【完結】呪われ姫と名のない戦士は、互いを知らずに焦がれあう 〜愛とは知らずに愛していた、君・あなたを見つける物語〜

文野さと@ぷんにゃご

文字の大きさ
上 下
4 / 57

3 傷ついた少年 忘れられた少女 2

しおりを挟む
 九十六号は、荒々しい玄武岩げんぶがんでできた険しい崖を登っていた。
 岩の隙間にあるわずかなくぼみに足の指をかけ、渾身こんしんの力で体を持ち上げ、その勢いのまま跳躍する。
 午後から降り始めた雨がやっと止んだとはいえ、岩肌は濡れて滑り、危険なことこの上ない。
 しかも、斜面の途中の枝や岩に取り付けられたまと刀子とうすを投げ、的中させなくてはならない。
 目印になるように的には白い布が巻いてある。夜目が効くよう訓練されたとはいえ、湿気の中で小さな的を見極めるのは困難を極める。
 しかし、走りながら、あるいは跳びながら、九十六号は一度もあやまたず、次々に的を射抜いては、さらに駆け上がっていく
 雨風に侵食された垂直に近い岩は、崩れやすくなっている部分も多く、足を滑らせたら底なしの奈落ならくが口を開けて待っている。今まで彼の背後で上がった悲鳴は三つ。いずれも彼と同じ立場の少年たちだ。
 仲間ではない。しかし見知った同朋どうほうだった。この試練を生抜いた者だけが一人前の<シグル>として認められるのだ。
 あと少しで頂上。
 九十六号は上方を振り仰いだ。
 その瞬間、足の下からまた一つの悲鳴が上がり、吸い込まれるように消えた。最後まで彼について登ってきた少年のものだろう。
 この訓練を命じられた少年は全部で五人。九十六号は最年少だった。
 そして今、九十六号の他は全て脱落した。それはすなわち死を意味する。

 俺は生き抜く。こんなところで死んでたまるか!
 そして、俺をこんな運命に突き落とした奴らすべてに復讐してやる。

 その思いだけが九十六号を上へ、上へと押し上げている。
「……ほう、あいつ、なかなかいいじゃないか。もうこれで四人落ちたが、あいつはまだしがみついているぞ。雨が降るとは想定外だったが。決行せよとのお頭のご命令だったからな」
 向いの斜面から、登っていく少年たちの様子を見ていた五号が隣の十号に声をかけた。
「ま、最近。俺たち<シグル>も優秀な奴が減ってきたから、餓鬼どもを選別してしこたま仕込もうてぇ、お頭の考えなんだろう。ギマのやつらも増えだした。これからもっと厳しい時代が来る」
「だな。強い奴だけが生き残って良い目を見る、それが俺たち<シグル>だ。皆そうやって生き抜いてきた……おっ」
 五号がやや身を乗り出して感心したように言った。
「ほう。あいつ、あの斜面も超えたか。俺が今まで見た餓鬼どもの中では一番だ。能力も度胸もある。奴は『本物』の戦士になる。お前、じき追いつかれるぞ、十号よ」
「その前に叩き潰してやるわ」
「それも、ここを越えられたらの話だが。そろそろ一番の難所だ」
「……」
 一人だけ言葉を発しない男がいる。八号だ。
 彼は二人の男よりやや後方に立ち、向かいの崖をよじ登る少年の様子を見守っている。男の目は一心に九十六号に注がれていた。
「おおっ! 超えようとしているぞ!」
 十号が指差したところは、斜面が手前にかぶさるように反り返っており、鉄杭てっくいを深く岩の裂け目に突き刺しながら、登らねばならない。
「すげえ!」
 男たちは天井のように張り出した斜面を、確実に上がっていく九十六号を驚きをもって見つめた。
「あいつ、指先の力だけで!」
「ああ。しかも早い! あいつまだ十二、三歳じゃなかったか?」
「おお! 飛びあがろうとしているぞ! やるか! やれるのか!?」

「ふぅ……」
 九十六号は、最後の跳躍のために呼吸を整えた。
 両手の指は崖の頂上の岩にかかっている。これを越えれば、向かい側から見た高地に足がつくはずだった。
「くあっ!」
 指先に力を込め体を振る。あらかじめ目をつけておいた丈夫そうな枝をつかんで、反動をつけて飛び上がる。空中で大勢を立て直しつつ地面に足がついた瞬間、さすがの九十六号も途方もない安堵を感じた。
 人並外れた体術を持つ少年にしても、この最終選別の試練は、非常な緊張を伴うものであったのだ。
 崖の上は平らではなく、やはり岩場であり、あちこちに雨水の侵食による裂け目が口を開けている、荒涼とした風景だ。水溜りには空が映り、寒々しくもそれはひどく青かった。
 しかし、もう登ることはない。
 九十六号は足元の、水溜まりの水を救って飲んだ。それは美味くはなかったが、ちょうどいい冷たさで、こわばった筋肉をほんの少し和らげてくれる役目を果たした。
 左には大きな裂け目が口を開けている。試しに覗き込んでみると、深いところで何かの反響音が立ち上ってきた。

 地下水か? それにしてもひどく深いな。

 と感じた、その瞬間。

 ギャギャギャギャ!

 襲いかかってきたのは黒い鳥だ。
 羽を伸ばせば、大人と同じほどある巨鳥、ギセラだった。それは鋭いくちばしをかっぴらいて九十六号に体当たりを仕掛けた。
「うわっ!」
 痩せて小柄な九十六号などひとたまりもない。ましてや、疲労でふらふらの状態だ。
 暗い口を開けた亀裂に向かって体が傾いていく。
 一瞬の浮遊感の後、凄まじい落下の感覚が彼を襲った。
 視界は暗闇に飲み込まれ、自分が落ちた裂け目だけが細長い光となって遠ざかっていくのが見えた。

「おい! 九十六号は!? 急に姿が見えなくなったぞ!」
「貴様、見てなかったのか。ギセラだ、いきなり空から急降下してきたんだ。おそらく亀裂の中に巣があったんだろう、それとも卵か。奴はあっという間に落とされた。これは死んだな。今までの手間が無駄になった」
「奴は<シグル>として優れた素質を持っていると思っていたが、まぁ仕方がない」
「下は地下水脈だ。死体も上がらぬな。まぁその方が都合がいいが」
「とりあえずお頭に報告しておこう」
「やれやれ、また餓鬼どもを仕込まないと。面倒な!」
「……」
 八号はまだ向こう側をにらみつけていた。
「おい、帰るぞ、八号」
「いや、俺は確かめてから戻る」
「そうか。勝手にしろ」
「さぁ! 餓鬼ども! 戻るぞ!」
 そこには九十六号よりもまだ幼い少年が数人縮こまって震えていた。年上の少年たちの選別を見せられていたのだ。
「ねぐらまで駆ける。一等には肉をくれてやるぞ! 一番最後になったものは晩飯抜きだ! 我らはシグル!」
「我らはシグル!」
 一斉に唱和し、山の色に紛れる衣服を纏った男と少年たちが、険しい山を駆け下りていく。その動きは人間とは思えないほど速い。
<シグル>とは、彼らが属する組織の名で、構成員もまたシグルと呼ばれる。
 この大陸にどこにでもいる浮浪児や孤児を攫っては、さまざまな試練を与えてきたえ、選別していく。哀れな子どもたちは半年と保たずにほとんどが死んでしまうのだ。
 そして生き残った者にはさらに厳しい訓練を施して淘汰され、それを生き抜いた者だけが無慈悲な戦士<シグル>に育っていく。
 彼らは対価さえもらえれば、何でもする。傭兵はもとより、誘拐や盗み、破壊工作に暗殺までやってのける恐ろしい組織だった。
 八号は、身軽に崖を登って九十六号が落ちた崖の上まで辿り着いた。
「これは深いな」
 九十六号が落ちた亀裂は山の底まで続いているようだった。ここからでも地下水脈の激しい流れの音が聞こえる。亀裂の窪みには大きな巣と卵が見える。

 ギャーッ!

 背後から襲い掛かる鳥の気配。
 八号はそちらを見もせずに、つま先で石を蹴り上げ引っつかむと、腕をぶんと振って投擲とうてきした。石は過たず、巨鳥の額に命中しバサバサと崖の向こうへ落ちていく。
 他にもギセラ達は集まってきており、八号を囲んで憎々しげに騒いだが、もう襲っては来ない。賢い鳥は、この人間には敵わないと知ったのだ。
「……」
 八号は再び近くの位置を蹴って亀裂に落とし、耳を澄ます。石の落ちる音は聞こえなかった。
「残念だな。九十六号。この山がお前の墓場となった」
 そう言って、八号もまた山を降りた。
 空には早くも宵闇が迫ろうとしていた。
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

えっ、じいちゃん昔勇者だったのっ!?〜祖父の遺品整理をしてたら異世界に飛ばされ、行方不明だった父に魔王の心臓を要求されたので逃げる事にした〜

楠ノ木雫
ファンタジー
 まだ16歳の奥村留衣は、ずっと一人で育ててくれていた祖父を亡くした。親戚も両親もいないため、一人で遺品整理をしていた時に偶然見つけた腕輪。ふとそれを嵌めてみたら、いきなり違う世界に飛ばされてしまった。  目の前に浮かんでいた、よくあるシステムウィンドウというものに書かれていたものは『勇者の孫』。そう、亡くなった祖父はこの世界の勇者だったのだ。  そして、行方不明だと言われていた両親に会う事に。だが、祖父が以前討伐した魔王の心臓を渡すよう要求されたのでドラゴンを召喚して逃げた!  追われつつも、故郷らしい異世界での楽しい(?)セカンドライフが今始まる!  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる

雨野
恋愛
 難病に罹り、15歳で人生を終えた私。  だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?  でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!  ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?  1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。  ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!  主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!  愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。  予告なく痛々しい、残酷な描写あり。  サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。  小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。  こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。  本編完結。番外編を順次公開していきます。  最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています

空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。 『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。 「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」 「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」 そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。 ◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

残りライフ1―このダンジョンから撤退しようかな……

内村
ファンタジー
 残りライフ1。戦士と魔法使いの二人で構成された冒険者パーティーは壊滅の危機に瀕していた。  回復アイテムは底をつき、魔法使いの魔力も切れていた。  ダンジョン攻略を進めたがる魔法使いと諦めさせようとする戦士  冒険者パーティーはどうなるのか

処理中です...