40 / 49
第6章
四 心を開いて
しおりを挟む
四
完敗だった。
弁護士事務所を出てきた芽依と鞍馬は二人して同時に空を仰ぎ見てため息をついた。
すると、鞍馬が芽依に声をかけた。
「阿倍野さん」
「はい……」
「喉乾きませんか?」
「えっ? あ……、そうですね。少しお茶しましょうか」
そういい、芽依たちは駅前にあるカフェに入り、緊張と絶望の心を少し休ませることにした。
*****
「やっぱり、でしたね……」
鞍馬が儚げに言った。
「私の方はもう手段がない感じでしたけど、鞍馬さんの件はまだ望みがないわけではなさそうでしたから……」
「もういいんです」
「えっ?」
鞍馬の諦めをにじませる言い方に、芽依は鞍馬の顔を見つめ返した。
「専門家から話が聞けて、正直、少しすっきりしました」
「それは、本心……ですか?」
芽依はおそるおそるに聞いてみる。
鞍馬は芽依から顔をそらしたままだったが、その表情は落ち着いていた。
「……はい。それに、たとえ僕が志摩ユウキを訴えてレシピを取り戻したとしても、盗用されていたものだという事実は消えません」
鞍馬の言葉はもっともであった。
法的手段を取り、たとえ勝ちを取ったとしても、心にできた傷までは消えないのだ。
私たちは、たとえどんなことがあろうとも、その傷を背負ったまま生きなければならないのだ。
(受けた傷ごとなくなってくれたらいいのに……)
そんなことを、芽依は強く思った。
「僕にとっては、レシピっていうのは我が子みたいな存在でひとつひとつに愛があります。たとえ傷だらけになっていたとしても、見捨てるつもりはありません。けど、万が一もし僕がレシピを取り戻したとしても、僕の元では日の目をみることはないだろうともおもってます」
「えっ?」
「僕には力がない。細々とした個人販売で収入を得ているいっぱしの調香師です。志摩ユウキだったからこそ万人に好まれた。悔しいですがこれも事実です。だから僕のレシピは、たとえ志摩ユウキのもとであろうと、誰かの日常を飾れているのならそれでもいいかと思うようになりました」
「鞍馬さん……」
そういうと、鞍馬はアイスコーヒーを半分ほどまで飲み干した。
「私、鞍馬さんの香り、とても好きです」
「えっ?」
「実は、鞍馬さんが金木犀にやってきた日。私、鞍馬さんのこと、思わず見入っちゃったんです。いい香りがする人だなあって」
「僕の香り?」
「あの、バニラみたいな。主張も強くないし、それなのに心地よくて、本当にいい香りって思うものだったから。よく、いい香りのする女性に男性って振り返ってしまうっていうじゃないですか。あれと同じことをしてました。金木犀の雰囲気を邪魔しない。夜に馴染むとてもいい香りでした。あれも、鞍馬さんが作ったものなんですか?」
「はい。あれも僕が考えた調香法で作った香りて、今はSEEmyが作ってるものです」
「SEEmyが。そうだったんですか……」
鞍馬はストローでグラスの中の氷をかき混ぜながらいった。
「あの香り、僕もお気に入りなんです。だから、完成したときの喜びはいまだって思い出せます。でも嬉しい」
「鞍馬さんの香りは、きっと慕われる香りなんだと思います。あ……私なんかに言われても信憑性ないですよね」
「そんなことありませんよ、阿倍野さん」
「それだけの才能があるんですから、鞍馬さんらしくやればいいと思います」
「僕らしく……」
そう言うと、今度は芽依がアイスカフェラテを半分まで飲み干した。
「僕。人見知りだし、誰かを頼ることも苦手なんです。レシピを盗まれたとなったとき、誰かに助けて欲しいと思った。けど、誰にも話すことは出来ないし、そんな目にあったことが恥ずかしくも思えたりして。相手は志摩ユウキだし、僕はあやかしだ。誰が聞いても志摩ユウキを信じるに違いない。だから、相談なんて出来なかった。それで、気付いたら心が疲弊してしまっていました」
「それで病院を受診したんですか?」
「眠れなくなった上に、加えて、希死念慮も出てきたから」
その言葉に芽依は驚いた。
他人にはどうにも出来ないデリケートな感情だ。けれども、そこからは救わねばと芽依は思った。
「そこまで……。い、今はどうなんですか?」
すると、鞍馬は芽依の言葉から悟ったのか、笑顔で答えた。
「安心してください。今はありません」
「よかった……」
「ちょうど、夜カフェ〈金木犀〉というカフェに酒呑童子がいると知ってから起きなくなりました。唯一、僕が生きる道はそこしかないと思い、夜な夜な店を探し回ってました」
「そうだったんですか……」
「おかげで、金木犀で天童さんと鴑羅さんに出会えた。それからほんの少しずつだけど、気持ちにも変化がおきましたよ」
「でも、その……金木犀の話ってどこで聞いたんですか? 金木犀ってネットで検索しても出てこないのに」
「禊を課せられたあやかしなら、一度は耳にする話だと思います。何でも、やばいあやかしがやっているカフェがあるって」
「や、やばい……ですか?」
「困ったら金木犀を頼れっていうくらいですからね。ただ、そこにいるのは大あやかしの酒呑童子だから覚悟はしろって。そう聞くと。なかなか勇気が出なかったんですけど……」
「やっぱり、酒呑童子って大物なんですか?」
「はい。大物ですよ」
「……そうなんだ」
「大酒飲みで、気性が荒くて。問題ばかり起こすあやかしで手をつけらないといういい伝えが残っていますからね。禊を課してもすぐ破るという話は有名です」
「禊を破る?」
(それ。ガチでやばいじゃん)
「でも、今の天童さんはそんな様子ありませんけどね」
完敗だった。
弁護士事務所を出てきた芽依と鞍馬は二人して同時に空を仰ぎ見てため息をついた。
すると、鞍馬が芽依に声をかけた。
「阿倍野さん」
「はい……」
「喉乾きませんか?」
「えっ? あ……、そうですね。少しお茶しましょうか」
そういい、芽依たちは駅前にあるカフェに入り、緊張と絶望の心を少し休ませることにした。
*****
「やっぱり、でしたね……」
鞍馬が儚げに言った。
「私の方はもう手段がない感じでしたけど、鞍馬さんの件はまだ望みがないわけではなさそうでしたから……」
「もういいんです」
「えっ?」
鞍馬の諦めをにじませる言い方に、芽依は鞍馬の顔を見つめ返した。
「専門家から話が聞けて、正直、少しすっきりしました」
「それは、本心……ですか?」
芽依はおそるおそるに聞いてみる。
鞍馬は芽依から顔をそらしたままだったが、その表情は落ち着いていた。
「……はい。それに、たとえ僕が志摩ユウキを訴えてレシピを取り戻したとしても、盗用されていたものだという事実は消えません」
鞍馬の言葉はもっともであった。
法的手段を取り、たとえ勝ちを取ったとしても、心にできた傷までは消えないのだ。
私たちは、たとえどんなことがあろうとも、その傷を背負ったまま生きなければならないのだ。
(受けた傷ごとなくなってくれたらいいのに……)
そんなことを、芽依は強く思った。
「僕にとっては、レシピっていうのは我が子みたいな存在でひとつひとつに愛があります。たとえ傷だらけになっていたとしても、見捨てるつもりはありません。けど、万が一もし僕がレシピを取り戻したとしても、僕の元では日の目をみることはないだろうともおもってます」
「えっ?」
「僕には力がない。細々とした個人販売で収入を得ているいっぱしの調香師です。志摩ユウキだったからこそ万人に好まれた。悔しいですがこれも事実です。だから僕のレシピは、たとえ志摩ユウキのもとであろうと、誰かの日常を飾れているのならそれでもいいかと思うようになりました」
「鞍馬さん……」
そういうと、鞍馬はアイスコーヒーを半分ほどまで飲み干した。
「私、鞍馬さんの香り、とても好きです」
「えっ?」
「実は、鞍馬さんが金木犀にやってきた日。私、鞍馬さんのこと、思わず見入っちゃったんです。いい香りがする人だなあって」
「僕の香り?」
「あの、バニラみたいな。主張も強くないし、それなのに心地よくて、本当にいい香りって思うものだったから。よく、いい香りのする女性に男性って振り返ってしまうっていうじゃないですか。あれと同じことをしてました。金木犀の雰囲気を邪魔しない。夜に馴染むとてもいい香りでした。あれも、鞍馬さんが作ったものなんですか?」
「はい。あれも僕が考えた調香法で作った香りて、今はSEEmyが作ってるものです」
「SEEmyが。そうだったんですか……」
鞍馬はストローでグラスの中の氷をかき混ぜながらいった。
「あの香り、僕もお気に入りなんです。だから、完成したときの喜びはいまだって思い出せます。でも嬉しい」
「鞍馬さんの香りは、きっと慕われる香りなんだと思います。あ……私なんかに言われても信憑性ないですよね」
「そんなことありませんよ、阿倍野さん」
「それだけの才能があるんですから、鞍馬さんらしくやればいいと思います」
「僕らしく……」
そう言うと、今度は芽依がアイスカフェラテを半分まで飲み干した。
「僕。人見知りだし、誰かを頼ることも苦手なんです。レシピを盗まれたとなったとき、誰かに助けて欲しいと思った。けど、誰にも話すことは出来ないし、そんな目にあったことが恥ずかしくも思えたりして。相手は志摩ユウキだし、僕はあやかしだ。誰が聞いても志摩ユウキを信じるに違いない。だから、相談なんて出来なかった。それで、気付いたら心が疲弊してしまっていました」
「それで病院を受診したんですか?」
「眠れなくなった上に、加えて、希死念慮も出てきたから」
その言葉に芽依は驚いた。
他人にはどうにも出来ないデリケートな感情だ。けれども、そこからは救わねばと芽依は思った。
「そこまで……。い、今はどうなんですか?」
すると、鞍馬は芽依の言葉から悟ったのか、笑顔で答えた。
「安心してください。今はありません」
「よかった……」
「ちょうど、夜カフェ〈金木犀〉というカフェに酒呑童子がいると知ってから起きなくなりました。唯一、僕が生きる道はそこしかないと思い、夜な夜な店を探し回ってました」
「そうだったんですか……」
「おかげで、金木犀で天童さんと鴑羅さんに出会えた。それからほんの少しずつだけど、気持ちにも変化がおきましたよ」
「でも、その……金木犀の話ってどこで聞いたんですか? 金木犀ってネットで検索しても出てこないのに」
「禊を課せられたあやかしなら、一度は耳にする話だと思います。何でも、やばいあやかしがやっているカフェがあるって」
「や、やばい……ですか?」
「困ったら金木犀を頼れっていうくらいですからね。ただ、そこにいるのは大あやかしの酒呑童子だから覚悟はしろって。そう聞くと。なかなか勇気が出なかったんですけど……」
「やっぱり、酒呑童子って大物なんですか?」
「はい。大物ですよ」
「……そうなんだ」
「大酒飲みで、気性が荒くて。問題ばかり起こすあやかしで手をつけらないといういい伝えが残っていますからね。禊を課してもすぐ破るという話は有名です」
「禊を破る?」
(それ。ガチでやばいじゃん)
「でも、今の天童さんはそんな様子ありませんけどね」
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
『イケメンイスラエル大使館員と古代ユダヤの「アーク探し」の5日間の某国特殊部隊相手の大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第1弾!』
あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第1弾!
もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第1弾でもあります!
ニコニコ商店街・ニコニコポロレスのメンバーが再集結。
稀世・三郎夫婦に3歳になったひまわりに直とまりあ。
もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。
今作の主人公は「夏子」?
淡路島イザナギ神社で知り合ったイケメン大使館員の「MK」も加わり10人の旅が始まる。
ホテルの庭で偶然拾った二つの「古代ユダヤ支族の紋章の入った指輪」をきっかけに、古来ユダヤの巫女と化した夏子は「部屋荒らし」、「ひったくり」そして「追跡」と謎の外人に追われる!
古代ユダヤの支族が日本に持ち込んだとされる「ソロモンの秘宝」と「アーク(聖櫃)」に入れられた「三種の神器」の隠し場所を夏子のお告げと客観的歴史事実を基に淡路、徳島、京都、長野、能登、伊勢とアークの追跡が始まる。
もちろん最後はお決まりの「ドンパチ」の格闘戦!
アークと夏子とMKの恋の行方をお時間のある人はゆるーく一緒に見守ってあげてください!
では、よろひこー (⋈◍>◡<◍)。✧♡!
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
迷子のあやかし案内人 〜京都先斗町の猫神様〜
紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
【キャラ文芸大賞に参加中です。投票よろしくお願いします!】
やさしい神様とおいしいごはん。ほっこりご当地ファンタジー。
*あらすじ*
人には見えない『あやかし』の姿が見える女子高生・桜はある日、道端で泣いているあやかしの子どもを見つける。
「”ねこがみさま”のところへ行きたいんだ……」
どうやら迷子らしい。桜は道案内を引き受けたものの、”猫神様”の居場所はわからない。
迷いに迷った末に彼女たちが辿り着いたのは、京都先斗町の奥にある不思議なお店(?)だった。
そこにいたのは、美しい青年の姿をした猫又の神様。
彼は現世(うつしよ)に迷い込んだあやかしを幽世(かくりよ)へ送り帰す案内人である。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる