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11 私にできること 3
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リザが出ると決めた市の日まで、あと三日となっていた。
できるだけたくさんの花を出せるよう、毎日庭に出て花の世話をする。そして、時間を見つけては美しく咲いた花を写生した。図録に影響を受けたリザの花の絵はあまり大きくはないが、綺麗なだけでなく、細密画と言ってもいい出来栄えだ。
それが珍しいのか、今まで描いた絵はほとんどが売れたのだった。
その日もリザは温室で絵を描いていた。
小春日和の暖かい日だった。
あとひと月もすれば冷たい風が吹き始めるだろう。王都はそうでもないが、北や東の地方の冬は厳しいと聞く。
リザが注意して調べたのは東の地方の情報だった。本を買うほどの余裕はないので、町の人や旅人の話が頼りだが、東の地方の情報は少ない。新しい領主のうわさも然りである。
飢饉や疫病、反乱などがあれば人々の口の端に上るので、きっと何事もなく収まっているのだろう。
「考えたってしようがない。私できることは今これだけなんだから……花びらの縁の曲線は繊細に、ほんのり紫を足して……、葉っぱは緑だけでなくて斑を白く表して……」
リザは花の特徴を唱えながら絵筆を動かす。
複雑な形に重なり合った花や葉を紙の上に再現するのは難しく、根気のいる作業だ。筆先が止まらぬよう、生き生きとした描線で描いていく。
いつしかリザは描くことだけに熱中していた。
午後の日差しはどんどん濃くなっていくようだ。
「リザ様!」
ニーケがばたばたと駆け込んできたのは、リザがそろそろ筆を置こうかと思った時だった。
「どうしたの?」
滅多にないことに、落としそうになった絵筆を水入れに突っ込んでリザは振り向いた。
「たった今、王宮からお使いが!」
「あら、そう?」
ニーケは驚いているが、どうせいつもの安否確認だ。前回来たのは二ヶ月前だから、もう少し間があると思ったが別に構わない。
「では着替えるわ。お待ちいただいて。お茶なんか出さなくっていいわよ。どうせ飲まないし、すぐにお帰りになるし」
立ち上がってリザは温室を後にする。
「は、はい」
リザの着替えに手伝いはいらない。なんでも自分でできるからだ。持っている服の中で一番様子の良いものに着替えると、髪を整えて客間──と言っても、ただの古ぼけた居間だが──に入った。
そこにいたのはいつもの安否確認要員ではなく、五年前と同じメノムという兄の侍従だった。
「お久しぶりでございます。リザ様」
「こんにちはメノムさん。私はこの通り元気よ、兄上にもそう伝えてくださいな。ではごきげんよう」
このメノムと言う男をリザは好かなかった。かつて十四歳だったリザを、虫でも見るような目つきで見たからだ。褐色と言うのは暖かい色なのに、なぜこの男の目はこんなに冷たいのだろうと、リザは思う。
あの方とは大違いだわ。
「お待ちください。本日は陛下よりお言伝がございます」
痩せた男は眼鏡の奥からリザを見下ろした。彼の風采は以前より立派になっている。地味に見せているが、高価な布地をふんだんに使った上着の胸元には宝石が輝いていた。
「言伝? なんでしょう?」
妙な既視感が湧き上がる。以前にも同じようなことがあった。しかし、今更何をせよと兄はいうのだろう。湧き上がる不信感を抑えながらリザは厳しい目でメノムを見つめた。
メノムはわざとらしく咳ばらいをして勿体をつけている。
「申し上げます。リザ姫には、これより二月の後、王国の次席公爵、シュラーク公爵家に嫁ぐように、と言う陛下からのお言葉です。五日後に迎えをよこしますので、それまでに身辺整理をせよとの仰せでした」
「え⁉︎ どう言うことですか? 私はすでに嫁いだ身の上です! あなたも知っているでしょう?」
予想もしなかった事態に、リザは声をあげた。
「リザ姫の夫である、イストラーダ領主、エルランド・ヴァン・キーフェル閣下からは、数日内に離縁届けが届く手筈になっております。これによってお二人の離縁が成立いたします。おわかりですか?」
「りえん……?」
何を言われているのか、すぐには理解できなかった。
「左様。ですので、姫にはこの後、王宮で公爵家にふさわしい教育を受けていただき、二月後の結婚式に向けて準備を整える手はずになっております」
「……りえん……離縁届け?」
リザは呆然と繰り返す。
「詳しくは陛下にお尋ねくださいませ。では私はこれにて。五日後にお迎えにあがります」
メノムはそう言うと、立ち尽くすリザを置いて去っていった。
できるだけたくさんの花を出せるよう、毎日庭に出て花の世話をする。そして、時間を見つけては美しく咲いた花を写生した。図録に影響を受けたリザの花の絵はあまり大きくはないが、綺麗なだけでなく、細密画と言ってもいい出来栄えだ。
それが珍しいのか、今まで描いた絵はほとんどが売れたのだった。
その日もリザは温室で絵を描いていた。
小春日和の暖かい日だった。
あとひと月もすれば冷たい風が吹き始めるだろう。王都はそうでもないが、北や東の地方の冬は厳しいと聞く。
リザが注意して調べたのは東の地方の情報だった。本を買うほどの余裕はないので、町の人や旅人の話が頼りだが、東の地方の情報は少ない。新しい領主のうわさも然りである。
飢饉や疫病、反乱などがあれば人々の口の端に上るので、きっと何事もなく収まっているのだろう。
「考えたってしようがない。私できることは今これだけなんだから……花びらの縁の曲線は繊細に、ほんのり紫を足して……、葉っぱは緑だけでなくて斑を白く表して……」
リザは花の特徴を唱えながら絵筆を動かす。
複雑な形に重なり合った花や葉を紙の上に再現するのは難しく、根気のいる作業だ。筆先が止まらぬよう、生き生きとした描線で描いていく。
いつしかリザは描くことだけに熱中していた。
午後の日差しはどんどん濃くなっていくようだ。
「リザ様!」
ニーケがばたばたと駆け込んできたのは、リザがそろそろ筆を置こうかと思った時だった。
「どうしたの?」
滅多にないことに、落としそうになった絵筆を水入れに突っ込んでリザは振り向いた。
「たった今、王宮からお使いが!」
「あら、そう?」
ニーケは驚いているが、どうせいつもの安否確認だ。前回来たのは二ヶ月前だから、もう少し間があると思ったが別に構わない。
「では着替えるわ。お待ちいただいて。お茶なんか出さなくっていいわよ。どうせ飲まないし、すぐにお帰りになるし」
立ち上がってリザは温室を後にする。
「は、はい」
リザの着替えに手伝いはいらない。なんでも自分でできるからだ。持っている服の中で一番様子の良いものに着替えると、髪を整えて客間──と言っても、ただの古ぼけた居間だが──に入った。
そこにいたのはいつもの安否確認要員ではなく、五年前と同じメノムという兄の侍従だった。
「お久しぶりでございます。リザ様」
「こんにちはメノムさん。私はこの通り元気よ、兄上にもそう伝えてくださいな。ではごきげんよう」
このメノムと言う男をリザは好かなかった。かつて十四歳だったリザを、虫でも見るような目つきで見たからだ。褐色と言うのは暖かい色なのに、なぜこの男の目はこんなに冷たいのだろうと、リザは思う。
あの方とは大違いだわ。
「お待ちください。本日は陛下よりお言伝がございます」
痩せた男は眼鏡の奥からリザを見下ろした。彼の風采は以前より立派になっている。地味に見せているが、高価な布地をふんだんに使った上着の胸元には宝石が輝いていた。
「言伝? なんでしょう?」
妙な既視感が湧き上がる。以前にも同じようなことがあった。しかし、今更何をせよと兄はいうのだろう。湧き上がる不信感を抑えながらリザは厳しい目でメノムを見つめた。
メノムはわざとらしく咳ばらいをして勿体をつけている。
「申し上げます。リザ姫には、これより二月の後、王国の次席公爵、シュラーク公爵家に嫁ぐように、と言う陛下からのお言葉です。五日後に迎えをよこしますので、それまでに身辺整理をせよとの仰せでした」
「え⁉︎ どう言うことですか? 私はすでに嫁いだ身の上です! あなたも知っているでしょう?」
予想もしなかった事態に、リザは声をあげた。
「リザ姫の夫である、イストラーダ領主、エルランド・ヴァン・キーフェル閣下からは、数日内に離縁届けが届く手筈になっております。これによってお二人の離縁が成立いたします。おわかりですか?」
「りえん……?」
何を言われているのか、すぐには理解できなかった。
「左様。ですので、姫にはこの後、王宮で公爵家にふさわしい教育を受けていただき、二月後の結婚式に向けて準備を整える手はずになっております」
「……りえん……離縁届け?」
リザは呆然と繰り返す。
「詳しくは陛下にお尋ねくださいませ。では私はこれにて。五日後にお迎えにあがります」
メノムはそう言うと、立ち尽くすリザを置いて去っていった。
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