上 下
7 / 57

6 傷ついた少年 忘れられた少女 5

しおりを挟む
「気分はどうですか? よく眠っていましたよ。二人して」
 ルビアは盆を傍に置きながら尋ねた。
「うん、なんだか気分がいいの。火を入れてくれたのね。あったかいわ。ありがとう」
「特別ですよ。風邪を引くといけないと思って……あんたはどう? 見たところ熱はなさそうだけど」
 ルビアの問いに少年は答えなかった。
 ひどく胡散臭うさんくさそうな目つきだ、とルビアは思ったが、少年の肌に残る無数の傷痕を見ると、今までよほど酷い扱いを受けてきたのだと、容易に想像はついた。他人を信用できないのも無理はない。
「あんた、アルトア大陸じゃない、東の大陸の血を引く人だね。そういう肌の色は見たことがあるよ」
 少し黄みがかかってはいるが、滑らかな少年の肌の色を見ながらルビアは言った。
「……」
「警戒するのはわかるけど、ここには私たちだけしかいないし、私もレーゼ様もなにもしないよ。でも無理強いはしない。嫌なら今すぐ服を着て出ていけばいい」
 ルビアは乾かした服が置いてある椅子を示した。
 その時、くぅと妙な音が近くで聞こえ、少年の眉が上がる。レーゼの腹が鳴ったのだ。
「ルビア、ご飯なのね。とてもいい匂い! それ、うさぎのシチューね」
「はいそうですよ。もう夕方です。よくお眠りになりましたからねぇ」
「早く食べたいわ!」
 レーゼは素早く粗末な食卓に駆け寄り、慣れた手つきで食器棚から皿やスプーンを並べている。
「お腹ぺこぺこ。あなたも食べるでしょう?」
「!?」
 レーゼにそう言われて、九十六号は初めて自分が空腹であることに気がついたように、ルビアが蓋を開けた鍋を見た。
 鍋からは一気に湯気が広がり、部屋中にふわりと良い香りが広がって、育ち盛りの少年の胃と脳を刺激する。
「……」
「やっぱりあなたもお腹空いているようね。一緒に食べましょうよ」
 レーゼは鍋の方を見ないようにして、うつむいている少年に声をかけたが、彼は顔を上げなかった。
「ねぇ。早くしてよ。私いおなかすいちゃったの! ほら!」
 レーゼががたぴしとした椅子を持ち出し、座り込んだままの少年の腕を取るが、それは邪険に振り払われた。
「……え?」
「ちっ」
 訳がわからないという様子のレーゼを見て、やっと彼は少し気持ちを変えたようだ。ルビアが見守っている中、少年は「自分で」とつぶやいて、ようやく立ち上がる。すると、腰のあたりに巻きついていた毛布がずれて落ちた。
「……あ!」
 九十六号は自分が素裸だったことを忘れていた。
 今まで裸になることなど、特に珍しくなかったのだ。下履きだけで訓練したり、服をむしり取られて殴られることもあったからだ。
 しかし、今は気にしなければいけないような気がした。
 目の前には久しぶりにみる異性おんなのこがいるのだ。女の子は自分と体が違うことくらいの知識はある。
 その上──。

 俺は素裸で、この女に抱かれてぐっすり寝ていたのか?

 認識したくはなかったが、その事実は非常に恥辱的なことのように思えた。
「ほら」
 ルビアが再び座り込んでしまった少年に服を渡す。
 痛ましい傷跡は、上半身だけでなく体中に走っていることに気が付いたが、そのことについては何も言わなかった。
「夕飯を食べるには少々不向きな服だけど、あんたの様子を見たら、今はこれしかないね」
「服着るの? 手伝おうか?」
「一人で着る! あっちを向いていろ!」
 九十六号は服をひったくり、慌てて壁の方を向いて着込み始めた。
 戦闘訓練用の丈夫な皮の服なので、少々着るのに手間がかかる。
 彼は自分が赤くなっていることには気がついていないが、羞恥心は持っているようだとルビアは思った。

 小さくて細いが体つきはしっかりしている。しかし、性毛は生えていないし、声もまだ高い。
 この少年は、多分悪い子ではない。
 今まで相当ひどい目にあってきたようだから、他人に猜疑心さいぎしんが強いのは仕方がない。
 けど──まだ矯正きょうせいできるかもしれない。

 ルビアはそう判断して食卓を整える。
「ねぇ、まだなの?」
「見るなっ! あっちに行け!」
 へらりと覗き込んだレーゼに怒鳴り返し、九十六号は急いで下ばきをはいて紐を結ぶ。
「さっきからなんで怒ってるの?」
「うるさい!」
「レーゼ様、男の子は女の子に見られたくないものがあるんですよ」
「だって、私は目が見えないのに」
「それでも、男の子はそういう生き物なんですよ。見ないでやってくださいませ」
 ルビアはなんでもないように食卓を整えている。
「そうなの? わかった。もう見ないからごゆっくり」
「……」
 九十六号は得体の知れない悔しさを味わう羽目になった。
 だが、それよりも。
「俺のは?」
 九十六号は鋭くルビアに聞いた。
 少女に聞いてもらちがあかないと思ったのだ。
「あんたの持ち物はちゃんと取ってある。悪さをしないなら、そのうち返してあげます」
 ルビアは皿にシチューをよそいながら言った。
「……そのうち?」
「ええ、あんたが出ていく時にね」
「……」
 九十六号の服には投擲用とうてきようの暗器がいくつも仕込まれていた。それを見られたということは、<シグル>内のおきてでは殺していいことになっているのだ。
 しかし、このルビアという女は訓練を受けたことがあるようで、動きに無駄がなかった。とはいえ、九十六号がその気になれば始末できぬ存在ではない。レーゼというか細い少女にいたっては、片手で首をへし折れるだろう。
「なら今すぐ出ていく。返せ」
 身なりを整えた九十六号が前に出るが、レーゼが割って入った。
「え? 一緒にご飯を食べないの? せっかくのウサギのシチューなのに? ごちそうなのよ」
「……」
「ねぇ、私もうお腹ぺこぺこ、早く食べましょうよ」
「そうですね。あんたもこの椅子に座りなさい。出ていくのは、食べてからでも遅くはないでしょう? お腹空いてるはずよ」
「……」
 九十六号はしばらくレーゼとルビア、そして鍋の中のシチューを見ていたが、黙って示された椅子に座った。
 見えなくてもわかるのか、レーゼはまめまめしく九十六号に、木のスプーンと水の入ったコップを渡してくれた。確かにこの少女なら、それほど警戒しなくてもよさそうだ。
 食卓の中央には湯気を放つ鍋と器。そして小さなパンが三つ置かれた皿がある。
「こんな熱湯のようなものを食わすのか?」
 何かの拷問かもしれないと、再び九十六号は身構えた。分厚い土器の中身は盛んにぐつぐつ言っている。
「熱湯? これはシチューよ」
「……しちゅー?」
 九十六号は、そんな食べ物など聞いたことがなかった。
 食事といえば酸っぱい干し肉と硬いパン。鍛錬中は数粒含めば腹が膨れる丸薬を飲むだけだったのだ。
「美味しいのよ。私を信じて?」
 レーゼが小首を傾げた。
「さぁ、いただきますよ」
 そう言ってまずルビアが食べ始め、レーゼもスプーンに山盛りにしたシチューを唇を尖らせて冷ましている。毒などは入っていないようだ。
「わぁ! 今日のはたくさんお肉が入っているのね。一昨日ルビアがったものでしょ?」
「はい。男の子がいるので、奮発してみました」
「そういえば、あなた男の子だったわね?」
 もちろんレーゼは性別に男と女があることは知っている。
 父や祖父、それに城の衛兵達がそうだったからだ。しかしその記憶は遠く、ましてや自分と同じ年頃の少年などレーゼは見たことがなかった。
「あなたなの?」
 その男の子は、スプーンを口に突っ込んだまま呆然としている。

 なんだこれ。ものすごく美味いじゃないか。
 これが食い物の味なのか? やっぱり毒じゃないのか?

「美味しい?」
 九十六号がふと見ると、レーゼが自分をのぞきこんでいた。
 顔の上半分が覆われているのに、嬉しそうな様子が伝わるのはどうしてだろう?
「……熱い」
 それだけを言うのがやっとだった。
「ね? あなた男の子どもなの?」
 レーゼは辛抱強く尋ねた。
「そうだ」
「わぁ、男の子に会うのは初めてよ! 私は女の子なの。体が少し違うのね。足の間にやわらかい棒のようなものがくっついてたわ」
 シチューを吹き出したのは、レーゼ以外の二人だ。二人とも、すごい勢いて口を拭いたり咳き込んだりしている。
「ねぇ、どうしたの?」
「レーゼ様、そのことは今は置いておきましょう。後でお話ししてあげます。今はご飯を食べて」
「……」
 後で何を話すのか絶対に知りたくないと思いながら、九十六号はひたすら食べ続けた。耳まで真っ赤になっているのに、やはり本人はわかっていない。
「あなたの名前はなぁに?」
 空気を少しも読まないでレーゼは尋ねる。この少女は本当に何も知らないようだと、九十六号は考えた。それでかえって気が楽になり、名乗る気になった。
 九十六号はただの呼び名で、自分には名前などない。呼び名など知られたところで何も支障はないと思ったのだ。
「……九十六号と呼ばれてる」
 シチューをかき込みながら九十六号は答えた。
「きゅうじゅうろくごう? それって名前なの? へんてこな感じね……あ、ごめんなさい。私、ずっとルビアと二人で暮らしてるから、外のことをあまり知らないの」
「二人だけでここに?」
 今度は九十六号が尋ねる番だった。
「うん。小さい頃は、お爺さまやお父さま、お母さまがいて、ジュリア……妹よ、もいたけど……ゾルーディアとエニグマが来てみんな死んじゃった」
「ゾルーディアとエニグマ?」
「そう……知ってる?」
「……お前」
 九十六号は驚いた。
 知っているどころか、このアルトア大陸では、名前を出すのも恐ろしい存在なのだ。それは<シグル>の大人達でさえそうなのだ。
 彼女達は自分達の名を呼ばれると、どこからでも耳を澄まして話を聞く。そして、名を呼んだ者には死よりも酷い運命をもたらす。
 だから、誰もその名を呼んではいけない。この大陸ではそう信じられているのだ。
 九十六号は答えた。
「知っている。双子の魔女たちだ」


   ***

レーゼと九十六号で、視点が変わって読みづらくはないですか?
おかしな点があれば、お聞かせくださいね。

連載二日め、いまだこの先続けていいものか、ドキドキしてます。
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

【12/29にて公開終了】愛するつもりなぞないんでしょうから

真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」  期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。    ※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。  ※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。  ※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。 ※コミカライズにより12/29にて公開を終了させていただきます。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

追放された最強賢者は悠々自適に暮らしたい

桐山じゃろ
ファンタジー
魔王討伐を成し遂げた魔法使いのエレルは、勇者たちに裏切られて暗殺されかけるも、さくっと逃げおおせる。魔法レベル1のエレルだが、その魔法と魔力は単独で魔王を倒せるほど強力なものだったのだ。幼い頃には親に売られ、どこへ行っても「貧民出身」「魔法レベル1」と虐げられてきたエレルは、人間という生き物に嫌気が差した。「もう人間と関わるのは面倒だ」。森で一人でひっそり暮らそうとしたエレルだったが、成り行きで狐に絆され姫を助け、更には快適な生活のために行ったことが切っ掛けで、その他色々が勝手に集まってくる。その上、国がエレルのことを探し出そうとしている。果たしてエレルは思い描いた悠々自適な生活を手に入れることができるのか。※小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...