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53.それはそれとする

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 誰が悪いのか、なにがいけなかったのか、それはもう誰にもわからなくて、知らなくていい事だ。薄暗い部屋で目が覚めたエディエットは、隣になにか温かなものがあることに気がついた。

「起きたか」

 声を聞いて驚けば、隣にはアラムハルトが寝ていた。しかも裸で。

「な、んで」

 エディエットはゆっくりと思い出す。自分はなにをしていたのだろうか。いや、そもそも何故こうなったのだろうか。

「まったく、私の妻は可愛いことをしてくれるものだ」

 そう言ってアラムハルトはエディエットの髪を撫でた。その手つきは優しくて、とても剣先を向けてきた手と同じとは思えなかった。

「なに、を」

 その手を払おうとして、エディエットは気がついた。自分も裸だ。何故こうなった?

「私の妻は隠し事が多くて困る」

 言いながらアラムハルトはエディエットの手を掴んで離さない。そしてそのままエディエットの上に覆いかぶさってきた。目の前には端正な顔がやってきて、胸の下あたりから圧迫を感じる。

「聞きたいことは山ほどある。とはよく言ったものだ。だが、言いたくないことが山ほどあることも承知している。だから、私が聞きたいことは一つだ。私に黙ってどこに行き誰に会っていた」

 またそれかうんざりした顔を見せれば、目の前にある端正な顔がニンマリと笑う。そうしてどこから取り出したのか、懐中時計をエディエットに見せてきた。

「昨日の話だ、休みはおわったな」

 示された時刻はたしかに日付も変わっていて、働き出してもおかしくない時間だった。だったら尚更こんなところでなく話をすれば良い。

「契約書にそんなことは書いてなかっただろう」
「ああ、そうだな。そんなことを書いた契約書など存在しないな」
「なら  」

 エディエットが体をひねって逃げ出そうとすると、アラムハルトの拘束の手が力を増した。エディエットを完全に組み敷いて首筋をひと舐めしてきたのだ。その生温かい感触にエディエットが思わず顔をしかめると、それを見てアラムハルトが喉の奥で笑った。

「妻の浮気をたしなめるのは夫の仕事であろう」
「何を言っているんだ?」
「私の妻が私に黙って外で男と逢瀬をかさねたのだ。それはつまり浮気と呼ぶのに相応しい行為だろう」

 琥珀色の瞳がエディエットを見つめている。逃れられないからそのまま見つめれば、別段怒っている様子も見受けられない。

「契約を破棄すれば終わりの関係だろう」

 慎重に、魔法を使わないようエディエットはアラムハルトをどかそうと試みるが、やはり体格の違いがありすぎる。エディエットがどんなに頑張ってもアラムハルトはどうにもならなかった。

「それはどういう意味だろう。どうやら私の妻はよからぬ事を吹き込まれているらしいな」

 口調はあくまで楽しげなのに、決して琥珀色の瞳は笑ってはいなかった。それどころかエディエットを鋭く捕らえて離さない。

「なぜ私の妻はそのようなことを口にするのか。今一度じっくりと確認する必要があるな」
「何を確認すると言うんだ」
「ディ、隠し事は良くないな。夫婦というものは互いに助け合うものだ。まだ私のことが信用出来ないというのなら、私は努力をしようではないか。しかし、私の求婚を受けてくれたのは他ならぬ、ディお前なのだよ」

 アラムハルトの端正な顔が近づいてきて、今度はエディエットのこめかみから順に唇をおとしてくゆ。

「求婚?」

 記憶を手繰り寄せてみる。たしかにあの日、大勢の騎馬を引き連れてアラムハルトはやってきた。そうしてたしかに剣を抜いたのではなくエディエットの手を取り口付けをし求婚した、かもしれない。頭にベールを乗せられて、圧倒的な力の差を見せつけられ、断れないような状況ではあったけれど、確かにエディエットはその手をとった。

「受けてくれたではないか。それと、誓いの口付けを交わしたではないか」
「なにも誓ってなどいない」

 今更ながらあの時のことを思い出せばなにかと腹ただしかった。

「私の妻はつれないね。こんなにも愛を囁いているというのに」

 アラムハルトの指がエディエットの唇をなぞり、薄く開かせる。親指の爪が前歯を軽く叩いた。その音が不快に感じたエディエットが口を開くと、アラムハルトの指が口の中に侵入してきた。

「んっ」

 はじめに侵入してきた親指がエディエットの舌を弄り、そのあとに侵入してきた人差し指で摘んできた。そんなことをされればエディエットは口を閉じられないし、話すこともできない。

「地獄の王は嘘つきな罪人の舌を抜くそうだ」

 そう言ってエットエットを見つめるアラムハルトは地獄の王ではない。だが、舌を摘まれているから多少なりには痛みはある。

「さて、私の妻は嘘つきではないが隠し事をする。仕方がないから教えておくが、ディお前の服のボタンの琥珀は全て魔道具だ。私が念じれば見ることも聞くこともできる代物だ。もちろん、記録も取ることができる」

 いきなり物騒な事実を言われてエディエットは固まった。だったらいちいち聞かなくてもいいことだ。そもそもエディエットがどこでなにをしたのか全てお見通しと言うことで、わざわざ聞く必要はなかったのである。
 だが、アラムハルトはわざわざエディエットの口から聞こうとしたのだ。だからエディエットはその行動の真意を知らなくてはならない。

「わかっているよディ、貴族の第二夫人たちの話を聞いて臆してしまったのだろう。だがそれは違う。お前は妃だ。私の妻なのだよ」

 摘み上げた舌を舐め、吸い付くように己の口に含みこむと、アラムハルトはさらに強く吸い込んだ。そんなことをされてエディエットは舌の付け根が痛くなった。だが、声は出せない。
 あまりにも強く吸われて、エディエットは怖くなった。このままでは本当に舌を食べられてしまうかもしれない。でも、どうすれば止められるのかが分からない。だとすれば、組み敷かれてはいるものの、腕は動かせる。エディエットは両手でアラムハルトの背中を叩いた。裸であるからペチペチという音がした。けれど、魔法を発動させないように慎重に叩いているせいか、アラムハルトには効果がないようだ。

「んっ、んぅん」

 やめろ、離せと言いたいけれど、口が丸ごと塞がれていて、舌を食まれているから声はだけても言葉にはならない。仕方なく、エディエットは腕をさらに動かして、アラムハルトの髪を掴んだ。さすがに髪を引っ張ればその痛みで動きが止まるかと思ったのに、アラムハルトは自分の舌をエディエットの口の中にねじ込んできた。
 舌の位置が入れ替わる時、大きく息を吸い込むことが出来たけれど、それはほんの一瞬で直ぐに何もかもがアラムハルトに封じ込められた。
 口の中で立つ音が、頭の中に響いてきて、最後には後頭部で留まるようだ。後頭部も背中もシーツに押し付けられて、エディエットはそれ以上逃げ場がない。

 剣を向けてきたくせに、書類一枚の関係のくせに、愛を囁くなんてどうかしている。顔見せをしてしまったから解雇しづらいのか、それとも次が見つかるまでの繋ぎなのか、どちらにしたってここを追い出されるのは分かっている。

「なぜ殺さなかった?剣を抜いたくせに」

 ようやくアラムハルトが離れたから、エディエットは思ったことを口にした。

「剣には魔法をかけてあった。衝撃はあっても傷付けはしなかったであろう」
「知るか。俺だってシールドぐらい張っていた」

 寝やでなければ魔法が使えるから、だからエディエットは抵抗したのだ。惨めに捨てられるぐらいなら、自分から立ち去る方がいい。だから一晩たって、落ち着いた状態で話し合いたかったのに、全くもって落ち着いていないし、この状況は話し合う雰囲気では無い。

「契約を交わしただけの関係だろう。書いてないことでとやかく言われる筋合いは無い。文句があるのなら契約を破棄すればいいだろう」

 それを聞いて、アラムハルトは困った様に眉根を寄せた。そうして、エディエットの頭の後ろのクッションの山の中から何かを取り出した。

「これをご覧」

 目の前に羊皮紙がヒラヒラとして、その下の方に自分の書いた名前が見えた。隣にはアラムハルトの名前がある。

「よく見てご覧、コレはなんの書類だ?」

 確か複製して、原本は神官が神殿に持っていったと記憶している。だからコレは複製で、けれど魔法で作られた複製だから写し間違いなどは起こらない。読みながら自分の記憶と照らし合わせる。特に自分に不利になるような内容ではなかったはずだ。だから、こんなにも自分を束縛するようなことは書かれていないはずなのに、なぜ?

「お前と交わした契約書だろう?」

 エディエットが答えると、アラムハルトはあからさまにため息をついた。そうして、両肘をエディエットの脇に付き、頬を寄せるような体勢を取って書類の上のあたりを指さした。

「よく読んでご覧、ここになんて書いてある?」

 アラムハルトの長い指が書類の一番上の文字を指していた。それはつまり、この書類がなんなのかを示す言葉だ。

「結婚……せい、やくしょ」

 声に出して読み上げて、エディエットは瞼を瞬いた。どうにも聞きなれない言葉だったから、読み方がそれであっているのか不安だ。

「分かるかい?誓約書だよ。契約書では無い」
「誓約書?誓約書とはなんだ?契約書とは違うのか?     言われてみれば字が違うな」

 ウルゼンにいた頃に家庭教師から帝国の言葉を学んだ。童話から始まり暦書に至るまで、家庭教師がその都度最適と思われる書物を読んで言葉を覚え文字を知った。帝国の辞書も用意され、エディエットは分からない言葉は、自ら辞書で探して覚えたのだ。
 だが、書類仕事に関わるような言葉はなかなか物語の中には登場しない。書面で交わすような言葉は、物語の中では語り口調に合わせた言葉に置き換えられてしまう。そのため、似たような言葉は何となくの意味合いで自分の中で消化してしまっていたのだ。

「まったく、私の妻は困ったものだな」

 書類を示していたアラムハルトの指が、エディエットの額を軽く叩いた。

「分からなければ聞けばよかったであろう。  いや、そう、読んでしまったのなら仕方がないことではあるな」

 アラムハルトは一人納得すると、書類をまたクッションの山の中にしまいこんだ。

「さて、あらぬ誤解をし、更には夫たる私に黙って外出をして浮気とも取れる行為をした妻にはお仕置が必要だな」
「何を言っている。誓約書だろうが契約書だろうが、俺は第二なんだろう」

 エディエットが文句を言えば、アラムハルトは黙って微笑む。

「誰が妻だ。お前には正妃がいるだろう。帝国はたとえ皇帝であろうとも重婚は認められていなかったはずだ」

 そう言ってエディエットはアラムハルトの顔を押しのけた。書類がなくなった今、あまりにも近すぎる。

「まったく、酷いな。こんなにも『私の妻』と言っているのに信じてくれないとは」
「ふざけるのも、たいがいに……」

 押しのけたエディエットの手をアラムハルトが掴み、そのまま両手を拘束された。

「全く私の妻はわからず屋だ。結婚誓約書を交わしたのだよ。そして、それを神のいる神殿に納めたのだ。つまり私はお前と結婚したのだ」
「     は?」

 たっぷりと間を開けて、エディエットはそれでも言葉が出なかった。

「正妃は、皇帝の子を成すことを選んだと言ったはずだ。それはつまり妻になった訳では無い。分かるな」
「は……な、んて」

 今更ながらに告げられたことを理解するのに、しばし時間を要した。
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