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こぼれた夢
行方知れず
しおりを挟む「なんでカレー?中華が食いたいって言ったじゃん。」
帰ってきた相澤先生にご飯を出してあげたら文句を言われた。
タダ飯のくせに黙って食べろよ。
「……買い物する時間が無かったんです。」
「なんでだよ。おまえ職員会議のあとすぐ帰っただろ?」
菊地君と一緒にヤクザとバトってましたなんて言えない。
相澤先生には言うなと口止めされているし……
私はもう関わらなくていいと言われたけれど、そんなわけにはいかない。
でも……私になにが出来るんだろうか?
また私が出ていっても、さらに事態をややこしくしてしまうだけかも知れない……
「もしもし……柿ピーか。どした?」
相澤先生のスマホに生徒から電話がかかってきた。
どうやらクラスの男子生徒の柿田君が、彼女に振られて泣きながら電話してきたっぽい。
「顔を合わすのが嫌だから学校行きたくない?そんなナヨナヨしてっから振られんだろーが。その性格治せっつっただろ?」
相澤先生には生徒がよく悩みを打ち明けてくる。
それは恋の悩みだったり進路についてだったり、家族にも言えないような深刻なものまで様々だ。
相澤先生は時に優しく時に厳しく、それら全部をひとつひとつ受け止めてあげている……
私があの時、菊地君が酷い振り方をしている時に直ぐに出て行って注意が出来ていれば、こんなことにはならずに済んだのかも知れない……
たった一人の生徒の力にもなってあげれずに、なにをしていいのかもわからない。
情けない……
なんのために私は教師になったんだろう──────
「マキマキ、何かあったのか?」
いつの間にか電話を切り終えていた相澤先生が、カレーを口いっぱいに頬張りながら私を見つめていた。
「……別に。」
「別になわけないだろ?全然食べてねえじゃん。」
そう言うと相澤先生はスプーンでカレーをすくい、私の口に突っ込んだ。
これって…相澤先生が口に含んでたスプーン……
そのスプーンでまたカレーを食べようとしたので咄嗟に腕を掴んで止めた。
……もろ間接キスじゃん!
しかも、カレーって……カレーって!!
ペットボトルのお茶が関節キスのレベル1としたら、同じスプーンでカレーを食べ合うなんてレベル100だろっ!!
「なに?マキマキ、食えねえんだけど?」
「……スプーン、変えてください。」
「俺そんなの気にしないけど?」
「私が気にするんです!!」
もうもうもうもうっ!
どーなってんのコイツの神経は!!
「なあ…マキマキ。あれって布団だよな?まさかもう一緒に寝ないつもり?」
相澤先生がさっき宅配業者から届いた荷物を怪訝そうに見ながら尋ねてきた。
「一緒に寝てたことの方がどうかしてたでしょ。」
私にはこの質問をわざわざしてくる相澤先生が理解出来ない。
「俺抱き枕がないと寝れねえんだけど?」
「私は抱き枕じゃないんですけど?」
「……彼女だと思えばいいわけ?」
「彼女でもないんですけど?」
「じゃあ……」
「なにを言おうがダメですから!!」
私が一歩も引かないとわかったのか、相澤先生はチッと舌打ちをして届いた布団を私の部屋に運ぼうとした。
「なんで私の部屋に敷こうとしてるんですか!」
「並べて敷いた方が寝れなかった時にすぐ潜り込めるだろ。」
「空いてる部屋で寝て下さい!!」
「えっー!部屋も別々ってマジかよ?」
こっちがマジかよって叫びたい。
相澤先生の頭の中の倫理観はどうなってんだっ。
次の日──────
朝のSHRを終えた桐ヶ谷先生のあとを付けて渡り廊下で声をかけた。
「うちのクラスの菊地ですか?」
菊地君のクラスの担任である桐ヶ谷先生にそれとなく相談してみることにしたのだ。
「はい…昨日街で見かけたんですけど、ちょっと思い悩んでるような感じがしたので……今日、休んでますよね?」
桐ヶ谷先生は周りに人がいないのを確かめてから、声を潜めて話してくれた。
「ええ、無断欠席です。でも菊地の場合こういうことは今まで何回もありますので。まあ…二年生の時に怪我をしてからは問題児ですから……」
「……怪我、ですか?」
菊地君はこの学校にはサッカーのスポーツ特待生で推薦入学してきた。
17歳以下のサッカーのナショナルチームであるU-17にも選ばれるほどの実力の持ち主だった。
将来も有望視され、いずれプロになるだろうと言われていたのだが、去年の夏、試合中に大怪我を負ってしまった。
怪我自体は治ったものの、以前のような調子が未だ取り戻せていないのだという……
それからというもの、菊地君は素行の悪さが目立ち始め、サボりや喧嘩などの数々の問題行動を起こすようになってしまったのだ。
「今度なにかしでかしたら、もう退学は免れないでしょうね。」
そう、なんだ……
あの今にも泣き出しそうな顔も
俺なんか死んでもいいなんて言ったのも
全部……
どうにもならない自分の現状が苦しくて苦しくて、心が悲鳴をあげているからなのかも知れない─────
全然…気付いてあげれなかった……
「もしかして…相澤先生からなにか言われましたか?」
桐ヶ谷先生が心配そうに尋ねてきた。
「いえ…なぜですか?」
「相澤先生は菊地を特に気にかけているようなので。」
相澤先生は菊地君が問題行動を起こす度に必死になって他の先生達に頭を下げているのだという……
サッカー部を止めようとする菊地君を何度も引き止め、個人的な練習にも付き合っているらしい。
私にボールが当たってしまった時も一緒に練習をしていたのかな……
菊地君は毎日、どんな気持ちで私のおでこのアザを見に来ていたのだろう……
ああもう、私はなにもわかっていなかった。
「うちは歴史のある伝統校ですが、最近は子供の数が減ってきているせいか一定数の問題児もいるような現状です。特に…相澤先生の周りにはそういう生徒が集まってくる。」
なんだか桐ヶ谷先生の言い方にトゲがあるように聞こえた。
相澤先生が桐ヶ谷先生を嫌っているのはなんとなく気付いていたけれど、もしかして桐ヶ谷先生も……
「真木先生は生徒思いですね。そんなところもとても可愛らしい。」
…………はい?
あまりにも唐突すぎて桐ヶ谷先生の顔をマジマジと見入ってしまった。
軽いリップサービスにしては私を見る目が妙に熱っぽい……
どう反応していいかわからずにいると、桐ヶ谷先生は私の手をそっと握って微笑んだ。
「どうです?今晩食事でもして、今後の教育についてじっくりと話し合いませんか?」
こっ…これは私を女性として誘っているんだよね?
いわゆるデートってので相違ないよね?
桐ヶ谷先生は落ち着いていて大人の魅力に溢れている。
人格者だし教師としても尊敬出来る人だ。
誰かさんと違って欠点を探す方が難しい……
でも、でも……──────
「こいつは俺のクラスの副担任なんで、勝手に誘うのは止めてもらえる?」
後ろから来たその誰かさんが、桐ヶ谷先生が握った私の手を奪うようにして取り上げた。
「やだなあ相澤先生。指導係だからといっても保護者じゃあるまいし、許可なんていらないでしょ?」
「でも一人前にする責任があんだよ。どうしても誘いたいならその定義について俺にレポートを提出してからにしろ。」
「へ~。枚数はレポート用紙10枚でいいかな?」
二人の間に見えないはずの火花がバチバチ見える。
一見、一人の女性を巡っての争いのように見えるけど、そんな色恋沙汰な雰囲気って感じが全くしない。
決闘が始まってもおかしくないくらいの殺気だ。
相澤先生にギュッと握られた手が痛い……
「真木先生、邪魔が入ったのでまた今度。」
桐ヶ谷先生は余裕の笑みを浮かべると去っていった。
相澤先生はようやく私の手を離すと、不機嫌そうにため息を付きながら髪をかきあげた。
知らなかった…この二人、チョ~仲悪いんだ。
だからお互いあまり干渉しなかったのね……
「マキマキ、桐ヶ谷は止めとけよ。」
「なっ、なんですかそれ?!」
私は菊地君のことを相談していただけなのに、なんでそんな浮ついた話になるんだっ。
「おまえは惚れっぽい性格だろうから心配だ。」
「私惚れっぽくなんかありませんっ!」
「教師目指したのは高校の時の先生を好きになったからだって言ってたよな。教師フェチなのか?」
「フェチでもないです!!」
桐ヶ谷先生に腹が立ったからって私に当たらないでもらいたい。
本当にこの男は失礼しちゃうっ!
ムカついて相澤先生の顔を睨んだら、ギロッと睨み返されてしまった。
こ、怖い……
「とにかく、桐ヶ谷にするくらいだったら俺に惚れろ。チャイム鳴ったから行くぞ。」
えっ……
ちょっと待って相澤先生……
今、サラッともの凄いこと言わなかった?
教師の朝は大忙しだ。
勤務時間は8時20分からなのだが、みんなそれより前には学校にきている。
相澤先生なんかは忙しい時は7時には来ていたりする。
毎日職員室で行われる朝の打ち合わせ(朝会)の前に、その日の授業の準備はもちろん、書類処理や文章作成、部活指導、行事準備、登校指導とやることは山のようにある。
高校教師なんて夏休みもあるし楽よね~とかよく言われるけれど、実際は授業以外の業務が多くてきついうえにしんどいし、ちょっとブラック入ってると思う……
全体の打ち合わせのあとは学年ごとの打ち合わせがある。
ここでは各クラスの出席状況や要注意の生徒、提出物の回収、配布物の確認など、さまざまな情報を共有するのだが……
「今朝、菊地 翔太《しょうた》の家庭に電話をしました。家にも帰って来ないし、連絡もつかない状態だそうです。」
三年生の方で桐ヶ谷先生が菊地君についての報告をしているのが聞こえてきた。
菊地君が学校に来なくなって今日で1週間だ……
「くそっ菊地のやつ…既読にもならねえ。どこほっつき歩いてんだあいつは?!」
隣の席で相澤先生がスマホを手に吠えている……
相澤先生は昨夜も菊地君が行きそうなとこを探し回っていた。
ここ2・3日ろくに寝ていない。
このままじゃ相澤先生の方が倒れてしまうかもしれない。
どうしよう……
菊地君…お金を稼ぐためにどこかで働いているのだろうか?
まさか犯罪に手を染めてるなんてことは……
まさかヤクザに捕まって内蔵売られてたりとか……
まさか……──────
やっぱりもう、私の胸に留めておくなんて無理だ。
相澤先生に言おう。
「あのっ相澤先……」
職員室を覗く一人の女の子と目が合った……
あの子は────────
私が席から勢いよく立ち上がると、その子は逃げるように去っていった。
彼女はあのヤクザの姪っ子だ。
話が聞きたいとずっと思っていたのに、彼女も学校を休んでいたのだ。
「おい、マキマキ。どこ行くんだ?」
「トイレですっ!!」
彼女なら菊地君の居場所を知ってるかもしれない。
すぐさま追いかけたのだが足が早い……
「すっげえ速さで出て行ったなあいつ…大か?」
廊下を曲がって校舎裏に出たとこまでは見えたのだが、その先で見失ってしまった。
こんなに全速力で走ったのは久しぶりだ。息が切れる……
「……鈴木《すずき》さんっ…私もあの時、雑居ビルの中にいたの!」
この先は行き止まりだから、きっとこの辺りに隠れてるはず……
「あなた…帰る時に何度も菊地君のいる方を振り向いてたよね?本当は、後悔してるんじゃないのっ?」
出てきてくれることを祈るしかない……
私にはどうしても、この事態を彼女が望んだことのようには思えなかった。
「私じゃ頼りないだろうけれど、力になりたいのっ!」
長い沈黙のあと…草木が揺れる音がして木々の間から鈴木さんが現れた。
「……こんなに大事になるなんて思わなかったの。ちょっと脅して、懲らしめてやるくらいで良かったのに……」
間近で見る鈴木さんの顔は、泣き腫らしたのか目が腫れていて真っ赤だった。
やっぱりこの子…ずっと悔やんでたんだ……
「菊地君がどこにいるかわかる?」
「はい…バイトしているお店の名前、叔父から聞いてます。」
桜坂高校ではバイトは校則で禁止されている。
みんな隠れてしてたりはするけれど、今の菊地君がそんなことをしているのが学校にバレたら、間違いなく退学にさせられてしまうだろう。
「叔父にはもう止めてって言ってるのに、組が絡んでることだから無理だって……」
おじさんはヤクザでも下っ端の構成員らしく、組織の上層部に渡す上納金をいつも非合法なビジネスで稼いでいるらしい。
ようするにこれは可愛い姪っ子のためにしているのではなく、菊地君はただの良い金づるなのである。
あのおっさんにはいずれ鉄拳を食らわしてやりたい。
でも今は、菊池君をなんとかしなければならない。
「大丈夫。菊地君は必ず、私が連れ戻すわ。」
「……先生……」
声を震わせて泣く鈴木さんを、私は優しく包んであげた。
応援ありがとうございます!
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