15 / 17
第15話 それから
しおりを挟む
何回ヒートを迎えても、自身の身体の変化にはなかなか慣れない。
上質なシーツの上で、身体に溜まった熱を吐き出し続ける。「使ってもいいよ」と言って石崎が用意してくれるディルドは、毎回視界の範囲から遠ざけるようにしている。初心者でも使い安いような構造になっているそれは、柔らかいシリコンでできていた。
けれど、何かを自分の身体の胎内に入れるなんて、将晴には怖くて出来なかった。
学校の友だちは、「アルファとしちゃえば楽なのに」と笑って言うけれど、そっちの方がもっと怖かった。
「んぅぅ、んっ」
自分のモノを見るのも怖くて、いつもうつ伏せの体勢を取ってしまう。数値を測っていると石崎は言うけれど、この体勢では見えないのではないだろうかと、時折考える。何も言われたことがないので、特に体勢を変えるつもりはない。
胸の下あたりにクッションを入れると、楽な体勢になるので、最近は気に入ったサイズのクッションを用意してもらってはいる。
今日も、ゆっくりと後ろに指を抜き差しすれば、そこからタラタラと零れる雫で、前が濡れて動かしやすくなる。指がふやけてしまいそうだけど、将晴には自分の指を使うしか方法がない。
クッションの布地は固めのものを選んでいる。擦れる感触が気持ちいいから。自分で摘んだりするのもいいけれど、ヒートになった時にはあちこちに、刺激が欲しくてたまらないのだ。
ぼんやりとした意識の向こうに、誰かが見ている。感じ取れるのはアルファのフェロモン。それを感じ取ってしまうと、たまらなく欲しくなって、思わず手を伸ばす。
「っな、んでぇ……も、ぅ」
いつも手を伸ばしても、誰もその手をとってはくれない。その手はそのままシーツを握りしめて、皺を作る。高くあげた腰を緩く振って、身体の中の熱を吐きだせば、また程よいだるさが襲ってきて目を閉じる。
そうやって眠ってしまえば、また全て忘れられる。
心地の良い疲労感に身を委ねて、将晴は眠りについた。
───────
一月の末頃にヒートがあるのが分かっていたから、受験の日程を組むのはそれほど難しくはなかった。
オメガ枠で受けて合格できた。
何故か受験する大学は、石崎が指定してきた。
母親に相談したら、一瞬驚いた顔をしたものの「いいんじゃないかしら」と笑って返事をしてくれた。
その後に、「最近、誰かに会った?」と言う質問をされたので、どう返事をしようかと考えていたら、母親は、将晴の返事を聞かないまま台所に行ってしまった。
2月の自由登校は、進学や就職が決まったオメガ同級生たちと一緒にコテージに泊まって、オメガだけの卒業旅行を楽しんだ。高校生の集団だから、大人のアルファたちは誰も声をかけてこなかった。同級生のなかの数名は、進学や就職を機にコテージに併設された施設に住むと教えてくれた。
「君の住むところは用意してあるよ」
合格祝いに高級なお寿司が食べたいと言ったら、石崎が金沢まで連れてきてくれた。大学への手続きを確認したらあっさりと言われた。
「学費の心配もいらないから、全て手続きはこちらでする」
そう言われて、将晴は母親の言葉を思い出した。
「そう言えば、母さんから『誰かに会った?』って聞かれたんだけど」
将晴がそう言うと、石崎はいつものように薄く笑った。
「そうか、そうだね。じゃあ、『お父さんの秘書』に会ったと、答えておいて」
そう言われたので、無言で頷いた。
お寿司をたべて、旅館に泊まったのに、アルバイトがなかった。
「今回はお客さん来ないの?」
朝食を食べながら尋ねると、石崎がまた薄く笑いながら答えた。
「今回は合格祝いだからね」
金沢から帰って、お土産を渡しながら、
「あのさ、『お父さんの秘書』に会ったよ。大学の学費とか、住むところは用意してある。って言われた」
と、言うと母親は驚いた顔をしたけれど、
「分かったわ」
と、いつもの感じで返事をしてくれた。
引越しの準備は、全くしなかった。何を持っていくのかなんて、まるで分からないから、石崎にメッセージを送ったら、荷造りはいらないと返事をもらった。
3月に入って、卒業式には母親が参列してくれた。暖房をたいてはあるけれど、体育館は少し寒かった。
卒業式が終わったあと、教室で少し友だちと話をしたり、記念写真を撮ったりして過ごしたあと、将晴はいつものように徒歩で帰宅した。
一人で歩いていると、初めて石崎に遭遇した道に出た。あの日と時間帯が違うから、人影はまばらだ。
卒業証書を片手に歩いていたら、誰かが横に並んできた。
「木崎将晴くん、卒業おめでとう」
そう言われて、声のするほうをみたら、コートを着込んだ石崎が立っていた。
「…ありがとう」
初めて会った時のように、俯きがちに返事をすると、石崎はいつものように薄く笑った。
そうして、将晴の手から卒業証書を奪うと、将晴の手を取って歩き出す。
「またコーヒー飲むの?」
将晴が尋ねると、石崎は首を振った。そうしていつもと少し違う車に将晴を乗せた。そのまま隣に石崎も乗り込んだ。
「え?」
将晴が驚いているうちに車が走り出す。
運転手がいる車に乗るのは初めてだった。今まで、どこに行っても石崎が車を運転していたのに。
「今日は卒業のお祝い、ね」
隣に座る石崎との距離が近い。
将晴が戸惑っているうちに、また車は高速にのっていた。景色がどんどん変わっていく。
都内に入ると、いつもと違うホテルに車が着いた。いつもは地下の駐車場なのに、今日は正面玄関に車が止まる。車が止まると同時に、ホテルの人が近づいてきて、将晴は驚いた。
ドアを丁寧に開けられて、だいぶ驚いたのに、石崎は平然と車から降りた。そうして、当たり前のように将晴の腰に手を回してきた。
「ご案内致します」
係の人が石崎の斜め前を歩く。石崎も当たり前の様子で何かを機械にかざして、そのまま開いているエレベーターに乗り込んだ。
石崎の手には将晴の卒業証書があった。けれど、将晴はいつものように無言で石崎について歩く。
案内された部屋に入ると、石崎は手にしていた卒業証書をテーブルに置いた。いつもと違って部屋数が少ない気がする。
「今日は?監視部屋はないの?」
将晴が確認できる限りだと、リビングと寝室しかなさそうだった。
戸惑う将晴を石崎は眺めるだけで、自分のコートを脱いでハンガーにかけていた。そうして、将晴に近づいてきてこう言った。
「服をプレゼントするのは脱がせるためだ」
いつもと違う石崎の顔に、将晴は驚いた。
「えっ、うそ」
石崎の目を見た途端、腰が抜けたかと思うほどの衝撃があった。体から力が抜ける。
「ハル、こんな身分証明書なんか信じちゃダメだよ」
そう言って目の前に見せてきたのは、最初に出された石崎の身分証明書だ。
「こんなの?」
将晴が、聞き返すと石崎は、いつものように薄く笑った。
「生徒手帳だって、顔写真つけてるでしょ?」
そう言って、将晴の胸ポケットから生徒手帳をとりだして見せた。確かに、将晴の顔写真が貼られていて、割印として校章が型押しされていた。
「どういう?」
将晴が、理解できなくて聞き返すけれど、石崎は答えない。代わりに、将晴はなにかの匂いを嗅ぎとった。
「え?………コレって」
将晴は自分が体感していることが信じられなかった。今まで、何度もこの男にあっていたのに、こんなことは初めてだった。
「よく見て、これが俺の身分証明書」
将晴の、目の前に小さなカードが示された。ついている顔写真は、間違いなく石崎だ。が、
「…おやま、だ」
記載されている名前は、小山田裕二、男性、アルファ
「アルファ……って」
今まで何度も同じ車に乗って、エレベーターに乗って、幾度となく密室に二人っきりになったのに、アルファのフェロモンを感じたことなどなかった。
「だから、新薬のモニターテストって言ったよね?」
呆然とする将晴を他所に、石崎、いや小山田は将晴のコートを脱がせて、次に制服も脱がせていく。
シャツになったところで、抱きしめられて小山田の匂いを強く嗅いだとき、将晴は不意に思い出した。
「─────!」
突き放そうとしたけれど、小山田の腕ががっちりと将晴を押さえ込んでいた。
「思い出してくれた?」
将晴は、ようやく目の前の男が誰なのか思い出した。
───────
将晴が、小学校に入学したその日、新しいランドセルを背負って、将晴は両親と一緒に祖父母に挨拶に訪れた。
ランドセルの中は空っぽで、黄色い帽子を被った将晴は、新しい小学校の制服を着て、履きなれない革靴を履いていた。
いつものように玄関を素通りして、祖父母のいる居間の方へ中庭を走っていくと、その日同じ系列の高等部に入学した、将晴からすれば叔父も同じように祖父母の所に来ていた。
初めて見た叔父に、将晴は戸惑いながらも丁寧に頭を下げて挨拶をした。だが、将晴が頭を上げた瞬間、将晴は頭が真っ白になるほどの、強い衝撃を受けた。
「きゃぁぁぁぁ」
小さな子どもからとは思えないほどの悲鳴だった。
しかも、膝から崩れ落ちる将晴を、叔父が上から羽交い締めするかのように覆いかぶさっているのだ。
遅れてきた将晴の両親が、慌てて駆け寄り、父親が叔父を、つまりは自分の弟を将晴から力ずくで、引き剥がした。
意識のない将晴を母親が、慌てて抱き上げる。将晴は口を大きく開けて、浅い呼吸を繰り返していた。
「そんな、ヒート?」
オメガである母親は、将晴の症状を見て直ぐに思い当たった。意識は無いものの、将晴の目の辺りが赤くなり、体温が上昇している。
「緊急抑制剤を、早く」
向こうでは、弟を押さえつける夫が邸のものに指示を出していた。共にアルファである兄弟だから、夫は自分のポケットから、緊急抑制剤を取り出して押さえつける弟の太ももに突き刺した。
その向こうで、祖父母が、青ざめた顔をしてたっているのが見えた。
「なんてこと」
母親は、震えながらも将晴を抱き抱え、邸の中に避難した。敷かれた布団に将晴を寝かせて、呼び出した主治医に診てもらうと、やはり将晴はオメガだと言われた。
「どうして、こんなことに」
アルファとオメガの間の第一子は、アルファである確率が90%と言われているのに、残りの確率で将晴はオメガであった。
「あまり、現実的な話ではありませんが、この年齢で突発的にヒートが、起きたということは、『運命』ではないかと」
主治医の言っていることを受け入れられるはずがない。そんなのは相性の問題で、お互いのフェロモンの遺伝子がたまたま似通っているから、相乗効果で爆発的にフェロモンが発生しているだけだ。似ているから心地よい。そう言うものだと言われているのに、おとぎ話のような『運命』なんて言葉で片付けられる問題ではない。
「別れましょう」
父親が部屋に入ってくるなり、母親はそう切り出した。
「なにを急に」
父親が慌てるけれど、母親は既に決心しているらしい。
「三歳児の検査で、下の子はアルファと診断されています。恐らく覆らないでしょう。将晴は三歳児の検査ではベータでした。けれど今しがたの検査でオメガと出ました。ヒートも起こしましたから、間違いないでしょう」
「そうか」
父親は返事をしながら、将晴の髪を撫でた。まだ頬の辺りが赤くて、熱が下がっていないことがみてとれる。
「同じ敷地内の学校に通わせるのは危険です。もし、本当に運命だとしても、今は受け入れられません。将晴が、自分で判断ができる年まで離れさせてください」
母親は、オメガであるからこそ、まだ幼い将晴の将来を決めつけたくはなかった。
上質なシーツの上で、身体に溜まった熱を吐き出し続ける。「使ってもいいよ」と言って石崎が用意してくれるディルドは、毎回視界の範囲から遠ざけるようにしている。初心者でも使い安いような構造になっているそれは、柔らかいシリコンでできていた。
けれど、何かを自分の身体の胎内に入れるなんて、将晴には怖くて出来なかった。
学校の友だちは、「アルファとしちゃえば楽なのに」と笑って言うけれど、そっちの方がもっと怖かった。
「んぅぅ、んっ」
自分のモノを見るのも怖くて、いつもうつ伏せの体勢を取ってしまう。数値を測っていると石崎は言うけれど、この体勢では見えないのではないだろうかと、時折考える。何も言われたことがないので、特に体勢を変えるつもりはない。
胸の下あたりにクッションを入れると、楽な体勢になるので、最近は気に入ったサイズのクッションを用意してもらってはいる。
今日も、ゆっくりと後ろに指を抜き差しすれば、そこからタラタラと零れる雫で、前が濡れて動かしやすくなる。指がふやけてしまいそうだけど、将晴には自分の指を使うしか方法がない。
クッションの布地は固めのものを選んでいる。擦れる感触が気持ちいいから。自分で摘んだりするのもいいけれど、ヒートになった時にはあちこちに、刺激が欲しくてたまらないのだ。
ぼんやりとした意識の向こうに、誰かが見ている。感じ取れるのはアルファのフェロモン。それを感じ取ってしまうと、たまらなく欲しくなって、思わず手を伸ばす。
「っな、んでぇ……も、ぅ」
いつも手を伸ばしても、誰もその手をとってはくれない。その手はそのままシーツを握りしめて、皺を作る。高くあげた腰を緩く振って、身体の中の熱を吐きだせば、また程よいだるさが襲ってきて目を閉じる。
そうやって眠ってしまえば、また全て忘れられる。
心地の良い疲労感に身を委ねて、将晴は眠りについた。
───────
一月の末頃にヒートがあるのが分かっていたから、受験の日程を組むのはそれほど難しくはなかった。
オメガ枠で受けて合格できた。
何故か受験する大学は、石崎が指定してきた。
母親に相談したら、一瞬驚いた顔をしたものの「いいんじゃないかしら」と笑って返事をしてくれた。
その後に、「最近、誰かに会った?」と言う質問をされたので、どう返事をしようかと考えていたら、母親は、将晴の返事を聞かないまま台所に行ってしまった。
2月の自由登校は、進学や就職が決まったオメガ同級生たちと一緒にコテージに泊まって、オメガだけの卒業旅行を楽しんだ。高校生の集団だから、大人のアルファたちは誰も声をかけてこなかった。同級生のなかの数名は、進学や就職を機にコテージに併設された施設に住むと教えてくれた。
「君の住むところは用意してあるよ」
合格祝いに高級なお寿司が食べたいと言ったら、石崎が金沢まで連れてきてくれた。大学への手続きを確認したらあっさりと言われた。
「学費の心配もいらないから、全て手続きはこちらでする」
そう言われて、将晴は母親の言葉を思い出した。
「そう言えば、母さんから『誰かに会った?』って聞かれたんだけど」
将晴がそう言うと、石崎はいつものように薄く笑った。
「そうか、そうだね。じゃあ、『お父さんの秘書』に会ったと、答えておいて」
そう言われたので、無言で頷いた。
お寿司をたべて、旅館に泊まったのに、アルバイトがなかった。
「今回はお客さん来ないの?」
朝食を食べながら尋ねると、石崎がまた薄く笑いながら答えた。
「今回は合格祝いだからね」
金沢から帰って、お土産を渡しながら、
「あのさ、『お父さんの秘書』に会ったよ。大学の学費とか、住むところは用意してある。って言われた」
と、言うと母親は驚いた顔をしたけれど、
「分かったわ」
と、いつもの感じで返事をしてくれた。
引越しの準備は、全くしなかった。何を持っていくのかなんて、まるで分からないから、石崎にメッセージを送ったら、荷造りはいらないと返事をもらった。
3月に入って、卒業式には母親が参列してくれた。暖房をたいてはあるけれど、体育館は少し寒かった。
卒業式が終わったあと、教室で少し友だちと話をしたり、記念写真を撮ったりして過ごしたあと、将晴はいつものように徒歩で帰宅した。
一人で歩いていると、初めて石崎に遭遇した道に出た。あの日と時間帯が違うから、人影はまばらだ。
卒業証書を片手に歩いていたら、誰かが横に並んできた。
「木崎将晴くん、卒業おめでとう」
そう言われて、声のするほうをみたら、コートを着込んだ石崎が立っていた。
「…ありがとう」
初めて会った時のように、俯きがちに返事をすると、石崎はいつものように薄く笑った。
そうして、将晴の手から卒業証書を奪うと、将晴の手を取って歩き出す。
「またコーヒー飲むの?」
将晴が尋ねると、石崎は首を振った。そうしていつもと少し違う車に将晴を乗せた。そのまま隣に石崎も乗り込んだ。
「え?」
将晴が驚いているうちに車が走り出す。
運転手がいる車に乗るのは初めてだった。今まで、どこに行っても石崎が車を運転していたのに。
「今日は卒業のお祝い、ね」
隣に座る石崎との距離が近い。
将晴が戸惑っているうちに、また車は高速にのっていた。景色がどんどん変わっていく。
都内に入ると、いつもと違うホテルに車が着いた。いつもは地下の駐車場なのに、今日は正面玄関に車が止まる。車が止まると同時に、ホテルの人が近づいてきて、将晴は驚いた。
ドアを丁寧に開けられて、だいぶ驚いたのに、石崎は平然と車から降りた。そうして、当たり前のように将晴の腰に手を回してきた。
「ご案内致します」
係の人が石崎の斜め前を歩く。石崎も当たり前の様子で何かを機械にかざして、そのまま開いているエレベーターに乗り込んだ。
石崎の手には将晴の卒業証書があった。けれど、将晴はいつものように無言で石崎について歩く。
案内された部屋に入ると、石崎は手にしていた卒業証書をテーブルに置いた。いつもと違って部屋数が少ない気がする。
「今日は?監視部屋はないの?」
将晴が確認できる限りだと、リビングと寝室しかなさそうだった。
戸惑う将晴を石崎は眺めるだけで、自分のコートを脱いでハンガーにかけていた。そうして、将晴に近づいてきてこう言った。
「服をプレゼントするのは脱がせるためだ」
いつもと違う石崎の顔に、将晴は驚いた。
「えっ、うそ」
石崎の目を見た途端、腰が抜けたかと思うほどの衝撃があった。体から力が抜ける。
「ハル、こんな身分証明書なんか信じちゃダメだよ」
そう言って目の前に見せてきたのは、最初に出された石崎の身分証明書だ。
「こんなの?」
将晴が、聞き返すと石崎は、いつものように薄く笑った。
「生徒手帳だって、顔写真つけてるでしょ?」
そう言って、将晴の胸ポケットから生徒手帳をとりだして見せた。確かに、将晴の顔写真が貼られていて、割印として校章が型押しされていた。
「どういう?」
将晴が、理解できなくて聞き返すけれど、石崎は答えない。代わりに、将晴はなにかの匂いを嗅ぎとった。
「え?………コレって」
将晴は自分が体感していることが信じられなかった。今まで、何度もこの男にあっていたのに、こんなことは初めてだった。
「よく見て、これが俺の身分証明書」
将晴の、目の前に小さなカードが示された。ついている顔写真は、間違いなく石崎だ。が、
「…おやま、だ」
記載されている名前は、小山田裕二、男性、アルファ
「アルファ……って」
今まで何度も同じ車に乗って、エレベーターに乗って、幾度となく密室に二人っきりになったのに、アルファのフェロモンを感じたことなどなかった。
「だから、新薬のモニターテストって言ったよね?」
呆然とする将晴を他所に、石崎、いや小山田は将晴のコートを脱がせて、次に制服も脱がせていく。
シャツになったところで、抱きしめられて小山田の匂いを強く嗅いだとき、将晴は不意に思い出した。
「─────!」
突き放そうとしたけれど、小山田の腕ががっちりと将晴を押さえ込んでいた。
「思い出してくれた?」
将晴は、ようやく目の前の男が誰なのか思い出した。
───────
将晴が、小学校に入学したその日、新しいランドセルを背負って、将晴は両親と一緒に祖父母に挨拶に訪れた。
ランドセルの中は空っぽで、黄色い帽子を被った将晴は、新しい小学校の制服を着て、履きなれない革靴を履いていた。
いつものように玄関を素通りして、祖父母のいる居間の方へ中庭を走っていくと、その日同じ系列の高等部に入学した、将晴からすれば叔父も同じように祖父母の所に来ていた。
初めて見た叔父に、将晴は戸惑いながらも丁寧に頭を下げて挨拶をした。だが、将晴が頭を上げた瞬間、将晴は頭が真っ白になるほどの、強い衝撃を受けた。
「きゃぁぁぁぁ」
小さな子どもからとは思えないほどの悲鳴だった。
しかも、膝から崩れ落ちる将晴を、叔父が上から羽交い締めするかのように覆いかぶさっているのだ。
遅れてきた将晴の両親が、慌てて駆け寄り、父親が叔父を、つまりは自分の弟を将晴から力ずくで、引き剥がした。
意識のない将晴を母親が、慌てて抱き上げる。将晴は口を大きく開けて、浅い呼吸を繰り返していた。
「そんな、ヒート?」
オメガである母親は、将晴の症状を見て直ぐに思い当たった。意識は無いものの、将晴の目の辺りが赤くなり、体温が上昇している。
「緊急抑制剤を、早く」
向こうでは、弟を押さえつける夫が邸のものに指示を出していた。共にアルファである兄弟だから、夫は自分のポケットから、緊急抑制剤を取り出して押さえつける弟の太ももに突き刺した。
その向こうで、祖父母が、青ざめた顔をしてたっているのが見えた。
「なんてこと」
母親は、震えながらも将晴を抱き抱え、邸の中に避難した。敷かれた布団に将晴を寝かせて、呼び出した主治医に診てもらうと、やはり将晴はオメガだと言われた。
「どうして、こんなことに」
アルファとオメガの間の第一子は、アルファである確率が90%と言われているのに、残りの確率で将晴はオメガであった。
「あまり、現実的な話ではありませんが、この年齢で突発的にヒートが、起きたということは、『運命』ではないかと」
主治医の言っていることを受け入れられるはずがない。そんなのは相性の問題で、お互いのフェロモンの遺伝子がたまたま似通っているから、相乗効果で爆発的にフェロモンが発生しているだけだ。似ているから心地よい。そう言うものだと言われているのに、おとぎ話のような『運命』なんて言葉で片付けられる問題ではない。
「別れましょう」
父親が部屋に入ってくるなり、母親はそう切り出した。
「なにを急に」
父親が慌てるけれど、母親は既に決心しているらしい。
「三歳児の検査で、下の子はアルファと診断されています。恐らく覆らないでしょう。将晴は三歳児の検査ではベータでした。けれど今しがたの検査でオメガと出ました。ヒートも起こしましたから、間違いないでしょう」
「そうか」
父親は返事をしながら、将晴の髪を撫でた。まだ頬の辺りが赤くて、熱が下がっていないことがみてとれる。
「同じ敷地内の学校に通わせるのは危険です。もし、本当に運命だとしても、今は受け入れられません。将晴が、自分で判断ができる年まで離れさせてください」
母親は、オメガであるからこそ、まだ幼い将晴の将来を決めつけたくはなかった。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
思い出して欲しい二人
春色悠
BL
喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。
そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。
一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。
そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる