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第6章
二 盗まれた企画書
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***
——それから、三週間が過ぎ去った。
夢破れた夢追い人のような心地に浸っている余裕はなく、芽依の就職活動は難航し、心は次第に疲弊し始めていた。
その日、芽依は久々に金木犀を訪れた。
すると、待っていたかのように天童が手招きしていた。
カウンターには鴑羅も鞍馬も居て、いつもと変わらない光景があった。
「おい、阿倍野芽依! これ見てみろよ!」
天童の芽依を呼ぶ声の調子に緊急性を感じる。
(何かあったのかな)
芽依はカウンターにつくや否や、置かれていた冊子を突き出された。
「読んでみろよ、これ」
それは東京ファンタジア〈新〉と書かれていた。
「えっ……?」
もう新しいものが刷られたのだろうか。
なんて仕事が早いのかと思ったのも束の間、芽依の目には【新連載・『夜カフェでOLたちは夢を見る』】というタイトルが飛び込んできた。
「なに……これ」
「お前、下ろされたんだったよな?」
天童がそっと確認をとるように尋ねた。
「あの……。これ、どこで?」
「街中どこでも手に入る。フリーペーパーだからな」
「出回ってるってことですか?」
「ああ。俺はさっき知ったばかりだが、あやかしの登場は消えているが、代わりに魔女が登場している。それ以上に夜カフェの設定が生きているんだよ!」
「まさか、そんなこと……」
芽依は持っていたバッグからパソコンを取り出す。
そしてパットを滑らせながら、代替で作った修正版の企画書ファイルを開いて天童に見せた。
「これは、私が改めて書き直した際の企画書です」
天童ら三人がパソコン画面に目を向けたのを確認すると、芽依はページをめくってとあるページを開いた。
「私は、修正案でこの設定を提案したんです」
「『昼間のカフェでおしゃべりをたのしむOLは実は魔女だった——』」
その企画書を見たあと、三人はフリーペーパーへ視線を移した。
「これって……、芽依さんの企画?」
「じゃあ、連中は君を切っておきながら企画書は拝借したということか?」
「拝借……?」
「まさか。お前もやられたのか?」
やられたとは、つまり、パクられたということだ。
(まさか。そんな……こと)
新連載のページには、監修として林田の名前と松井の名前が確認できた。
これを書いた人物の名前は掲載されていない。たしか、芽依が受け取ったメールには、社内で執筆をしていくことにしたという一文があった。つまりこれは、林田の社内で書かれたものだということだ。
「阿倍野さん……」
鞍馬が初めて芽依の名を読んだ。
「私の企画書を……、使ってる? え、それって……」
(ありえることなのか?)
すると、鞍馬が質問した。
「阿倍野さん。これって松井って人は関わってますか?」
「……え?」
「僕は、志摩ユウキと会った時、企画を進行するにあたって知り合いにプロデューサーに頼んでみると言われた。その時のプロデューサーが松井でした」
「まさか、やたらに太い黒縁の——」
「——メガネをかけていました」
芽依は鞍馬を見やった。
「おいおい、わかんねえよ。俺にもわかるように説明しろ、天」
「はい。松井は僕の企画書を見て、すぐに好印象をもってくれたんです。そして松井の会社が出資することになり、僕と志摩ユウキは商品の打ち合わせに取りかかることにしました、けど、松井はたびたび企画の変更を申し出てきたんです。でもその窓口はいつも志摩ユウキの方でした。僕は松井とは初対面でしたし、彼も志摩ユウキの方が話しやすかったんだと思います。けど、いつしか話は二人を中心に進むようになっていったんです。正直、僕はそういう業界ルールには疎過ぎて、何か決める時は志摩ユウキから相談があるだろうって思い込んでました。そして気づいたら、僕の出した案は志摩ユウキの名前で打ち出すことになっていたんです」
「そんな……」
「僕は言いました。そもそも、この企画書は僕が作ったものであって、レシピも僕のオリジナルが多い。レシピ協力やデザインなどはいくらでも協力するけど、その区別をはっきりしてもらいたいこと、それは譲れないと伝えました。けど、相手は一向に聞く耳を持たなかった。それで僕はこれ以上、一緒に企画を進めることはできないとおもい、プロジェクトから降りました」
「……それ、私と一緒……」
「そして、半年後。もうご存知のとおりです」
「阿倍野……」
芽依はスマホを取り出すと、そのまま店の外へ出た。
さすがに、これは想定外だった。
なぜなら林田とは何度も企画書をすり合わせをしてきたし、理解してくれていると思っていた。企画書はあくでも芽依の案であることを。
その林田が、こんなことをするなんて思いもしないことだ。
芽依は店の前に立つと林田に電話をかけた。
時間はもうすぐ日付が変わる時刻だが関係ない。とにかく林田の話が聞きたかった。
すると2コールほどで林田は電話に出た。
『……もしもし?』
こちらを警戒するような林田の声音。芽依は毅然とした気持ちで続けた。
「夜分遅くにすみません。林田さん、今少しよろしいですか」
『はい。まだ会社ですので』
「えっ。あ、そうでしたか……。あの、実はご確認したいことがありまして——」
『もしかして、東京ファンタジアのことですか?』
林田は、まるで、電話が来ることを予測していたかのような口調だった。
「えっと……。そうです」
すると、電話の向こうで林田がため息をついたような吐息が聞こえた。
だが芽依は、話を続けることにした。
「あの……、新しい東京ファンタジアを今日拝見させていただいたんですけど。あの、これって、私が代案で提出した企画と同じものですか?」
『いいえ。あれは芽依さんの企画ではありません』
「ですが、とても似ていて……」
『似てると言われても仕方ないかもしれません。ですが、今回の物語はショートストーリーの短編式であること。それを夜カフェをコンセプトに、社内会議で新たに企画したものを掲載したまでです』
「で、でも、登場人物の魔女のOLというのは。代案で出した企画書と同じではないでしょうか。それに夜カフェだって」
『パクリだとおっしゃいたいんですか?』
「そんなっ……。そうじゃなくて。でもそう思えてしまうんです」
『……確かに、芽依さんも魔女のOLは提案されてました。ですがこれはあくまでも社内で会議したうえで生まれたオリジナルのアイデアです。決して芽依さんの企画書を再利用したとかでもありません。そもそも、こういった設定の物語は他にもたくさんありますし、芽依さんの当初の企画も実際のお店から着想して物語を企画されたんですよね? 私たちはテーマ設定を変えた上、結果、この物語が生みだしただけです』
「じゃあ。あの、松井さんは。松井さんは代案の企画書にも目を通されたのでしょうか」
『ええ』
「それについては何かおっしゃっていましたか?」
『特には……。ただ企画書をブラッシュアップして新しく練り直すよう、言われただけです』
(ブラッシュアップ?)
芽依は何も言えなくなってしまった。
これはかなりグレーな展開である。
言っていることはわかるのだが、そうではないのだ。
今更ながら、芽依はなぜ自分が提出した企画書は他用しないで欲しいと言わなかったのかと後悔した。
だが、これ以上、自分の企画書に似ていると言い張ったところで、頭の中を見せるわけにいかないし、記憶に月日が刻まれているわけではない。
言った言わないとなればますます埒が明かない。
まさか、こんなことになるなんて。芽依は放心しかけながら、話を続けた。
「林田さん……。あの、そこに私の企画書は残ってはいないのでしょうか」
『すみません。これ以上は、内部情報になりますので、企画に関することはもう芽依さんにお話は出来ません。すみません』
「……そうですか」
『はい……』
林田との通話はそこで終わった。
(——終わった。マジで)
芽依はスマホを握り締めたまま、深く息を吐き出した。
もう二度と、林田に会うこともないだろう。
胸が苦しかった。なにか、もやもやとした煙が気道に詰まっているかのようで息苦しい。
これは発作ではない。単純に、様々な感情が胸の中で行き場を失い、混乱しているのだろう。
為す術のない自分を前に、芽依は脱力した。
(こんなことになるなんて……)
すると、店の扉がゆっくり開いて天童が顔を出した。
「大丈夫か?」
「……天童さん? あ……、お店の前で私、邪魔でしたよね」
「いや。そういうことじゃねえけど。……電話、出来たか?」
芽依は少し間を置いたのち、静かにうなずいた。
「……どうにもなりませんでした」
すると、天童は店の扉を開け、芽依を店の中へと誘った。
「まあ入れよ」
「……はい」
扉を開けて待つ天童の姿が、まるで両手を広げて自分を待ってくれているかのように見えて、芽依は少しドキドキとした。
カウンター席にいる、鴑羅と鞍馬も心配する様子で芽依を見つめていた。
芽依は鴑羅と鞍馬の間に座ると、天童がカウンターの中に入っていく。
「……どうだった?」
「社内会議で新たに企画したものであって、私の企画を使ったわけではないと……言われました」
「そんなのどうにでも言えるだろう」
鴑羅は天童の言葉に頷きながら、考えを話し始めた。
「いや、むしろ相手は自覚してるんだ。だから君の企画書と似ていることはどうしても否定したい。だがそれを証明する手段はない」
「それじゃあ天の時と同じ、やったもん勝ちじゃねえかよ!」
心臓がバクバクと変な鼓動を起こした。
幻聴は起きていない。なのに、まるで発作が起きたかのように、漠然とした恐ろしさが
芽依を襲った。
「すみません……、薬を飲ませてください」
そういうと、芽依はトートバッグの中からピルケースを取りだし、水が入っているペットボトルのフタを開けようと手にした時、横から水の入ったグラスが鞍馬より渡された。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
芽依はその水で薬を飲む。
ごくんと喉を鳴らして薬を胃に流し込む。するとどういうわけか涙が流れた。
悔しい。なんだろう、この気持ちは——。
「阿倍野さん……」
「ごめんなさい……、なんで」
三人が動揺しているのがわかった。
大好きなこの場所で、まさか醜態を晒すようなことになるとは。
恥ずかしい。そして悔しい。
私はいったい何をしているのだろう。
「泣くなよ、阿倍野芽依」
まるで叱られているような声音で天童が言った。
「だって、私……」
夜カフェだけじゃない。自分すらも守れなかったのだ。
情けない。悔しい。
何も言わずとも、天童は芽依を察するように言った。
「お前のせいじゃねえじゃん」
まさか、夜カフェをテーマにしたまま、企画が続行されていると想像もしなかった。
なんて馬鹿なのだろうか。
執筆の依頼を受けるにあたって、芽依は林田と業務委託契約、及び、秘密保持契約を結んだ。それによれば、芽依の制作物は林田側へ提出することにより、林田へ所有権が移ることとなる。著作の所有権は林田に渡るが、著作の人格権においてはいかなる場合も譲渡されない。芽依の著作物として、その人格権は芽依になるのだ。
だが企画書となれば別だ。著作権の及ぶ範囲はあくまでも芽依の執筆した制作物に関する部分のみである。そもそも企画書やアイデアに著作を主張することはほとんどない。
企画を降りるとき、そこまで頭が回らなかった。きっと、鞍馬も同じような形で企画を奪われたのだろう。
だが、たとえ企画書を回収したところで、林田や松井らが一度目を通している以上、記憶から消し去るなんてこと は不可能だ。今回、林田が新しく書いた物語は、人間の無意識によるところであれば、もうお手上げである。
つまり、全ては遅過ぎであることを物語っていた。
それに気付き、芽依は声を上げて泣きだした。
「ごめんなさい……。本当に。私が、勝手に企画に起こしたばっかりに……」
「阿倍野さん……」
背中を丸めてうずくまる芽依を、鞍馬がそっと撫でる。
そのぬくもりが痛いほどに優しくあたたかい。
鞍馬もこれに似た気持ちを味わったに違いない。それもひとりきりで。むしろ鞍馬の方が辛くて悔しかったに違いない。
芽依は気付かなかったが、そこに誰もがやるせなさを感じていた。
人間もあやかしも、同じ思いでいた。
「何なんだよ。くそ。何か手はないのかよ」
苛立ちに支配するかと思った矢先、天童は何かを思い出して顔を上げた。
「……いや待て。あいつだ!」
田野前だ——
(えっ?)
芽依の頭にそんな声が聞こえた。
すると、何かを思い出したのか、天童はエプロンの紐をほどいて脱ぎ捨てると、すぐさまカウンターを飛び出していた。
「おい! 天童!」
鴑羅の問いかけにも答えず、天童は店を出ていってしまった。
「あいつ、まさか田野前に」
(田野前……さん?)
田野前真藻。
確か、彼は先日店に来た際に、知り合いの知り合いに小さな訴訟を扱う弁護士先生を知っていると言っていた。
物語の展開に対する助言からの紹介だったが、まさか天童は専門家に相談するつもりなのだろうか。
芽依は涙を拭いながら、店の扉を見つめる。そして、扉が再び開くのをいつまでも待っていた。
——それから、三週間が過ぎ去った。
夢破れた夢追い人のような心地に浸っている余裕はなく、芽依の就職活動は難航し、心は次第に疲弊し始めていた。
その日、芽依は久々に金木犀を訪れた。
すると、待っていたかのように天童が手招きしていた。
カウンターには鴑羅も鞍馬も居て、いつもと変わらない光景があった。
「おい、阿倍野芽依! これ見てみろよ!」
天童の芽依を呼ぶ声の調子に緊急性を感じる。
(何かあったのかな)
芽依はカウンターにつくや否や、置かれていた冊子を突き出された。
「読んでみろよ、これ」
それは東京ファンタジア〈新〉と書かれていた。
「えっ……?」
もう新しいものが刷られたのだろうか。
なんて仕事が早いのかと思ったのも束の間、芽依の目には【新連載・『夜カフェでOLたちは夢を見る』】というタイトルが飛び込んできた。
「なに……これ」
「お前、下ろされたんだったよな?」
天童がそっと確認をとるように尋ねた。
「あの……。これ、どこで?」
「街中どこでも手に入る。フリーペーパーだからな」
「出回ってるってことですか?」
「ああ。俺はさっき知ったばかりだが、あやかしの登場は消えているが、代わりに魔女が登場している。それ以上に夜カフェの設定が生きているんだよ!」
「まさか、そんなこと……」
芽依は持っていたバッグからパソコンを取り出す。
そしてパットを滑らせながら、代替で作った修正版の企画書ファイルを開いて天童に見せた。
「これは、私が改めて書き直した際の企画書です」
天童ら三人がパソコン画面に目を向けたのを確認すると、芽依はページをめくってとあるページを開いた。
「私は、修正案でこの設定を提案したんです」
「『昼間のカフェでおしゃべりをたのしむOLは実は魔女だった——』」
その企画書を見たあと、三人はフリーペーパーへ視線を移した。
「これって……、芽依さんの企画?」
「じゃあ、連中は君を切っておきながら企画書は拝借したということか?」
「拝借……?」
「まさか。お前もやられたのか?」
やられたとは、つまり、パクられたということだ。
(まさか。そんな……こと)
新連載のページには、監修として林田の名前と松井の名前が確認できた。
これを書いた人物の名前は掲載されていない。たしか、芽依が受け取ったメールには、社内で執筆をしていくことにしたという一文があった。つまりこれは、林田の社内で書かれたものだということだ。
「阿倍野さん……」
鞍馬が初めて芽依の名を読んだ。
「私の企画書を……、使ってる? え、それって……」
(ありえることなのか?)
すると、鞍馬が質問した。
「阿倍野さん。これって松井って人は関わってますか?」
「……え?」
「僕は、志摩ユウキと会った時、企画を進行するにあたって知り合いにプロデューサーに頼んでみると言われた。その時のプロデューサーが松井でした」
「まさか、やたらに太い黒縁の——」
「——メガネをかけていました」
芽依は鞍馬を見やった。
「おいおい、わかんねえよ。俺にもわかるように説明しろ、天」
「はい。松井は僕の企画書を見て、すぐに好印象をもってくれたんです。そして松井の会社が出資することになり、僕と志摩ユウキは商品の打ち合わせに取りかかることにしました、けど、松井はたびたび企画の変更を申し出てきたんです。でもその窓口はいつも志摩ユウキの方でした。僕は松井とは初対面でしたし、彼も志摩ユウキの方が話しやすかったんだと思います。けど、いつしか話は二人を中心に進むようになっていったんです。正直、僕はそういう業界ルールには疎過ぎて、何か決める時は志摩ユウキから相談があるだろうって思い込んでました。そして気づいたら、僕の出した案は志摩ユウキの名前で打ち出すことになっていたんです」
「そんな……」
「僕は言いました。そもそも、この企画書は僕が作ったものであって、レシピも僕のオリジナルが多い。レシピ協力やデザインなどはいくらでも協力するけど、その区別をはっきりしてもらいたいこと、それは譲れないと伝えました。けど、相手は一向に聞く耳を持たなかった。それで僕はこれ以上、一緒に企画を進めることはできないとおもい、プロジェクトから降りました」
「……それ、私と一緒……」
「そして、半年後。もうご存知のとおりです」
「阿倍野……」
芽依はスマホを取り出すと、そのまま店の外へ出た。
さすがに、これは想定外だった。
なぜなら林田とは何度も企画書をすり合わせをしてきたし、理解してくれていると思っていた。企画書はあくでも芽依の案であることを。
その林田が、こんなことをするなんて思いもしないことだ。
芽依は店の前に立つと林田に電話をかけた。
時間はもうすぐ日付が変わる時刻だが関係ない。とにかく林田の話が聞きたかった。
すると2コールほどで林田は電話に出た。
『……もしもし?』
こちらを警戒するような林田の声音。芽依は毅然とした気持ちで続けた。
「夜分遅くにすみません。林田さん、今少しよろしいですか」
『はい。まだ会社ですので』
「えっ。あ、そうでしたか……。あの、実はご確認したいことがありまして——」
『もしかして、東京ファンタジアのことですか?』
林田は、まるで、電話が来ることを予測していたかのような口調だった。
「えっと……。そうです」
すると、電話の向こうで林田がため息をついたような吐息が聞こえた。
だが芽依は、話を続けることにした。
「あの……、新しい東京ファンタジアを今日拝見させていただいたんですけど。あの、これって、私が代案で提出した企画と同じものですか?」
『いいえ。あれは芽依さんの企画ではありません』
「ですが、とても似ていて……」
『似てると言われても仕方ないかもしれません。ですが、今回の物語はショートストーリーの短編式であること。それを夜カフェをコンセプトに、社内会議で新たに企画したものを掲載したまでです』
「で、でも、登場人物の魔女のOLというのは。代案で出した企画書と同じではないでしょうか。それに夜カフェだって」
『パクリだとおっしゃいたいんですか?』
「そんなっ……。そうじゃなくて。でもそう思えてしまうんです」
『……確かに、芽依さんも魔女のOLは提案されてました。ですがこれはあくまでも社内で会議したうえで生まれたオリジナルのアイデアです。決して芽依さんの企画書を再利用したとかでもありません。そもそも、こういった設定の物語は他にもたくさんありますし、芽依さんの当初の企画も実際のお店から着想して物語を企画されたんですよね? 私たちはテーマ設定を変えた上、結果、この物語が生みだしただけです』
「じゃあ。あの、松井さんは。松井さんは代案の企画書にも目を通されたのでしょうか」
『ええ』
「それについては何かおっしゃっていましたか?」
『特には……。ただ企画書をブラッシュアップして新しく練り直すよう、言われただけです』
(ブラッシュアップ?)
芽依は何も言えなくなってしまった。
これはかなりグレーな展開である。
言っていることはわかるのだが、そうではないのだ。
今更ながら、芽依はなぜ自分が提出した企画書は他用しないで欲しいと言わなかったのかと後悔した。
だが、これ以上、自分の企画書に似ていると言い張ったところで、頭の中を見せるわけにいかないし、記憶に月日が刻まれているわけではない。
言った言わないとなればますます埒が明かない。
まさか、こんなことになるなんて。芽依は放心しかけながら、話を続けた。
「林田さん……。あの、そこに私の企画書は残ってはいないのでしょうか」
『すみません。これ以上は、内部情報になりますので、企画に関することはもう芽依さんにお話は出来ません。すみません』
「……そうですか」
『はい……』
林田との通話はそこで終わった。
(——終わった。マジで)
芽依はスマホを握り締めたまま、深く息を吐き出した。
もう二度と、林田に会うこともないだろう。
胸が苦しかった。なにか、もやもやとした煙が気道に詰まっているかのようで息苦しい。
これは発作ではない。単純に、様々な感情が胸の中で行き場を失い、混乱しているのだろう。
為す術のない自分を前に、芽依は脱力した。
(こんなことになるなんて……)
すると、店の扉がゆっくり開いて天童が顔を出した。
「大丈夫か?」
「……天童さん? あ……、お店の前で私、邪魔でしたよね」
「いや。そういうことじゃねえけど。……電話、出来たか?」
芽依は少し間を置いたのち、静かにうなずいた。
「……どうにもなりませんでした」
すると、天童は店の扉を開け、芽依を店の中へと誘った。
「まあ入れよ」
「……はい」
扉を開けて待つ天童の姿が、まるで両手を広げて自分を待ってくれているかのように見えて、芽依は少しドキドキとした。
カウンター席にいる、鴑羅と鞍馬も心配する様子で芽依を見つめていた。
芽依は鴑羅と鞍馬の間に座ると、天童がカウンターの中に入っていく。
「……どうだった?」
「社内会議で新たに企画したものであって、私の企画を使ったわけではないと……言われました」
「そんなのどうにでも言えるだろう」
鴑羅は天童の言葉に頷きながら、考えを話し始めた。
「いや、むしろ相手は自覚してるんだ。だから君の企画書と似ていることはどうしても否定したい。だがそれを証明する手段はない」
「それじゃあ天の時と同じ、やったもん勝ちじゃねえかよ!」
心臓がバクバクと変な鼓動を起こした。
幻聴は起きていない。なのに、まるで発作が起きたかのように、漠然とした恐ろしさが
芽依を襲った。
「すみません……、薬を飲ませてください」
そういうと、芽依はトートバッグの中からピルケースを取りだし、水が入っているペットボトルのフタを開けようと手にした時、横から水の入ったグラスが鞍馬より渡された。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
芽依はその水で薬を飲む。
ごくんと喉を鳴らして薬を胃に流し込む。するとどういうわけか涙が流れた。
悔しい。なんだろう、この気持ちは——。
「阿倍野さん……」
「ごめんなさい……、なんで」
三人が動揺しているのがわかった。
大好きなこの場所で、まさか醜態を晒すようなことになるとは。
恥ずかしい。そして悔しい。
私はいったい何をしているのだろう。
「泣くなよ、阿倍野芽依」
まるで叱られているような声音で天童が言った。
「だって、私……」
夜カフェだけじゃない。自分すらも守れなかったのだ。
情けない。悔しい。
何も言わずとも、天童は芽依を察するように言った。
「お前のせいじゃねえじゃん」
まさか、夜カフェをテーマにしたまま、企画が続行されていると想像もしなかった。
なんて馬鹿なのだろうか。
執筆の依頼を受けるにあたって、芽依は林田と業務委託契約、及び、秘密保持契約を結んだ。それによれば、芽依の制作物は林田側へ提出することにより、林田へ所有権が移ることとなる。著作の所有権は林田に渡るが、著作の人格権においてはいかなる場合も譲渡されない。芽依の著作物として、その人格権は芽依になるのだ。
だが企画書となれば別だ。著作権の及ぶ範囲はあくまでも芽依の執筆した制作物に関する部分のみである。そもそも企画書やアイデアに著作を主張することはほとんどない。
企画を降りるとき、そこまで頭が回らなかった。きっと、鞍馬も同じような形で企画を奪われたのだろう。
だが、たとえ企画書を回収したところで、林田や松井らが一度目を通している以上、記憶から消し去るなんてこと は不可能だ。今回、林田が新しく書いた物語は、人間の無意識によるところであれば、もうお手上げである。
つまり、全ては遅過ぎであることを物語っていた。
それに気付き、芽依は声を上げて泣きだした。
「ごめんなさい……。本当に。私が、勝手に企画に起こしたばっかりに……」
「阿倍野さん……」
背中を丸めてうずくまる芽依を、鞍馬がそっと撫でる。
そのぬくもりが痛いほどに優しくあたたかい。
鞍馬もこれに似た気持ちを味わったに違いない。それもひとりきりで。むしろ鞍馬の方が辛くて悔しかったに違いない。
芽依は気付かなかったが、そこに誰もがやるせなさを感じていた。
人間もあやかしも、同じ思いでいた。
「何なんだよ。くそ。何か手はないのかよ」
苛立ちに支配するかと思った矢先、天童は何かを思い出して顔を上げた。
「……いや待て。あいつだ!」
田野前だ——
(えっ?)
芽依の頭にそんな声が聞こえた。
すると、何かを思い出したのか、天童はエプロンの紐をほどいて脱ぎ捨てると、すぐさまカウンターを飛び出していた。
「おい! 天童!」
鴑羅の問いかけにも答えず、天童は店を出ていってしまった。
「あいつ、まさか田野前に」
(田野前……さん?)
田野前真藻。
確か、彼は先日店に来た際に、知り合いの知り合いに小さな訴訟を扱う弁護士先生を知っていると言っていた。
物語の展開に対する助言からの紹介だったが、まさか天童は専門家に相談するつもりなのだろうか。
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