美しき姫は純白の暗殺者

タニマリ

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秘密の役目

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──────愛してる………




たった一言。

伝えることがなぜ出来なかったのだろう……


私にはその勇気がなかった。
もうとっくに、あなたに恋をしていたのに……




口に出すことが出来ていれば

私は………



こんなにも死ぬ間際に後悔はしなかっただろう。






願わくば…あなたと………






もう一度────────────……

















私は馬車に揺られ、長年戦争を繰り返してきた敵国へと向かっていた。

「みーちゃんばっかり辛くさせてゴメンなさい……」

別れ際の母の泣き声が耳から離れない。
違うわお母様……私のために、ずっと辛い思いをしてきたのはお母様の方だから。
この不毛な戦いを終わらせるためにも、誰かがやらなければならないことなの。

怖さで怖気づきそうになる気持ちを必死で奮い立たせた。


私は今日、ルアンダー王国の皇太子の元へと嫁いでいく。


我がドレン帝国とルアンダー王国は長きに渡る戦いを終結させるべく、講和条約を結んだ。
その和平の象徴として、第一王女である私が送られたのだ。

ルアンダー王国には子供が一人しかおらず、私の結婚相手である王子は後の国王となるお人だ。
15歳になったばかりで21歳である私より六つも年下だと聞かされた時は正直、驚いた。
父にはたくさんの娘がいるのに、なぜ一番年長の私が選ばれたのか……
第一王女だからなんてのは建前だ。

私の母は元々身分が低く、知能も五歳児ほどしかない。昔は国々を転々と旅する一座の踊り子をしていた。
その旅の途中、まだ若かった父の戯《たわむ》れで産まれたのが私だ。
母以外にも王妃はたくさんいるがみんな高貴な家柄の生まれだった。
だから第一王女なんて名ばかりで、母とともに庭にある別宅で使用人のような暮らしを強いられていた。
誰も私達親子に敬意を払うものはいない。

ずっと殺し合いをしてきた敵国の人間がどんな扱いを受けるかなんて容易に想像ができた。

でも私に、この話を断る権利などなかった……






もう二日間も馬車に揺られている。
もうすぐ着くらしいが、すっかり日は暮れて辺りは暗くなっていた。
窓に付けられたカーテンの隙間に目をやると、厚い雲に覆われた闇夜の下で真っ黒な地平線が横たわっているのが見えた。
あれが海というものなのだろうか……今から向かう城は海沿いにあると聞いていた。
我が国の領土は大半が凍てついた乾いた大地で、太陽の光もあまり差すこともなく凍えるように寒かった。
南に位置するこの国は、緑が豊かで肌に触れる空気が人肌のように温かい。


「これを渡しておく。常に身に付けておけ。」


向かいの座席に座っていた侍従のジャンから、美しく細工が施された指輪を受け取った。
アームにある突起を二回押せば石座の部分から針が出て、毒物が噴射される仕組みなのだという……

「針を首筋に刺すか、口にするものに注入させろ。決行日については追って連絡する。」
「…………はい。」

父であるダダ皇帝は天下統一を目論み、多くの国を力でねじ伏せて傘下に収めてきた。
しかしこのルアンダー王国からの十年にも及ぶ激しい抵抗に合い、一向に決着のつかぬ戦いに痺れを切らして今回の運びとなった。

そう……花嫁である私に与えられた真の役目は、ルアンダー王国の王を殺害するために送られた暗殺者なのだった。

人を殺すだなんて考えただけでもゾッとする。
でもこれを成功させなければまた激しい戦争が始まり、たくさんの罪のない人々の命が失われてしまう……
それに……私達親子のことを虫けらのようにしか思っていないあの父を見返すチャンスだと思った。


「先ずは花嫁としての役目をつつがなく行え。失敗なきよう、心してかかれよ。」


相変わらず感情のない冷淡な声だ。
私と母の世話は主にこのジャンが担当していた。
世話になった恩なんてない。必要最低限のことしかしてくれなかったからだ。
ジャンはいつも顔を布で覆っていて笑うこともなく、ただ氷のような無機質な目で私達を見ていた。
ある時どうしても布が気になって理由をしつこく尋ねたら、醜いアザがあるとだけ、ぶっきらぼうに返ってきた。

城の大手門を通過すると私だけ下ろされた。
ジャンはさよならの挨拶もなしに、馬車とともに跳ね橋を渡り帰っていった。


とうとう一度も素顔を見ることはなかったか。
別に……全然興味なんてないけど。













案内役の執事に連れられて城の中に入ると、その美しさに驚愕した。
漆喰の壁には豪華なタペストリーが飾られ、アーチ型の窓には鮮やかな色ガラスで花や蝶などの絵が繊細に描かれていた。
すごく素敵……戦争のためだけに建てられた要塞のような我が国の城とは大違いだ。
キョロキョロしながら長い廊下を歩いていくと、眩しく開けた広間に着いた。
まずは王族との顔合わせだ。



「ミリアム王女じゃな。遠路遥々よう来られた。おもてをあげい。」



中央の玉座には豊かな黒髭を蓄えた褐色の肌の人物が座っていた。
ルアンダー王国の君主、スティルス陛下だ。

熊のように大きい……
こんな大男を少量の毒だけで本当に殺せるのだろうか……?

南の地域に住む人々は温暖な気候のせいか体がすくすくと成長する。
帝国を築き上げた父よりも格段に戦力の劣るこの国が、対等に戦い抜けたのもこの身体能力の高さゆえだろう。
我が国の男どもが全員ひ弱に見える……
あの百戦錬磨だった父が正攻法では適わぬと追い詰められるわけだ。

スティルス陛下は無益な争いを好まず、常に自国民の幸せを願う德の高い人物だ。
今回の突然の和睦《わぼく》や縁談話も、戦争に疲れ果てた兵士や国民のことを第一に考えて承諾したのだろう。
そしてその横に座る王妃、シール殿下も、誰からも愛される聖母のようなお人柄なのだという……

国民や傘下の国から税を絞りとって貧しい暮らしを強要し、自分達は贅沢三昧の暮らしを謳歌《おうか》している我が国の特権階級達とはえらい違いだ。



私を一目見たスティルス陛下は、ほぅと感嘆のため息を漏らした。

私の母は様々な異国の血が混じりあったせいか誰もが認める絶世の美女で、私もその美貌を受け継いでいた。
そして髪色も、ホワイトブロンドの母と赤毛の父の遺伝子が合わさり、ストロベリーブロンドというとても珍しい色をしていた。

「噂にたがわぬ綺麗な娘じゃ。」
「本当に…宝石のようだわ。」

そう言うと両陛下は柔らかな微笑みを私に向けてくれた。
意外だった。もっと冷たくされるものだと思っていた。
こんな風に優しくされたら決心が揺らいでしまう……



「気に食わない。」



玉座の脇に座っていた少年が、殺伐とした空気をまといながら吐き捨てるように言った。
その少年こそ私が結婚する相手、この国の若き王子、レオナルティス殿下だった。

艶やかな黒髪に父親譲りの健康的な小麦色の肌。
背丈はまだ私と同じくらいだが、細いながらも鍛えあげた無駄のない筋肉がバランスよくついていた。
まだ15歳なので幼さが残るものの、端正な甘い顔立ちに翡翠色の神秘的な瞳……このまま成長すればさぞかし女性からモテるだろう。


「こんなやり方は俺の性には合わない。仲良しこよしの真似事なんてごめんだ。」
「レオ。これはもう決まったことだ。」

「二度と我が領土に入り込まないように、真っ向勝負で叩きのめすべきだ!」
「明日から式典の準備に取り掛かれ。これは命令だ。」


有無を言わさぬスティルス陛下の態度に、レオは納得がいかないとばかりに足音を立てながら立ち去っていった。


「ごめんなさいね。レオはちょっと、気難しい子で……」

呆然とする私にシール殿下が優しく声をかけてくれた。
つい先日まで戦争をしていた相手の、しかも自分より六つも年上の女が花嫁として突如現れたのだ。
怒りたくもなるだろう……気持ちはわかる。





───────……でもどうしよう。

先ずは花嫁としての役目を全うしなければならないのに……



結婚相手が全然乗り気じゃない。




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