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最終章

一 再出発

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 一

 その夜、芽依が夜カフェ〈金木犀〉の扉を開けると、すでにカウンターには鴑羅と鞍馬が座り、談笑しているところだった。
 芽依に気付いた二人が軽くてを上げて芽依を呼ぶ。

「おつかれさまです。鴑羅さんお久しぶりですね」
「ああ。遅かったじゃないか」
「すいません、ちょっとバタバタしちゃって」

 ようやくやってきた芽依に、天童は何も言わず笑っていた。
 その日、私たちは敗北会を行おうという話になっていた。
 だが芽依は支度に手まどい、家を出たのが遅く、乗ってきた電車は東京駅行きの終電だった。

「そうだ、阿倍野さん。これ差し上げます」

 鞍馬は黒のサコッシュの中から、金のフタのついたミニスプレーボトルを取り出すと、芽依へと渡した。

「私に!?」
「試作品なんですけど。よければどうぞ。アロマピローです」
「えっ、アロマピローって確か枕に使うやつですよね? 嬉しい! 気になっていたんです、こういうの! 少し、嗅いでかけてみても平気ですか?」

 そういい、芽依は隣に座っている鴑羅が香り嫌いではないか確認をする。

「ああ、構わない」

 それを聞いて安心した芽依は、持っていたタオルにワンプッシュかけてみた。

「あ……。わあ、いいい香り!」
「よかったです」
「なかなか合う香りを探すのって難しいのに。鞍馬さんの香りは私好みのものが多いみたいですね」
「嬉しいです」
「鞍馬はあらたにブランドを立ち上げるそうだ」
「えっ、本当ですか!」
「まだ、うまくいくかわかりませんが……」
「絶対うまくいきますよ。これだけの才能があるんですもの」
「今までは、万人受けする物ばかり考えていたんですが、あえて僕しか出来ないものを作ってみようと思ったんです」
「鞍馬さんらしいもの……ですか?」

 すると、鞍馬は笑顔で言った。

「あやかしですよ」
「えっ?」

 それを聞き、鴑羅がくくくと肩で笑っていた。

「僕はあやかしらしく、悪い香りを作ってみようと思うんです」
「悪い香り……ですか?」
「はい。誰も作らないと思いますので」
「優等生に反発する、みたいなイメージですか?」
「まあ、そんなところです。今回のことで、僕も色々ダークな思いを抱きましたし」

 そういって話す鞍馬だったが、その顔はさわやかだった。

「すごい……。そんな発想ありませんでした」
「ところで、君のほうはどうなってるんだ? 職探しは順調か?」
「っ……!」

 思わぬところから矢が飛んできた。
 芽依はそう思いながらも、何も言えず黙り込んでしまった。

「順調じゃないのか?」
「なんか、今回のことがあってから全然意欲がわかなくなってしまって。……なんて言い訳ですよね」
「お嬢さん、でしたらなおさらうちで働けばいいじゃないですか」
「えっ?」

 いつの間に入ってきたのか、そこには田野前が立っていた。

「田野前さん」
「アベノメイさん。うちは福利厚生も揃っております。基本給は平均的ですが、メリットといえばフレックスタイム制というところでしょうか」
「フレックスなんですか!」
「ええ。とてもあやかしに優しい職場です」
「あの……私はあやかしじゃないんですけど」
「そうですね。まずは一度面接にお越しください。明日などいかがですか?」
「でも私、美術とか全く詳しくないですけど……」
「それはそのうちに覚えますよ。それに、アベノメイさんにうってつけの仕事が空いているんです。広報ライターです」
「え、ライター?」
「企画展の紹介文などを書いていただくお仕事です。こちらも人がいなくて困っておりまして。アベノメイさんはそちらの方にお力がありそうですのでいかがです? 興味がわいてきたでしょう?」

 すると、鞍馬が芽依の背中を押すように言った。

「僕、阿倍野さんの書く文章、読んでみたいです」
「そうだな。君はそっちの方の仕事がいいんじゃないか」
「わ、私は別にライターとして働いたことはないので。実績なんかも全くありませんし」
「そういう細かいことは気にしておりませんよ」

 すると、天童がようやく口を開いた。

「やってみろよ。ダメならやめればいい」
「えっ?」
「阿倍野芽依。俺たちとお前の間には契約がある。まず1つ、あやかしの秘密を絶対にばらさないこと。2つ、店には顔を出すこと。そして3つ、働くことだ」
「あれ、一つ増えてませんか?」
「いや、これが条件だ。でなければ、お前に金木犀ラテは提供しない」
「そんな……」

 私のように、優柔不断な性格は、半ば強引に事が進んでしまった方がいいこともある。そんなことを思わせる流れであった。
(あやかしに仕事紹介されるって。私、本気?)

「では明日、履歴書をお持ちの上、ご都合の良い時間に尋ねてきてください。それでは皆さん、私はこれで」
 
 そういうと、田野前はスリーブのついたテイクアウトのカップを持つと、軽快に店を出て行った。
(もしかして、まだ仕事中ってわけじゃないよね?)
 気になることは多々あるが、これはもう引くに引けないのでは。

「あの……、これはもう行くしかない感じでしょうか」

 芽依はちらりと鴑羅に聞いてみる。

「阿倍野さんなら、きっとやれますよ」
「適当なことを言うな、天。彼女は人間であいつはあやかしだぞ」

 まるで鴑羅は俯瞰するかのように言った。
 確かに。私と彼らとでは、似ているようで違うはずだ。

「でも僕、阿倍野さんにはなにか不思議な力がある気がします」
「鞍馬さん……。またそんなこと」

 鞍馬は出会った頃よりも本当に元気になっている。決して、傷は言えていないだろうが、何か吹っ切れたようなものを感じさせられ、芽依の気持ちまでも動かすものがああった。
 これから先、何が起こるかわからないのはどこにいたって同じだ。芽依はこの数年でそれがよくわかった。それならば、あやかしの力を借りるのもありなのかもしれない。
 偶然見つけた夜カフェがきっかけで、こんなに生き方が変わっていくことになるとは。
 芽依はふと、カウンターの端でラテを作る天童へと視線を向けた。
 夜カフェ〈金木犀〉~酒呑童子は禊の最中でした~。
 芽依はそんなタイトルが頭に浮かんだ。
(だけど、禊すらも楽しんでる感じがするな。天童さんは)

「ほい、お待たせ」

 そして、芽依の前に綺麗な二層のグラデーションを作る金木犀ラテがやってきた。
 その見た目は、芽依の心を掴んでやまない。
 色に香り口当たり。立ち上がる湯気までが愛おしい。

「いただきます」
「おう。それを飲んだらこれまでのことは忘れろ。な」

 その日のラテは、芽依の心をほかほかと温めた。
 いい夜が始まりそうだ。
 そんなことを思いながら、芽依はほっとひと息をついた。


 夜カフェ〈金木犀〉 ~酒呑童子は禊の最中でした~  第一部おわり
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