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甘い誘惑には勝てない

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 休暇明け、俺は真面目に王子の執務室で警備の職に着いていた。
    やることなんて何も無いので、後ろにまわした手は握力を鍛えるために柔らかい綿の詰まったボールを握らせいた。
    これならバレないように出来るし、何かあったら握ったままでも殴れるし。帯剣しているから、本当に万が一があったら俺は誰かを斬るんだよなぁ。

 さすがに王子の執務室までは侍女たちはやってこなかった。書類を運ぶのは文官の下っ端役人で、女性の姿はなかった。
    まぁ、俺たちみたいなパワー系の部署に、女性が書類を持っていくなんて、想像しただけで可哀想だ。実際、女性の役人もいるけれど、とても大切にされているのが見てわかった。基本は紳士らしい。

「ここにいたのね」
 考え事をしていたせいか、目の前にご令嬢が立っているのに気づくのが遅れた。さらに、個人を特定するのも遅れた。

 俺は、何回か瞬きをして、目の前のご令嬢の顔を確認した。

「……イシス…デュルク 嬢?」
 馴れ馴れしくもフルネームで呼んでしまって、やらかした。苗字に嬢だわ。と気づいた時は完全に手遅れだった。

 隣に立つ同僚が、目を逸らしている。
「馴れ馴れしいわね。許した覚えはなくてよ?」
「ダメですか?」
「随分だ事」

 イシスが扇で口元を隠して微笑んだ。
 それを肯定と勝手に捉えて、俺は恭しく頭を下げた。

「ご機嫌麗しく、デュルク嬢」
 俺がそう言うと、イシスは満更でもない。と言う顔をした。

「特別に許してあげるわよ」
「シオンと申します」
 そう言って、イシスの顔を見つめれば、それこそ満足気な顔をする。

    いつぞやに聞いた、俺はサロンに出入りするご令嬢の暇つぶしなのだ。だからこそ、俺はご令嬢たちをほとんど覚えていない。数が多すぎる。

「この間のことも含めて許してあげるわよ」
 俺は膝まづいてドレスの裾にキスをした。

 それを見てイシスは、この上なく満足そうだった。
「人が多くて困るわ」
 イシスは、顎をツンと上に向けてそういった。

 サロンまで連れて行けということらしい。逆らえる訳もなく、かと言って、わざわざ中にお伺いをたてるのも野暮なので、俺は同僚に目配せをしてイシスをサロンに連れていった。

 赤い縦ロールでなくとも、イシスはやはり赤を身につけているせいで、よく目立った。が、だからといって王宮に、務める文官が声をかけることは無い。

 ただ道をあけるのだ。

 何をどうするでもなく、イシスは俺にエスコートをさせているだけで、
「この間の無礼は許してあげるわよ」
「感謝致します、何分田舎者なので」
「あら?」
「刺激的でしたよ」
「どうだか」
 イシスは、含みのある笑いをしたが、刺激的だったのは確かだ。

    田舎から出てきて、あそこまで強烈な印象のものは初めて見た。
 赤は刺激的だ。
 サロンの辺りまで来ると、他のご令嬢たちがイシスに気が付き寄ってきた。

「ごきげんよう、イシス様」
 そう言いつつ、俺をチラリと盗み見る。

「ごきげんよう」
 イシスは、そう言いつつも俺の手を離さない。

 多分、これが俺に対するバツなのだろう。不躾に自分を眺めた親衛隊の若造。王子に対して直接文句も言えないから
 こうやって連れ出して見世物にして、罰を受けさせよう。と言うことだろう。
 ついでに、俺をいいように連れ回せるところを見せつけてマウントをとっているのだろう。
 王子付きの親衛隊である俺を連れ出せる。ちょっとしたステータスなのかもしれない。

 で、俺が怒られるわけだ。

「イシス嬢をサロンに送っていた。だと?」
 王子がイライラと机を指で叩く。一種の貧乏ゆすりたいなものなんだろう。

    高貴なお方は大変そうだ。
 なぜ俺がイシスに連れ出されたかの経緯を聞いて、王子はお冠なのだ。
 仕事が忙しいのだから、俺へのお小言は他の奴らに任せればいいのに。

「お前に名前を与えたのは誰だ?」
「王子です」

 ぐしゃ

 左手が、なんの罪もない紙を握りしめた。恐らく、それはただの紙ではなく、書類だ。

「王子、そちらに握りしめているのは書類では?」
 俺はよせばいいのに、わざわざ指摘してやった。

「……」

 王子は、無言で俺を睨んできた。田舎から出てきた平民の兵士を、親衛隊にしたのは自分なのに、そんな簡単になつくと思っていたのだろうか?

「お前は誰に使えている?」
「王子です」
「なぜ、俺の言うことが聞けない?」
「ご令嬢に、恥をかかせる訳にはいかないでしょう?」
 俺がそう言うと、王子は深いため息をついた。

「俺よりも大切だと言うのか?」
「未来の奥方かもしれないご令嬢ですよ?」
「誰の?」
「王子のに決まってます」
 俺は満面の笑みを浮かべてそう言った。

 王子は、さらに深い深いため息をついていた。
「王子、疲れた時は甘いものがいいですよ」
「誰のせいだとおもっているんだ」
「食べますか?」
 そう言って、制服のポケットから紙包みを取り出した。

「なんだ、それは?」
 とうぜんだが、王子が怪訝な顔をする。

「先程サロンのご令嬢からいただいたんです。クッキーですよ」
 包み紙を開いて見せると、みながそこに視線を集中させた。

「なりません」
 王子の横に控えていたやつがそう言って、俺の手から包みを取り上げようとした。

が、

 俺の方が早く手を引っ込めて、クッキーを1枚口に運ぶ。一口かじって、そのまま残りを王子の口に突っ込んだ。

「ーーーーっ」

 王子は驚いた顔をしたものの、反射的にそのまま口に入れられたクッキーを咀嚼して飲み込んだ。

「うまいでしょ?」
 ゴクリと喉を鳴らしたのは王子。

 その一連の流れを見て、慌てたのは周りの親衛隊たちだった。

「王子、吐き出してください」
 無理だよ、もう飲み込んだのに。

「俺が毒味しましたよね?」
 一口かじったぞ。

 クッキーの包まれた紙を片手に、俺は王子にかなり近い位置にいた。周りの連中は、どうしたらいいのか分からないのか、固まっている。王子は、クッキー食べちゃったし、俺は毒味を主張するし、王子は、
「飲み物をもってこい」

 憮然とした顔でそう告げると、俺の手にあるクッキーの包み紙を奪い取った。

「あ」
 俺が抗議をしようとすると、

「お前の雇い主は俺だ。つまり、お前のものは俺のものだな」
 クソガキ、誰が全部やるって言ったんだよ。そのジャ〇アン理論やめろ。


 で、結局別室で上官に怒られた。
 ただひたすらネチネチと、お小言を言われたのだ。

 王子、クッキー食べたからね。しかも、俺が持ってきたやつ全部。サロンでのお茶会は女子だけの物にしなきゃいいのに。男子もちょっとはすればいいんだ。まぁ、男だけのお茶会とか華がないけど。


 滅多に食べられない高級クッキーを一口しか食べられなかったので、俺は仕方がなく休みの日に買ったカラメル焼きをかじることにした。
 俺のポケットには、何かしらの携帯食が入っている。簡単に言うと、万が一に備えて、なのだが、カルメ焼きは携帯にあまり向いていない。
 けれど、糖分をとることは頭の回転にちょうどいい。それに、この世界の夕飯、遅いんだよね。

 砕いたカルメ焼きを何個か口にして、残りをポケットにしまうと、俺は何食わぬ顔でそのまま王子の執務室の前で仁王立ちを続けたのだけれども、

「何を食べたんだ?」

 なぜか、扉が開いていて、王子が背後に立っていた。
 王子のくせに、音もなく扉を開けるな!しかも、自分で開けるな!

「市井の食べ物ですよ」
 俺は、とりあえず王子を見ない姿勢で答えた。

 声でわかっていたけれど、勤務中の私語は控えないといけないからな。
「それをよこせ」
「ダメです」
「命令だ」
「甘いものの食べ過ぎは虫歯になりますよ」
「甘いのか」
 全く、王子のくせに餌付けされんなよ。

「いくら俺が食べているからって、市井の食べ物ですよ。出どころの分からないものはあげられません」
 そうキッパリ告げると、扉はまた静かに閉まった。

 何か話し声が聞こえるけど、俺は聞こえないふりをして。真正面を見据えるのだった。
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