだわ。
リザは白くなるほど唇をかみしめた。
エルランドがこの離縁話を二つ返事で同意したのか、そうでないのかはわからない。
けれど、この五年の間、なんの音沙汰もなかったことは厳然たる事実だ。
最初の頃は、新しい土地を治める仕事で手一杯なのだろうと考えていた。しかし何年待っても、一枚の手紙すら来なかった。
それを思うと、リザはいかに自分が、誰にも必要とされてないのかを思い知らされ、身の内が凍り付く。
あまりに値打ちのない自分が馬鹿馬鹿しくて涙も出ない。
『全て言いなりになるのは嫌だと思った』
エルランドはそう言って、自分を置いて行ったのだ。
「私も、全て言いなりになるのは、嫌だ」
リザは独りごちた。
「兄上もあの方も、私に好き勝手に利用しているのに、私はどうして自分のやりたいようにできないの? そんなの嫌、嫌だ。絶対に嫌!」
今こそリザにはわかった。
皆が自分を言いなりになる人形だと思っているのは、自分がそう振る舞ってきたからだ。何もかも受け入れて自分の意思を持とうとしなかった。
手紙が来ないなら自分から書けばよかったのに、そうはしなかった。考え付きもしなかったのだ。
「だったら」
──愚かな自分を捨てたいのなら、今からでも自分の考えを持てばいいのだわ。
「私は」
勝手に離縁を決められて、父親のような年齢の、知らない男のもとに嫁ぎたくはない。
「結婚なんか二度としたくない」
これが私の意思だ!
リザは顔を上げた。放り出した絵を拾い上げる。
「私だってできる。全て言いなりになるのは、嫌だ」
だから──。
「逃げよう」
リザは心を決めた。
そして立ち上がった。
2
お気に入りに追加
524
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる