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第15話 往昔

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 法整備には時間がかかるそうだ。
 弁護士を目指しているわけでもないから、そんな難しいことは分からない。ただ、設備は整っているから、実行して構わないと言われた。

「既に内定貰ってんだよなぁ」

 昌也は盛大にため息をついた。
 既に大学四年生。
 ターゲットの菊地は、内定を貰った会社に通勤しやすいアパートを探して契約した後だ。
 内定祝いでなく、引越し祝いとして菊地のアパートに、上がり込んだ。ちょっと古めの2DKは居心地が良かった。デパ地下で買ってきたお惣菜に、発情剤をふりかける。もちろん、自分も食べてしまうけれど、純粋にベータであるから問題は無い。
 問題は、菊地にどれほど効果があるかだ。
 缶ビールで乾杯をして、お惣菜はレンジで温め直した。男二人だから、皿には出さずにそのまま割り箸でつつく。

「いーなー、一人暮らし」

 実家が都内の昌也は、大袈裟に羨ましがった。

「それなりに自炊しないといけないから、大変だよ?」

 菊地はそう言って、冷蔵庫や炊飯器を指さした。

「親からの、就職祝いが敷金なんだよ。酷くない?」

 つまり、バイト代で家電を買い揃えたわけだ。一人暮らしセットとも言えるシンプルな家電は、ミントグリーンの色合いで、なんだか可愛らしかった。

 缶ビールが数本空いて、缶チューハイも空けていく。実はビールよりチューハイの方がアルコール度数が高い。酔いが回ってきているせいか、菊地はそれに気づかない。
 開けてあげながら、こっそりと発情剤を缶の中へと落とした。炭酸が弾ける音に紛れて、錠剤が缶の底に落ちる音は気づかれなかった。

「これで最後にする」

 菊地は今昌也が開けてやった缶チューハイを少し上に上げた。

「俺もそうする」

 昌也も缶チューハイを、片手に菊地の缶へと押し当てる。

「カンパーイ」

 酔っているのか、菊地が笑う。既に目元が随分と赤い。未だベータであるから、抑制剤などは服用していない。特に問題なく菊地は最後の缶を飲み干した。
 昌也が仕込んだ錠剤は既に溶けきっていようで、菊地が缶を逆さまにしても何も異変は起こらなかった。

 さりげなく菊地から缶を受け取り、台所へと運ぶ。中を覗いても溶け残りは見当たらない。缶を全て水洗いして、空いたお惣菜のパックをゴミ袋に詰め込む。あらかた片付いたところで、菊地の様子を確認するけれど、何の変化もなかった。

「えーっと、どうやって寝る?」

 菊地の一人暮らしの部屋だから、当然ベッドはシングルが一つ。

「俺、床に寝るよ」

 昌也はそう言って、菊地から布団を受け取る。

「七年近くの付き合いなのに、泊まりは初めてだな」

 昌也がそう言うと、菊地が笑った。

「高校の三年間同じクラスで、同じバイトだったのにね」

 言われてみればそうだけど、高校の頃は何しろ一之瀬がうるさかった。菊地の実家に昌也が上がり込むのがどうしても許せない。と言うから、出来なかったのだ。

「就職先まで一緒になるとは思わなかった」

 菊地が昌也を見ながら言う。

「俺も。まぁ、教授の顔をたてたかたちだから、仕方がないけどね」

 就職先は、教授に頼まれて面接に行った、教授の元教え子の会社だった。ベータが起業したからと、応援の意味を込めて、毎年教授が教え子を何人が面接に送り込んでいるらしい。そのせいなのか、あっさりと内定が貰えた。他の会社からも内定は貰えたけれど、教授の顔を立てて就職することになった。もちろん、給料面がいいのも、決めてなのだけど。

「そういやさぁ、菊地くん」

 昌也が改めて菊地の方を向いた。

「ん?なに?」

 菊地は既に眠そうだ。

「小夜ちゃんだっけ?別れちゃったの?」

 菊地のベータの彼女だ。二年の頃、ゼミの飲み会のあとから付き合うようになった。昌也も菊地に合わせて彼女をつくった。

「就職先が関西の方で、遠距離?になるからね」

 菊地は笑っていた。お互いが新入社員であるから、新生活と遠距離恋愛を、両立させられる余裕はないからとお別れをしたらしい。
 菊地の彼女の就職先は、もちろん希望通りなのだけど、関西方面になったのは一之瀬の横槍だ。自然な形で別れるように、就職先を都内から離したのだ。

 菊地も一人暮らしを初めた。コテージの施設としての機能設備は整った。都内にショピングモールと併設してのコテージを作るのに少し手間どったらしい。人口の大多数を占めるベータからすれば、家族みんなで利用するショピングモールに、アルファとオメガの出会いの場であるコテージが、併設されることに抵抗されたのだ。

 昔からの印象で、どうにも如何わしいと思われがちだ。けれど、そこを公営としてオメガの保護施設とすれば、人権保護団体が勝手に賛同してくれる。『オメガにも人権を』とスローガンを掲げて、練り歩いてけれれば日和見主義のベータはすぐに手のひらを返す。

 発情期のオメガの隔離施設と分れば、街中で発情されるより安全だと賛同してきた。民意が募ればあとは簡単だ。名家には金はいくらでもある。議員たちも名家からの寄付金が欲しい。

 そんなわけで一之瀬からの指示で発情剤を使用したわけなのだが、どうにも反応がない。
 菊地の寝息が聞こえた頃、昌也はゆっくりとカバンから道具を取りだした。
 菊地の首筋に機械を近づける。オメガとしての数値が出ているかの確認だ。発情しないまでも、何かしらの反応があってもいいはずだ。

 電子音が思ったより大きくて、昌也は一瞬焦った。首筋にあてているから、電子音は必然的に菊地の耳元だ。シャッター音を警戒して、スマホはいつも通りにビデオモードで撮影する。オメガのフェロモンの値が確認できた。けれど、通常時のオメガよりは弱い。

 今回使用した発情剤の種類と数値を、一之瀬にメールで送る。数値を図りながら、ついでに菊地の寝顔も撮影しておいたから、昌也が初めてのお泊まり相手ということを許してもらえるだろう。

 眠る菊地の様子をしばらく観察してみたけれど、これといって変化は訪れなかった。本当はこのタイミングで血液を採取したいところだけれど、素人が針を刺すことは出来ない。

 入社の書類として提出する健康診断書、この時にバース性を確認する為、血液検査も入っている。今夜の発情剤がどの程度影響するか、昌也も結果が気になるところだ。


 ───────


「新歓コンパでの悪ふざけとしては、笑えないね」

 ネットニュースを観ながら菊地が言う。
『オメガ狩り』という見出しがド派手なピンク色の文字で書かれている。
 学生が、面白半分で飲み物に発情剤をいれて一気飲みをする遊びが流行っている。という、内容だった。オメガしか利用できないコテージを、覗いてみたいと言う単純な理由が発端らしい。
 この遊びを、裏で操作している人物を知っているだけに余計に笑えない。

「そうだね。俺たちの時代になくて良かったよね、菊地くん」

 まだ、慣れない仕事に四苦八苦しながらも、昼休みに缶コーヒー片手に談笑はできる。同じ教授の推薦がついていたせいか、二人は同じ部署に配属された。

「島野くんは、率先して飲みそうだけどね」

 菊地が笑ってそう言うけれど、密かに菊地の缶コーヒーに薬を仕込んだ立場としては胸が痛むというものだ。
 入社前の健康診断を予約した病院で、血液検査用の血液を一本多く採取して、胸部レントゲン撮影の際に、腹部までの広範囲を撮影させた。入社用だと言われれば、菊地は素直だから、なんの疑問も持たなかった。おかげで、下垂体に作用する作動薬が決められて、その薬を、昌也はバレないように菊地に飲ませるのだ。

 週に一錠、コーヒー等の飲み物に仕込んで菊地に飲ませる。菊地の下垂体が、正しくフェロモンの分泌を始めれば、あとは発情剤によって、菊地のオメガが目覚めるだけだ。

 その時がきたら、果たして自分はどんな顔をするのだろうか?
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