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第7章
六 阿倍野芽依の秘密
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六
いつの間にか、時刻は午前一時を過ぎていた。
夜カフェとはいえ、金木犀は午前一時も過ぎれば客足は減る。それは、これまで通った中でわかってきたことであった。
「心療内科系の治療は時間がかかるそうなんです。私も通い始めて1年半なんですが、いまだに発作は治らず断薬まではもう少しかかるそうです」
「そうか。大変なんだな」
「そういえば、お聞きしたかったんですけど、いつだったか鞍馬さんがお店に来た時、天童さん、カードみたいなものを渡してましたよね? あれは何だったんですか?」
「お前。やっぱりスパイなのか?」
「ここまできて、まだそれを言いますか?」
「あやかしだけが読めるカード、って言えばわかるか? 俺の名刺みたいなもの」
「名刺、ですか?」
そういうと、天童はポケットからカードを取り出し、芽依の前に置いた。
だがそこには何も書かれていなかった。
「何も書いてありませんけど」
「ああ。けどあやかしは読めるんだ。よかったな、これが白紙に見えて」
そういい、天童はカードをしまった。
「田野前も言ってたけど、人間界で禊を行うあやかしの中には、うまくやれずに自死するやつも結構いるんだ」
「自……死?」
「俺は輪廻転生回数が多い。だから俺は、やっていけなくなったあやかしの話を聞いてやるっていう禊も課せられた」
「それって、禊を追加されたってことですか? いったい誰に……」
「地獄関係者ってとこかな」
「地獄関係者……。じゃあ、その行いは、いわゆる徳を積む……みたいなものですか?」
「徳を積むか。悪くない響きだな」
天童はしっくり来たようで気を良くしている。
「俺はまだあと何百年と禊が続く。実に割に合わない。いずれ、この禊制度を滅ぼしてやろうと考えているが、まずは典型的な優等生であることが重要だ」
「天童さんって、意外にしたたか?」
「あやかしがしたたかで何が悪い。だが今回ばかりはやらかした。俺たちの生きる世界を人間にバらしたのはお前が初めてだ。どう隠蔽するかもいい案が浮かばない」
「隠蔽……? 隠すつもりなんですか?」
考え方がまっとうでない。やはり、彼はあやかしだ。
「ったく、お前のせいだぞ。紛らわしい態度とりやがって」
「私のせいですか?」
「まさかお前、巫女とかじゃねえよな」
「や……やめてください! なんで私が!」
実際、その通りだった。
「どうして、巫女だなんて思ったんですか?」
「敵に値するからに決まってるだろ。そんなことも知らないのか?」
(知るわけがない!)
だが、芽依の実家は代々神職につく家柄であり、芽依はその家の長女であった。つまり芽依は巫女になることも可能であった。
兄弟がいないため、ゆくゆく婿を取れとさえいわれている厳格な家だ。芽依はそれが嫌でたまらず、家族に反対されたまま上京した。
(それこそ、この人たちにうちの実家が神社だってばれたら、どうなっちゃうんだろう……私)
「まあ、お前みたいに神に見放された巫女もいねえか」
天童は時々図星をついてくので油断ならない。彼は本当に大あやかしなのだろう。
だが芽依は、うまくごまかせたことにほっとしていた。
顔にも気持ちが出ていなかったようで、よくやった自分を褒めたかった。
なぜなら芽依はまだ、彼らには言えない大きな秘密を隠していたからだ。
それは、芽依の家に代々伝わる儀式のことだ。
芽依は、一生のうちに、あやかしを退治せねばならず、代々阿倍野家に伝わる命だと教え込まれて育ったということだ。
そして芽依が初潮を迎えた時、芽依は祖母に呼ばれ、大事な話を聞かされた。
——あやかしは未だこの世に生きている。あやかし退治は、古より阿倍野家が天主様より与えられた命である。芽依は女子だが心しておくようにと説明され、身代わりの鈴を渡された。
その日から、芽依は祖母に近くことをやめた。
それどころか、ますます家に居ることが嫌になった。
学校であやかし娘というあだ名をつけられていじめられてきたことを、両親は知らない。
家出をしたい。何度もそう思ったが出来なかった。
それ以降、反抗期に突入した芽依は、家族とはほぼ口も聞かず、かといって非行に走ることもできず、ひとり部屋に引きこもる生活を送っていた。
もう遠い昔の話であるが、もしあの話が本当であるとするならば、芽依は生涯において、あやかしを退治せねばならないというのだろうか。
(私、知らず知らずのうちに、あやかしのこと考えてたのかな)
今回、天童に正体を明かされるまで忘れていた話である。なにせよ、この世にあやかしが生きているなどとは微塵も思わなかったのだから。
祖母から渡された鈴でさえ、どこにやったかも覚えていない。
たとえ話が真実だったとしても、絶対に実家には帰らないし、巫女にだってならない。
だが、芽依はあやかしと出会ってしまった。
けれど、彼らは普通の人間と変わらない。聞かされてきた話のようなおぞましささえ感じない。抱える悩みも同じであれば、誰かを思う心も持っている。彼らはきちんと罪を償うため人間界で禊を行なっているのだ。
そんな自分が、あやかしを退治するなどどうしてできるだろうか。
(……私は、信じないんだから)
芽依は飲みかけの金木犀ラテを見つめながらそう誓った。
店の扉が開いて、遅い時間ながら新規のお客さんが入ってきた。
先ほどまでの様子からは想像できないほど穏やかな口調で、天童はお客様を迎えている。
(表の顔は、本当にいい人なんだけどなあ)
カウンターで注文を受ける天童の姿をぼんやりと見つめながらそんなことを思う。
鴑羅も鞍馬も訪れなかったその夜、二人は親睦を深めていた。
いつの間にか、時刻は午前一時を過ぎていた。
夜カフェとはいえ、金木犀は午前一時も過ぎれば客足は減る。それは、これまで通った中でわかってきたことであった。
「心療内科系の治療は時間がかかるそうなんです。私も通い始めて1年半なんですが、いまだに発作は治らず断薬まではもう少しかかるそうです」
「そうか。大変なんだな」
「そういえば、お聞きしたかったんですけど、いつだったか鞍馬さんがお店に来た時、天童さん、カードみたいなものを渡してましたよね? あれは何だったんですか?」
「お前。やっぱりスパイなのか?」
「ここまできて、まだそれを言いますか?」
「あやかしだけが読めるカード、って言えばわかるか? 俺の名刺みたいなもの」
「名刺、ですか?」
そういうと、天童はポケットからカードを取り出し、芽依の前に置いた。
だがそこには何も書かれていなかった。
「何も書いてありませんけど」
「ああ。けどあやかしは読めるんだ。よかったな、これが白紙に見えて」
そういい、天童はカードをしまった。
「田野前も言ってたけど、人間界で禊を行うあやかしの中には、うまくやれずに自死するやつも結構いるんだ」
「自……死?」
「俺は輪廻転生回数が多い。だから俺は、やっていけなくなったあやかしの話を聞いてやるっていう禊も課せられた」
「それって、禊を追加されたってことですか? いったい誰に……」
「地獄関係者ってとこかな」
「地獄関係者……。じゃあ、その行いは、いわゆる徳を積む……みたいなものですか?」
「徳を積むか。悪くない響きだな」
天童はしっくり来たようで気を良くしている。
「俺はまだあと何百年と禊が続く。実に割に合わない。いずれ、この禊制度を滅ぼしてやろうと考えているが、まずは典型的な優等生であることが重要だ」
「天童さんって、意外にしたたか?」
「あやかしがしたたかで何が悪い。だが今回ばかりはやらかした。俺たちの生きる世界を人間にバらしたのはお前が初めてだ。どう隠蔽するかもいい案が浮かばない」
「隠蔽……? 隠すつもりなんですか?」
考え方がまっとうでない。やはり、彼はあやかしだ。
「ったく、お前のせいだぞ。紛らわしい態度とりやがって」
「私のせいですか?」
「まさかお前、巫女とかじゃねえよな」
「や……やめてください! なんで私が!」
実際、その通りだった。
「どうして、巫女だなんて思ったんですか?」
「敵に値するからに決まってるだろ。そんなことも知らないのか?」
(知るわけがない!)
だが、芽依の実家は代々神職につく家柄であり、芽依はその家の長女であった。つまり芽依は巫女になることも可能であった。
兄弟がいないため、ゆくゆく婿を取れとさえいわれている厳格な家だ。芽依はそれが嫌でたまらず、家族に反対されたまま上京した。
(それこそ、この人たちにうちの実家が神社だってばれたら、どうなっちゃうんだろう……私)
「まあ、お前みたいに神に見放された巫女もいねえか」
天童は時々図星をついてくので油断ならない。彼は本当に大あやかしなのだろう。
だが芽依は、うまくごまかせたことにほっとしていた。
顔にも気持ちが出ていなかったようで、よくやった自分を褒めたかった。
なぜなら芽依はまだ、彼らには言えない大きな秘密を隠していたからだ。
それは、芽依の家に代々伝わる儀式のことだ。
芽依は、一生のうちに、あやかしを退治せねばならず、代々阿倍野家に伝わる命だと教え込まれて育ったということだ。
そして芽依が初潮を迎えた時、芽依は祖母に呼ばれ、大事な話を聞かされた。
——あやかしは未だこの世に生きている。あやかし退治は、古より阿倍野家が天主様より与えられた命である。芽依は女子だが心しておくようにと説明され、身代わりの鈴を渡された。
その日から、芽依は祖母に近くことをやめた。
それどころか、ますます家に居ることが嫌になった。
学校であやかし娘というあだ名をつけられていじめられてきたことを、両親は知らない。
家出をしたい。何度もそう思ったが出来なかった。
それ以降、反抗期に突入した芽依は、家族とはほぼ口も聞かず、かといって非行に走ることもできず、ひとり部屋に引きこもる生活を送っていた。
もう遠い昔の話であるが、もしあの話が本当であるとするならば、芽依は生涯において、あやかしを退治せねばならないというのだろうか。
(私、知らず知らずのうちに、あやかしのこと考えてたのかな)
今回、天童に正体を明かされるまで忘れていた話である。なにせよ、この世にあやかしが生きているなどとは微塵も思わなかったのだから。
祖母から渡された鈴でさえ、どこにやったかも覚えていない。
たとえ話が真実だったとしても、絶対に実家には帰らないし、巫女にだってならない。
だが、芽依はあやかしと出会ってしまった。
けれど、彼らは普通の人間と変わらない。聞かされてきた話のようなおぞましささえ感じない。抱える悩みも同じであれば、誰かを思う心も持っている。彼らはきちんと罪を償うため人間界で禊を行なっているのだ。
そんな自分が、あやかしを退治するなどどうしてできるだろうか。
(……私は、信じないんだから)
芽依は飲みかけの金木犀ラテを見つめながらそう誓った。
店の扉が開いて、遅い時間ながら新規のお客さんが入ってきた。
先ほどまでの様子からは想像できないほど穏やかな口調で、天童はお客様を迎えている。
(表の顔は、本当にいい人なんだけどなあ)
カウンターで注文を受ける天童の姿をぼんやりと見つめながらそんなことを思う。
鴑羅も鞍馬も訪れなかったその夜、二人は親睦を深めていた。
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