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32 二人の妻 1

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「ミ……ミザ……?」
 それまでルナールは、意識してか無意識か、一度もミザリーの方をまともに見ようとはしなかった。
 姿は見ても、顔や目は合わせなかったのだ。
 それが今、のろのろとではあるが、初めて名を呼び、ミザリーの方を向こうとしている。
 ミザリーは待った。
 待つことなどなんでもなかった。いつも待たされてきたのだから。
「君は……ミザリーと言うのか?」
「はい。ミザリーです」
 ようやくミザリーを見たルナールは、苦しげな顔をしていた。
「君が俺の妻……なのか?」
「はい」
「何か証明するものはあるか?」
「ここにはありませんが、二人で聖堂に届けを出しに行きました。婚姻届けの写しがお屋敷にございます。国王陛下の署名入りです」
 ミザリーは勤めて冷静に答えた。
「国王……の?」
「はい」
「……俺は、自分に家族がいるなんて知らなかった。本当だ」
「今までのお話を伺っていて、それは信じます」
「俺たちの間に……子どもはいるのか?」
「いいえ……まだ」
 静かに首を振るミザリーを前に、ルナールは明らかにほっとしたように見えた。
「そう……か」
「はい」
「……俺がこんな事を言うのは不遜ふそんかもしれないが、そのぅ……君の態度からは、とても俺たちが愛をまじわしあった間がらとは思えない……」
「先ほど申しましたように貴族の結婚とは、情愛のみが根拠とはなりません。ですが、法律的には間違いなく夫婦ですし、私達の間には確かな信頼関係がありました」
「俺はあんたを信頼していた?」
「そうです。エルトレー家を頼むとおっしゃり、私はそれに応えた。それが約束」
「なら、俺たちの間には信頼のみで、愛情……は、なかった?」
「……それ、は」
 その言葉にミザリーはひるみ、無意識に一歩下がる。
 その瞬間、今までうなだれていたクレーネが顔を上げ、ミザリーの足元に身を投げ出した。腰を浮かせながらも、ミザリーのつま先に片腕を伸ばそうとにじり寄る。
「お願いです! 奥方様! 私と娘を見捨てないでくださいませ!」
「……え?」
「長いことイゴール……いえっ、ルナール様をお返ししないで申し訳ありません! でも、でも! ルナール様はこの一年あまり、私たちに親子とって、本当の家族だったのです!」
「……クレーネ様」
「君! 控えたまえ!」
 シスレーの言葉にもクレーネは動じなかった。
「私たちは、ずっと親密に愛し合っておりました! すっかり家族だと思っていた私たちを……引き裂くのですか!?」
「無礼者! お前は私から息子を取り上げていたのだぞ! ルナールの命を助けてくれたことについては十分な礼をする。暮らしていけるだけの十分な金や物は差し上げよう。だから、申し訳ないがこのまま別れてくれ」
「嫌です! 離れたくないのです! 娘……アリョーナだって、この人を父だと信じて慕っているのよ! 帰るというなら連れて行って! お願い!」
「うわああああん!」
 それまでうとうとしていたアリョーナだったが、母親の取り乱した声に目を覚まし、いきなり盛大に泣き出した。
「ご、ごめんね。アリョーナ、母さんが悪かったわ。泣かないで」
 しかし、幼子はなかなか泣き止まない。二歳くらいのその子は、母親譲りの白っぽい金髪で、偶然ルナールの髪色とも似ている。ノスフリントではありふれた色だ。
「アリョーナ、アリョーナ……」
 なかなか泣きやなまいアリョーナを見て、ルナールがクレーネの腕から取り上げて高く持ち上げ、揺すりあげた。
「ほら? アリョーナ、これが好きだろう? そぉれ!」
 火がついたように泣いていたアリョーナは、ルナールにあやされると今度はけらけらと笑い出した。この遊びが大好きなようだ。
「よぉし、いい子だ。もう一回やってやるから、大人しくしてるんだぞ」
 ルナールはそう言って、もう一度アリョーナを揺りあげると母親の腕に戻す。その隙にお菓子を取ってきたクレーネはすかさず、小さな手にお菓子を握らせると、アリョーナは大人しくなった。
「すまない。普段はあまり泣かない子なんだが、見知らぬ人間に慣れていないので」
「ルナール様は、この赤ちゃんのお父様なのですね……」
 一部始終を見ていたミザリーは、改めてルナールに向き合った。
「こんなに愛し合っている家族を引き離すのは気の毒です。お義父様」
「ミザリー! 何をいうのだ!」
「クレーネ様は、ルナール様の命の恩人です。都での生活を思い出すまでの支えになってくださいましょう。クレーネ様」
 ミザリーは今度はクレーネに微笑む。
「どうか、ルナール様と共に都においでください」
「……」
 クレーネは額を床に落としたままだ。だから表情は見えない。ルナールがその肩を支え、身を起こさせた。
「ありがとう。ミザリー!」
 ルナールは非常に言いにくそうに、だが、ミザリーの名をはっきりと呼んだ。
「そう言ってくれたことに感謝する。父上……お願いいたします。私は、グレイシアに戻り、記憶を取り戻すように努力したいと思います。その代わり、この二人を一緒に連れて行ってはもらえませんか?」
「だが、お前の妻はミザリーだ。ミザリーは夫のいない二年間、私たちに代わって子爵家を支え、発展させてくれたのだ。お前との約束だと言ってな……それはもう、よく尽くしてくれた。お前は国王陛下が認めた妻に、そばめと一緒に暮らせというのか?」
「……」
 ルナールは押し黙った。その背中に顔をぐしゃぐしゃにしたクレーネがアリョーナを抱いて寄り添っている。
「それは……すまないと、思う。俺に言えるのはそれだけだ」
「……」
 ユルディスが静かにルナールとの間を詰めた。
 その所作は静かだが、非常に剣呑な空気をまとっていた。右の拳が握られている。瞬間、ミザリーはユルディスが何をしようとしているのか察して、その手を押さえた。
「いけない!」
「……あなたは!」
 ユルディスはミザリーを見つめ、やがて静かに身を引いた。そしてルナールの視界から隠すように、背中にミザリーを庇い、蔑んだ視線を投げつけた。
 ドナルディが間に入る。
「ルナール。すまないと思うのなら、ミザリーの気持ちを一番に考えてやりなさい。この人の暮らし向きは保証する。都の郊外に家でも借りてやろう。それで十分だろう」
 その言葉を聞いたクレーネが、ぎゅっとルナールにしがみついた。その指がぶるぶると震えている。
「……しかし、俺はクレーネを愛している! 不安でうなされた夜もずっと俺に寄り添ってくれた。アリョーナは俺の子ではないようだが、俺はこの子も愛している。今更離れるなんて、そんな恩知らずなことはできない……できないんだ!」
「構いません。一緒にお屋敷で暮らしましょう」
「ミザリー! 何を言うんだ!」
「……私なら、もういいのです。お義父様」
 ミザリーの声にはよどみがなかった。
 そしてその琥珀の瞳には、つい先ほどとはほのかに違う色合いを帯びている。それはユルディスにのみ感じられた。
「ルナール様、クレール様。一緒に都に行きましょう。もちろんアリョーナちゃんも、ですよ。それにあなた、もう一人、いるのでしょう?」
「……え?」
 一同の目がクレーネに注がれた。青ざめていたクレーネの頬に赤みがさし、そしてその唇がわずかに上がる。
「クレーネ様、あなたのお腹にはルナール様のお子がいるのね? だから、急いでいるのでしょう?」


     *****

どうやらこの物語を読んでいただいているのは、限られた読者の方だけのようです。(アクセス数がほぼ一定なので)
作者は振り絞ってますが、癖のある設定なので、テンプレ推奨の方からは苦手にされるのでしょうね。
ちょっと悲しいけど、でも最後まで描き切らなければ。
でも最近、とても読み込んだ感想をいただくことがあり、嬉し涙に暮れております。
もしも気に入られたら、いいね!だけでもポチしてくださいませ。
辺境作家はそれだけでも、ありがたいのです。

ミザリーっぽい女性の画像を見つけましたので、あげています。


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