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第1部 第1章 ケース オブ 調香師・鞍馬天狗『盗まれた香り』

四 その店の名は、夜カフェ〈金木犀〉

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 一


 ターミナル駅として、東京駅は丸の内口の反対側には八重洲口を構えている。
 丸の内口と八重洲口では、それぞれ別々の不動産企業が絡んでいるためか、街の雰囲気にも各々特徴が見られる。
八重洲口は、昭和から残るビルも入り混じり、江戸風情や日本橋をうまく取り入れた変化を感じられる街であり、対する丸の内口側に広がっている駅前の敷地は、その先の皇居まで見通すことができるほどに大きく開けている。
 赤煉瓦の駅舎をも取り込むように、周りにそびえるスタイリッシュな高層ビルは、大手証券会社やITベンチャー企業といったトップクラスのビジネスパーソンたちのプライドを書き集めたかのように、建ち並んでいる。
 ここはビジネスから感性までも刺激する街。芽依は、丸の内仲通りと呼ばれる石畳の道を歩いていた。
 この通りは、春は街路樹が新緑の美しさを見せ、夏になれば日差しをうけてマイナスイオンを放つ。秋になれば紅葉に色付く風情をみせ、イルミネーションの季節になると、煌く灯りでトンネルで魅せてくれる通りだ。
 年中華やかさのある通りであるが、この時間はというと、恐ろしいほどに静かであった。
(街が眠ってるみたい)
 街の賑やかさは消えてなくなり、寂しさを煽る風が足元を吹き抜けていく。駅から離れれば離れるほど辺りは薄暗く、空気は張り詰め、芽依は心細さに見舞われた。
(駅前でタクシーを拾えばよかった……)
 どうすればいいかわからず、完全に街を彷徨っている芽依。街に取り残されたような感覚が、まるで己の人生の歩みと重なり、虚しさを覚えた。
(なんで、うまくいかないんだろう)
 積み上げてきたものが崩れ、また新たに構築していくにしても、先をいく人には追いつけない。途中から合流するのというのはとても厳しい。いったい、自分はどうなるのか。
 林田の気持ちには応えたいが、果たして、こんなことを思っている自分がこの企画を抱えても大丈夫なのだろうかと、芽依は思った。
 足取りが重くなり、立ち止まろうかと思ったそのとき、少し先に見えるビルからおぼろげな灯りが通り伸びていることに気付いた。
(え、灯りがある……)
 もしかして、まだ開いている店があるのだろうか。やはり人間、明るい方へと足が向く。芽依はビルへ向かって足を早めた。

 見えてきたのは、路面に建つ二階建ての白いビルだった。
周りの店は営業を終了しているというのに、その店だけは明かりを灯し、店の前に[OPEN]と書いた看板を立てている。
 店の一階は全面ガラス窓。白のレンガ調の外壁にはめ込まれた窓枠は黒く、石畳の通りによく似合うこの街らしいスタイリッシュさを放っている。
(こんな時間までやっているカフェがあるんだ)
 入口となる扉近くの壁面には、楕円の形をしたアイアン素材の吊し看板があり、流れ星のように斜めっている華奢なフォントの文字で店の名前を掲げていた。

「夜カフェ……、金木犀きんもくせい?」

 実にシンプルな店名だった。
 窓の向こうに見える店内は、夜の静けさに溶けこむような、暖かみのある優しい灯りが広がっている。
 中にはコーヒーを啜りながらくつろいでいる髪の長い女性や、黒いストローの刺さったカップを手に夜更かしの談笑を楽しむ若者。他にも、パソコンを開いて必死にキーボードを叩くサラリーマンやタブレットに何かを描き込んでいるクリエイターらしき人物の姿が見て取れ、午前零時過ぎとは思わせない賑わいを見せていた。
 さすがは東京・丸の内。芽依は心を踊らせた。
 人々は眠る時間だというのに、この店は抗ってくれるようだ。夜型ともなれば気が合うかもしれない。
(私もちょっと休憩しようかな。どのみち今日は帰れないんだから)
 終電を逃すという失態をした人間にとって、それは希望の光のようだった。
 芽依は扉の取手を握ると、手前へ引いて店の中へと入っていった。


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