42 / 49
最終章
一 再出発
しおりを挟む
一
その夜、芽依が夜カフェ〈金木犀〉の扉を開けると、すでにカウンターには鴑羅と鞍馬が座り、談笑しているところだった。
芽依に気付いた二人が軽くてを上げて芽依を呼ぶ。
「おつかれさまです。鴑羅さんお久しぶりですね」
「ああ。遅かったじゃないか」
「すいません、ちょっとバタバタしちゃって」
ようやくやってきた芽依に、天童は何も言わず笑っていた。
その日、私たちは敗北会を行おうという話になっていた。
だが芽依は支度に手まどい、家を出たのが遅く、乗ってきた電車は東京駅行きの終電だった。
「そうだ、阿倍野さん。これ差し上げます」
鞍馬は黒のサコッシュの中から、金のフタのついたミニスプレーボトルを取り出すと、芽依へと渡した。
「私に!?」
「試作品なんですけど。よければどうぞ。アロマピローです」
「えっ、アロマピローって確か枕に使うやつですよね? 嬉しい! 気になっていたんです、こういうの! 少し、嗅いでかけてみても平気ですか?」
そういい、芽依は隣に座っている鴑羅が香り嫌いではないか確認をする。
「ああ、構わない」
それを聞いて安心した芽依は、持っていたタオルにワンプッシュかけてみた。
「あ……。わあ、いいい香り!」
「よかったです」
「なかなか合う香りを探すのって難しいのに。鞍馬さんの香りは私好みのものが多いみたいですね」
「嬉しいです」
「鞍馬はあらたにブランドを立ち上げるそうだ」
「えっ、本当ですか!」
「まだ、うまくいくかわかりませんが……」
「絶対うまくいきますよ。これだけの才能があるんですもの」
「今までは、万人受けする物ばかり考えていたんですが、あえて僕しか出来ないものを作ってみようと思ったんです」
「鞍馬さんらしいもの……ですか?」
すると、鞍馬は笑顔で言った。
「あやかしですよ」
「えっ?」
それを聞き、鴑羅がくくくと肩で笑っていた。
「僕はあやかしらしく、悪い香りを作ってみようと思うんです」
「悪い香り……ですか?」
「はい。誰も作らないと思いますので」
「優等生に反発する、みたいなイメージですか?」
「まあ、そんなところです。今回のことで、僕も色々ダークな思いを抱きましたし」
そういって話す鞍馬だったが、その顔はさわやかだった。
「すごい……。そんな発想ありませんでした」
「ところで、君のほうはどうなってるんだ? 職探しは順調か?」
「っ……!」
思わぬところから矢が飛んできた。
芽依はそう思いながらも、何も言えず黙り込んでしまった。
「順調じゃないのか?」
「なんか、今回のことがあってから全然意欲がわかなくなってしまって。……なんて言い訳ですよね」
「お嬢さん、でしたらなおさらうちで働けばいいじゃないですか」
「えっ?」
いつの間に入ってきたのか、そこには田野前が立っていた。
「田野前さん」
「アベノメイさん。うちは福利厚生も揃っております。基本給は平均的ですが、メリットといえばフレックスタイム制というところでしょうか」
「フレックスなんですか!」
「ええ。とてもあやかしに優しい職場です」
「あの……私はあやかしじゃないんですけど」
「そうですね。まずは一度面接にお越しください。明日などいかがですか?」
「でも私、美術とか全く詳しくないですけど……」
「それはそのうちに覚えますよ。それに、アベノメイさんにうってつけの仕事が空いているんです。広報ライターです」
「え、ライター?」
「企画展の紹介文などを書いていただくお仕事です。こちらも人がいなくて困っておりまして。アベノメイさんはそちらの方にお力がありそうですのでいかがです? 興味がわいてきたでしょう?」
すると、鞍馬が芽依の背中を押すように言った。
「僕、阿倍野さんの書く文章、読んでみたいです」
「そうだな。君はそっちの方の仕事がいいんじゃないか」
「わ、私は別にライターとして働いたことはないので。実績なんかも全くありませんし」
「そういう細かいことは気にしておりませんよ」
すると、天童がようやく口を開いた。
「やってみろよ。ダメならやめればいい」
「えっ?」
「阿倍野芽依。俺たちとお前の間には契約がある。まず1つ、あやかしの秘密を絶対にばらさないこと。2つ、店には顔を出すこと。そして3つ、働くことだ」
「あれ、一つ増えてませんか?」
「いや、これが条件だ。でなければ、お前に金木犀ラテは提供しない」
「そんな……」
私のように、優柔不断な性格は、半ば強引に事が進んでしまった方がいいこともある。そんなことを思わせる流れであった。
(あやかしに仕事紹介されるって。私、本気?)
「では明日、履歴書をお持ちの上、ご都合の良い時間に尋ねてきてください。それでは皆さん、私はこれで」
そういうと、田野前はスリーブのついたテイクアウトのカップを持つと、軽快に店を出て行った。
(もしかして、まだ仕事中ってわけじゃないよね?)
気になることは多々あるが、これはもう引くに引けないのでは。
「あの……、これはもう行くしかない感じでしょうか」
芽依はちらりと鴑羅に聞いてみる。
「阿倍野さんなら、きっとやれますよ」
「適当なことを言うな、天。彼女は人間であいつはあやかしだぞ」
まるで鴑羅は俯瞰するかのように言った。
確かに。私と彼らとでは、似ているようで違うはずだ。
「でも僕、阿倍野さんにはなにか不思議な力がある気がします」
「鞍馬さん……。またそんなこと」
鞍馬は出会った頃よりも本当に元気になっている。決して、傷は言えていないだろうが、何か吹っ切れたようなものを感じさせられ、芽依の気持ちまでも動かすものがああった。
これから先、何が起こるかわからないのはどこにいたって同じだ。芽依はこの数年でそれがよくわかった。それならば、あやかしの力を借りるのもありなのかもしれない。
偶然見つけた夜カフェがきっかけで、こんなに生き方が変わっていくことになるとは。
芽依はふと、カウンターの端でラテを作る天童へと視線を向けた。
夜カフェ〈金木犀〉~酒呑童子は禊の最中でした~。
芽依はそんなタイトルが頭に浮かんだ。
(だけど、禊すらも楽しんでる感じがするな。天童さんは)
「ほい、お待たせ」
そして、芽依の前に綺麗な二層のグラデーションを作る金木犀ラテがやってきた。
その見た目は、芽依の心を掴んでやまない。
色に香り口当たり。立ち上がる湯気までが愛おしい。
「いただきます」
「おう。それを飲んだらこれまでのことは忘れろ。な」
その日のラテは、芽依の心をほかほかと温めた。
いい夜が始まりそうだ。
そんなことを思いながら、芽依はほっとひと息をついた。
夜カフェ〈金木犀〉 ~酒呑童子は禊の最中でした~ 第一部おわり
その夜、芽依が夜カフェ〈金木犀〉の扉を開けると、すでにカウンターには鴑羅と鞍馬が座り、談笑しているところだった。
芽依に気付いた二人が軽くてを上げて芽依を呼ぶ。
「おつかれさまです。鴑羅さんお久しぶりですね」
「ああ。遅かったじゃないか」
「すいません、ちょっとバタバタしちゃって」
ようやくやってきた芽依に、天童は何も言わず笑っていた。
その日、私たちは敗北会を行おうという話になっていた。
だが芽依は支度に手まどい、家を出たのが遅く、乗ってきた電車は東京駅行きの終電だった。
「そうだ、阿倍野さん。これ差し上げます」
鞍馬は黒のサコッシュの中から、金のフタのついたミニスプレーボトルを取り出すと、芽依へと渡した。
「私に!?」
「試作品なんですけど。よければどうぞ。アロマピローです」
「えっ、アロマピローって確か枕に使うやつですよね? 嬉しい! 気になっていたんです、こういうの! 少し、嗅いでかけてみても平気ですか?」
そういい、芽依は隣に座っている鴑羅が香り嫌いではないか確認をする。
「ああ、構わない」
それを聞いて安心した芽依は、持っていたタオルにワンプッシュかけてみた。
「あ……。わあ、いいい香り!」
「よかったです」
「なかなか合う香りを探すのって難しいのに。鞍馬さんの香りは私好みのものが多いみたいですね」
「嬉しいです」
「鞍馬はあらたにブランドを立ち上げるそうだ」
「えっ、本当ですか!」
「まだ、うまくいくかわかりませんが……」
「絶対うまくいきますよ。これだけの才能があるんですもの」
「今までは、万人受けする物ばかり考えていたんですが、あえて僕しか出来ないものを作ってみようと思ったんです」
「鞍馬さんらしいもの……ですか?」
すると、鞍馬は笑顔で言った。
「あやかしですよ」
「えっ?」
それを聞き、鴑羅がくくくと肩で笑っていた。
「僕はあやかしらしく、悪い香りを作ってみようと思うんです」
「悪い香り……ですか?」
「はい。誰も作らないと思いますので」
「優等生に反発する、みたいなイメージですか?」
「まあ、そんなところです。今回のことで、僕も色々ダークな思いを抱きましたし」
そういって話す鞍馬だったが、その顔はさわやかだった。
「すごい……。そんな発想ありませんでした」
「ところで、君のほうはどうなってるんだ? 職探しは順調か?」
「っ……!」
思わぬところから矢が飛んできた。
芽依はそう思いながらも、何も言えず黙り込んでしまった。
「順調じゃないのか?」
「なんか、今回のことがあってから全然意欲がわかなくなってしまって。……なんて言い訳ですよね」
「お嬢さん、でしたらなおさらうちで働けばいいじゃないですか」
「えっ?」
いつの間に入ってきたのか、そこには田野前が立っていた。
「田野前さん」
「アベノメイさん。うちは福利厚生も揃っております。基本給は平均的ですが、メリットといえばフレックスタイム制というところでしょうか」
「フレックスなんですか!」
「ええ。とてもあやかしに優しい職場です」
「あの……私はあやかしじゃないんですけど」
「そうですね。まずは一度面接にお越しください。明日などいかがですか?」
「でも私、美術とか全く詳しくないですけど……」
「それはそのうちに覚えますよ。それに、アベノメイさんにうってつけの仕事が空いているんです。広報ライターです」
「え、ライター?」
「企画展の紹介文などを書いていただくお仕事です。こちらも人がいなくて困っておりまして。アベノメイさんはそちらの方にお力がありそうですのでいかがです? 興味がわいてきたでしょう?」
すると、鞍馬が芽依の背中を押すように言った。
「僕、阿倍野さんの書く文章、読んでみたいです」
「そうだな。君はそっちの方の仕事がいいんじゃないか」
「わ、私は別にライターとして働いたことはないので。実績なんかも全くありませんし」
「そういう細かいことは気にしておりませんよ」
すると、天童がようやく口を開いた。
「やってみろよ。ダメならやめればいい」
「えっ?」
「阿倍野芽依。俺たちとお前の間には契約がある。まず1つ、あやかしの秘密を絶対にばらさないこと。2つ、店には顔を出すこと。そして3つ、働くことだ」
「あれ、一つ増えてませんか?」
「いや、これが条件だ。でなければ、お前に金木犀ラテは提供しない」
「そんな……」
私のように、優柔不断な性格は、半ば強引に事が進んでしまった方がいいこともある。そんなことを思わせる流れであった。
(あやかしに仕事紹介されるって。私、本気?)
「では明日、履歴書をお持ちの上、ご都合の良い時間に尋ねてきてください。それでは皆さん、私はこれで」
そういうと、田野前はスリーブのついたテイクアウトのカップを持つと、軽快に店を出て行った。
(もしかして、まだ仕事中ってわけじゃないよね?)
気になることは多々あるが、これはもう引くに引けないのでは。
「あの……、これはもう行くしかない感じでしょうか」
芽依はちらりと鴑羅に聞いてみる。
「阿倍野さんなら、きっとやれますよ」
「適当なことを言うな、天。彼女は人間であいつはあやかしだぞ」
まるで鴑羅は俯瞰するかのように言った。
確かに。私と彼らとでは、似ているようで違うはずだ。
「でも僕、阿倍野さんにはなにか不思議な力がある気がします」
「鞍馬さん……。またそんなこと」
鞍馬は出会った頃よりも本当に元気になっている。決して、傷は言えていないだろうが、何か吹っ切れたようなものを感じさせられ、芽依の気持ちまでも動かすものがああった。
これから先、何が起こるかわからないのはどこにいたって同じだ。芽依はこの数年でそれがよくわかった。それならば、あやかしの力を借りるのもありなのかもしれない。
偶然見つけた夜カフェがきっかけで、こんなに生き方が変わっていくことになるとは。
芽依はふと、カウンターの端でラテを作る天童へと視線を向けた。
夜カフェ〈金木犀〉~酒呑童子は禊の最中でした~。
芽依はそんなタイトルが頭に浮かんだ。
(だけど、禊すらも楽しんでる感じがするな。天童さんは)
「ほい、お待たせ」
そして、芽依の前に綺麗な二層のグラデーションを作る金木犀ラテがやってきた。
その見た目は、芽依の心を掴んでやまない。
色に香り口当たり。立ち上がる湯気までが愛おしい。
「いただきます」
「おう。それを飲んだらこれまでのことは忘れろ。な」
その日のラテは、芽依の心をほかほかと温めた。
いい夜が始まりそうだ。
そんなことを思いながら、芽依はほっとひと息をついた。
夜カフェ〈金木犀〉 ~酒呑童子は禊の最中でした~ 第一部おわり
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
迷子のあやかし案内人 〜京都先斗町の猫神様〜
紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
【キャラ文芸大賞に参加中です。投票よろしくお願いします!】
やさしい神様とおいしいごはん。ほっこりご当地ファンタジー。
*あらすじ*
人には見えない『あやかし』の姿が見える女子高生・桜はある日、道端で泣いているあやかしの子どもを見つける。
「”ねこがみさま”のところへ行きたいんだ……」
どうやら迷子らしい。桜は道案内を引き受けたものの、”猫神様”の居場所はわからない。
迷いに迷った末に彼女たちが辿り着いたのは、京都先斗町の奥にある不思議なお店(?)だった。
そこにいたのは、美しい青年の姿をした猫又の神様。
彼は現世(うつしよ)に迷い込んだあやかしを幽世(かくりよ)へ送り帰す案内人である。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる