夜カフェ〈金木犀〉〜京都出禁の酒呑童子は禊の最中でした〜

花綿アメ

文字の大きさ
上 下
1 / 49
第1部 第1章 ケース オブ 調香師・鞍馬天狗『盗まれた香り』

一 終電を逃す阿倍野芽依、27歳

しおりを挟む
 一、


「え……冗談でしょ?」

 ——東京駅丸の内口改札前。
 その日最後となる電車が発ったことを案内する放送に、阿部野芽依あべのめいは絶望した。
 生まれて二十七年と九ヶ月。神職である実家が嫌で上京して手に入れた念願の東京一人暮らし。五分前行動を基本とし、余裕を持った生き方を心がける大人でいたつもりだったが、まさか終電を逃がす失態を起こそうとは。

「これ私、……帰れないの?」

 芽依は東京駅北口のクラシカルな造形が美しいことで有名な、吹き抜けとなっているドーム天井の真下で、突然突きつけられた現実に肩を落としていた。
 現在、コールセンターで派遣社員として働く芽依。だが十ヶ月前までは、食の卸売をする企業でOLをやっていた。職を変えた理由は、二年前に発生した流行病による経済の悪化で会社が倒産したからである。
感染予防策として打ち出された飲食業界一点集中の制限は、感染の波が起こるたびに繰り返され、芽依の勤める会社はこの荒波に飲まれて船ごと沈んだ。
 そう、これはその感情と似ている。あのときだって、まさか入社三年目で自分が失業するとは思っていなかったのだから。

「はあ、詰んだ……」

 心が折れたかのように、肩にかけていた黒のトートバッグが滑り落ちる。
 バッグの中には飲みかけのペットボトルに愛用のノートパソコン。打ち合わせで使用した資料の束。そして家に帰れないという現実が重みとなって肩にずどんとのし掛かってくる。
 東京の洗礼に降参すべく、芽依は頭上を仰いだ。視線の先には重厚感溢れる芸術的な天井が見える。まるでモダンな万華鏡を覗き込んだような世界だ。レトロな雰囲気を持つ装飾とともに羽を広げた八羽の鷲の姿。芽依は、その景色を眺めながら、昔の記憶を呼び起こした。
 東京駅丸の内口といえば、重要文化財にも指定される赤煉瓦の貴重な建造物であるが、毎日約五十万人が利用する主要駅の一つである。
 北口、中央口、南口と三つの降車口があり、そのうちその美しい天井を持つ改札口は、北口と南口で見ることが出来る。
 改札を出ると、そこは丸く開けており、頭上は吹き抜けとなっている。
 足元に描かれているのは、中央から外へ向かって放射線状に広がる円状の模様。その周りを囲むように、古代建築の神殿にも似た銀色の円柱が八本、建物を支えるべく堂々と伸びている。
 ドーム天井の中心には太陽のように丸い円があり、そこから放射線状に広がる茶色い枠は、それらの点と点を繋いで正八角形となって浮き上がっている。その角を囲むように、二メートル近くのあるといわれる八羽の白い鷲の彫刻は圧巻だった。
 駅舎の優雅な天井、その内側は優しい薄い卵色であり、さらに下に続く白いアーチの彫刻がさらなる造形美を醸し出し、見るものを引きつけるノスタルジックな空間を作り上げている。
 優雅なアーチの間には十二支のレリーフが配置されているのだが、それはかつて干支を時刻や方角として使い生活していた明治以前までの日本人の習慣を踏襲して配置されたという。だが使われている柱が八本であるため、省かれてしまった干支が四つあるというのは少々可哀想でもあった。
(干支でもマウントされるのね)
 これらの歴史を芽依が知っているのは偶然ではなく、大学時代に所属していた文芸サークルで、東京駅を取材したことがあったからだ。まさか、あのときに手に入れた知識を今ここで思い出すとは。これは何かの縁なのだろうか。
 なぜなら今日、芽依がこの街にやってきたのは、まさにサークル仲間からのメッセージがきっかけだったからだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...