お隣さんは陰陽師

タニマリ

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遺した思い

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誰かが私の頬っぺたを舐めている。

ザラザラとしたこの感触は猫の舌だ。
朝っぱらから構って欲しくて布団に潜り込んで来たんだな。もう、ニャ太郎ったら甘えん坊さんなんだから。

私もモフモフのお腹の匂いを嗅ごうと手を伸ばしたら、そこにニャ太郎は居なかった。



「駄目だよ、つむぎちゃん……まだこっちに来ちゃ……」



フワッと体が軽くなり、ゆっくりと下へ降りていく感覚がした。









目を開けると天井板の美しい木目が飛び込んできた。
ぼんやりとした頭で辺りを見回すと、百畳はあろうかというだだっ広い和室に敷かれた布団の上で寝かされていた。
懐かしい……真人まひとと初めて会った時もこうやって目覚めたんだっけ。

て、あれっ……私、なんで?


「そうだ!海坊主はっ?!」


ガバッと布団から起き上がると真人と目が合った。
もう一度海坊主がどうなったかと尋ねたらギロリと睨まれた。

「おまえが横からしゃしゃり出てきてミンチにしたんだろうが!!修行も無しに呪符を使いやがって……それがどれほど危険なことか分かってんのか?!」

耳がキンてなるくらい思いっきり怒鳴られた。
確かに私の手助けなんて不要だったのだろうけれど、そんなに怒られるようなことをしたのだろうか?
落ちてた呪符を使ったらたまたま上手くいっただけなのに……
縁側に座っていたはくがまあまあと真人をなだめた。

「術というのは使用する霊力の量で強さが増すんだけれど、気をつけなきゃいけないのは霊力と生命力ってのは直結してるってことなのさ。」

私がきょとんとしながら珀の説明を聞いていると、真人が苛立った様子で付け加えてきた。


「つまり、死ぬとこだったってことだ!馬鹿が!!」


────────へっ?そうなの?!
そういえば夢でニャ太郎に会った気がする。あれってあの世にきかけてたってこと?!

「だから馬鹿は痛い目見るだけだって言っただろ!!マジで馬鹿だな?!このクソ馬鹿が!!」

ちょっと馬鹿って言い過ぎじゃない?
本当は心配で堪らなかったんだよと珀が優しくフォローしてくれた。
真人がふんっと不機嫌そうに湯呑みを手渡してきた。
入っていたのは真人お手製の薬膳茶やくぜんちゃらしく、霊力増強に効くとのことでありがたく頂いたのだが……死ぬほど苦い。
これはこういう味なのだろうか。それとも前みたいな嫌がらせなのだろうか……?
怖くて聞けない……


「てことで紬ちゃんも無事に目を覚ましたことだし、君もそろそろ怒りをしずめてくれないかい?」

珀が声をかけた部屋の奥を見ると、尻尾と耳を生やした母が般若の形相で鎮座ちんざしていた。
殺気が……半端ない。

「二人に託すと言ったのは私だし、海坊主から助けてくれたことには心から感謝する。」
けど、と母は氷つくような眼差しを向けた。


「今度紬に危険なことをさせたら、殺すから。」


私が勝手に危険なことをしでかしただけなのにっ……!
真人は納得いかなさそうにチッと舌打ちをしてそっぽを向いた。
珀は了解とだけ答えるとにっこり微笑んだ。



「真人!真人はどこだ?!」


屋敷の中央に位置する主殿から騒がしい声が聞こえてきた。真人の父親が鎌倉の別邸から使用人を引き連れて戻ってきたようだ。
恐らく庭の惨状を見てしまったのだろう……何事かと大声で真人を探し回っている。
名前を呼ばれた真人は心配になるくらい顔が真っ青になっていた。

「私はおいとまするわ。紬のことよろしくね。」

じゃあと母は巻き込まれるのを避けるために疾風のごとく去っていった。
私もと追いかけようとしたのだが、ふすまがスパーンと勢いよく開いて真人の父親が登場した。眼力鋭い目が怖いったらない。
この人には珀の姿が見えていないので、今部屋には自分の息子と隣に住んでるアバズレ娘が二人っきりの状態ということになる。
要らぬ誤解を与えてはいけないと思い、慌てて布団から転がり出て真人とは離れた位置に正座をした。
しばしの沈黙が三人の間に流れた。
縁側で他人事のように煙管きせるをふかしながら高みの見物を決め込む珀が恨めしいと思った。
真人の額に貼られたガーゼに気づいた父親は、ハッとした表情を浮かべた。

「真人……怪我をしているのか?」
「いえっ、大したことはないです。」

見せてみなさいと父親に言い寄られて真人は動揺した。出来れば怪我のことは隠し通したかったようだ。
真人は父親から逃れるように後ろに下がると、畳に頭を擦り付けるくらいの土下座をした。

「私のくだらないことで大切な庭をこのようにしてしまい、申し訳ありませんでした!」

一切の言い訳をせずにいさぎよく謝る真人の姿に魅入ってしまった。
そもそもの原因は私なのに……
真人がしていることはくだらないことなんかじゃない。でもそれを上手く伝える言葉がなにも思いつかなかった……
真人の父親は拳を強く握りしめるとわなわなと震え出した。


「この馬鹿もんが!!」


そう一喝すると真人に向かって突進した。
真人が殴られると思い息を呑んだのだが、父親は両手で土下座をする真人の肩を掴むと上を向かせた。


「私がくだらないと言ったのは、命より尊いものは無いという意味だ!」


そしてそのまま……
真人を強く、抱きしめたのだった。




「……無事で、良かった。」




真人はなにが起きているのか分からないのか呆然としていた。
でもすぐに理解した。
怒っていたんじゃない……父はずっと、自分のことを心配してくれていたのだと。
華夜子かよこさんは病弱な体で無理をしながら陰陽師の役目をまっとうした。真人も母親と同じことをしていると確信し、気が気でなかったのだろう……

瞳をにじませた真人は父の胸に顔を埋めた。

「ごめんなさい父さん……僕は……」
「謝る必要はない。生きていてくれたらそれでいい。それでいいんだ。」

抱きしめられながら肩を震わせる真人に私も涙が止まらなかった。
父親からの深い愛情に、真人が抱えていた心のしこりが全部洗い流されていっているのが分かった。

そんな二人を抱きしめるもうひとつの白い影が見えた。
一瞬だけしか見えなかったけれど、真人にとても良く似た綺麗な女の人が微笑んでいた。
あれって……華夜子さん?
でも、華夜子さんは─────────

見間違えだったのかと縁側の方に目を向けると、珀も驚いた表情をしたまま固まっていた。
やはりあれは華夜子さんだったんだ……


「全てが無になっても、人の思いとはのこるものなんだねえ。」


珀は感慨深げにそう言うと、煙管の煙をふうっと空へと吐き出した。



華夜子さんが残した心残りはきっと……
晴れ晴れと、消えていったことだろう───────





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