美しき姫は純白の暗殺者

タニマリ

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待ち望んだもの

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心地よい小鳥のさえずりが聞こえる……

窓から吹いてくる爽やかな風、明るい陽射しを瞼に感じてそっと目を開いた。
ベッドの上で目覚めた私に、誰かが笑顔でのぞき込んできた。


「おはようみーちゃん。やっと起きたあ!」


母がいる……?

いつもと変わらぬ無邪気な母に、日常だけれども日常ではない違和感を感じた。


そうか……きっとここは天国なんだ。
結局……お母様も殺されてしまったのか………
じゃあ私はなんのためにやってもいない罪を被って自害までしたんだろう……
全く、意味がなかった。


「ようやく起きたか。」


壁際の椅子に座る人物に目を向けてギョッとした。
ジャ、ジャンがいる!!
なんで?スパイであることがバレて殺されたとかっ? 

「みーちゃん。この人ジャンよ?ビックリよね~。」
母はジャンの方に両手をヒラヒラとさせて楽しそうに笑った。


「ミリアム様おはようございます。お水は飲まれますか?」


そういえば喉がカラカラだ。
水の入ったコップを渡してくれた侍女の顔を見てまたもやギョギョっとした。
ア、アビまでいるの?!

あれ、ちょっと待って……なんで死んだのに喉の乾きを感じるの?
確認のために頬っぺをつねると痛かった。
天国だと思ったこの場所も、よく見たらレオと過ごしていた部屋だし……

もしかしてもしかすると私って……
………生きてる………?


「みーちゃん、ジャンてかっこよくなあい?なんでお顔を隠してたんだろうね~?」


えっ……ここにいる全員が生きてるってこと?
なぜにこのメンバーで集まってるの?
全くもってわけがわからないっ!!
事情を知っているであろうジャンをジッと睨んだ。

「ママ、ジャン見てキュンてときめいちゃった~。やっぱりみーちゃんもそう?うふふ♡」
「お母様……ちょーっとだけ黙ってようか?」

アビが気を利かせ、あちらで遊びましょうか~と言って母を連れていってくれた。




「ジャンどういうこと?私は毒を飲んで死んだんじゃなかったの?」
「あの薬は毒じゃない。一時的に仮死状態にさせる薬だ。スティルス陛下も生きている。」

生きていると聞かされて驚いたが、同時に心底ホッとした。
けど……あの狭い地下室で何度も繰り返された国王万歳の仰々しい出来事は一体なんだったのだろう。
あの人達も騙されていたってこと……?
なぜわざわざそんなことをしなければならなかったのかが理解できない。


「ルアンダー王国の住人全員に、スティルス陛下が死んだとみせかける必要があったんだ。」


このような味方をも騙すような策を練ったのは、ジャンでも把握しきれていないドレン帝国側のスパイが潜り込んでいたためなのだという。
それは自警団の中にいるかもしれないし診断をする医師かもしれない。
国王が死んで大群が攻めてくるとなれば、そのスパイ達は身の安全のために全員国外へと脱出していく……
ジャンはそれを狙っていたというのだ。


「そうしなければ、意気揚々と攻め込んでくる10万もの先鋭部隊を騙し討ちなどできんからな。」


そう……全ては、ドレン帝国が誇る最強兵力を完膚なきまでに叩き潰すための作戦だったのだ。

ジャンはドレン帝国側のスパイじゃなかった……ルアンダー王国側の二重スパイだったのだ。





ルアンダー王国とドレン帝国は10年にも及ぶ長き戦いを続けていた。
父であるダダ皇帝はすぐに倒せると軽く見ていた南の小国に、計算外の苦戦を強いられた。
やがて傘下に治めていた各国でも不満の声がくすぶり始め、内乱が起きるようになった。

焦りを感じたダダ皇帝はルアンダー王国にスパイを送り込み、機密情報を盗んだり破壊工作をしたり陰謀を企てたりとあらゆる手段を使ってみたがどれも上手くいかなかった。

そこでジャンは、形だけの和平を結んで花嫁という名目で暗殺者を送り込んではどうかとダダ皇帝に提案したのだった。
何も訓練されていないズブの素人の方が相手も油断して必ず隙が生まれると……
それに相手側の皇太子はまだ若いから、ミリアムの美貌なら簡単に落とせると、そう助言したのだという。

父はきっと、私が暗殺に失敗して殺されたところで、痛くも痒くもないと思ったのだろう……


ドレン帝国の軍は国王崩御の知らせを聞き、計画通りに待機していた山岳地帯から王都への進撃を開始した。
王都にくるには深い渓谷の間を抜けなければならない……
そこに待ち構えていたルアンダー王国の軍が一斉に大砲を放ち、巨大な崖崩れを起こして10万もの兵を一瞬で倒したのだという……


「そしてそのままドレン帝国に向かって北上を開始した。途中、傘下に嫌気がさしていた諸外国の軍も大勢加わり、今はダダ皇帝のいる城を完全に包囲している。落ちるのはもはや時間の問題だ。」


落ちる……?あの栄華を誇った父の帝国が……
私が寝ている間にそんなことになっていただなんて……

「それって……全部ジャンが考えたの?」
「ああそうだ。私が計画してスティルスに協力を依頼した。」

こんな壮大な計画を考えれるだなんて……よっぽどの教養を身に付けていないと無理だ。


「ジャンて一体何者なの?」


スティルス陛下とも親しげだし、身を清める儀式の時だってヘブライ語で書かれた聖書を難なく読んでいた。
ジャンは答えたくなさそうだったが、私がもう一度強く名前を言うとため息を付いた。


「ジャンという名は偽名だ。本名はイサーク・ベン・ヨセフといえば、わかるか?」


書物で読んだことがある。
その名は20年前に父が騎士団長だった頃、クーデターを起こして乗っ取った国の国王と同じ名前だった。
目の前で王妃であった妻と四人いた子供達を惨殺され、自らも大怪我を負わされて滝つぼに落とされたと書かれてあった……

それがジャンだったってこと?
生きて、いたんだ………


「これでわかっただろ。私はおまえを自分の復讐のために利用しようとして近付いただけだ。」


だからずっと素性がバレないように顔を隠していたんだ。
どんな気持ちで憎き相手の妻と娘の世話をしていたのだろう……

「そういえばジャンて私が小さい時からいい大人だったよね?一体いくつなの?見た目若すぎやしない?」
「今知り得た情報の中で、気になるところがソコなのか?」

呆れたように大きなため息を付かれてしまった。
もちろん聞きたいことは山ほどある。
でも頭が上手く回らないのだ。なんだか体もだるくて思うように動かせないし……

「当たり前だ。あの薬は国王の体格に合わせて調合されたのだからな。おまえにとっては永遠に眠っていてもおかしくないような量だったんだ。」
すぐに解毒剤を飲ませて一命は取り留めたもののの、なんと私は一週間も眠っていたのだという……


「まさかやってもいない罪を被ってあの薬で死のうとするとは想定外だった。」


利用しようとしていただけなら死んでも構わなかっただろうに……
こういうところに、ジャンの本来の優しさが透けて見えるんだよな………





母の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。アビとトランプをしていてとても楽しそうだ。

「アビもスパイだったってこと?」
「いや、アビはただの侍女だ。私が金で買収したんだ。世間知らずなおまえ一人だと心もとなかったからな。」

勝手に人を暗殺者に推薦しといてよく言う。
まあ確かに、結局は薬を盛ることなんてできなかったけれど……


「でももし、あの時私が薬を盛っていたら処刑されてたんでしょ?」


ジャンは黙ってうなづいた。

そりゃそうよね……
薬が偽物であろうが、国王の暗殺を実行したという罪が消せるわけではない。
今だから思いとどまって良かったといえるけれど、母を見捨てるという選択は、私にはとてつもなく辛くて容易なことではなかった……


「レオも……私が暗殺者として送られてきたことは知ってたんだよね?」
「全てを把握していたのは信頼のおける昔からの側近数名のみだ。もちろんレオも知っていた。おまえの母のこともな。」

私が板挟みになって苦しんでいるのもわかっていたんだ。
わかっていながら、知らない振りをしていたんだ……

「だがレオはこの計画には初めから反対していた。ミリアムがあまりにも哀れだと……だが上に立つ者は時として冷徹にならなければならないと一喝されたんだ。皇太子といえどレオはまだ15歳だ。従うしかない。」


利用されているのも気付かずに、レオからの言葉を全部真に受けてバカみたいだ。

全ては計画を遂行するため。そのためだけの結婚だったんだ。


無事に成功すれば、私にはもう……なんの利用価値もない………



「式典のちょうど一週間前だったか。レオは側近達を集め、もしミリアムが自分の意思で暗殺を思いとどまるようなことがあれば、正式な妻として迎えたいと強く主張したんだ。約束をしないのであれば俺は皇太子の座から下りると。」



────────えっ……?

式典の一週間前といえばあの岩場でレオと高波を頭から被ってびしょ濡れになった日だ。



「スティルスはそんなことは起きないと踏んでいたんだろうな。了承したよ。」
「ねえ、ジャン……レオが私に向けてくれた好意は全部……演技だったんじゃないの?」




私を愛していると言ってくれたあの言葉は

信じて、いいの──────……?






「本人に問《と》いてみろ。」


ジャンの視線の先に目を向けると、そこにはマントを羽織ったレオが立っていた。
ドレン帝国との戦いに参戦しているのだとばかり思っていた。
レオはベッドに座る私の前まで歩いてくると、うやうやしく頭を下げた。


「この度は我国の利益のために貴女に多大なるご煩労《はんろう》を被らせてしまった。心から謝罪する……本当に、申し訳なかった。」


これは、どう受け止めればいいのだろう……
丁寧とも他人行儀とも取れるレオの態度に返す言葉を失ってしまった。

お互いに探るような微妙な空気が流れる中で、母が大丈夫~?と親しげにレオに話しかけてきた。

「レオ君ママを助けるために、お城にまで乗り込んできてくれたんだよ。」

レオがお母様を……?
あまりにも母が普通に馴染んでいるから疑問に沸いてこなかった。
なぜ遠くにいたはずの母がここにいるのか……
スティルス陛下が生きていると知られたら、真っ先に母は殺されていたはずだ。

「でもお城の怖い人達に見つかっちゃて。ママ、剣で襲われたんだけどレオ君が庇ってくれて、血がいっぱい出たの。」

マントの下に目をやると、肩に巻かれた包帯に血が滲んでいるのが見えた。
私の目線に気付いたレオは、大した怪我じゃないと言ってマントで傷口を隠した。

敵の真っ只中に飛び込んでいくだなんて……
そんな危険なこと、死んでしまっていたかもしれないのに……


「ミリアムは自分の命と引き換えに母親を守ろうとしたんだ。その人を死なせてしまっては、俺はミリアムに顔向けできない。」



……レオ………





アビが母にお散歩をしましょうか~と言って庭へと出かけていくと、ジャンも用事があると言って席を立った。
部屋にはレオと二人だけになった。

「ミリアム……俺は今からかなり恥ずかしいことを言うから心して聞けよ。」

そう言って照れたようにコホンと咳払いするレオは、私が知っているいつものレオだった。



「最初にミリアムを見た時、あまりにも美しすぎて戸惑った。その後も、どう接していいかがわからなかった。」


自分の悲運を受け入れるのが当たり前になっていた。


「確かに、計画のために仲の良い夫婦を演じろとは言われていたが、俺はそんな器用な性格じゃない。」


運良く悪いことから逃れられても、その先に待っているのはさらなる絶望しかないのだと……


「ミリアムに伝えた愛は全部本物だ。だから、俺の前から消えようだなんて思わないでくれ。」


失うことへの恐怖に怯えて生きてきた。

望むものはどうせ手に入らないからと、なにも抗うことなく諦めていた………




「いてもいいの……?」




こんな私でも……なにかを叶えようと願ってもいいんだ。

なにも知らなかった私に……



「誰が反対しようが必ず守る。今度こそ、嘘偽りなく愛し抜くと誓う。だから……」



……レオが教えてくれた。





「このまま……一生俺の花嫁でいてくれ。」





大好きな人のそばにいるだけで……



「私も………」
 


こんなにも、幸せなんだってことを──────……




「ずっとレオのそばがいい。」




レオから差し伸べられた手を、確かめるようにギュッと握った。
温かい……夢じゃないんだ。


もう、気持ちを抑えなくてもいい……
本当の気持ちを伝えてもいいんだ──────……

涙がボロボロと溢れてきた。
泣きながらだったからはっきりと伝わったかは自信がない。

でもやっと、レオに言うことができた……





私も、愛していますっ……て──────……








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