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第6話 記憶

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 菊地はしばらく車がいなくなった方向を見つめていたけれど、結局あの二人のことがなんだかよく分からなくて、コテージに向かって歩き始めた。
 もう、菊地以外に人影はなかった。
 入口の自動ドアから入ると、受付があって、スマートウォッチで簡単に受付が完了した。
 中に入ると、照明は少し落とされていて、クラブの様な雰囲気があった。バーカウンターがあったので、そこの端に座ってみる。そっと周りの様子を伺うと、ソファー席に二人、カウンター席に一人、平日の昼間のせいか人が少ない。
 菊地か視線をカウンターの中に戻すと、バーテンダーらしい人物と目が合った。

「何か飲まれますか?」
「あ、えっ……っと」

 菊地は一瞬戸惑った。

 まだ昼間だ。いくら仄暗いからと言って、酒を飲むような時間ではない。

「コーヒーやジュースもありますよ」

 笑って言われたので、自分はそんなにもわかりやすいのかと少し恥ずかしくなった。

「えと、オレンジジュースください」

 思わず口にしたのがそれで、ちょっと子どもっぽいかな?と思ったけれど、口にしてしまったのだから仕方がない。
 すぐに出てくるのかと思っていたら、彼が小さなナイフで器用に皮を剥き始めて、高級そうなミキサーに果実を入れていくのが見えた。
 すごく高そう。と思ったものの、口には出せない。ここでの支払いも施設持ちだったか?そんなことを考えると、働いてもいないのに贅沢な事だ。

「どうぞ」

 目の前に出されたグラスには、綺麗なオレンジ色の搾りたてのジュースが注がれていて、グラスにさされたストローは、今まで見ていたシマシマ柄の曲がるストローとは違い、黒いストローだった。
 一口飲んでみると、少しの酸味の後に甘い果実の味がやって来た。

「美味しい」

 そう、感想を口にすると、作ってくれた彼が満足そうに微笑んでくれた。もう一口飲もうとした時、ポンと、肩を叩かれた。

「ねぇ、オメガでしょ?こっち来ない?」

 振り返ると綺麗な顔立ちの男性がいた。

「え、はぁ」

 なんと答えたらいいのか困って、曖昧な返事をすることになった。

「怖がらないで、僕もオメガだから。僕は清水優」
「あ、俺は菊地和真」
「向こうにもう一人オメガがいるんだ、一緒に話さない?」
「え、いいの?」
「もちろん。情報交換は大切だよ」

 清水に誘われるまま、菊地はグラスを持って席を移動した。

「こんにちは、俺は里中慎二。俺もこの施設に住んでるよ」

 言われてよく見れば、里中の首にも菊地と同じネックガードが着いていた。

「俺は菊地和真、まだ、来たばかりで…」
「知ってる。オメガ狩りにあったんでしょ?」

 里中が笑って言う。

「その割には落ち着いてるね?」

 清水に言われて、当初木村に言われてことを思い出した。

「ああ、大抵の人は暴れたりするって聞いたけど…」

 菊地がそう言うと、里中が菊地の顔を覗き込む。

「もしかして、自覚があった?」
「いや、そうじゃなくて…狙われてるな。って思ってたから」
「周りにそういう目で見られてる。ってずっと圧があったんだ」

 清水に言われて、菊地は首を縦に振った。

「俺なんか、ショックが強すぎて三日ぐらい布団から出られなかったのに」

 里中が笑って言うけれど、どう見ても菊地より若い里中だから、余計だろう。菊地がすんなり受け入れたのは、ベータとして大学を卒業して、就職もして、それなり働いていた現実があるからだ。里中は随分と若そうだけど?

「里中さん、若そうだけど?まだ学生?」

 菊地がそう言うと、里中が笑いながら答える。

「そう、学生!大学の新歓コンパでやられたの」

 だから、ここらから大学に通ってはいるらしい。入ったばかりのサークルは辞めることになった。というより、そんな恐ろしいことを平然とするような奴らとは一緒にいることなんてできるわけが無い。

「大学にはオメガの避難部屋とかあるからさぁ、抑制剤持って授業うけてるんだ」

 ヒート免除の制度があるから、その時はレポートを書けばいいらしい。

「そうか、社会に出る前なら、就職先もゆっくり考えられるか」
「業種が限られますけどね」

 里中が苦笑いしている。

「その前に、アルファに見初められたら就職も出来ないこともあるしね」

 清水がそういうので、菊地は驚いて清水を見た。

「上級のアルファに見初められたら、ほぼ軟禁状態だよ?」
「そ、そうなんだ…」

 菊地の、知らない世界だ。

「僕はバース検査でオメガ判定を貰ってるから、もう慣れてるし、受け入れてるからね。アルファの独占欲は凄いよ?」
「独占欲…」

 言われて思い出すのは、高校での出来事だ。あの諍いは、アルファの独占欲がぶつかりあったせいなのだろうか?思い出すだけで、胸が苦しくなるほどの恐怖だった。

「もしかして、見たことあるのかな?」
「高校の頃、アルファが廊下で諍いをして、そのせいでクラスのベータが全員倒れた」
「なにそれ?凄いね。どんだけ威嚇しあってたの?」
「確か、オメガの先輩が、俺のクラスのアルファにヒートの相手を頼みに来て、この間まで相手をしていた先輩のアルファが追いかけてきて、廊下で諍いを起こした。って、記憶してる」
「独占欲だねぇ、相当な圧が放たれたわけだ」
「高校生だがらな、休み時間でみんな油断していたから、突然放たれた圧に腰が抜けたみたいにへたりこんで、辺りに漂うアルファのフェロモンを嗅いでみんな気を失っていた」
「もはや事故レベルじゃん」

 清水はそうやって笑っているけれど、本当に当時は事故の扱いで、ベータの生徒の保護者から苦情がきたのだ。

「うん、アルファの一人が一之瀬匡っ言うんだけど、知ってる?」
「うっわ、名家じゃん」
「うん、それで見舞金って、相当な額が保護者に渡されたんだよ」
「ベータの家庭からしたら、まぁ金で解決してくれるなら、それでも構わないよねぇ」
「今ならわかるけど、親の勤めてる会社によっては、一之瀬グループの傘下だったり子会社だったりしただろうからな」
「下手に騒ぎすぎたらクビにされちゃうもんね」

 清水はそうやって笑うけれど、会社に勤めたからこそ菊地は当時の事の異様さがよく分かる。一之瀬と諍いを起こしたのは二階堂卓、こちらも名家の嫡男だった。間に挟まれていたオメガが誰かは覚えていないが、親たちがかなり顔色を無くしていたのを覚えている。もちろん、教師たちもだいぶ怯えていた。

「それだけじゃなくて……」

 菊地が話を続けようとしてら、後ろから口を塞がれた。

「それ以上、話さないでくれよ。若気の至りだったんだから」

 耳元で聞く声は、低くてとても聞き取りやすい声だった。清水と里中が驚いた顔をしている。
 菊地は、口に当てられた手を掴んで、ゆっくりと振り返った。知り合いではないけれど、誰かはわかっている。

「二階堂卓」

 振り返って見た顔は、上級のアルファらしく整っていて、艶やかな黒髪が仄暗い室内でもよく分かるほどだ。しろすぎない肌に、くっきりとした目鼻立ち、唇は薄く赤みを帯びている。

「当たり」

 屈託のない笑顔を向けられたけれど、当時も菊地は二階堂の顔なんて知らなかった。今も、名前を言ってみただけで、この人が、そうなのか。程度にしか思えない。

「菊地くんでしょ?菊地和真くん」

 なのに、なぜか二階堂は菊地の名前を知っていた。

「やっぱりオメガだったんだ」

 菊地が掴んでいたはずの手が、なぜか菊地の顎を掴んで上を向かせられていた。もう片方の手は、菊地の身体を撫でている。

「………やっぱり?」

 菊地が不審な顔で聞き返すと、二階堂は軽く笑って見せた。
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