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番外編

バレンタイン小話【高校編】

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 寒さが日増しに強くなり、お正月成人式なんて行事が終われば世間は甘い香りのイベント一色になってくる。
 もちろん、受験生にとっては灰色の空のような状態だろうけれど、それさえもイベントからの強制力で赤い色に塗り替えられるのだ。

「今年もこの季節だねぇ」

昇降口で毎年恒例の張り紙をみて、島野が笑った。

「俺たちには関係なくない?」

 去年は、同じクラスにアルファらしいアルファがいたから、それをただ教室の隅で眺めていただけだった。ちょっと勉強が出来たところで、所詮はベータだ。女子からの関心は寄ってこない。

「そうだね、なにしろ最下位クラスだし」

 自嘲気味に笑うけれど、島野も菊地も自主的にそこを選んでいるから、定期テストの結果が張り出される度に名前が出てくる謎の存在にはなっている。
 特に去年の事件を知らない一年生は、最下位の通称オメガクラスと揶揄されるそこに所属しているのに、定期テストの度に名前の出てくる謎の存在となってしまっているようだ。

「菊地先輩っ」

 島野とふざけながら一番端の階段をめざして廊下を歩いていたら、一年生らしい女子生徒が三人階段の踊り場で待ち構えていた。
 基本、他学年の階層には行けないし、違うクラスには入れない。だから、階段の踊り場はグレーゾーンとして活用されていた。

「はい?」

 よく分からなくて、一旦何故か島野の顔を見てから返事をしてしまった菊地だった。

「あの……ベータなのにいつも成績上位にいて、それを鼻にかける様子もなくて、それがかっこいいなって、思ってます」
「付き合って下さい。とかじゃないんです」
「貰っていただければそれで満足なんで……」

 三人の手に握られた赤いラッピング。

「えーっと、受験生って訳でもないんだけど?」

 菊地は若干の勘違いをしつつ、もう一度島野の顔を見た。島野からすれば、いちいち自分を巻き込むような態度を取らないで欲しいと思うのだ。

「あ、の……島野先輩の前だと、無理ですか?」
「え?」

 意外なことを言われて、菊地は思わず目を見開いた。なぜ島野?

(お前がチラチラ俺を見るからだよォ)

 島野は心の中で突っ込んだけれど、それを口にすることは出来ない。なにしろ今この現場も絶賛録画中なのだ。

「彼氏の前で、迷惑ですか?」
「は?」

 全く意味のわからないことを言われて、菊地はそのまま大きく口を開けてしまった。
 島野は無言で顔の前で手を左右に振った。
 ないない、それは無い。

「いつも一緒じゃないですか?朝も帰りも昼休みも」
「それは、同じバスを使ってるからで、クラスで俺らが浮いてるからだよ」

 もう仕方が無いので島野が弁明した。なぜそんな誤解が生まれたのかはわかりたくはないけれど、通称オメガクラスにいるベータ男子二人は随分と目立っているようだ。

「……じゃあ」

 三人の女子生徒は顔を見合わせると、再び手に持っている赤い包みを菊地の前に突き出してきた。

「迷惑じゃないなら受け取ってください」
「お返しとか……」
「いりませんっ」
 
 菊地に半ば押し付けるように持たせると、三人はものすごい勢いで階段を駆け下りていなくなってしまった。

「えっ、と……」

 三つの赤い包みを手にして、菊地は困ったように眉尻を下げた。

(ああ、今夜なんて報告をすればいいんだろう)

 島野の頭の中は、もう報告書のことでいっぱいになっていた。だから、菊地がもつ赤い包みを揶揄う余裕なんてなかったのである。

「あれぇ、菊地くんもう受け取ってるぅ」

 教室に入った途端、数名のオメガの女子生徒がやってきた。そうして菊地が手に持つ赤い包みを指さした。

「踊り場で、一年の女子から渡されたんだよ。俺にはなかったけどねぇ」

 島野が拗ねたような口調で教えると、菊地は慌てて否定した。護衛としてやっていくために日々体を鍛えている島野と比べれば、菊地は中肉中背で優しそうな雰囲気なのだろう。

「じゃあ、これ私たちから」

 差し出されたいかにも手作りのラッピングは可愛らしいピンクのリボンが巻かれていた。

「カップケーキとクッキーだよ」

 中身を教えられて、その甘い香りに目を細める。

「手作り?お返しが大変だなぁ」

 去年はひとつも貰えなかった菊地と島野は、顔を見合わせて頷いた。

「やだやだ、違うよ。これはぁ、いつもテスト勉強見てもらってたお礼の集大成」
「学年末がまだだけど?」
「それを、お願いしたく……」
「うん、いいよ」
「ありがとう」

 そう言って、キャアキャア言いながらオメガの女子生徒たちは自分の席へと戻ってしまった。また図書館で勉強会をするんだなぁ。なんて思っていると、背後から肩を叩かれた。
 島野が振り返るとそこには三ノ輪が立っていた。

「じゃあ、これは僕からの袖の下、ね」

 差し出されたのはベルギー皇室御用達と名高いお店の紙袋が二つ。
 ニコニコと、愛想の良さそうな顔をしてはいるけれど、その意図が分かってしまった島野はよせばいいのに廊下に視線を送ってしまった。
 そうして、愛想笑いもないままに女子生徒から渡された、いかにも手作りらしきラッピングを手にした一之瀬を見てしまった。相手の女子生徒はこのEクラスのオメガだ。図書館の勉強会に参加したことの無い女子生徒たちなので、家庭教師をつけられる程度の家庭なのだと分かる。だから一之瀬匡という名家のアルファにわかりやすいアプローチをしているのだろう。幸いなことは、場所が遠いから目線が合わないことだ。

「うわぁ凄いね。俺こんな高級なチョコ初めて食べるよ」

 菊地が、余計なことを割と大きな声で言ってしまった。あらゆることが常人より優れているアルファであるから、菊地のこの声は一之瀬の耳に届いたようだ。

「え……な、に?」

 廊下の向こうで一之瀬が不機嫌になったようだ。アルファの圧が押し寄せてきたのが分かった。一之瀬のフェロモンを嫌っている菊地は、特に敏感に感じたようで、換気のために開いていた扉を閉めてしまった。

「あぁーあ」

 含みのある笑い方をしながら、三ノ輪が教室を後にした。

「僕、ちょっと注意してくるね」

 三ノ輪の言っていることは、島野にしか分からない。自ら扉を閉めた菊地は、それだけで嫌な感じが無くなったので、単に廊下の風のせいだと思ったようだ。

「…………」

 内心『あんたのせいでしょ』と思いつつも、島野は三ノ輪にこっそりと頭を下げた。



 夜になり、報告書をメールで送ると、すぐさまスマホの着信が鳴った。ディスプレイの文字を見て、分かってはいるが相変わらずこんな時だけ素早いな。と思ってしまう。
『で、この女子生徒たちは?』
「報告書に書いた通り一年C組の生徒です。Eクラスに所属しているのに成績上位者として張り出される菊地くんに憧れているだけですよ」
『来月、なにか返すのだろう?』
「いえ、名乗りもせずお返しもいらないと走り去りましたので」
『本当にそう思っているのか?』

 電話の向こうの一之瀬は、随分とイラついているようだ。何しろ、あの菊地が見知らぬ女子生徒たちから手作りのチョコを貰っただけでなく、三ノ輪が余計なことに高級チョコを渡してしまった。厄介なのは、「初めて」と言うワードだ。
 どんなことであろうとも、自分の目の前で菊地の初めてを横取りされたのが悔しいのだろう。だったら去年のうちに『お詫び』と称して何かしらの高級菓子を渡さなかったのだろう。とは思っていても決して口に出すことは出来ないけれど。

「菊地くんのことだから、お礼の品を買う時は母親と一緒だと思いますよ」

 真面目な菊地のことだ。学年章ぐらいチェックしていただろう。島野は咄嗟に上履きに書かれたクラスを見たけれど、恐らく菊地も見たはずだ。

『渡す時は必ず一緒にいろよ』
「分かってます」
『由希斗のやつ……分かってやりやがった』
「そうですね……ああ、三ノ輪くんへのお礼の品を買うのを誘ってみます。その時に例の女子生徒たちの分も買えば問題ありませんよね?」
『……そうだな。そうしてくれ』

 通話が終わると、島野はどっと疲れが押し寄せた。自分だってチョコを貰っていたくせに、理不尽にも程がある。それに、分かっていてやってくれる三ノ輪もなかなかだ。

「手作りチョコの写真……明日送ろう」

 本当は、昼休みに弁当を食べている際、菊地は貰った手作りチョコを広げたのだ。持ち帰るのが恥ずかしいからと島野にも食べさせてきた。だから、食べる前に写真を撮らせてもらったのだ。「俺、手作りチョコとか初めて見た」とか言いながら。

「はぁ、告白すればいいじゃんよぉ」

 自分の仕える相手に「ヘタレですか」なんて決して言えない。
 ありがたいのは来年のバレンタインデーは自由登校だから、よっぽどの事でもなければその日高校に登校することはないということだろう。

「俺だって、こんな高級チョコ食べるの初めてなのになぁ」

 島野の虚しい叫びは甘いチョコに解けて消えていった。、

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みんなの感想(4件)

しず
2024.05.27 しず

初めまして。この作品、新婚旅行編を含めて大好きです。ちょっと変態じみた一ノ瀬と流されやすい菊池君とのやり取りが、たまらなく好きです。思い出しては何回もリピートして、もう4回は読んでいると思います。また、オメガバースの作品をお待ちしております。

久乃り
2024.05.28 久乃り

お読み下さりありがとうございます。

作者も思い入れの深い作品になりますので、気に入って頂けて嬉しい限りです。

ほかのオメガバース作品も色々書いてはおりますが、いつかまた一之瀬×菊地を書きたいと妄想は日々膨らませておりますので、お待ちいただければと思います。

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Leo
2024.04.02 Leo

初めまして
この作品とても楽しく読ませていただきました
菊地くんが可愛くて、何度も読み返しています
島野くんがまたユニークでくすくす笑いを誘います
他の登場人物もそれぞれがいい味?出していて
みなさん唯一無二なキャラだと思います

続編期待しています
新婚旅行の後、職場での菊地くん、
高校時代避けまくっていた一之瀬の子を身籠った菊地くん
親になった菊地くん、一之瀬く、三ノ輪くん
あと、島野くんのプライベートとか
皆んなのその後、知りたいです

よかったらお願いします

久乃り
2024.04.05 久乃り

お読みくださりありがとうございます。
思い入れの強い作品の思い入れの強いキャラ達でございます。
島野は準主役、いや主役です。密かにヒーローなのです。

続編の構想だけは毎日作者の頭の中をぐるぐるしておりますので、今しばらくお待ちいただければと思います。
もちろん菊地が色々葛藤して我儘言って一之瀬を困らせる展開で、やっぱり島野が一番になったりならなかったりするかもなのです。

ほんとに、お待ちいただけると幸いです。

解除
鶴
2023.07.06

初めまして、何年も外部から読むだけ専門でしたが久乃り様のこちらの作品を読ませて頂きお気に入りにしたいためとうとう会員登録いたしました。追加や小話が違うとのことなので他サイトでも追いかけたいと思います!楽しい作品をありがとうございます!

久乃り
2023.07.10 久乃り

お読み下さりありがとうございます。

この作品を気に入って頂き嬉しい限りです。作者もこの作品大好きなんです。
会員登録して頂いた事に答えられるよう、作品が作れるよう頑張ります。今後ともご贔屓に!

解除
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