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32 二人の妻 2

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 一同は、呆然とミザリーを見ている。それはユルディスも同じだった。
 ミザリーはこんな時ながら、少しおかしみを感じた。
 自分は今まで、人の注目を浴びたことなど一度もない。
 子爵家でも、都の社交界でも、いつも目立たないように振る舞ってきたのだし、そうすることが立ち位置だと思ってきたからだ。
 なのに、たった一言告げたけで、皆が自分を見つめて立ちつくしているのだ。

 だって、わかってしまったのだもの。言わなくてはならないわよね。

「クレーネ様、床は冷えますわ。どうぞお立ち……いえ、お掛けください。こちらの椅子がいいかと」
 そう言って、ミザリーは自分が座っていた椅子をひょいと持ち上げた。
「私が!」
 ユルディスが慌てて椅子を抱える。
「ありがとう」
「あなたというお方は……いつお気づきに?」
 ユルディスは、ミザリーにだけ聞こえるように小さく尋ねた。
「ついさっきよ」
 クレーネは、取り乱したふうにミザリーの前に身を投げ出したとき、片手でお腹をかばっていた。
 つまり、その仕草はあらかじめ計算されたものだったのだ。
 この数日の間、二人の間でどんな話をしたかは知らないが、ミザリーはクレーネがルナールと共に、グレイシアの都に行く一件について、必死になっていることはわかった。
 クレーネの、どこか芝居がかったようなような態度。ミザリーへ投げかける、わずかに勝ち誇ったような視線。
 そして、たまに腹へ手をやる仕草から推測できることは、ひとつだけだ。
 
「さぁ、椅子です。どうぞおすわりを」
 ユルディスのそっけない言葉に、クレーネは膝から力が抜けたように、椅子に滑り落ちた。
「クレーネ! 本当か! 俺の子がいるのか?」
「……ええ、本当です。間違いないわ。この中にあなたの赤ちゃんがいます。本当は、もう少ししてから伝えようと思ったのだけど」
「そうか! ありがとう、クレーネ」
 ルナールは目を輝かせてクレーネの手を取った。
 なぜか舞台でも見ているだと、ミザリーは思った。

 ああ、そうか。
 この人はルナール様を愛していて、私に譲りたくないと強く念じているのだわ。
 だから一番効果的な、今をねらって告白したんだ。
 私が言わなければ、頃合いを見計らって、自分から明かすつもりだったのだろう。
 そして、ルナール様もこの方を愛し、家族として守りたいと思っているのだ。
 そうだ……私がかつて、そうありたいと願った、家族の形がここにある。

 ミザリーの指先が急速に冷えていく。
「父上! お願いいたします! この腹の子は、間違いなく俺の子です! クレーネを、アリョーナを、そして生まれてくる子をどうぞ受け入れてやってください」
「……しかし」
 ドナルディは、救いを求めるようにミザリーの方へ顔を向けた。
「ミザリー、あなたに判断をゆだねてもいいだろうか?」
 父親の言葉にルナールまでが頭を下げる。夫婦だった頃、ミザリーは彼の天骨てんこつを一度も見たことがなかったのに。
「ミザリー! 頼む。俺はあなたに申し訳ないことをしてしまった。だから俺のことはどんなにののしってくれても構わない。だが、クレールに罪はないんだ」
「罪は、ない」
 ミザリーはルナールの言葉を復唱した。
「奥様! お願いいたします! 私はどうなっても構いません! ただ、子どもたちを見捨てないでくださいまし!」
「……」
 ミザリーは珍しく、大きなため息をついた。
「だから先ほどから申しておりますでしょう? ルナール様、あなたの家族と一緒に都に戻りましょう」
「……え?」
「お義父様。私の結論はこの通りです」
「ミザリー、本当にいいのか?」
「ええ。今後のことは、おいおい考えたいと思います。色々複雑すぎて、さすがの私も、どうしたらいいかわかりません」
「そ、そうだな。まずは屋敷に帰ってから……」
 ドナルディも奇妙な表情で言った。
 諦めていた息子を取り戻した喜びと、彼の変貌、そして突然明るみに出た事実を、彼もまた受け止めきれないでいるのだ。
「さて、ルナール様」
 その声音にユルディスは、はっと振り向く。ミザリーは落ち着きを取り戻していた。
「な、なんだ?」
「このまま私たちと一緒に行かれますか? それとも準備をしてから合流されますか?」
 暗くかげっていた琥珀の瞳は、今は金色の光を秘めて微笑んだ。
 今や、この場を支配しているのはミザリーだった。
「お好きにお選びくださいませ」
「み、ミザリー……?」
 ルナールは、大人しげに見えたミザリーが、真正面から自分に切り込んでくるのを感じた。彼女は決して目立つ美貌ではないのに、端正なたたずまいと、つちかわれた自信とでルナールを圧倒している。

 この女が俺の妻だと言うのか……。

「クレーネ様はどうなさるのがいいですか? 体調が一番大切ですからね」
「だ、大丈夫です。私は丈夫にできているんです! でも、二日……二日だけ待ってください」
 クレーネも、たじたじとなって言い返した。
「わかりました。ではそうなさいませ。幸い、今ならまだ気候もいいですし、ゆっくりご準備をされるがいいかと。私どもはモリージュでお待ちしておりますので」
「あ……ああ」
「それではルナール様、クレーネ様、私はこれにて失礼いたします」
 ミザリーはそういうと、すたすたと扉を開けて外に出た。
「……大したお方ですね、あなたと言う人は」
 すぐにユルディスが追いつく。
「そうかしら? これでも結構怒っているのよ」
「なら、なんで私を止められたのです?」
「だってあなた、ルナール様を殴るつもりでいたでしょう?」
「ええ」
「私、暴力は嫌い。それに昔のルナール様ならともかく、今のルナール様ではあなたに太刀打ちできないわ。さっきの戦いでわかったもの」
「確かに」
 ユルディスは唇の端で笑った。
「あなたすごいのね。私本当はすごく怖かったのよ。人が倒れるのを見たのは初めてだったし」
「申し訳ありません。なるべく血をお見せしないように斬ったつもりなんですが」
「あの人たち、死んでないといいけれど……」
 ミザリーは世間話でもするように言った。
「それは補償いたしかねます」
 相当肝がわっていると、ユルディスは内心舌を巻く。それとも、たった今据わったのだろうか?
「とにかく、今は疲れて何も考えられないの。というか、考えたくないの。夫と交わした約束を自分に課して、今まで必死にやってきたのに、こんな結末はさすがに予想はしていなかったわ」
「普通はできません」
「そうね。そういえば、あなたも同じことを言っていたわね? あれはどう言う意味」
「……答えたくありません」
「そ」
 ミザリーは大股で馬の方に歩いた。馬車を見張っていた兵士たちが目を丸くしている。最初、弱々しく見えた女が背筋を伸ばして、堂々とやってくるのだ。
「ミザリー!」
 そこに、ドナルディとシスレーが追いついてきた。
「隊長様、お父様。私たちは一足に先に戻ります。すみませんが、馬を二頭お借りします! お二人は馬車でお戻りください」
 そう言うと、ミザリーはシスレーの返事も待たず、シスレーの馬の手綱を解いてに飛び乗った。ユルディスも黒馬に跨る。二人はあっという間に青い丘を駆け上り、森の中に見えなくなった。

「……随分楽しそうですね? 何か計画があるのですか?」
 ユルディスは馬首を寄せた。木立の中ではそれほど速度は出せない。
「言った通りよ。何も考えたくないの。とりあえず、ルナール様とご家族をお屋敷にお連れして、お義母様に会わせて差し上げないと」
「それで?」
「それで、とは?」
「ミザリー様はどうしたいですか? この件が一段落ついたら」
「……私? そうねぇ……」
 ミザリーは頭の上に広がる梢と空を見上げた。木々は川に向かってまばらになっている。
 北国の空は薄青く、高く広がっていた。その色は彼女の隣を行く男のものと同じ色合いだった。
「知らない土地を旅するのもいいなぁ」
「それなら、いいところがあります」
「ありがとう。でも、まずはこの一件を最後までやっつけてしまいましょう!」
 ミザリーは一気に馬を駆り立てた。


     *****

今更ではですが
ユルディスの一人称が「俺」と「私」で変わるのは、仕様です。
従者モードの時はだいたい私。
男モードの時は「俺」
たまに混乱します(ユルディスも作者も)。
不自然に思われる場面がありましたらご指摘を。

アクセス数の割に、たくさんの温かいご感想いただいて、びっくりしております。
本当にありがたく、何度も読み返しています。
セリフ以外にも、情景がわかるように描いているつもりです。
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