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第4章

四 決断

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 四

 会議を終えて、芽依はオフィスを出た。
 駅へ向かっていた最中に芽依のスマホが鳴り、林田から現行の物語制作の正式なNGが下されたとの連絡を受けた。
 あまりに早すぎる決定だった。
 腑に落ちない状況に、芽依のストレスがつのる。
 続けて、テーマは同じまま、内容を一新させたプロットを、明後日までに欲しいというなかなかハードな依頼を受けることになった。芽依は断ることもできず、それを了承して通話を終えた。
(やっぱり、松井さんには逆らえないんだな)
 ビルとビルの間に立ちながら、芽依はそんなことを感じていた。
 けれど、もしかしたら物語の一新は不可避なことだったのかもしれない。
 林田には言えていなかったが、モデルにした夜カフェ〈金木犀〉に、もしかしたら身バレしたかもしれないということ。あのカフェラテ店主の反応の悪さ、少なからず、何かを悟っているふしがあった。
 やはりきちんと許可を取るべきだったのかもしれない。だが、今となってはどうしようもないことだった。
 それにこれは遊びではない。大学時代に、思うままに綴った物語作りとは訳が違う。お金が絡むビジネスなのだ。
 そして芽依は作家でも何でもない。要望されたものを形にするために動員された、素人の書き手だ。
 あれこれ何を思おうと、林田そして松井の意図を表現できないのなら、不必要な人間なのである。
(でも、私は書きたかった……)
 終電を逃し、途方に暮れた中で見つけた灯り。
 店の中に広がっていた空間は、芽依にとって物語のはじまりに似ていた。
 そういう場所が東京にもあるのだと、あの夜感じた安堵感は忘れられたものではなかった。

「あれ……、いつのまに」

 いつのまにか、芽依は駅ではなく夜カフェ〈金木犀〉の前に居た。
(駅と方向が逆じゃん! 知らぬうちにここに来ちゃうなんて重症でしょ、私)
 当然、店は閉まっていたが、ガラス越しから見えた店内に、昨晩忘れた芽依の傘が、傘立てに入ったまま残っていた。
(私の傘だ……)
 芽依はそれを見ながら、大きく悩み出す。
(一新っていわれても、頭の中はゼロにならない)
 この店に、大きな憧れを膨らませし過ぎてしまった。
 なんども言うようだが、芽依はこの店の物語を書きたかった。
 ——やっぱり来たか。

「えっ……」

 そのとき、そばに誰もいないにもかかわらず、幻聴が聞こえた。
(また……、聞こえる)
 どういうわけか、最近頻度が増しているような気がする。
(やっぱり来たかって、何?)
 確かに、さっきの打ち合わせはストレスだったが、今日は打ち合わせ前に薬を飲んで臨んだ。それなのに、薬が効かなくなっているのだろうか。
(困ったな。まだ、やらなきゃならないことがあるのに)
 幻聴は、昼夜問わずに起こる。このままでは、物語の執筆にも支障が出てしまうのではないだろうか。
 そう思い、芽依はスマホでかかりつけのクリニックを検索し、電話をかけた。

「すみません。本日、伺いたいのですが可能でしょうか」

 芽依はクリニックの予約をいれると、すぐにその場を去った。

 …………
 ……

 天童は、傘立てに残したままにした芽依の傘を手にとると、店から去っていく芽依の後ろ姿を見つめていた。
(やっぱり来たな)
 それは天童の仕掛けた一つ目の罠だった。

「お前の正体、必ず暴いてやるからな。あやかし様をなめんなよ」


 *****

 都内某所の心療内科。
 林田との打ち合わせの後、夜カフェ〈金木犀〉の前で妙な発作が起こった芽依は、かかりつけの病院に当日予約を入れ、順番を待っていた。
 昨今の心療内科は、新規予約が取れないこともあり、そこはようやく確保できたクリニックでもあった。
 芽依は上京してから通院をした身だが、自身が心療内科に通っていることは、実家の誰にも打ち明けてはいない。
 その日の院内は、やや混雑していた。
 受付に並行するように並べられている待合室の長椅子は四列あり、すでに三十分ほど待機している状態だった。
 芽依は持参していた文庫を読むなどして時間を潰す。
 すると、クリニックの自動ドアが開き、新たに男性がひとり入ってきた。
 何気なく顔を上げ、その人物へ視線を向けた芽依は、思わず声をあげそうになったのを必死に押さえながら、驚きを隠せず目を見開いた。
(嘘でしょ!)
 入ってきたのはロイヤルミルクティーだった。
 その日も、オーバーサイズの白Tシャツに黒のジレ、ダメージジーンズには黒のブーツを合わせていた。
受付に診察券を出しているその姿は、相変わらず物憂げな様子で、以前よりも目元の隈が目立っているように見える。
 そして、受付が終わると、ロイヤルミルクティ―男子は座れそうな席がないか、待合室を見渡す。芽依は気付かれないようにと顔を下に向け、読書に専念した。
(ロイヤルミルクティー男子もクリニックに通っていたなんて。ていうか、やっぱり何か心の病でも抱えてるんだ)
 物憂げな雰囲気に見せていたそのオーラは、鬱々としていたためだったのだろうか。芽依は不謹慎ながらも妙な親近感を抱いてしまった。
 ——なんでこんなことに。

「!」

 そのとき、芽依の頭の中に低音の声が響いた。
 ——なんでこんなことに。——なんでこんなことに。
(うう、きっつ……!)
 ぼわんと鼓膜を震わせる妙な幻聴。芽依はとっさに両耳を抑える。
 持っていた文庫が床に落ち、隣に座っていた患者が気を使って拾ってくれた。

「あの……、大丈夫ですか?」

 繰り返し響くその言葉に、吐き気がしてくる。
 強い恨みと後悔の混じったような声に、芽依はその場に崩れ落ちてしまった。

「だ、大丈夫ですか!」

 待合室で順番待ちをする患者たちが、いっせいに芽依へ視線を向けた。
 芽依のもとへ看護士が駆け寄ってくる。

「ご気分でも悪くなりましたか?」
「……すみません。ちょっと、幻聴が」
「大丈夫ですよ、奥にベッドがありますのでご案内します。立てそうですか?」
「はい……、ありがとうございます」

 突然の発作を起こした芽依に、ロイヤルミルクティー男子も気付いて案じる様子で見つめている。
 芽依は看護士に支えられながら別室へと案内された。

「薬はお持ちですか?」
「はい。でも、ここへ来る前に飲んでしまっていて……」
「そうですか。わかりました。先生に伝えてきますので、順番が来ましたらお呼びしますね。それまで少しゆっくりなさってくださいね」
「ありがとうございます。お手数おかけします」
「いいえ。何かありましたら遠慮なく呼んでくださいね」

 ありがたいことに、芽依は、別室に設けられていたベッドに横になることができた。
 幸い、その頃になると声は聞こえなくなっていた。
 吐き気も起きていないし、少し落ち着いた様子がある。
 今のはなんだったのだろうか。
(こんなの初めてだ……)
 芽依はふと、実家のことを考えていた。
(私が心療内科に通ってるなんていったら、なんて言われるかな……)
 もしかしたら、自分はかなり無理をしているのだろうか。
 これは、諦めて実家に帰れというお告げなのだろうか。
(まさか、本当に実家の祟り……)
 そんなことを考えると、頭がクラクラしてきた。
(やめよう。今は落ち着かなきゃ)
 芽依は病院のベッドに横たわりながら深呼吸し、しばらく目を閉じ体を休ませた。
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