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第17話 敷かれたレール
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「ずっげー!列車の旅なんて超ブルジョアじゃん」
巨大な駅に連れてこられて、一之瀬の手を離したら即迷子確定とドキドキしていた菊地は、ホームに立ってソレを見た途端大興奮した。
日本で電車に乗るのは日常ではあったけど、通勤のための移動手段であって、どんなに頑張ってもせいぜい一時間程度しか乗ったことがない。しかも、通勤電車ともなれば、ラッシュ時は立ちっぱなしだ。
今菊地の目の前に停まっている列車は、テレビでしか見た事のない旅客列車だ。食堂車両もついている要するに動くホテルのようなものだ。しかも大陸間を移動するから車両は重厚な作りで、菊地が日本で見てきた電車と違って随分と長い。
「和真、写真を撮るか?」
「え?いいの?」
まさかの一之瀬からの提案に菊地は素直に喜んだ。そもそも出発時刻も知らされていないから、菊地は何をどうしたらいいのかさえわかっていないのだ。
「由希斗くんに送ってもいいのかな?」
「大丈夫だ」
身内でもある三ノ輪に送るのなら、モザイクやそう言った処理は必要ないから、菊地は写真を存分に撮って三ノ輪に送った。そうして、一之瀬に手を取られて列車に乗り込むと、今度はその内装に驚いたのだった。
「うわっ!マジでホテルじゃん」
最終車両一両が丸ごと貸切となっているだけに、その作りは凄かった。景色はいいし、配置された家具は見ただけで上等なものだとわかった。
「外から丸見えだよな?」
菊地はほぼガラス張りになっている最後尾に立って一之瀬に聞いた。
「大丈夫だ、和真。スクリーンのカーテンが降りてくるから」
一之瀬はそう言ってボタンを操作した。そうするとホーム側の窓にカーテンが降りてきた。
「走り出したら開けて景色を楽しもうな」
「う、うん」
ホームに人はさほどいなかった。日本で言うところの撮り鉄のような人が写真を撮っているのか見えたから、少し気にはなっていたけれど、その人には吉高が何やら声をかけて対処しているようだった。
一等車両から三等車両まであって、食事をするための車両もあるそうだ。だが、菊地の車両は一等の中でも一番上の特一等車両となるらしく、食事は依頼すれば部屋で食堂車両と同じメニューが食べられるらしい。どんなトラブルが起きるか分からないから、自分の車両で食べることを推奨されれば、菊地は素直に従うしか無かった。
何しろ菊地の目的はSNS映えする写真を撮る事だ。食堂車両で写真を撮りまくってしまったらさぞや他の客の迷惑になることだろう。それに、撮影に時間をかけてしまっては、作ってくれた人に申し訳ないことになる。
食堂車両から運ばれてきた料理は、テレビでしか見た事のない銀色の蓋が被せられていた。
最初の食事はお昼ご飯だ。
スペインを出たばかりだから、昼食はスペインの料理だ。日本人の感覚だと幕の内弁当のように少量ずつ料理があるものだと思ったら、全く違ってしっかりとお皿に一種類の料理が載せられていた。
「すごいボリュームだな」
そんなことを言いながら、菊地はしっかりとデザートまで完食してしまった。大したことはしていないのに、お腹が満たされると眠たくなるものだ。
食器が下げられるのを確認しながら、一之瀬は菊地を窓近くのソファーに座らせた。そうして、自分も座るとすぐに菊地のことを抱き抱えた。クッションの位置は田中がすぐに調整してくれたから、菊地はなんの苦もなくお昼寝体勢になってしまった。
「ね、寝るの?」
「眠くならないのか?」
「少し、だけ。なんか、興奮してる」
大きな窓から見える景色が凄いし、何よりこの車両が凄すぎる。
「そうか、それなら少し話でもしようか?」
「え、うん。そうだなぁ」
「何かあるのか?和真」
一之瀬がそう言って菊地の髪を撫でた。手のひらを使ってゆっくりと撫でるその手つきは、子どもを寝かしつける時に似ていなくもない。
「あ、うん。あのさあ、田中さんたちはどこで寝るの?ホテルだと寝室がいくつかあったけど、この車両だとベッドがあそこしかないよね?」
「ご心配なく、奥様。隣の車両で交代で休ませていただきますので」
「そうなんだぁ……島野くんも?」
突然名前を呼ばれて島野が慌てた。島野はたった今休憩から上がったばかりなのだ。列車での護衛は修学旅行以来で、それは学生時代のことだから島野は緊張していた。
「島野くんいたね。よかった」
島野の顔を見て気の抜けたような笑顔をする菊地は、自分の置かれている状況を未だ理解してはいないようだ。
「島野くんも隣の車両で寝るの?」
「え?そ、うですけど?」
どうしてそんなことを確認されるのか、島野は理解できなくて戸惑った様な返事をしてしまった。
「島野くんはベータだから一緒だと思ったのに」
「え?」
菊地のよく分からない理論が飛び出して、島野は驚いた。
「和真、それはどういう意味だろう?」
菊地の髪を撫でていた一之瀬が、菊地の顎を掴んで顔を見ながら聞いてきた。
「え?なんで?違うの?」
「和真、何が違うんだ?」
「えっ、とぉ」
菊地は少し考え込むような顔をして、ため息を着くような素振りをしてから口を開いた。
「あのね、俺さぁ、オメガ狩りにあって施設に入ったじゃない?」
「ああ、そうだな」
「その時にさぁ、コテージで発情期を一人で過ごしたでしょ?」
「……ああ」
その時のことを思い出して、一之瀬は軽く眉間に皺を寄せた。よりにもよって二階堂から横槍が入って菊地の初めての発情期を一緒に過ごせなかったのだ。
「その時にさぁ、まぁ色々とおひとり様グッズを試したんだよ」
「試した?」
「そうだよ?だって初めてじゃん俺」
「ああ、そうだな」
「それでさぁ、色々と検索ワードを入れてネットで調べたりエロビを見たりしたんだよね」
「エロビ?」
驚いた一之瀬が聞き返す。
「あ、ごめん。匡はいいとこのボンボンたがらエロビなんて見ないか」
「いや、そうじゃなくて、和真」
一之瀬は今更ながら重大な事を忘れていた。菊地がオメガに目覚めた時のために法整備をさせ、施設を作った。オメガが安心して過ごせるように施設の職員はベータで統一させて、差別意識を持たないことを確認する適性検査も実施していた。
番のいないオメガが安全に発情期を過ごせるように設備を整えるようにもしていた。が、一人で安全にオメガが発情期を過ごすという内容をよく理解していなかったのだ。
確かに、一人で過ごすには抑制剤を服用して、高まる発情を一人で処理するわけで……つまり、処理をするための道具やら何やらが必要になるということだ。一之瀬は、それらを自ら選んではいなかった。アルファであるが故、どう言ったものが必要なのかオメガ視点で準備をさせたのだ。 性的なものなので、準備された品々を一之瀬は資料としてしか確認しなかった。
そのツケがいま、菊地の口からかたられているのだ。
「だからね、匡。俺はベータからオメガになったから、一人で処理する方法を知るためにネットで検索したんだよ」
「検索……したのか」
「そう!そしたらさぁ、俺の検索ワードの入れ方が悪かったのか、ベータとオメガのエッチの仕方とかエロビが出てきちゃってさ」
菊地は至極当たり前のように話を続けた。アパートで一人暮らしを初めてからは、普通にパソコンで見ていたし、島野と一緒に鑑賞会だってしていたから、男同士でこの手の話をするのは普通のことだと菊地は思っていたのだ。なにしろ三ノ輪とだって開けっぴろげに新婚旅行の話をしているのだ。なにも躊躇うことなど菊地にはなかった。
「ベータとオメガ?」
「そう、検索ワードに、男オメガって入れたからさぁ男同士のやつが出てきちゃって、俺、それを見たわけ」
「見たのか……」
一之瀬は嫌な予感しかしなくて、無言で田中たちを睨みつけた。
「そしたらさぁ、アルファもオメガもベータも男のエロビが、でてきたの。それも沢山」
「……沢山」
「俺は男でベータからオメガになったから、これは参考になるな、って思って」
菊地がやたらと雄弁に話すため、一之瀬は止められなくなりそのまま菊地の話を聞き続けた。
「そしたらさ、ベータくんはアルファとオメガの間に挟まれるんだよな。やたらと」
「やたらと?」
「そう、三人でするのが多くてさ」
菊地はそこまで話してから、そっと島野を見た。逃げ遅れた島野は落ち着かなくて仕方がない。
「島野くんベータじゃない?俺の護衛だし。だから一緒にね……」
「和真!」
菊地の言葉を一之瀬が慌てて遮った。もちろん、島野は首を左右に振る。
「やっぱり違うの?」
一之瀬の眉間に皺が寄っているのを見て、菊地は確認をした。島野は無言で首を左右に振っていた。
「でもさぁ、正直な話、エロビってモザイクかかってるから肝心なところが分からなかったんだよな。実際どうなの?俺のって」
「菊地くんっ!」
島野が大きな声を出して両手を前に突き出すジェスチャーをしてきた。
「和真、分かった」
一之瀬はそう言うと菊地の口をようやく塞いだ。そのすきに島野はゆっくりと部屋を後にする。田中と吉高は、菊地が話し始めた時点で雲行きが怪しくなるのを察したのだろう。菊地が島野の所在確認をしたのをいいことに、素早く退室していたのだ。
「んっんんん」
口を塞がれたから、菊地は上手く呼吸が出来なくなって一之瀬の肩を叩いた。ようはギブと言うことを伝えているのだ。
「なに、もう。普通に教えてくれればいいじゃん」
「和真、一体何を見てどんな解釈をしたんだ?」
さすがに発情期の最中の菊地のことを覗き見なんて出来なかったから、菊地の見たというエロビの内容がものすごく気になる。
「だからぁ、男オメガのワードで探したら、男同士がほとんどで、アルファ、オメガ、ベータの三人でするやつが結構あったの。ドラマ仕立てでさぁ、箱入りオメガが発情期に護衛のベータくんとしてるところに、婚約者のアルファが乱入してくるって、そんな感じでさぁ」
「箱入りオメガ……」
昔からよくあるけれど、人気女優やアイドルの名前をもじった源氏名のその手の女優は多い。シュチュエーションも多種多様ではあるけれど、憧れの存在ではある名家の子息令嬢をモデルにするのも昔からの定番だ。
「それで?和真はその設定を信じたのか?」
「え?やっぱ違うの?」
「……和真は、昌也としたいのか?」
「え?ええっ!!」
一之瀬に言われて菊地は驚いた。したい?したい、とは?いやいや、確かにそんなものをいくつか見て、島野が護衛と知らされて、当たり前のように三ノ輪が現れて、もしかしたらそうなのかも?とは思ったりはした。したけれど、だ。
「期待していた?」
「いや、いやいやいやいや。島野くんだけ鍛えてシックスパックとか俺より背が伸びててずるいな。って、思ったりはしたけどさぁ」
「昌也の逞しい胸に抱かれたかった?」
一之瀬が拗ねたようにそんなことを言うものだから、菊地は思わず思い出してしまった。高校の頃より遥かに逞しくなった島野の肉体を。大学、そして社会人を経て久しぶりに見た島野の肉体は全く変わっていたのだ。同じベータであったはずなのに、知らない間に鍛えて菊地を守るための体を持っていた。ふざけて日焼け止めを塗った時、自分とは随分と違ってしなやかで弾力のある筋肉が皮膚の下にあった。
「あ、え?ええっ!」
思わず耳まで熱くなった。いやいや、いくら自分がオメガになったからと言って、急に逞しい男の肉体に欲情するのはいささか無理がある。羨ましいとは思っても、そちらの感情は湧いては来ない。
「ん?和真。今何を思い出していた?」
そんな菊地を見て一之瀬は今度は意地悪そうに聞いてきた。おおよそ予想はついている。つい最近、菊地は島野の肉体を見ているのだ。その時の可愛い反応だって確認済みだ。
「俺、まだ、そーゆー感情芽生えてないから!」
菊地は慌てて否定したけれど、どうにも言葉のチョイスが間違っている。
「これから芽生える予定?」
「ち、ちが、違うっ!島野くは友だち。そんな感情は未来永劫芽生えません!」
ものすごい勢いで頭を左右に振って、菊地は全力で否定した。もちろん、それを見て一之瀬は笑いを堪えている。だから、一之瀬の逞しい腹筋が微かに揺れるので菊地も気がついた。
「からかうな」
「ごめん、和真。可愛い反応をするから、つい、な?」
「俺だけ何も知らなかった」
菊地はそっぽを向いて怒っているような素振りを見せた。菊地だけが知らなかった事実がありすぎて、今更それらを一つずつ説明されるのも迷惑な話だけれど、コテージでであったオメガたちと菊地の立場が違うことぐらい察してはいる。
だからこそ、ちゃんとした説明が欲しかったわけで、この新婚旅行もそうだけれど、何でもかんでも一之瀬は菊地のためにレールを敷きすぎるのだ。
おかげで菊地はこの車両みたいに乗り心地のいい席に座らされて、なんの苦もなく突き進んでしまうのだ。レールの下がどんなふうになっているのかも知らず、窓から景色を眺めるだけだ。
この乗り心地のいい車両と、そのためのレールを敷くのに一之瀬がどれほど苦労したのか菊地は知りたい。
「和真には、綺麗な景色だけを見て欲しい」
「それはダメだ。け、っこんしたんだからな。お互いに支え合うんだ。ほら、道徳の授業で『人』という字は……って話を聞いただろう?」
「そうだったな、『Tú eres mi media naranja.(あなたは私の半分のオレンジだ。)』」
「そういうことだろ?」
「分かった。一つずつ教えてやる。まずは、和真がエロビから得た知識が間違っていることを、訂正しよう」
「そこ?」
「だってそうだろう?俺が最初に教えたはずなのに」
「え?教えた?」
菊地は小首を傾げて考えた。再会した頃の一之瀬との、記憶を手繰り寄せる。
「和真のお腹が痛いのを治した」
耳元で囁くように言われて、菊地は瞬時に思い出した。
「あ、あ、あれ……」
自分が口にしたことと、それに対応する一之瀬の言葉と態度。恥ずかしいことこの上ない。
「思い出した?」
「思い出した。思い出したから、大丈夫」
そう言って菊地は一之瀬から離れようとしたけれど、ソファーの上に一之瀬と二人。昼寝をする体勢になっていたため一之瀬の腕が菊地の腰をしっかりと掴んでいた。
「和真は忘れっぽいみたいだからな。復習をしようか?」
「ふ、復習?」
一之瀬の手が菊地の臍の下あたりを撫でていた。そこから復習するのかと思うと、なんだか落ち着かなくなってきた。
巨大な駅に連れてこられて、一之瀬の手を離したら即迷子確定とドキドキしていた菊地は、ホームに立ってソレを見た途端大興奮した。
日本で電車に乗るのは日常ではあったけど、通勤のための移動手段であって、どんなに頑張ってもせいぜい一時間程度しか乗ったことがない。しかも、通勤電車ともなれば、ラッシュ時は立ちっぱなしだ。
今菊地の目の前に停まっている列車は、テレビでしか見た事のない旅客列車だ。食堂車両もついている要するに動くホテルのようなものだ。しかも大陸間を移動するから車両は重厚な作りで、菊地が日本で見てきた電車と違って随分と長い。
「和真、写真を撮るか?」
「え?いいの?」
まさかの一之瀬からの提案に菊地は素直に喜んだ。そもそも出発時刻も知らされていないから、菊地は何をどうしたらいいのかさえわかっていないのだ。
「由希斗くんに送ってもいいのかな?」
「大丈夫だ」
身内でもある三ノ輪に送るのなら、モザイクやそう言った処理は必要ないから、菊地は写真を存分に撮って三ノ輪に送った。そうして、一之瀬に手を取られて列車に乗り込むと、今度はその内装に驚いたのだった。
「うわっ!マジでホテルじゃん」
最終車両一両が丸ごと貸切となっているだけに、その作りは凄かった。景色はいいし、配置された家具は見ただけで上等なものだとわかった。
「外から丸見えだよな?」
菊地はほぼガラス張りになっている最後尾に立って一之瀬に聞いた。
「大丈夫だ、和真。スクリーンのカーテンが降りてくるから」
一之瀬はそう言ってボタンを操作した。そうするとホーム側の窓にカーテンが降りてきた。
「走り出したら開けて景色を楽しもうな」
「う、うん」
ホームに人はさほどいなかった。日本で言うところの撮り鉄のような人が写真を撮っているのか見えたから、少し気にはなっていたけれど、その人には吉高が何やら声をかけて対処しているようだった。
一等車両から三等車両まであって、食事をするための車両もあるそうだ。だが、菊地の車両は一等の中でも一番上の特一等車両となるらしく、食事は依頼すれば部屋で食堂車両と同じメニューが食べられるらしい。どんなトラブルが起きるか分からないから、自分の車両で食べることを推奨されれば、菊地は素直に従うしか無かった。
何しろ菊地の目的はSNS映えする写真を撮る事だ。食堂車両で写真を撮りまくってしまったらさぞや他の客の迷惑になることだろう。それに、撮影に時間をかけてしまっては、作ってくれた人に申し訳ないことになる。
食堂車両から運ばれてきた料理は、テレビでしか見た事のない銀色の蓋が被せられていた。
最初の食事はお昼ご飯だ。
スペインを出たばかりだから、昼食はスペインの料理だ。日本人の感覚だと幕の内弁当のように少量ずつ料理があるものだと思ったら、全く違ってしっかりとお皿に一種類の料理が載せられていた。
「すごいボリュームだな」
そんなことを言いながら、菊地はしっかりとデザートまで完食してしまった。大したことはしていないのに、お腹が満たされると眠たくなるものだ。
食器が下げられるのを確認しながら、一之瀬は菊地を窓近くのソファーに座らせた。そうして、自分も座るとすぐに菊地のことを抱き抱えた。クッションの位置は田中がすぐに調整してくれたから、菊地はなんの苦もなくお昼寝体勢になってしまった。
「ね、寝るの?」
「眠くならないのか?」
「少し、だけ。なんか、興奮してる」
大きな窓から見える景色が凄いし、何よりこの車両が凄すぎる。
「そうか、それなら少し話でもしようか?」
「え、うん。そうだなぁ」
「何かあるのか?和真」
一之瀬がそう言って菊地の髪を撫でた。手のひらを使ってゆっくりと撫でるその手つきは、子どもを寝かしつける時に似ていなくもない。
「あ、うん。あのさあ、田中さんたちはどこで寝るの?ホテルだと寝室がいくつかあったけど、この車両だとベッドがあそこしかないよね?」
「ご心配なく、奥様。隣の車両で交代で休ませていただきますので」
「そうなんだぁ……島野くんも?」
突然名前を呼ばれて島野が慌てた。島野はたった今休憩から上がったばかりなのだ。列車での護衛は修学旅行以来で、それは学生時代のことだから島野は緊張していた。
「島野くんいたね。よかった」
島野の顔を見て気の抜けたような笑顔をする菊地は、自分の置かれている状況を未だ理解してはいないようだ。
「島野くんも隣の車両で寝るの?」
「え?そ、うですけど?」
どうしてそんなことを確認されるのか、島野は理解できなくて戸惑った様な返事をしてしまった。
「島野くんはベータだから一緒だと思ったのに」
「え?」
菊地のよく分からない理論が飛び出して、島野は驚いた。
「和真、それはどういう意味だろう?」
菊地の髪を撫でていた一之瀬が、菊地の顎を掴んで顔を見ながら聞いてきた。
「え?なんで?違うの?」
「和真、何が違うんだ?」
「えっ、とぉ」
菊地は少し考え込むような顔をして、ため息を着くような素振りをしてから口を開いた。
「あのね、俺さぁ、オメガ狩りにあって施設に入ったじゃない?」
「ああ、そうだな」
「その時にさぁ、コテージで発情期を一人で過ごしたでしょ?」
「……ああ」
その時のことを思い出して、一之瀬は軽く眉間に皺を寄せた。よりにもよって二階堂から横槍が入って菊地の初めての発情期を一緒に過ごせなかったのだ。
「その時にさぁ、まぁ色々とおひとり様グッズを試したんだよ」
「試した?」
「そうだよ?だって初めてじゃん俺」
「ああ、そうだな」
「それでさぁ、色々と検索ワードを入れてネットで調べたりエロビを見たりしたんだよね」
「エロビ?」
驚いた一之瀬が聞き返す。
「あ、ごめん。匡はいいとこのボンボンたがらエロビなんて見ないか」
「いや、そうじゃなくて、和真」
一之瀬は今更ながら重大な事を忘れていた。菊地がオメガに目覚めた時のために法整備をさせ、施設を作った。オメガが安心して過ごせるように施設の職員はベータで統一させて、差別意識を持たないことを確認する適性検査も実施していた。
番のいないオメガが安全に発情期を過ごせるように設備を整えるようにもしていた。が、一人で安全にオメガが発情期を過ごすという内容をよく理解していなかったのだ。
確かに、一人で過ごすには抑制剤を服用して、高まる発情を一人で処理するわけで……つまり、処理をするための道具やら何やらが必要になるということだ。一之瀬は、それらを自ら選んではいなかった。アルファであるが故、どう言ったものが必要なのかオメガ視点で準備をさせたのだ。 性的なものなので、準備された品々を一之瀬は資料としてしか確認しなかった。
そのツケがいま、菊地の口からかたられているのだ。
「だからね、匡。俺はベータからオメガになったから、一人で処理する方法を知るためにネットで検索したんだよ」
「検索……したのか」
「そう!そしたらさぁ、俺の検索ワードの入れ方が悪かったのか、ベータとオメガのエッチの仕方とかエロビが出てきちゃってさ」
菊地は至極当たり前のように話を続けた。アパートで一人暮らしを初めてからは、普通にパソコンで見ていたし、島野と一緒に鑑賞会だってしていたから、男同士でこの手の話をするのは普通のことだと菊地は思っていたのだ。なにしろ三ノ輪とだって開けっぴろげに新婚旅行の話をしているのだ。なにも躊躇うことなど菊地にはなかった。
「ベータとオメガ?」
「そう、検索ワードに、男オメガって入れたからさぁ男同士のやつが出てきちゃって、俺、それを見たわけ」
「見たのか……」
一之瀬は嫌な予感しかしなくて、無言で田中たちを睨みつけた。
「そしたらさぁ、アルファもオメガもベータも男のエロビが、でてきたの。それも沢山」
「……沢山」
「俺は男でベータからオメガになったから、これは参考になるな、って思って」
菊地がやたらと雄弁に話すため、一之瀬は止められなくなりそのまま菊地の話を聞き続けた。
「そしたらさ、ベータくんはアルファとオメガの間に挟まれるんだよな。やたらと」
「やたらと?」
「そう、三人でするのが多くてさ」
菊地はそこまで話してから、そっと島野を見た。逃げ遅れた島野は落ち着かなくて仕方がない。
「島野くんベータじゃない?俺の護衛だし。だから一緒にね……」
「和真!」
菊地の言葉を一之瀬が慌てて遮った。もちろん、島野は首を左右に振る。
「やっぱり違うの?」
一之瀬の眉間に皺が寄っているのを見て、菊地は確認をした。島野は無言で首を左右に振っていた。
「でもさぁ、正直な話、エロビってモザイクかかってるから肝心なところが分からなかったんだよな。実際どうなの?俺のって」
「菊地くんっ!」
島野が大きな声を出して両手を前に突き出すジェスチャーをしてきた。
「和真、分かった」
一之瀬はそう言うと菊地の口をようやく塞いだ。そのすきに島野はゆっくりと部屋を後にする。田中と吉高は、菊地が話し始めた時点で雲行きが怪しくなるのを察したのだろう。菊地が島野の所在確認をしたのをいいことに、素早く退室していたのだ。
「んっんんん」
口を塞がれたから、菊地は上手く呼吸が出来なくなって一之瀬の肩を叩いた。ようはギブと言うことを伝えているのだ。
「なに、もう。普通に教えてくれればいいじゃん」
「和真、一体何を見てどんな解釈をしたんだ?」
さすがに発情期の最中の菊地のことを覗き見なんて出来なかったから、菊地の見たというエロビの内容がものすごく気になる。
「だからぁ、男オメガのワードで探したら、男同士がほとんどで、アルファ、オメガ、ベータの三人でするやつが結構あったの。ドラマ仕立てでさぁ、箱入りオメガが発情期に護衛のベータくんとしてるところに、婚約者のアルファが乱入してくるって、そんな感じでさぁ」
「箱入りオメガ……」
昔からよくあるけれど、人気女優やアイドルの名前をもじった源氏名のその手の女優は多い。シュチュエーションも多種多様ではあるけれど、憧れの存在ではある名家の子息令嬢をモデルにするのも昔からの定番だ。
「それで?和真はその設定を信じたのか?」
「え?やっぱ違うの?」
「……和真は、昌也としたいのか?」
「え?ええっ!!」
一之瀬に言われて菊地は驚いた。したい?したい、とは?いやいや、確かにそんなものをいくつか見て、島野が護衛と知らされて、当たり前のように三ノ輪が現れて、もしかしたらそうなのかも?とは思ったりはした。したけれど、だ。
「期待していた?」
「いや、いやいやいやいや。島野くんだけ鍛えてシックスパックとか俺より背が伸びててずるいな。って、思ったりはしたけどさぁ」
「昌也の逞しい胸に抱かれたかった?」
一之瀬が拗ねたようにそんなことを言うものだから、菊地は思わず思い出してしまった。高校の頃より遥かに逞しくなった島野の肉体を。大学、そして社会人を経て久しぶりに見た島野の肉体は全く変わっていたのだ。同じベータであったはずなのに、知らない間に鍛えて菊地を守るための体を持っていた。ふざけて日焼け止めを塗った時、自分とは随分と違ってしなやかで弾力のある筋肉が皮膚の下にあった。
「あ、え?ええっ!」
思わず耳まで熱くなった。いやいや、いくら自分がオメガになったからと言って、急に逞しい男の肉体に欲情するのはいささか無理がある。羨ましいとは思っても、そちらの感情は湧いては来ない。
「ん?和真。今何を思い出していた?」
そんな菊地を見て一之瀬は今度は意地悪そうに聞いてきた。おおよそ予想はついている。つい最近、菊地は島野の肉体を見ているのだ。その時の可愛い反応だって確認済みだ。
「俺、まだ、そーゆー感情芽生えてないから!」
菊地は慌てて否定したけれど、どうにも言葉のチョイスが間違っている。
「これから芽生える予定?」
「ち、ちが、違うっ!島野くは友だち。そんな感情は未来永劫芽生えません!」
ものすごい勢いで頭を左右に振って、菊地は全力で否定した。もちろん、それを見て一之瀬は笑いを堪えている。だから、一之瀬の逞しい腹筋が微かに揺れるので菊地も気がついた。
「からかうな」
「ごめん、和真。可愛い反応をするから、つい、な?」
「俺だけ何も知らなかった」
菊地はそっぽを向いて怒っているような素振りを見せた。菊地だけが知らなかった事実がありすぎて、今更それらを一つずつ説明されるのも迷惑な話だけれど、コテージでであったオメガたちと菊地の立場が違うことぐらい察してはいる。
だからこそ、ちゃんとした説明が欲しかったわけで、この新婚旅行もそうだけれど、何でもかんでも一之瀬は菊地のためにレールを敷きすぎるのだ。
おかげで菊地はこの車両みたいに乗り心地のいい席に座らされて、なんの苦もなく突き進んでしまうのだ。レールの下がどんなふうになっているのかも知らず、窓から景色を眺めるだけだ。
この乗り心地のいい車両と、そのためのレールを敷くのに一之瀬がどれほど苦労したのか菊地は知りたい。
「和真には、綺麗な景色だけを見て欲しい」
「それはダメだ。け、っこんしたんだからな。お互いに支え合うんだ。ほら、道徳の授業で『人』という字は……って話を聞いただろう?」
「そうだったな、『Tú eres mi media naranja.(あなたは私の半分のオレンジだ。)』」
「そういうことだろ?」
「分かった。一つずつ教えてやる。まずは、和真がエロビから得た知識が間違っていることを、訂正しよう」
「そこ?」
「だってそうだろう?俺が最初に教えたはずなのに」
「え?教えた?」
菊地は小首を傾げて考えた。再会した頃の一之瀬との、記憶を手繰り寄せる。
「和真のお腹が痛いのを治した」
耳元で囁くように言われて、菊地は瞬時に思い出した。
「あ、あ、あれ……」
自分が口にしたことと、それに対応する一之瀬の言葉と態度。恥ずかしいことこの上ない。
「思い出した?」
「思い出した。思い出したから、大丈夫」
そう言って菊地は一之瀬から離れようとしたけれど、ソファーの上に一之瀬と二人。昼寝をする体勢になっていたため一之瀬の腕が菊地の腰をしっかりと掴んでいた。
「和真は忘れっぽいみたいだからな。復習をしようか?」
「ふ、復習?」
一之瀬の手が菊地の臍の下あたりを撫でていた。そこから復習するのかと思うと、なんだか落ち着かなくなってきた。
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⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
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⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編をはじめましたー!
他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
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