【完結】廃嫡された王太子は沼にハマったようです

久乃り

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56.その名を背負う者は

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 皇帝の子が神殿から洗礼を受ける日が来た。
 生まれてから一年経つと行われる儀式である。神殿にて神官たちに祈りを捧げられ、女神の抱く壺より流れ落ちる聖水で身を清める。儀式が終わればその体に皇帝の子たる証が刻まれるのだ。

 もちろん、その儀式には帝国における全ての貴族が参列する。属国や植民地化した国の王たちも参列し、儀式の無事を見届けるのだ。もちろん、その後の盛大な宴に参加することも最大の目的である。少しでも顔を売り、己の地位を死守するためだ。あるいは、令息令嬢にとっては最大の出会いの場である。
 祝いの品だけではなく、着飾る紳士淑女の為の品々が恐ろしい勢いで売れ、流通が盛んになる。もちろん、宴の席で振る舞われる飲み物食べ物、自国で、領地で採れた品を宣伝する絶好の機会である。

 そんなわけで、儀式への招待状が大量に印刷され、招待客へと配送されるのだが、間違いなく手元に届けるために魔法が使われる。

「私の戴冠式に来てくれたのだから、ウルゼン国王にも送らなくてはいけないな」

 そんな不穏な言葉をアラムハルトが口にすれば、手紙に魔法をかけていたエディエットの手が止まる。

「ウルゼンの国王は死んでいるぞ」

 口にしながらエディエットは口の端を軽く上げた。そう、エディエットの父である国王は死んだ。あの日、にテラスに立った人物は誰であったか。

「私の戴冠式に来たのは、確か国王の代理の王太子であったな」
「そうですね。とても流暢に帝国の言葉を話していましたよ」

 アラムハルトの隣で蝋封の補佐をしている宰相がそんなことを言うから、エディエットは笑いをこらえるしかない。代理を務めた王太子と、いまウルゼンで喪に服している王太子は別人だ。国王の死後一年経つと、新しい国王が戴冠式をするのがウルゼンの習わしだ。
 だからまだ気づいていないのか、それとも再生が出来なくて慌てているのか、どちらにせよ国王の証も王太子の証もなければ返事も出来ないだろう。

「国王は死んでいるけれど、公に発表はしてなかったはずだ」

 エディエットが国王の崩御を知ったのは、たんに魔法である。辺境の地であるから、どこかから連絡が来たわけではない。ウルゼンの国の内部の者たちが何もしていないと分かるのは、誰も玉璽を探しに来ないからだ。
 きっと今頃、宰相やセレーヌ辺りが好き放題していることだろう。だからこそ、玉璽を介さない書類を通しているとすれば、あるべきものがそこにないことに気づきもしていないことになる。

「宛先は……そうだな、ウルゼン国王とでもしておくか」

 蝋封をして、宛名をアラムハルトが書き込む。宛名を書くインクが魔道具で、魔法によって確実に相手に届くのだ。だから、途中で誰かに捨てられたり読まれたりすることは無い。もちろん届かなければ送り主の元に返ってくる。蝋封で封をして、それをエディエットに渡してくるのは宰相で、宛名人物の元に届くよう魔法を込めるのはエディエットの仕事だった。
 皇帝の戴冠式の時同様に、世界中の国王や領主、貴族に招待状が届けられる。帝国内の貴族は招待状が届くことがステータスとなり、いつ届いたかでマウントを取り合う者もいるらしいから困ったものである。もちろん、爵位の高い貴族から送られるのは言うまでもない。


 ――――――――――

 正妃が公の場に姿を表すのは、こういった行事の時だけだ。例え皇帝主催の宴が催されたとしても、正妃が皇帝の隣に立つことは無い。
 神殿の女神の泉に現れた正妃は、一歳になった子を胸に抱き、周りを大勢の侍女に囲まれて登場した。誰も正妃に声をかけることは許されず、また正妃の顔を見ることも許されない。
 正妃の顔を隠すベールは長く、その胸に抱く子の顔さえも隠していた。服装は純白で女神の前に清廉潔白であることを示していた。

 大勢が見守る中、神官に導かれ正妃が女神の泉に足を踏み入れた。もちろん裸足である。
 正妃が胸に抱く子を掲げると、その子が上半身には何も纏っていないことが分かった。これから行われる儀式の正当性を示すためである。

「今ここに、帝国の皇帝アラムハルト・ディ・チールドの子に女神の祝福を」

 神官の言葉に合わせ、正妃の抱き上げた子が流れ落ちる壺からの聖水を頭から浴びせられる。幼子にはかなりの刺激になるはずなのに、泣きもせずその水を浴びて子は笑った。
 それを見て神殿内にはどよめきが起きた。この儀式をした事のある帝国の貴族たちは、泣かない皇帝の子にその血統を見たのだ。
 そうして、聖水を全身に浴びた子の背中、左肩の辺りに証が浮かび上がった。
 再びどよめきが起きる。
 女神に認められし皇帝の子である。帝国の紋章とその存在についての文言が刻まれたのだ。

(なるほど、背中にあったのか、それでは俺に見えないはずだ)

 儀式の様子をアラムハルトの隣で見ていたエディエットは、長い間の疑問がようやく解決出来てひとり納得していたのだった。


 儀式が終われば、正妃も子も後宮へと隠れてしまう。大切なものはしまっておくのが何より正しいわけで、皇帝のこの誕生を祝いは皇帝へと届けらるのだ。
 盛大な宴が催され、招待客たちは皇帝に祝いの言葉を述べていく。エディエットは隣にたち顔と名前を覚えるのに必死だった。挨拶こそしないけれど、着飾ったエディエットが皇帝の隣にたてば、その存在が何を意味するのか帝国の貴族たちは理解するし、来賓の他国の王たちは帝国の在り方を知っているからこそ、エディエットの重要性を知るのである。

 だがしかし、何も学ばない客がいることは確かだった。例えば海を挟んでいるとか、険しい山脈の向こう側にあるとか、そういう事情のある国でえるならば、貿易の相手として帝国はとても魅力的な市場になるだろう。攻め込まれる要因がなければあくまでも友好関係を気づけばいいだけの事。
 鉱山でもあるならば、帝国ほど巨大な市場はないからだ。宝石だけではない、布や金属など、生活に必要なものは帝国で売れれば自国で売るより遥かに儲けがでるものだ。
 だからこそ、皇帝に挨拶の際、隣に立つエディエットを見ないようにみな見ている。貼り付けたようなアルカイックスマイルで、終始無言のエディエットが、魔力で挨拶に来た客人たちを記憶しているからだ。皇帝の前に立った瞬間、絡みつくような魔法を感じはするものの、決してそちらを見ることが叶わないため、誰もが視界の端でエディエットを確認していた。

 そうしたことを何度、何十回、いや何百回と繰り返した。そう、帝国の貴族と近隣諸国だけでも大勢いるのに、もはや世界中に招待状を配ったのだ。はっきりいって馬鹿げている。もはや魔法って意味がわからない。そんなレベルだ。世界に大陸はいくつもある。島国やちょっと大きな島ならそこに国が2つ3つは存在する。国の大小合わせたら百は超えるのに、さらに貴族も呼んだ。だからもう、招待客は訳が分からないぐらいいるのだ。
 魔法でもなければ記憶できるわけが無い。だから、魔法を使ってエディエットは招待客を記憶していく。
 そして、そんなことを続けて五日目のこと、ようやくアラムハルトにとっての本命がやってきた。待ちに待ったウルゼン国王代理である。

 遠路はるばるやってくる遠方の国からの招待客は優先してはいるものの、そこはやはり受付の順番というものがある。どこの国も転移門が設置されており、それなりの魔道具を使用していて、近隣の友好国とのつながり等で、たとえ帝国の裏側に国があったとしても二日もあれば着いてしまうのだ。だから招待客たちは皇城の中にある離宮に泊まり挨拶の順番を待っていた。
 要するに、五日目に順番が回ってきたということは、相当遅くにやってきたということだ。魔獣の森を挟んでいるだけなのに、随分と遅いお出ましだったということになる。それをどう捉えるかは皇帝の気分次第だと言うのに、目の前にたつウルゼン国王代理である男は飄々としていた。
 いや、よく見ればその顔は弱冠青ざめていた。帝国や周辺の国々ノ男たちとは違い色の白いヒョロヒョロとした体格の男だ。国と名前を告げられて、エディエットはまじまじとその男を見た。

(そういや名前、初めて聞いたかもな)

 この男は確かに見たことがある。ウルゼンにいた時に度々城の中で出会っていた。だが、ついぞ言葉を交わすことは無かった。

「遠路はるばるよくぞ参られた」

 別にふんぞり返っている訳では無いが、どう見てもアラムハルトは体が大きくまた、逞しくもあり、普通に椅子に座っているだけなのだかどうにも皇帝の威厳のせいなのか、恐ろしく尊大に見えてしまう。
 いや、実際アラムハルトの前に立つ男にはそう見えているのだろう。だから次の言葉がでないのか、はたまた、皇帝の隣に立つ人物が気になるのか……

「ウルゼン国が王太子ルシェルと申します。この度は          」

 祝いの言葉を述べるルシェル、つまりはエディエットの腹違いの弟である。見た目は母親に似ている。どこか線が細く神経質な方そうに見える。大方母親からの期待が強すぎて神経をすり減らしてきたくちなのだろう。

「礼を言う……と、言いたいところだが、そなた、私の戴冠式の際に来た王太子とは別人だな」

 胡散臭ものを見るような目でアラムハルトがルシェを見る。その発言を聞いた騎士たちが気配を変えた。成りすましはままあることで、このような時が一番多いのだ。

「何を仰られます。私はウルゼン国の王太子です。母はセレーヌ妃です。父である国王がはかなくなりましたので、喪が明ければ即位致します。ふざけたことをおっしゃらないで頂きたい」

 ルシェルが語気を強めてそう言えば、周りにいた招待客たちの視線が集まるというものだ。

「ほう、だがしかし、立太子はしておるまい」

 アラムハルトがそういえば、周りの招待客たちがルシェルを魔力の籠った目で見つめてきた。王太子たる証が、刻まれているのか見定めようとしているのだ。

「何をおっしゃいますか。他国の王位継承に口を挟むおつもりがおありのようですね」

 ルシェルはそう言ってアラムハルトを睨みつけるけれど、それは軽く鼻で笑い飛ばされた。

「女神の聖水を浴びておらぬ王族など聞いたことがない。王位継承についてはどこの国も間違いの起きぬよう神官を通してこの帝国にある女神の聖水を取り寄せているであろう。その方は聖水を浴びておらぬではないか」

 周りにいる招待客たちが一様に頷いている。何も知らないルシェルは一人戸惑い立ち尽くしていた。そうしてキョロキョロと周りを見ると、ようやくアラムハルトの隣に立つ人物の顔を見た。
 そうしてその人物の正体が分かったからなのか、ルシェルの顔が青から赤へと変わっていく。

「お前、エディエット!」

 行儀悪く指まで指してきて、エディエットは内心呆れるしか無かった。確かにこの一応弟は、魔力はそこそこあった。だから少ない共を付けてこの帝国までやってこられたのだろう。だが、宰相に傀儡として扱われてきたからか、おおよそ世界の常識を知らなすぎた。

「黙れ、私の妻の名を軽々しく口にするな」

 アラムハルトがそう言えば、ルシェルは萎縮した。そうして信じられないという目でエディエットを見るのだ。

「では、お前が正しくウルゼン国の王太子であるのならば、この玉璽を押してみよ」

 ルシェルの前に侍従がやってきて盆の上に載せたぎを掲げた。それを見てルシェルの目が大きく見開かれ、そうしてものすごい勢いでエディエットを睨みつけた。どうやら気がついてはいたらしい。

「玉璽と共に白紙の羊皮紙があるであろう。そこにウルゼン国王太子ルシェルと書いて玉璽を押して見せてみよ。玉璽は魔道具であるから資格がなければ押すことは叶わん」

 アラムハルトが宣言すれば、周りにあっという間に人が集まった。招待客だけではない、万が一に備えて騎士たちもアラムハルトの前にずらりと並んだのだ。
 これはもはや、皇帝の子を見るより貴重な催しとなっていた。一国の王太子の命運がかかっている。万が一にも負けてしまえば、どうなることか、招待客たちはニヤつく内心を押し隠した。
 もう一人侍従がやってきて、インク瓶とペンを盆に乗せてきた。それを使い名を書き、玉璽をもって羊皮紙に押し付ける。魔道具である玉璽は、使用者を選ぶので、正しい持ち主であるのなら、間違いなくそこに朱が記される。
 ルシェルは静かに喉を上下させた。
 
 
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