私の花魁ひざくりげ

タニマリ

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水揚げの行方

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花魁のような最上級の遊女は、客が見て選ぶ張見世には並ばない。

花魁に会うにはまず引手茶屋と呼ばれるところで予約をしなければならない。
そして茶屋にて酒を飲んだり芸者や太鼓持ちらの芸を楽しみながら花魁の到着を待つのだ。

指名を受けた花魁は美しく飾り立て、禿かむろ新造しんぞうと呼ばれる見習いの遊女達や若い衆を従えて茶屋までの道のりを華やかに練り歩く。

そう…これがかの有名な、花魁道中と呼ばれるものなのである。



「小春とこうやって吉原を歩くんもこれが最後になるんかねえ。なんや寂しいわあ。」


そう言うと高尾姉さんは花が咲くようなあの柔らかな笑みをみせた。
高尾姉さんは私の目標だ。
いつか私も、高尾姉さんのように行き交う人々がみんな立ち止まるような吉原一の花魁道中をするんだっ。
決意を新たに引手茶屋に着くと、心臓が止まりかけた。
そこで花魁の到着を待ち構えていた人物が、神社で会ったあの男だったからだ。

なんでこんな奴が───────?

いつもの客層とは違う場違いな男を見ても高尾姉さんは顔色ひとつ変えず、真正面の離れた位置にしなりと腰を下ろした。


花魁と仲良くなるためには三度通わなければならない。
初めて会うことを初回といい、花魁は客とは口を聞かず、座る位置も離れている。
二回目は裏といい、初回と同じく口は聞かないが客とは少し近い位置に座る。
三回目を馴染みといい、三々九度の杯を交わしてようやく床入りをする。

高い金を払っているのにあまりにツンツンされては客足が遠のくというので、花魁の中では初回からデレてくれるのもいるようだ。
でも高尾姉さんはそんなことはしない。
待っててくれる愛しい人のために、この初回の宴席の場で鋭い目を光らせて慎重に品定めをするのだ。
気に食わなければ相手が大名だろうがどんなに大金を積まれようが次からは決して会わないのが高尾姉さんだ。


でもこの男、花魁である高尾姉さんには一切目もくれず、舞台で三味線を弾く私ばかりを目で追っていた。
見知った顔がいて驚いているのだろうか……
小娘のくせに一丁前に着飾って舞台に立つ私を見て呆れてるとか?
それとも頭にでっかい虫でも止まってる?
なんだか分からないがジロジロと見過ぎだ。
そんな様子に高尾姉さんが気付かないわけがない。
演奏が終わり、舞台からはけようとしたら男がおもむろに口を開いた。

「なあ花魁さん。あんたに頼みがあるんだが……」

えっ……は、話しかけた?
初見で客が花魁に気安く話かけるだなんて……
こいつ……まさかと言うかやっぱりと言うか、初見の意味を理解してない?
高尾姉さんはなんぞとばかりに顔の前に扇子を広げて牽制けんせいした。



「そこにいる小春の水揚げを俺にさせろ。」



私はすっ転びそうになり、高尾姉さんは持っていた扇子をポトリと床に落とした。
宴席の場が一瞬で凍りついた空気になった。
花魁を予約してわざわざ呼んだのに、その花魁ではなくお付きの見習い遊女を指名するだなんて前代未聞だ。
最上級の花魁にとってこんな屈辱的なことはないだろう……
乱れた気を落ち着かせるためか、高尾姉さんは小さくコホンと咳払いをした。


「水揚げは経験豊富な殿方に優しく手解きしてもらうもんや。ぬしさんはとてもそんな感じには見えないでありんすなあ。」 
「ああ、気持ち良すぎて失神するかもな。なんなら先にあんたで試してやろうか?」


遊女は言わば性のプロだ。
そんな遊女にとって「気をる」こと、つまり絶頂を迎えることはしくじりの一種とされていた。
気を遣ると妊娠してしまうと言われているし、一日に何人もの客を相手にするので一回一回本気で感じていたら疲れて身体が持たないからだ。
遊女達はあくまでも客を喜ばせるために感じたフリをしているだけなのである。

なのに、失神させてやるだなんて……プロ中のプロである高尾姉さんに対してなんて無礼な奴なの?!


「もう一度言う…小春の水揚げを俺にさせろ。悪いようにはしねえ。」  


賑やかだった太鼓の音もいつしか止み、噂を聞きつけた茶屋中の人がワラワラと見物に集まってきた。
高尾姉さんが私を近くへと呼び寄せた。

「高尾姉さんゴメンなさいっ!」
「そんなことはいいわ。それより、小春はあの人と知り合い?もしかして恋仲なの?」

「違います!神社で勝手に絡んでくるタチの悪いチンピラです!!」
「チンピラねえ……でも彼の着ている羽織、一見質素に見えるけど裏地が物凄く凝った裏勝うらまさりよ?しかも金糸が使われてる。相当な金持ちなんは間違いないわあ。」

あの粗末な古着にしか見えない縞模様の羽織が、そんな値打ちのあるもんなの?!

江戸時代、贅沢を禁じた幕府はたびたび奢侈禁止令しゃしきんしれいなるものを出した。
大っぴらに派手な着物を着ることが出来なくなった町人達の間で、豪華な絵柄を裏地や長襦袢に忍ばせることが流行したのだ。
にしてもさすが高尾姉さんだ。
裏地がチラリと見えただけでそこまで見通せるんだから。
……って、関心している場合ではないっ。


「いくら大金持ちだろうが性格が最悪です!あの羽織だって本当は盗んだのかも!」
「おいっ聞こえてんぞ。水揚げさせてくれんのかくれないのかどっちだ?」

「させるわけないでしょ!!」
「相手を決めんのは花魁なんだろ?てめえには聞いてない。」

「あんたなんか高尾姉さんに袖にされろっ!!」
「……袖ってなんだ?」

「振るっていうこと!まさか高尾姉さんに気に入られるとでも思ってんの?!」
「ガキに俺の魅力が分かってたまるかっ!」

「そのガキに執着してんのはどこのどいつよっ!!」
「うるせえ!!ぐだぐだ言わずに黙って俺に抱かれろっ!」



「う~る~さ~い───っ!!」



滅多に怒らない高尾姉さんがキレた。
花魁を蔑ろにして痴話喧嘩みたいなこの言い合い…失礼きまわりなく怒って当然。猛省である……


「主さんはそれを頼みたいがためにわざわざ大金を叩いてわっちを呼んだでありんすか?」
男はニッと笑って頷いた。


「小春に惚れてる言うことで間違いござりんすか?」
「ああそうだ。いずれは嫁にしたいと思ってる。」


よ、嫁……??
水揚げの話がなんで身請の話にまでなってんの?
吉原のことを何も分かっていないこんなバカな男の話はもう聞かなくていいから、今すぐ追い出してくれと思ったのだが……
高尾姉さんはほうとため息を吐くと、惚れ惚れしたように男を見つめた。
しまった…高尾姉さんはこの手の色恋話が大好物なんだった。
葵ちゃんのことがあったばかりだ……協力するでありんすとか言い出しかねない。



見物人達を押しのけて、稲本屋の楼主が部屋に入ってきた。
「小春を身請けしたいという客がいると聞いて来てみたら…こんな何処の馬の骨かもわからんゴロツキとは……」
男の身なりを見て楼主はあからさまに嫌な顔をした。
良かった…楼主ならマトモな判断をして男を追い返してくれそうだ。

「この子は武士の血を引く血筋で将来有望な花魁候補でしてな。800は頂かないと割が合わね。あんたに払えるんか?」

武士?有望?誰が?
てか、800ってなに?800両?
花魁である姉さんの身請額と同等だなんてふっかけすぎだ!
余りの額にビビったのか男は押し黙った。
頬杖をついてじっくりと考えた後、ゆっくりと口を開いた。




「1000だ。」




……はい?



「身請金は1000両出す。」



えっ…な、なんでさらに金額を釣り上げてんの?!


※しつこい様だが一両とは今の貨幣価値にしたらおよそ10万である。1000両=一億円!


「三ヶ月後にきっちり用意する。だからそれまでは俺以外の客は小春には取らすな。」


これは今日の分だといって小袋を投げ渡してきた。
見るとなんと百両も入っていた。帯封《おびふう》のついた小判なんて初めて見た……

さっきまで男に向かって凄みを利かしていた楼主の顔が一気にふやけた。




100両もの大金をポンと投げ渡すだなんて……

こいつ…一体何者なの───────?





周囲からの視線を一身に浴びた男はスクッと立ち上がると、歌舞伎の見得のごとく手の平を大きく前に突き出し腰を深く落とした。
大股開きの間から、隠れていた派手な裏地がガバッとあらわれた。





「俺の名は歌山 花月かげつ。絵師を生業としているもんだ。」





──────歌山花月って………

それを聞いた姉さんの目が輝いた。
茶屋のそこかしこからもどよめきの声が上がる……


それもそのはず、歌山花月とは今一番勢いのある浮世絵師の名前だったからだ。
高尾姉さんが大事にしている海老様の浮世絵もこの人が描いたものである。

江戸時代も後期になってくると、たくさんの浮世絵師が積み上げてきた技法や画風が成熟を極め、爛熟期を迎えた。
この頃の浮世絵界を牛耳っていたのは歌山派という大派閥。それを率いていた男こそ、この歌山花月だったのだ。

歌山花月は美人画から役者絵、黄表紙や合巻の挿絵、はたまた煙草入れや手ぬぐいまで手広く手がけており、出せば瞬く間に売れるという絶大な人気を誇っていた。
そんな彼を慕ってたくさんの絵師が弟子入りを希望し、名実ともに巨大勢力を形成していたのだ。


嘘でしょ…このふざけた男が?
江戸で彼の名前を知らない人はいないほどの、超有名人だったなんて……


「貴方様がかの有名な絵師の歌山花月殿でしたか!いやあ~一目見た時から只者でないと感じておりましたっ。」
嘘つけ楼主…馬の骨呼ばわりしたじゃないか。

「わっち歌山様が描いた浮世絵持っとるんよ?お目にかかれてホンマ光栄やわあ!」
高尾姉さんにいたっては乙女みたいにはしゃいでいる……
海老様のファンではないけれど、花月様のファンではあったようだ。
楼主も花魁も一瞬で虜にしてしまった。
どうしよう…この流れではこのままこいつと水揚げすることになりそうだ。
下っ端の私に拒否権はない。
がっ……!

「私はゴメンです!こんな奴とヤルくらいなら狸や猿や蛙とした方がマシです!!」
「まあ小春ったら。若くて男前がいい言うてたやろ?歌山様やったらそのものでござりんす。」

男がニッと笑い、よく見ろとばかりに顔を近付けてきた。
確かに男前は認めるけれども、こいつの無粋な性格がイヤなの!


「おじょう際が悪いな。俺は約束通り百両持ってきたんだ。観念しろ。」


確かに言ったけど…まさか本当に持ってくるなんて夢にも思わない。
ここでしつこくゴネれば女が廃《すた》る……
いくら人気絵師だからと言っても千両なんて途方もない額をたった三ヶ月で調達出来るわけがない。
きっとホラを吹いているんだ。となれば……


「分かった私も腹をくくる。でも千両持ってくるまでは私の体には指一本触れさせやしないから!」


男を指さしかっこよく決まったあ…と思ったのだが、楼主に後ろからぶん殴られた。


「アホか小春!今から歌山様と水揚げや!!」


………へっ?

ささ、ささ、こちらへと言って楼主は男を稲本屋へと案内し始めた。
「小春もはよ付いてこい!」
ちょちょ、ちょっと待って……今からってマジで?!
助けて欲しくてすがるように高尾姉さんを振り返った。

「取って食われるわけじゃあござりんせん。おさればえ。」


にこやかにお見送りをされてしまった。













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