上 下
4 / 45

4エミリア、授業をサボる

しおりを挟む

 ルーカス・ウォーデンが屋敷に来てから1か月ほどが経った。
 広い屋敷の中であたしとルーカスが顔を合わせる機会は少なかったが噂を耳にする事はあったわね。

 公爵家は庭も広大だ。その東側に位置する小さなガゼボ。美しい灌木に囲まれた、あまり人が来ないこの場所で静かに一人、本を読むのがあたしは大好きなの。今日もナッツが沢山入ったクッキーを持てるだけ握りしめ、小脇に本を抱えてやって来た。

 ガゼボからよく見える位置にバードバスがある。その近くに椅子を運んで行き、上にクッキーを砕いてばら撒いた。

「よいしょっと! はあ、ここの椅子はもっと軽い物にしておけって言わないとだわ。毎回運び出すのが大変だもの」

 静かに本を読んでいるとナッツを目当てに小鳥達がやって来た。動物はいいわ、あたしをイライラさせたりしないし、余計な事も言わない。見ているだけで癒される。

 この鳥たちは純粋な食欲からここに集まってくるだけ。でもその中に1羽だけ利口な子がいる。今日もナッツが無くなるとガゼボの手すりまで飛んできて「ピ~ッ」と鳴くのだ。

「まだ欲しいの? ごめんね、もう無いの。それともありがとうって言ってるの?」

 だが近くでガサッと草木がこすれる物音がして鳥は飛び立ってしまった。人の話し声が近付いて来る。

「・・それでね、今日は銀食器の磨き方を教えたのよ」
「えっ? 磨き方を知らないの?」

「そうなのよ! 執事をやろうって人がそんな事も知らないのよ。呆れちゃうわよね」
「あの年でまだ見習いですものねえ・・もしかして物凄く呑み込みが悪いとか」

「60過ぎてるんだっけ。あっでもね、呑み込みは早いわ。大抵の事は一度言えば出来るようになるし、器用というか・・凝った装飾のある燭台も綺麗に磨けてたわ」

 あたしはチビなの。7歳にしては小柄なのよ。だからガゼボの椅子に座るとすっかり隠れてしまう。メイドの二人は私がガゼボに居る事に気づかず、ぺらぺらとしゃべり続けている。

「でもあの顔の傷は凄いわよね。随分古い傷だって言ってたけど」
「私、それについても誰かから聞いたわ! なんでも以前勤めていたお屋敷のお嬢様に手を出して、ご主人様に切りつけられたんだとか。死にかけたらしいわよ、その時」

「えええっ、あの年で?」
「バカね、昔よ。若い頃の話だってば」

「ここにもお嬢様がいるじゃない。大丈夫かしら?」
「あんなチビの狂犬がどうなったって関係ないわ。この間だってブラシに髪が絡まったってだけでバレリーの手を血が出る程噛みついたのよ」

 はっ! 言ってくれるじゃないの! 私は突然ガゼボから顔を出した。「良く聞こえなかったわ。チビがどうとか・・もっと大きな声で言ってちょうだい」

 私を見たメイド二人は凍り付いたようにその場に立ち尽くした。

「あ、あの。いえ、これは・・」

「なぁ~にぃ~、聞こえなぁ~い」耳に手をあて、大袈裟に聞く。

「申し訳ありません。どうか・・ご勘弁ください」

 メイドの片方はオロオロして、片方は半泣きで謝っていた。ふん、さっきまでの勢いはどこへ行ったのかしら? さてこの二人、どうしてやろうかと思っているとアンがあたしを探しに現れた。

「またこんな所に。先ほどから外国語の先生がお待ちです、参りますよ」

 アンはちらりと横目でメイド達を見た。まさに絶好のタイミングでやって来たアン。きっと彼女たちの目にはアンが救世主に映ったことでしょうね。

「今度は何があったのです」
「何もないわ」

 知らん顔するあたしにアンは質問をやめて、ガゼボから連れ出そうとあたしの手を握った。

「あっ」握った手をアンはパッと離した。
「へへ」

「なんですか、そのべたべたした手は?!」
「クッキーを持ってたからよ」
「素手でクッキーを持ち出すなんて、レディのする事ではありません!」

 今度はあたしの手首を掴んでアンは歩き出した。長身で足の長いアンに引きずられるようにして、あたしは屋敷に戻って来た。勉強部屋に行く前にあたしはまず手を洗わせられた。その時ふといい事を思いついたの!

「今日は外国語はお休みにするわ!」
「えっ」

「いやぁねえ、アンったら耳が遠くなったんじゃないの? 外国語はやめてあたし、買い物に出掛けるわ!」
「先生がずっとお待ちなのですよ!」
「じゃあ断って来るわ」

 走って勉強部屋に着くと勢いよくドアを押し開けた。
 外国語の教師は大袈裟な口髭を蓄えた気取った中年の小男だ。今も小指を立てた気持ち悪い手つきでカップを持ちお茶をすすっている。

「今日は授業はお休みよ。じゃあね」

 ドアを閉めず振り返りもせずに、あたしはまた走り出した。後ろから「私はもう1時間近くも待っていたのですぞ!」と喚き散らす声が聞こえて来た。

 自室に戻っるとアンが待ち構えていた。

「アン、着替えを手伝ってちょうだい!」
「勝手に授業をお休みして、奥様に叱られますよ」
「あの先生ならすぐ告げ口しそうだものね」

 アンは同意しなかったが否定もしなかった。

「着替えてどこへ行かれるのです?」
「急な買い物を思いついたのよ」

「お買い物でしたら帽子を被らないといけません、今日はお日様がきついですから・・」
「何でもいいから早くして!」

 帽子のリボンもきちんと結ばないまま部屋を出ようとすると「護衛騎士を呼ぶまでお待ちください!」とアンに両肩を掴まれた。と、廊下を歩いて来るルーカスがアンの目に留まったみたい。

「ちょっとあなた、ウォーデンさんね。お嬢様が買い物に行かれます。護衛騎士を二人呼んできて下さい。それと馬車の用意を」

 そうしてルーカスが連れてきたのは、まだ公爵家騎士団に入団したばかりの若者が1人だけだった。

「今日は彼以外みな出払っているか、この後に仕事が入っているそうです」
「困ったわね・・」

 あたしは急いでいるんだってば! たかが買い物くらいで護衛騎士なんて必要ないのに! このままじゃアンは絶対に外へ出してくれない。あたしは部屋を出て行こうとしているルーカスに言った。

「ウォーデン。あんたも付いてきなさい。これで二人になったからいいでしょう? アン」

 アンは渋々了承した。

 護衛騎士は馬で後ろから馬車に付いて来て、ルーカスは一緒に馬車に乗った。

「今日のお買い物は何ですか?」

 ルーカスはまたニコニコしながら聞いて来た。こうして正面から見ると確かに頬の傷が凄いわね。何で切り付けられたのかしら? 短剣? それとも騎士が持ってるようなソード?

「その傷、凄いわね。まだ痛むの?」
「古い傷ですからもう痛むことはありません。この様な醜い傷ですが、名誉の負傷ですから」

 名誉の負傷? 自分が働いている屋敷の令嬢に手を出して切られた傷が名誉の負傷ですって? どうかしてるわ。(手を出すってどういう事か分からないけど、良くない事よね)

 もしかして、この執事見習いは本当にどうかしてるのかもしれない。いつもニコニコ笑っているのは、心中で悪だくみをしているせいかも。あたしは背中がぞわぞわしてきた。ルーカスを連れてきたのは間違いだったかしら・・。 ぶるっと身震いした後、思わずルーカスの正面を避け、窓際に移動しながら外を見た。

 しばらく走ると目的の店が見えてきた。王宮に近いこの街には大きな市場が幾つもあり、メインの大通りには高級ブティックや贅沢品を扱った店が沢山軒を連ねている。

 今回の店は以前、お母様と一緒に来たことがある店よ。だが店の前に降り立ったあたしは激怒した。 

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断罪後の気楽な隠居生活をぶち壊したのは誰です!〜ここが乙女ゲームの世界だったなんて聞いていない〜

白雲八鈴
恋愛
全ては勘違いから始まった。  私はこの国の王子の一人であるラートウィンクルム殿下の婚約者だった。だけどこれは政略的な婚約。私を大人たちが良いように使おうとして『白銀の聖女』なんて通り名まで与えられた。  けれど、所詮偽物。本物が現れた時に私は気付かされた。あれ?もしかしてこの世界は乙女ゲームの世界なのでは?  関わり合う事を避け、婚約者の王子様から「貴様との婚約は破棄だ!」というお言葉をいただきました。  竜の谷に追放された私が血だらけの鎧を拾い。未だに乙女ゲームの世界から抜け出せていないのではと内心モヤモヤと思いながら過ごして行くことから始まる物語。 『私の居場所を奪った聖女様、貴女は何がしたいの?国を滅ぼしたい?』 ❋王都スタンピード編完結。次回投稿までかなりの時間が開くため、一旦閉じます。完結表記ですが、王都編が完結したと捉えてもらえればありがたいです。 *乙女ゲーム要素は少ないです。どちらかと言うとファンタジー要素の方が強いです。 *表現が不適切なところがあるかもしれませんが、その事に対して推奨しているわけではありません。物語としての表現です。不快であればそのまま閉じてください。 *いつもどおり程々に誤字脱字はあると思います。確認はしておりますが、どうしても漏れてしまっています。 *他のサイトでは別のタイトル名で投稿しております。小説家になろう様では異世界恋愛部門で日間8位となる評価をいただきました。

男に間違えられる私は女嫌いの冷徹若社長に溺愛される

山口三
恋愛
「俺と結婚してほしい」  出会ってまだ何時間も経っていない相手から沙耶(さや)は告白された・・・のでは無く契約結婚の提案だった。旅先で危ない所を助けられた沙耶は契約結婚を申し出られたのだ。相手は五瀬馨(いつせかおる)彼は国内でも有数の巨大企業、五瀬グループの若き社長だった。沙耶は自分の夢を追いかける資金を得る為、養女として窮屈な暮らしを強いられている今の家から脱出する為にもこの提案を受ける事にする。  冷酷で女嫌いの社長とお人好しの沙耶。二人の契約結婚の行方は?  

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

きみは運命の人

佐倉 蘭
恋愛
青山 智史は上司で従兄でもある魚住 和哉から奇妙なサイト【あなたの運命の人に逢わせてあげます】を紹介される。 和哉はこのサイトのお陰で、再会できた初恋の相手と結婚に漕ぎ着けたと言う。 あまりにも怪しすぎて、にわかには信じられない。 「和哉さん、幸せすぎて頭沸いてます?」 そう言う智史に、和哉が言った。 「うっせえよ。……智史、おまえもやってみな?」 ※「偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎」のExtra Story【番外編】です。また、「あなたの運命の人に逢わせてあげます」「お見合いだけど、恋することからはじめよう」のネタバレも含みます。 ※「きみは運命の人」の後は特別編「しあわせな朝【Bonus Track】」へと続きます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...