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第1話 イントロが始まっていた

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「あぁ、ダメです。おやめになって……」

 聖女であるアーシアは、震える手で僅かながらの抵抗を見せた。闇雲に暴れては、相手を怒らせるかもしれない。か弱き乙女であるアーシアは、目にいっぱいの涙をためて懇願する。

「お願い、乱暴しないで」

 床に座り込み、涙を流しなが助けを求めるアーシアをみて、悪役令息であるロイはフイに動きが止まった。これから、聖女であるアーシアを、穢してやるというのに、折角空き教室に連れ込んだのに、ロイの動きが止まった。
 先程まで、口の端を軽くあげ、歪んだ笑みを浮かべていたというのに、ロイの顔色が悪くなった。所謂顔面蒼白と言うやつだ。

「え?うあ?な、んで?」

 歯の音があわないのか、ガチガチと歯を鳴らし、意味不明な言葉を口にする。ロイの目線は宙をさまよっている。

(なんで?聖女アーシア?襲われてる?)

 ロイは自分の置かれている状況が飲み込めなかった。

「お願いします。ロイ様、乱暴しないで」

 アーシアに言われて、肩がはねた。

(俺がロイ?)

 鏡がないので確認が取れないけれど、アーシアにそう呼ばれればそうなのだろう。

(いやいや、アーシアは不味いって)

 ロイはこのシチュエーションを知っている。乙女ゲームに出てくる聖女アーシアが、悪役令息ロイに純潔を散らされるやつだ。
 その事がバレて、悪役令息ロイは断罪されて北の収容所に送られるか、他国に奴隷として売り飛ばされるか。そんなところだったと記憶している。

 そう、だから、今ここでこのままコトを進めては行けない。アーシアに手を出しては行けない。なぜならアーシアは、とっくの昔に純潔を捨てていて、当て馬宜しく悪役令息ロイにその罪を擦り付けるのだ。
 聖女なのに、処女じゃなくて、具合が良くて、ロイはアーシアと何回も致した。もちろん、アーシアもノリノリで腰を振っていた。振っていたのに、全ての罪をロイに押し付けて、アーシアは悲劇のヒロインとなるのだ。

 女は強かだ。
 それを知った時、前世のロイはそう思った。

(前世?ん?俺?なんでこんなとこにいるんだ?)

 喉を鳴らし、ロイは改めて状況を確認する。
 非常に不味い状況だ。
 こんなところ誰かに見られたら、言い訳なんて出来ない。いや、このシチュエーションだと、どんなに頑張ってもロイが悪役だ。

「ひぃう、あ、あああああの、ご、ごごごごめんなさぁぃぃぃぃ」

 謝罪の言葉を辛うじて口にして、ロイは脱兎のごとく逃げ出した。慌てていたから、当然扉は乱暴に開けたし、閉めた。オマケに余計なことに、廊下に置かれていたバケツを、蹴飛ばした。
 それだけ派手な音を立てたから、廊下の遠くの方にいた生徒がロイを見ていた。
 しかも、ちゃんと、ロイが「ごめんなさい」と叫ぶように逃げ出したところから、である。

「はぁはぁはぁはぁ」

 肩で息をするように、ロイの呼吸は乱れていた。
 それはそうだ。何しろ悪役令息であるからに、ロイは貴族の子息だ。一応子爵という爵位ではあるので、そこまで位が低いわけではない。まぁ、王子のご学友たちが、侯爵や伯爵の子息であるから、それよりは劣るのだけれども。

 ロイが息を整えようと必死になっていると、背後に人がやってきた。たが、未だ息が整わないロイは、自分の呼吸音に囚われて、背後にやってきた人物の足音に気づけなかった。

「ひっ」

 唐突に羽交い締めにされ、あっという間に後ろ手に縛られた。そうして、担がれてしまったロイは、もう抵抗なんて出来やしない。
 あまりの恐怖に、ロイは気を失ってしまった。
 そうして、ロイが目を覚ました時、状況は最悪だった。一番対面しては行けないメンバーが、勢ぞろいして、ロイを見ていた。

「お前、ロイ・ウォーエントだな?」

 ロイを羽交い締めにして、縛り上げて連れてきた騎士団長の息子、テリーが口を開いた。

(え?やっぱり俺がロイなの?)

 未だに鏡を見ていないから、信じたくない気持ちでいたのに、そんな風に断言するように質問されては、否定も出来なければ、質問も出来ない。

「おい、返事をしろ」

 瞬きをして、周りに揃いに揃った人物たちを確認しているロイに痺れを切らしたテリーが、軽く足蹴にしてきた。尊き騎士団長の息子であるのに、随分と乱暴な事だ。

「え、えぇ、はい……」

 もはや、何に対しての返事なのかは分からないけれど、どう考えても自分はロイらしい。そもそも、ロイだと分かっていながら名前を確認するなんて、全くもって面倒臭い。

(本人確認って、裁判の時に必ずやるよな)

 この状況を考えるに、どう見ても断罪シーンにしか見えない。しかし、いくらなんでも早すぎる。ロイはアーシアに何もしていない。懸想はしていた。平民の出の聖女だから、子爵とはいえ貴族であるロイのほうが格上だと思ってはいた。だが、実際に行動に移したのはさっきの空き教室の件だけで、結局は何もしてはいない。

「お前、空き教室でナニをしていた?」

 恐ろしいほど冷たい声で質問されて、ロイは顔色をなくした。ついさっきの出来事なのに、どうしてもうこんなことに?手際が良すぎる。

(まさかとは思うけど、アーシアが初めから仕組んでいたとか?)

 心当たりが、大いにあるロイは、勢いよく頭を左右に振る。

「な、何もしてませんっ」

 少しかすれた声で、精一杯主張する。

「そうか?お前が謝りながら空き教室から飛び出して行った。と複数の生徒が目撃していたが?」

 そう言ってきたのは、宰相の息子であるテオドールだ。その冷ややかな目を見て、ロイは震え上がった。
 これはどう考えても嵌められたとしか思えない。

「空き教室には、アーシアが倒れていた」

 テオドールがそう言ったのを聞いて、ロイは絶望した。これは完全に嵌められた。聖女とは名ばかりのアーシアに、上手いこと嵌められたのだ。

「た、倒れて?そんなバカな、俺は、何もしていない」

 ロイが空き教室を飛び出した時、アーシアは床に座り込んでいただけだ。ロイはアーシアに触れてさえいないのだ。

「それを証明する手立ては?」

 そんなことを言いながら、テリーがロイに剣を突きつけてきた。後ろ手に縛られているロイに対して、剣を突きつけるなんて随分な事だ。

「な、なんで?俺が何をしたって言うんだよ?抵抗出来ないようにして、王子を始めとした権力者の家柄の子息が、寄ってたかって下位貴族の俺を貶めるのかよ。そんなに俺が目障りか?」

 喉元に剣を突きつけられて、ロイは半ばパニック状態に近かった。本当に何もしていないのに、まるで何かをしたかのように扱われている。おそらくこれは強制力で、ロイのことを聖女アーシアを穢したと、断罪したいのだ。

「アーシアが泣きながらお前に襲われたと言った」

 王子が低い声で言う。

(なんだよそれぇ、惚れた女の言うことならなんでも信じちゃうのかよ)

 ロイは内心毒づきながらも、そんなことを口にしてはいけないことぐらい分かっていた。王子がアーシアと思いあっていることは、学園全体での暗黙の了解だった。

 聖女とは言っても、アーシアは所詮平民。

 王子と添い遂げるには、それなりの功績と後ろ盾が必要なのだ。

「俺は、アーシアに指一本触れちゃいない」

 ロイはハッキリと言った。
 状況としては宜しくはないが、自己主張だけはしっかりしておかないといけない。

「それを証明する手立ては?」

 また同じことを言ってきた。
 だから、ロイも同じことを言い返す。

「俺がアーシアに何かしたという証明は?」

 さて、崇高なる王子がなんと言ってくるのか?それとも、代わりにテリーかテオドールが言ってくるのかもしれない。

「倒れていたアーシアが、お前に襲われたと言っている」

 やっぱり。とロイは思った。アーシアの証言だけでロイを裁こうと言うのだ。

「なんだよ、それ。平民の女が言ったことを鵜呑みにするわけ?俺、一応子爵子息だけど?」

 嘲笑うように言ってやると、王子の美しい眉がピクリと動いた。聖女であろうと、平民には違いない。未だなんの功績もあげていなければ、ただ聖女の肩書きを持つ平民の女に過ぎない。

「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」

「もちろん。俺は、貴族であの女は平民だ。この学園にいる者なら誰でも知っている事だ」

 ロイはあえてゆっくりと言った。この学園は貴族のための学園で、将来国のために働く貴族の子息子女が通っている。平民で通えるのは、裕福な商人の家の子どもか、優秀な成績を納められた者に限られる。

 アーシアは聖女という肩書きだけでこの学園に入学してきた。だから、嗜みはなってないし、勉強もそれなりよりも劣っている。
 だから、貴族の子息子女たちからは疎まれ、同じ平民の生徒たちからは煙たがられた。

 それなのに、乙女ゲームであるからか、王子を始めとした上位貴族の子息を手玉に取っていくのだ。だからこそ、アーシアは他の生徒たちから嫌われた。
 本当に嫌われているのだ。何しろ、平民のしかも下町の出のくせに、最高位の王子に気安く話しかけるのだ。
 だから、女子生徒たちは当たり前に嫌がらせをするし、男子生徒たちからは嘲笑われていた。

「………」

 王子がロイを睨みつけてきた。
 流石に惚れた女を悪し様に言われて、怒ってはいるのだろう。だが、それを態度に出すことは出来ないのだ。

「俺があの女に何かしたっていう証拠を見せてくれよ」

 ロイはわかって言っている。

 証拠なんてない。

 ゲーム通りなら、アーシアが穢されたと言うことになるのだが、ロイは何もしていないから、アーシアの体から、ロイの体液を採取することが出来ない。
 だから、どんなに頑張っても、せいぜい殴られた。程度にしかならないはずだ。

「聖女の純潔が散っていた」

 テオドールが抑揚のない声で言ってきた。

(そっちかよ。そこを調べちゃったわけ?それって、結婚前にするやつだよね?付き合う前にしておけよ)

「へぇぇ、じゃあ聞くけどさぁ、あの女がこの学園に入った時は純潔だったわけ?」

 ロイは唇の端を軽く上げてそう言った。
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