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59 譲れぬもの 1
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春、間近の草原。
風は少し冷たいけれども強くはなく、新しい芽が伸び始めた緑野をそよがせて渡っていく。瑠璃色の空は高く澄んでいた。
ミザリーとユルディスの結婚式が行われたのは、そんな日だった。
ミザリーの衣装は、ユルディスの亡くなった母のものだ。それはグレイシアのドレスのように締め付けるものではなく、柔らかい布の前合わせの衣を重ねて着るものだ。
衣の丈は、上のものほど短くなっていて、普通はさまざまな色の重ね方を楽しむものだが、これは花嫁衣装ということで、白を基調に刺繍や模様を織り込んだ美しいものだった。一番上につけるものは、一番豪華にできている。
胸の下で帯を締め、たくさんの装身具を身につける。
ミザリーの髪は、草原で神聖とされる鷹の羽根の色だったから、頭飾りは少なめで、布で作られた髪帯と小さな花々だけだ。髪はところどころ、細い三つ編みを混ぜながら背中に流れている。
「できましたよ」
最後に紅を差してくれた婦人がにっこりと笑った。この女性はジュマの妻、アマンで、朝からまめまめしく世話を焼いてくれている。
「とてもお綺麗ですわ」
「ありがとうございます」
それは瑞々しく、凛とした花嫁姿だった。
「さぁ、広場でユルディス様がお待ちです。通りでは真ん中の石だけ踏んで行くのですよ」
「真ん中の石?」
カドウィン族の街路は舗装されていないが、道にはところどころ石が埋め込まれていて、儀式の時にはこの石を踏んで歩くらしい。
ミザリーが注意深く足元を見ると、石の上に何かの印が書いてあるのが見えた。石灰で書かれたような白い印だ。来た時にはなかったから、今日のために特別に書かれたもののようだった。
「様々な紋様がありますが、これは婚姻の時に書く印です。いろんな意味があります。ゆっくり踏んでください」
「はい」
花嫁は長老の家を出発する。付き添いはアマンの二人の娘達だ。つまりユルディスの姪にあたる。二人とも、気立ての良い少女だったが、ミザリーはケイトがいなくて寂しく思った。
広場には町中の人たちが集まっていた。
真ん中に舞台のような高い台が設けられている。バルイシュとジュマが立派な木彫りの椅子に腰掛け、真ん中にユルディスが立っている。
「これは珍しい。ユルディスが女に見惚れておるわ。まぁ無理もない。これほど美しい花嫁とあれば」
ミザリーが台に上がる階段に足をかけた時、バルイシュのからかうような声が聞こえた。
だが、ユルディスも立派な姿だった。
彼も、父がかつて着た儀式用の衣装を身につけてきた。白いミザリーの姿とは対照的に、深い色合いの長衣である。
まるで鷹のようだわ。
襟元と、長衣の下にはいた足通しは白く、皮の長靴のつま先には鉄の防具が付いていて、まるで猛禽類の爪のようにも見える。
エルトレーの屋敷に勤めていた時も、黒いお仕着せの似合う彼だったが、今はそれに華やかさが加わり、下ろした長めの髪が端正な美貌を引き立てている。
「何を二人して頬を染めておるのだ。さぁ、手を取りなさい」
バルイシュの声に、先に我に返ったユルディスが歩み寄ってミザリーの手を取り、ジュマの前に立った。カドウィン族の族長はジュマであるから、この婚姻を宣言するのは彼なのだ。
ジュマは鷹の羽を掘り込んだ杖で二人の額に触れた。草原の民は額に触れることで誓いとなすのだ。
「この二人の同意のもと、ユルディス・シャキーム、ミザリー・グリンフィルドを夫婦となす!」
同時に広場中から歓声が上がった。
皆ユルディスを子どもの頃から知っている人々ばかりで、心から二人を祝福している。
普段控えめなミザリーは、恥ずかしくて後ろに下がってしまいそうになったが、その背中をユルディスの腕が支える。
「これで、あなたは俺の妻だ。もう誰にも邪魔はさせない」
「……ユール、まだ言ってなかったかも」
祝いのどよめきの中、ミザリーは小さく言った。
「なにを?」
「本当はずっと前から言いたかったの」
「……」
「あなたの妻となれて、とても嬉しい。今まで守ってくれてありがとう」
私はエルトレー家の立場や、ルナール様との約束にずっと囚われていた。
がむしゃらに働いて、役割を果たそうと自分を縛り付けていたのだ。
義務と責任。
本当は窮屈でたまらなかった。儚い愛が消えてからは一層。
だけどもうそんな鎖は消えた。この人が解放してくれた。
「愛してるわ、ユール」
「……っ!」
他人が見たら冷酷にも見える薄青い瞳に、どれほどの熱情が秘められているか、ミザリーはもう知っている。昨夜散々思い知らされた。
そして今、その瞳は、驚きに満ちてミザリーを見つめると、伸びた腕に胸がぶつかるほどに抱きしめられた。
「おお! ミザリー」
「ちょっ……みんなの前……」
「構うものか。ああ、今すぐ寝台に運びたい!」
ユルディスは口づけの合間に熱くささやいた。
「ユール! まさか」
今朝は起きるのに苦労したほどなのだ。
「しない。あなたが嫌がるから。だが、宴は短めにしてもらう」
「やれやれ、お前たち。もうしばらく我慢せい」
バルイシュが呆れたように笑い、ジュマも苦笑いをしている。
広場には、女たちによって料理や酒が運び込まれていた。花を持った子どもたちの姿も見える。
結婚の宴が始まるのだ。
中央の台はすぐに撤去され、家々からテーブルや椅子が運び込まれた。その上に女たちが朝から作った料理がどんどん置かれていく。
新郎新婦の席には、珍しい料理を堪能する花嫁と、笑うでもなく酒ばかり飲み続ける新郎が座っている。
次々にかけられる祝賀の言葉には、主に兄夫婦が答えていた。
そして、宴が最高潮に達し、陽が頂点に差し掛かろうとした時、人々の後ろから一人の娘がバルイシュの前に飛び出し、ひざまづいた。
マヤである。
「長老様! 族長様! お願いがございます」
「なんだ、マヤ! 控えるがいい」
ジュマが怒りを滲ませるが、バルイシュは静かに受け止める。
「良い。聞いてやろう。申せ、娘」
「このような祝いの席にて、こんなことを申し上げる無礼は十分承知しております! しかし、過去にはよくあることだと伺いました!」
「だからなんなのだ! お前のいうことはさっぱり要領を得ぬ!」
ジュマが怒鳴る。族長に叱責されたら震え上がるのが普通だ。しかし、頬を真っ赤に染めたマヤは、まっすぐにミザリーを見つめて言い放った。
「花嫁様! マヤは謹んでお挑み申し上げます!」
*****
Twitterに儀式用の衣装のイメージをあげてます。
本当は自分で描きたいんだけど(以前は描いてたんだけど)、諸事情で断念です。
作品のイメージイラストなどはいつでも歓迎です。
風は少し冷たいけれども強くはなく、新しい芽が伸び始めた緑野をそよがせて渡っていく。瑠璃色の空は高く澄んでいた。
ミザリーとユルディスの結婚式が行われたのは、そんな日だった。
ミザリーの衣装は、ユルディスの亡くなった母のものだ。それはグレイシアのドレスのように締め付けるものではなく、柔らかい布の前合わせの衣を重ねて着るものだ。
衣の丈は、上のものほど短くなっていて、普通はさまざまな色の重ね方を楽しむものだが、これは花嫁衣装ということで、白を基調に刺繍や模様を織り込んだ美しいものだった。一番上につけるものは、一番豪華にできている。
胸の下で帯を締め、たくさんの装身具を身につける。
ミザリーの髪は、草原で神聖とされる鷹の羽根の色だったから、頭飾りは少なめで、布で作られた髪帯と小さな花々だけだ。髪はところどころ、細い三つ編みを混ぜながら背中に流れている。
「できましたよ」
最後に紅を差してくれた婦人がにっこりと笑った。この女性はジュマの妻、アマンで、朝からまめまめしく世話を焼いてくれている。
「とてもお綺麗ですわ」
「ありがとうございます」
それは瑞々しく、凛とした花嫁姿だった。
「さぁ、広場でユルディス様がお待ちです。通りでは真ん中の石だけ踏んで行くのですよ」
「真ん中の石?」
カドウィン族の街路は舗装されていないが、道にはところどころ石が埋め込まれていて、儀式の時にはこの石を踏んで歩くらしい。
ミザリーが注意深く足元を見ると、石の上に何かの印が書いてあるのが見えた。石灰で書かれたような白い印だ。来た時にはなかったから、今日のために特別に書かれたもののようだった。
「様々な紋様がありますが、これは婚姻の時に書く印です。いろんな意味があります。ゆっくり踏んでください」
「はい」
花嫁は長老の家を出発する。付き添いはアマンの二人の娘達だ。つまりユルディスの姪にあたる。二人とも、気立ての良い少女だったが、ミザリーはケイトがいなくて寂しく思った。
広場には町中の人たちが集まっていた。
真ん中に舞台のような高い台が設けられている。バルイシュとジュマが立派な木彫りの椅子に腰掛け、真ん中にユルディスが立っている。
「これは珍しい。ユルディスが女に見惚れておるわ。まぁ無理もない。これほど美しい花嫁とあれば」
ミザリーが台に上がる階段に足をかけた時、バルイシュのからかうような声が聞こえた。
だが、ユルディスも立派な姿だった。
彼も、父がかつて着た儀式用の衣装を身につけてきた。白いミザリーの姿とは対照的に、深い色合いの長衣である。
まるで鷹のようだわ。
襟元と、長衣の下にはいた足通しは白く、皮の長靴のつま先には鉄の防具が付いていて、まるで猛禽類の爪のようにも見える。
エルトレーの屋敷に勤めていた時も、黒いお仕着せの似合う彼だったが、今はそれに華やかさが加わり、下ろした長めの髪が端正な美貌を引き立てている。
「何を二人して頬を染めておるのだ。さぁ、手を取りなさい」
バルイシュの声に、先に我に返ったユルディスが歩み寄ってミザリーの手を取り、ジュマの前に立った。カドウィン族の族長はジュマであるから、この婚姻を宣言するのは彼なのだ。
ジュマは鷹の羽を掘り込んだ杖で二人の額に触れた。草原の民は額に触れることで誓いとなすのだ。
「この二人の同意のもと、ユルディス・シャキーム、ミザリー・グリンフィルドを夫婦となす!」
同時に広場中から歓声が上がった。
皆ユルディスを子どもの頃から知っている人々ばかりで、心から二人を祝福している。
普段控えめなミザリーは、恥ずかしくて後ろに下がってしまいそうになったが、その背中をユルディスの腕が支える。
「これで、あなたは俺の妻だ。もう誰にも邪魔はさせない」
「……ユール、まだ言ってなかったかも」
祝いのどよめきの中、ミザリーは小さく言った。
「なにを?」
「本当はずっと前から言いたかったの」
「……」
「あなたの妻となれて、とても嬉しい。今まで守ってくれてありがとう」
私はエルトレー家の立場や、ルナール様との約束にずっと囚われていた。
がむしゃらに働いて、役割を果たそうと自分を縛り付けていたのだ。
義務と責任。
本当は窮屈でたまらなかった。儚い愛が消えてからは一層。
だけどもうそんな鎖は消えた。この人が解放してくれた。
「愛してるわ、ユール」
「……っ!」
他人が見たら冷酷にも見える薄青い瞳に、どれほどの熱情が秘められているか、ミザリーはもう知っている。昨夜散々思い知らされた。
そして今、その瞳は、驚きに満ちてミザリーを見つめると、伸びた腕に胸がぶつかるほどに抱きしめられた。
「おお! ミザリー」
「ちょっ……みんなの前……」
「構うものか。ああ、今すぐ寝台に運びたい!」
ユルディスは口づけの合間に熱くささやいた。
「ユール! まさか」
今朝は起きるのに苦労したほどなのだ。
「しない。あなたが嫌がるから。だが、宴は短めにしてもらう」
「やれやれ、お前たち。もうしばらく我慢せい」
バルイシュが呆れたように笑い、ジュマも苦笑いをしている。
広場には、女たちによって料理や酒が運び込まれていた。花を持った子どもたちの姿も見える。
結婚の宴が始まるのだ。
中央の台はすぐに撤去され、家々からテーブルや椅子が運び込まれた。その上に女たちが朝から作った料理がどんどん置かれていく。
新郎新婦の席には、珍しい料理を堪能する花嫁と、笑うでもなく酒ばかり飲み続ける新郎が座っている。
次々にかけられる祝賀の言葉には、主に兄夫婦が答えていた。
そして、宴が最高潮に達し、陽が頂点に差し掛かろうとした時、人々の後ろから一人の娘がバルイシュの前に飛び出し、ひざまづいた。
マヤである。
「長老様! 族長様! お願いがございます」
「なんだ、マヤ! 控えるがいい」
ジュマが怒りを滲ませるが、バルイシュは静かに受け止める。
「良い。聞いてやろう。申せ、娘」
「このような祝いの席にて、こんなことを申し上げる無礼は十分承知しております! しかし、過去にはよくあることだと伺いました!」
「だからなんなのだ! お前のいうことはさっぱり要領を得ぬ!」
ジュマが怒鳴る。族長に叱責されたら震え上がるのが普通だ。しかし、頬を真っ赤に染めたマヤは、まっすぐにミザリーを見つめて言い放った。
「花嫁様! マヤは謹んでお挑み申し上げます!」
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本当は自分で描きたいんだけど(以前は描いてたんだけど)、諸事情で断念です。
作品のイメージイラストなどはいつでも歓迎です。
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