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第7章

二 阿倍野芽依の決断

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 ***

「どうしちゃったんですか? 芽依さん」

 第一声、林田から言われた言葉がそれだった。
 今までの芽依が書いていたものとは思えないような、期待外れのような声音が胸に刺さる。

「企画書、読ませていただきました。あの、率直に申し上げて、これで企画を進めるのは難しいです」
「そうですか……」

 わかっていたことだが、芽依は声を落とした。

「夜カフェのコンセプトは残して中身を変更していただくだけでよかったんですが。お店の舞台が昼間のランチタイムというのは、ちょっとありきたりで……」

 芽依が新たに提出した企画は、とあるOLの行きつけのカフェだった。そこに集まる彼女たちが決まって話題にするのは、上司の愚痴、恋愛、そしてトレンドのことばかり。そう、彼女たちは現代を生きる魔女だったという、女性をメインにした企画へとシフトチェンジしていたのだ。
 彼女たちが集まるのは何もランチタイムだけではない。時には仕事終わりにも集まって談義を行う。その場所として夜カフェも利用させることにした。だが、それではやはりダメだったようだ。

「すみません。私、どうしても最初の企画が頭から離れなくなっちゃって」
「ですよね。私もですよ、芽依さん。ですが、先方からNGが出た以上、進めるわけにはいかないんです」
「それは理解しているつもりです。望まれたものを書くべきだって。ですがどうしても、キャラが動き出してしまってて」
「正直、……私もあの続きを読みたいと思ったくらいですから」
「個人的にお聞きしたいんですが、林田さんは当初の企画を実現したいという気持ちは、今でもお持ちですか? それとも、やはり松井さんのいう通り、企画を変更してでも進めるべきだとお考えですか?」
「それは……」

 迷いのある声が電話の向こうから感じ取れた。
 林田はおそらく当初の企画を推してくれている。けれども松井は無視できない。芽依はそう確信した。

「それならいっそのこと、夜のあやかしじゃなくて、おしゃべりが大好きな魔女の話にシフトチェンジしてみるのはアリだと思います」
「でしたら、その舞台を夜カフェにするのは難しいのですか?」
「夜カフェでも、構わないんですけど……」
「芽依さんも、あんなに夜カフェ気に入っていたじゃないですか」
「そうなんですが。やっぱり、お店へ許可を取った方がいいかなと思い始めてしまって」
「許可を?」
「はい。物語とはいえ、着想はそのお店から受けているわけですし。なんかこう、勝手に物語の舞台として使用してしまうのは、気がひけてしまったというか」
「ならばこちらでそのお店への許可取りはします。それならどうですか?」
「あ、あの。それが……断られてしまったんです」
「えっ? もしかして芽依さん、許可取りしに行かれたんですか!」

 今度は芽依が答えに困ってしまい、言葉を詰まらせる。
(許可取りというか……、別件で罠にはめられたというか……T。なんていえばいいんだろう)

「さすがに、それは芽依さんがするべきことではなかったと思います」
「えっ。……そうです、よね。すみません、勝手なことをして申し訳ないです」
「松井さんにどう説明しよう」

 ついに、林田の口からその名が出た。
 やはり、松井の意見は強くあるようだった。

「率直に申し上げると、松井さんは女性がメインというところが納得いっていないようなんです。やはり、興味を引くなら男だろうって」
「どうして。女性では興味が引けないんでしょうか」
「これは、あくまでも私の予想ですが、松井さんは男性がメインの物語にし、それを二次元化したいと考えているようなです」
「えっ! それは……初耳ですね」
「今回の企画書を見せたときに、あくまでも松井さんが言った話のうちの一つなので、具体的にどうこうっていうのはないのですが、もしかしたらと思っています」
「あの、林田さん。お聞きしたいことがあるのですが」
「はい。なんでしょうか」
「その。失礼ながら、松井さんってどういう方なんですか?」
「えっ?」
「先日、企画書をダメ出しされたとき、先の企画書だと、ご友人のイメージが崩れるっておっしゃっていたじゃないですか。でもこの企画は、そのご友人のために作っているわけじゃなくて、林田さんが思い描く、東京という場でファンタジーを魅せるいう、夢が根底にあるべき企画だと思っていたんです。けど、今はその要素さえ薄くなってしまっているような気がして」
「芽依さん……」
「もちろん。スポンサーさんのご意見は無視できません。でもなんていうか、松井さんの意見に振り回されているように感じてしまうんです……」

 芽依はドキドキしていた。
 林田の苦労を何ひとつつと知らず、偉そうな口を聞いてしまった。

「企画は進むうちに変わるものです。たとえ形を変えようとも、そこに自分の思いを込めればいいと、私は思っています」

(林田さん……)
 芽依は反省した。
 林田は、企画を進めるという大きな立場を抱えながらも、自分の思いを忘れていない。
 芽依のように、何かに気を取られ、それに揺らぐことなく、今でも企画のことを一番に考えていた。

「芽依さん、大変申し訳ないのですが、設定を当初のものへ戻していただけませんか?」
「えっ?」
「許可とか、そういったところはこちらでなんとかします。松井さんからの要望は、舞台は夜カフェ、これは譲れないそうなんです。松井さんが気にしていたのは、物語に出てきたアイデアを盗まれたという流れの一点だけです。そこだけ、別の形に直して、もう一度、書き直していただけないでしょうか」
「林田さん、どうして松井さんはそのアイデアが盗まれた部分が気になるんでしょうか」
「それは。おそらく、業界的なことかと思いますが……」
「物語は架空ですけど、実際、パクられた側は苦しんでいて、悔しい思いを抱いているかもしれなくてもですか?」
「芽依さん? これ、架空の設定なんですよね?」
「そうです。そうなんですけど」

 そのとき、芽依は鞍馬の憂いだ表情が浮かんでしまった。
 彼はあやかしだ。慣れない人間界で禊を課せられたとはいえ、自身が生み出したアイデアを盗まれたせいで、悩み、精神的にまいってしまっている。
 それを知ってしまった芽依は、夜カフェ〈金木犀〉に許可がもらえない以前に、自分が書き続けることは難しいと思った。

「申し訳ないです、林田さん。私、変更した企画書もNGだというのであれば、これ以上、書き続けるのは難しいです」
「そんな!」

 私は、どの立場からそんなことを言っているのだと思ったが、引くに引けない状況であった。
 なぜだろうか。なぜ自分は会ったばかりのあやかし、鞍馬天のことを考えるのだ。
 自分と同じ、心の病を抱えているからだろうか。同情されても迷惑なだけだ。
 なのに芽依は、鞍馬のことが気がかりで仕方なかった。
 彼の企画が盗まれ、それを基にしたブランドまでが立ち上がり、それがいまや話題をさらっている。それを、鞍馬はどんな思いで見ているのだろうか。
 精神を病み、病院へ行くことは簡単ではない。
 薬を飲むことは簡単だが、やめルコとは簡単ではない。それが精神医療というものだ。
 それは芽依が身を持って知っている。
 そしていくら薬を飲んだよくなったとしても、彼のアイデアは戻っても来ないし、盗まれた事実が消えてくれるわけではない。
 天童によると、鞍馬天、彼の禊は「理不尽との戦い」なのだという。
 彼らは、過去の罪を精算するためにそれぞれの禊を生きている。もちろん、それが罪を犯したことへの禊だとしても、今生で彼が受けたものは人間が起こしたものだ。芽依には、その苦しみが当然であるとは思えなかった。
 なぜ、そこまで肩入りしようとするのか。鞍馬天狗が一体何をしたのかも正直わかっていないというのに。自分は人間で、相手はあやかしだというのに。
 林田が、最後に何か言ったが、芽依は聞き逃してしまった。
 そして「わかりました」と答えると、そこで通話は終わった。


……………
……
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