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 2 その結婚は合理 2

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 中央の四阿あずまやには三人の人物が二人を待っていた。
 エルトレー子爵夫妻、そしてミザリーの祖父、バルファス・グリンフィルドだ。
 ミザリーは、ほんの少し体を固くした。二人はここで結婚の報告をしなければならない。

 さぁ、ミザリー。
 誇り高いおじいさまの孫娘らしく、毅然きぜんと、そして優雅にふるまうのよ。

「父上、母上。わが花嫁を紹介します! ほら、ミザリー」
 ルナールにそっと背中を押され、ミザリーはつつましく腰を折った。
 子爵夫妻に会うのはこれが初めてではない。
 幼い頃には何度か会ったことがあるし、結婚が決まった時に挨拶をすませていたが、正式に会うのはそれ以来なのだ。
「子爵様、奥方様、ミザリーでございます。先程聖堂にて、宣誓をすませました。これから子爵家の者として、恥ずかしくないよう努める所存でございます。よろしくお導きくださいますよう、お願い申し上げます」
 娘にしては落ち着いた声音に、エルトレー子爵は好ましそうにうなずいた。
「うむ、よい挨拶である。ミザリー、これからルナールと二人で、この家を盛り立ててくれ。おめでとう!」
 エルトレー子爵ドナルディは、鷹揚おうように息子夫婦に祝いの言葉を述べた。子爵夫人セリアナは目を細めて笑っている。
「おめでとうルナール、そしてミザリー。その花嫁衣装、私のものを直したものだけれど、上品でとてもよく似合っていますよ」
「ありがとうございます。とても美しいお品だと思います」
 ミザリーは素直に礼を言った。
 デコルテの部分はすんなりと体に添い、腰からスカートの重なりが広がっている。ミザリーには似合っていたが、帯を高く結ぶ流行のドレスの貴婦人たちは密かに笑っていた。
 しかし、子爵夫妻の横で眉をひそめたのは、ミザリーの祖父、バルファスである。

 ふん! 貧乏子爵めが。
 あれほどの持参金を持たせてやったのに、花嫁衣裳すら新調してやらぬとは、先代からの負債はどれほどだったものやら。このぽんこつめが! 内心で爵位のないグリンフィルド家を見下しておるのだろう。
 おまけにルナールの小僧は、結構な浮名を流している。ミザリーが苦労しなければ良いが。

「おじいさま」
 ミザリーが進み出た。深い琥珀の瞳には、祖父の内心をみ取るような色が浮かんでいる。
「私たち夫婦になりました」
「おお、ミザリー! おめでとう!」
 バルファスは孫娘のために慌てて微笑みを作った。
 彼は伝統的な国の礼装だが、地方領主として堂々としている。
「都は気に入ったか?」
「目新しいものばかりで、どきどきしています」
「そうか。いつでも里帰りしていいぞ……と、花婿殿を前に言う言葉ではなかったな、失敬失敬」
 バルファスはじろりと花婿を見やった。
「そうですよ、バルファス殿。妻は当分帰せません」
 ルナールはミザリーの肩を引き寄せて笑った。
「そうか。それなら良い。ルナール殿、私はすぐに領地に帰らねばならんが、ミザリーをよろしくお願い申し上げる。この娘を大切にいつくしんでもらいたい」
「お任せを」
 ルナールは胸を張った。
「ミザリー、とてもきれいだよ。ここで存分に腕をふるいなさい」
 バルファスは耕地を開拓し、貧しい地方の領地を一代で豊かに成長させた。ミザリーは彼に経営の指南しなんを受けて育った。
「エルトレー家は、あなたのおかげで助けられたのです。御礼申し上げます」
 ルナールは、本来エルトレー子爵が言わねばならない言葉を、口にした。
 エルトレー家は、華やかな交流関係とは裏腹に、内情は相当に逼迫ひっぱくしていたのだ。
「傾きかけた我が家ですが、ミザリーはいわば幼馴染だし、彼女がいかに堅実で努力家であるか、私はよく知っています。俺も協力する。この家はもう安泰です」
「……しかし、あなたにはまだ軍務があるのだろう」
 バルファスは現在、一個小隊を任されているルナールに言った。
 この国の男子は基本的に一定期間、兵役に就かなくてはならない。貴族の子弟も同様である。これは数年前まで続いた北国、ノスフリントとの長い戦争が理由である。現在は停戦中だが、国境の森林には常に警備の大隊が配置されている。
「休暇が終わればすぐ、北方に赴任するそうではないか」
「ええ。しかし、あと一年で退役して家を継ぎます。その間、小競り合いくらいはあるかもしれませんが、もう大規模な戦闘は起きないでしょう」
「そうかもしれない。だが、ミザリーはずっと領地で育ったために、都での生活に馴染みづらいかと思う。どうか力になってやってくれ」
「もちろんですとも。バルファス殿、妻に不自由な思いはさせません」
 バルファスはそう言って、ミザリーの頬にキスを落とし、レースのショールを取り外した。
 控えめだった花嫁の頬にさっと朱が差し、恥じらいながらも微笑みを浮かべる。
 それは、ミザリーがこの場で初めて見せた笑顔だった。少し肉厚の唇は、べになどささなくても十分官能的だ。
 ミザリーは気がついていないが、痩せ型の貴婦人を見慣れていた数人の青年たちが、はっと彼女に注目した。
 野暮ったいと思っていた田舎娘は、小柄ながら豊かな曲線を持っている。
 そして、その無垢な微笑みが、一人の男の心臓を抜いたことを、この時のミザリーはまだ知らない。
「皆様、本日は嫡男、ルナールの結婚の儀にお集まりいただき、ありがとうございます」
 セリアナが客たちに向かって笑顔を振りまいた。
「さぁ! 祝杯をお取りになって! この日のために素晴らしい葡萄酒を取り寄せましたのよ!」
「方々、二人の行く末に祝福を!」
 エルトレー子爵の言葉に客たちが一斉に唱和した。
「乾杯!」
「おめでとうございます!」
 祝い酒の杯が次々に干され、用意された花が新婚の二人に投げかけられる。
 花びらは秋の風に乗り、ふわりと舞い上がって空に映えた。
 その瞬間、ミザリーは確かに幸福を感じていた。


 
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