お隣さんは陰陽師

タニマリ

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夏だ、海だ!

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───────妖魔が私を狙っている。

知った時はこれからどうなるんだろうと不安にもなったけれど……


つむぎー!夏休みだからっていつまでも寝てないで、宿題もちゃんとやりなさいよーっ。」

は~いと返事をすると母は仕事へと出かけていった。
布団からムクリと起き上がり大きく伸びをした。
別にあれからなにか起こったということはなく、今日もいつも通りの朝を迎えた。
平和すぎてこないだのことは全部私の妄想だったんじゃないかと疑ってしまうほどだ。

それに今は妖魔のことより大変なことがある……
私は昨日の夜中まで奮闘していた勉強机に目を向け、長いため息をついた。
夏休みの宿題がわけわからなさすぎる……休みの間に終わるのだろうか。

これは後から聞いた話なのだが、私があの進学校にすんなりと編入できたのは妖狐ようこである母が妖術を使って細工をしたかららしい。
本来ならば私ごときの学力では高望みな高校だったのだ。

というのも母は陰陽師である真人まひとと私をなるべく自然な形で近づかせたいと思っていた。
引越しの日にニャ太郎が真人の屋敷の庭に入り込んだのも母による指示だったのだ。
そして風呂場にいた私に猫の真人を持ってきたのも、裸の付き合いをすればより親密になるだろうとの母なりの思惑があったようだ。
裸についてはやりすぎだとしか言いようがない……


パラパラと古典の問題集を開いてみた。
古典文法の動詞の活用とか見てるだけで頭が痛くなってくる。“もぞ”ってなによ?

「あっそうか。はくに教わればいいんだ。」

古語は平安時代の言葉なんだから珀にとっちゃ“いとたやすし”だろう。
いそいそと鞄に宿題を詰め込んで珀の元へと急いだ。






「おおこれはこれは姫ではござらぬか。」
「ささ、こちらへどうぞ座るが良い。」
「姫が来るとそれだけで場が華やぎますなあ。」

いつもの縁側へと行くと、落ち武者達が珀と一緒に酒盛りをしていた。
最初の頃は私のことをからかっては笑いの種にしてくるのですごく苦手だったのだけれど……

矢頭やがしらさん、目無めなしさん、蔵出くらでさん、おはようございます。」

矢が頭に刺さっているのが矢頭さん、目玉が無いのが目無さん、内蔵が飛び出ているのが蔵出さんだ。
名前が無いのが不便だったので適当に名前を付けてあげたら思いのほか気に入ってくれて、それ以来友好的な関係を築いている。
姫と持ち上げられるのは若干恥ずかしかったりするのだけれど仕方がない。

真人まひとは……あれってなにしてるんですか?」

庭の奥にある開けた場所で、真人が手に持った呪符じゅふを投げる動作を何度も繰り返していた。
数枚の呪符を散らすようにして投げている……
珀は盃の酒をクイッと飲み干すと、満足気に微笑んだ。

「あれはしばりの術の修行をしているのさ。」

縛りの術とは真人がいつもしている術で、五枚の呪符を五芒星ごぼうせいの形に地面に置き、浮かび上がらせた文字で相手を縛って身動きを取れなくさせる方術だ。
その術の本来のやり方は地面に置くのではなく、水平方向に呪符を投げて空中で五芒星の形にするんだそうな。
その方が縛るスピードも威力も格段に増すとのことなのだが、とても難易度が高そうだ。

「真人がああやって術を磨こうとするのも久方ぶりだ。これも紬ちゃんのおかげさ。有難とね。」

珀から頭を下げられとんでもないですと頭を下げ返した。妖魔から守ってもらっている私の方が感謝する側だ。
珀から勉強を教わろうと思って来たのだけれど……
真人が汗だくになって頑張っている姿を見て、前から考えていたことを口にしてみた。


「あのっ……私も修行したら陰陽師になれますか?」


勢いよく酒を飲んでいた落ち武者達の動きがピタリと止まった。
珀も少し目を見開いたものの、すぐに優しげに微笑んだ。

「紬ちゃんの中には妖狐から受け取った膨大な霊力が眠っているからね。素質は十分あると思うよ。」

じゃあ今から弟子入りをと前のめりでお願いしようとしたら……


「なに言ってんだ。そんなもん無理に決まってんだろ。」


話が聞こえていたのか真人が間に入ってきた。
なんだか少し怒っているような口ぶりだ。

「でも珀は素質はあるって言ってるよ?」
「おまえみたいな不器用なヤツが簡単に言うな。馬鹿は痛い目みるだけだから大人しくしてろ。」

相変わらず口が悪い。心配なんだよと珀がフォローを入れてきたけど納得がいかない。
守られてばかりだと申し訳ないから自分でも戦えるようになりたいと思ったのに、なにが問題なのだろうか?
ぶうたれていると鞄の中に入れていたスマホが鳴った。見るとクラスメイトからのとある催促のメールだった。
ちょうど真人が目の前にいるし、声をかけてみようか……

「真人さあ、次の土曜日なにか予定ある?良かったらクラスメイトらと海に行かない?」
「行かない。」

即答で断られてしまった。やっぱそうだよね~……
みんなからお隣さんのよしみでなんとか連れて来てくれと頼まれていたのだけれど、ご期待に添えず申し訳ない……

真人は今までもこの手の誘いには一切参加しなかったらしい。
だからといって学校でも付き合いが悪く孤立しているというわけではない。
むしろ生徒会長や剣道部の部長もしていてみんなからは慕われているし、教室でも真人の周りには自然と人が集まっていて賑やかだ。
きっと真人の中では学校とそれ以外との区別が明確に分かれているのだろう。
多分それは、陰陽師という裏稼業をしていることが深く関係しているのだと思う……

「紬ちゃんはその集まりには行くのかい?」
「はい!私、海で泳ぐの初めてなんです!」
それは楽しみだねえと珀はしみじみと喜んでくれた。そして真人に向き直ると少し強い口調で説いた。

「だったら真人も参加しないと。お盆の海がどれだけ危険か、真人には分かるよね?」


珀が言うにはお盆の期間はちょうど、閻魔えんま齊日さいじつといわれる閻魔様の休日と重なっているのだそうな。
その休日には地獄の釜の蓋が開き、あの世から霊が集まってきやすいと考えられている。
この時期にはご先祖様の霊も戻るとされており、この世にいる人々は迎え火を炊いたり夏祭りや盆踊りをして共にいられるひとときを楽しむのだ。
水辺はあの世とこの世の通り道とされており、霊が足を引っ張ることもあるのだとか……
だからお盆の時期には川や海を避けるようにと昔から言われているのだという。


「これをお供に連れてってくれるかい?」

珀はそう言うと懐から人の形に切った紙を取り出した。
それに息を吹きかけてから庭へと投げると、紙が小さな黒い物体に変化して地面にポテッと落ちた。
モチモチとした丸い身体に白い着物と白いお面……額には赤い御札を張り付けて、こちらの様子を伺うように首を傾げた。

────────か、可愛い!!

「なんですかあのモチみたいな子?!」
「式神だよ。気に入ってくれたようで良かった。」

式神とは陰陽師の命令で自在に動く霊的存在のことをいう。
式札しきさつという和紙で出来た人型の札に陰陽師が術をかけると、異形の物や鳥獣などのさまざまな形に変化させることが出来るのだ。

式神はポテポテと私の前までやって来ると、ブニッとジャンプして私の肩に止まった。

「出来ることはあの三毛猫と同じで霊を追い払うくらいだけどね。あとは真人に守って貰えばいい。」
「ちょっと待て。俺はまだ参加するとは一言も言ってな……」
珀は真人の言葉を遮るようにパンと両手を打ち鳴らした。


「まさか初めての海を楽しみにしている紬ちゃんに行くなとは、言わないよねえ?」


顔は笑っているのに圧が強い……
落ち武者達からも漢気おとこぎを見せなされとはやし立てられ、真人も観念するしかなかった。



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