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第15話 祝いの赤

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「これ着んの?」

 市場からホテルに戻り、軽くシャワーを浴びると、用意されていた着替えはまたもや民族衣装だった。

「和真、それはトルコの婚礼衣装」
「婚礼衣装?」

 先程の民族衣装とはまた違ったデザインの赤い帽子がある。

「これ、なに?」
「それはいわゆるベールだな」
「重装備じゃない?」

 菊地が手にしている赤い帽子のようなベールは、360度赤いレースが垂れ下がっていて、どこからどう見ても花嫁の顔は見ることが出来なさそうな作りだ。

「どんだけ赤が好きなんだよ」

 菊地が着させられたのはまた赤い生地で出来ていた。そこに金の糸で刺繍がされて随分と重厚な作りになっていた。

「しかも、重たい」
「古今東西、花嫁衣裳は重厚な作りになっているものです」

 唐突に田中が入ってきて、菊地の衣装をチェックし始めた。

「世界各国、昔から花嫁は奥にしまいこまれてきましたからね。世間にお披露目をする際に逃げられたり連れ去られたりしないよう、このような衣装を着せるのかもしれません」
「なんだか穏やかじゃないなぁ」
「 致し方ありません」
「…………」
「ご理解頂けて助けります」

 菊地も別にそこまで鈍感ではないから、察することぐらいできる。つまり気をつけろ。ということだ。何しろ、十分心当たりがある。

「それでは、簡単にご説明致します」
「はい」
「こちらの教会については何かご存知でしょうか?」
「え? 綺麗な建物ってぐらいかな」
「かしこまりました。ならば結構です。本日は異教徒が教会を借りて結婚式をあげるという許可を得ております」
「はい」
「ですので、こちらのしきたりに従って行いますから、前回同様、奥様は匡様と同じことをして下さい」
「わ、かりました」

 今回もそうだけれど、菊地には現地の宗教に関する知識なんてない。もちろん、言語も分からない。SNS映する写真を撮りたいと言ったのは自分なので、ここまでセッティングしてくれたのだから、大人しく従うまでだ。幸いなことに、前回よりもこちらのベールは重厚で、これ一ミリも菊地の顔を除き見ることは出来ない。
 安心して臨めるということだ。
 赤いベールの布地から、菊地はじっくりと教会の内部を眺めた。壁だけでなく天井にも美しい装飾がなされていて、見ているうちに天地が分からなくなって倒れてしまいそうだ。
 そうして、案の定何を言われているのか全く分からないまま式が終わった。

「和真、ここに座って」

 一之瀬に言われるままに用意された椅子に座ると、目の前にあるテーブルに豪華な食事が並べられているのが見えた。

「ご飯食べるの?」

 菊地が一之瀬にそう聞いた時、開け放たれた扉から、人々が入ってきた。

「へ?」
『おめでとう!』

 そう言ってきた男性が一之瀬と固い握手をした。

『ありがとう』

 一之瀬がそれに応えている間にも、どんどんと人が入ってきて、菊地と一之瀬に声をかけてくる。

「え? 何? なんなの?」
「披露宴の参加者だ」
「は? 披露宴?」

 そんな説明を田中から聞いていなかった菊地は、全く理解が追いつかなくて盛大にはてなマークを浮かべた。

「俺も、話に聞いていただけなんで、な。少し驚いている」
「え? どゆこと?」
「どうやら、こちらの方の国では、披露宴の招待客に招待状は送らないらしくてな。不特定多数の人たちがお祝いにやってくるのが普通らしいんだ」
「え?」

 それを聞いてようやく菊地は合点がいった。田中の言いたかったことはつまりこれなのだ。おそらく現地の住民たちが、結婚式があることを聞きつけて、お祝いに来てくれているのだ。
 それゆえの重厚なベールで、菊地は椅子に座らされているのだろう。とにかく花嫁は不動で、その傍らに新郎が立っている。重厚なベールで隠されているから、花嫁の顔を誰も見ることは出来ないし、椅子に座っているから誰からも話しかけられることは無い。

「最後は踊るそうだ」
「踊る?」
「そう、参列者で踊って終わるそうだ」
「なに、それ」

 全くもって未知の領域で、菊地は一之瀬の説明を聞いてもまだなんだか分からないでいた。
 目の前に食べ物はあるけれど、それを菊地が口にすることはどうやら出来なさそうで、ひたすら一之瀬が祝いの言葉をかけられているのを聞いているしか無かった。
 小さな子どもが菊地に何かを言って、立ち去っていく。そうして、テーブルの上のお菓子を手にして嬉しそうに頬張っているのを見ると、心が和むというものだ。
 座りっぱなしで、背もたれのある椅子とはいえ、重厚な花嫁衣裳を着ていることは体力を消耗する。姿勢を崩すのは避けようと、菊地は背もたれに少しよりかかってぼんやりと会場を眺めていた。人の出入りは激しくて、それこそ本当に誰が来ているのかなんてさっぱり分からない。ほとんど現地の人なのだろうけれど、観光客らしい人の姿も確認できた。
 食べ物も飲み物も切らされることなく常にテーブルに並べられて、重厚なベール越しでも匂いがよくわかった。
 そうして、夕方の光を感じられる頃に軽やかな音楽が鳴り始めた。菊地には見えないが、どうやら楽器を手にした人たちがやってきたらしい。背後から音楽が聞こえてきたけれど、既に疲れてしまった菊地は大人しく座っていた。視界の範囲では人々が楽しそうに踊っている。

(これが締め? 三三七拍子みたいなもん?)

 やたらと盛り上がる人々を見て、菊地はようやく終わりが来たことを理解した。けれど、聞いたことがない曲なので終わりが見えない。

「和真、疲れただろう? もう少しだから」
「うん……なんか、凄いね」

 一応顔を一之瀬の方へと向けるけれど、菊地の視界は重厚な赤いベールで覆われている。顔を近づけているからこそ一之瀬の表情が辛うじて確認できるけれど、一人で歩くなんて絶対に無理だ。

「食事を切らさないことが重要らしくてな、和真は食べられなくて辛かっただろう?」
「いや、正直食べられないよ。この後だって食べられる自信ない」
「さっぱりしたものを用意させよう」

 一之瀬がそう言うと、どこかで田中が返事をしたのが聞こえた。菊地の視界には全く見えないのだけれど、皆さん定位置にいたらしい。

「ちなみに、昌也はあそこで踊っている」

 一之瀬が示した先に島野らしき人物が現地の人と踊っているのが見えた。

「不特定多数の人がいるからな、ああやって確認しているんだ」

 田中や吉高では一目でアルファと分かってしまうだろうから、ベータの島野がしているのだろう。しかし、菊地は初めて耳にした曲なのに、島野は難なく踊っている。こんなことも護衛の仕事なのかと思うと菊地は島野に申し訳ないと思うのだった。

「鯖のサンドイッチ、初めて見た」
「ここは米もよく食べるんだが、付け合せの用途が多いみたいなんだ」
「そうなんだ? これ美味しいよ。匡も食べてみる?」

 そう言って菊地が口の前に差し出してくるから、一之瀬もなんの躊躇いもなく口を開けた。

「鯖って塩焼きとか味噌煮とかのイメージしか無かったけど、こういうのもありなんだな」
「この辺りは宗教的に豚肉を食べないからな」
「ビーフ100%?」
「いや、羊がポピュラーなんだ」
「羊?」
「そうだ、このミートボールも羊の肉だ」
「うわぁぁ、日本だと羊肉ってお高いのに、こっちだとこんなふうに食べられるんだァ」

 ついさっき、そんなに食べられないようなことを口にしていたはずなのに、菊地はミートボールを口に頬張って嬉しそうに咀嚼する。

「俺、ジンギスカン結構好きなんだよね」

 驚いた顔をしている一之瀬にそう言いながら、菊地はミートボールを綺麗に食べてしまった。

「美味しかったぁ」

 お腹がいっぱいになって満足したのか、菊地はニコニコとしている。そんな菊地の口元を一之瀬が綺麗にしてやると、菊地はゆっくりと瞬きをして一之瀬を見た。

「あ、ごめんね。俺だけで食べちゃった」
「大丈夫だ和真。お前が満足したのならそれでいい」

 一之瀬はそう言うと菊地を抱き抱えて部屋の移動をしてしまった。

「え? なに?」
「部屋でゆっくりしよう」
「あぁ、うん」

 既に重厚なベールも花嫁衣裳も取り払ったあとだから、菊地は一之瀬の歩調で生まれる揺れに身を委ねて心地よくなっていた。

「やはり疲れているんだな」

 一之瀬はそう呟いてそっと菊地を本日の寝台に横たわらせた。

「匡様、こちらに置かせていただきます」

 いつもよりだいぶ控えめな声で田中が告げて、静かに退室して行った。

「ジンギスカンが好きなのは初耳だった」

 一之瀬はそう言いながら菊地の頬を撫でた。お腹が満たされているからか、菊地はよく眠っていて、寝返りさえ打つ気配がない。
 そんな菊地を眺めながら、一之瀬は一人酒を嗜むのだった。


 ───────


「うわぁ、すげぇ! 王様みたいだ」

 目を覚ました菊地は、部屋を見て開口一番に叫んだ。もちろん、隣に寝ていた一之瀬は既に起きていて、そんな菊地の反応を寝そべったまま眺めている。

「朝からご機嫌だな、和真」

 一之瀬に声をかけられて、菊地はちょっとだけ一之瀬を見たけれど、寝台を降りてしまった。

「クッションの刺繍すごいな! 絨毯の模様も!」
「気に入ったのか?」
「え? なんか旅行に来たなぁって」
「そうか」

 菊地は部屋の中を楽しそうに見て回り、そうして、窓の外の景色に釘付けになった。
 眼下に美しい街並みが広がり、エメラルドの海も見える。

「この景色を求めて戦争になったとも言われている」
「へ、ぇぇぇぇ」

 一之瀬が、そう言いながら窓を開けてくれた。多分一番眺めのいい部屋なのだろう。菊地のベータ人生において、ファーストクラスばりに縁のなかったスイートルームとかいう部屋に違いない。けれどそんなことをいちいち確認するのも野暮なので、菊地はあえて黙っていた。

「和真、おはよう」

 一之瀬は当たり前のように後ろから菊地を抱きしめて、頬やこめかみに唇を落としてきた。ふんわりとした一之瀬のフェロモンを感じて菊地は心拍数が心無し上がったような気がした。

「お、おはよう。匡」

 今更ながら挨拶をしてみるけれど、ぎこちないのが丸わかりだ。

「和真、今日も可愛いな」
「何言ってんだ、朝っぱらから」

 そう言って、一之瀬の腕の中から抜け出そうとしたけれど、やんわりと抱き込まれてしまった。

「和真が足りない」

 一之瀬が菊地の頬を舐めるように唇を押し付けてきた。

「ひっ」

 驚いた菊地の口からは色気のない声が出る。

「和真、口開けて」
「あ」

 一之瀬に言われるままに口を開けると、そのまま中に温かい一之瀬の舌が入り込んでくる。ゆっくりと舐めまわすように口内を動いて、逃げ場を失った菊地の舌に、横から擦るように絡みついてくる。

「んっ」

 ねっとりとした番のフェロモンが、鼻から抜けていく。朝と言うには少し遅い時間になっているから、日がやや高い。

「ばぁ……窓っ」

 一瞬唇を離して菊地が言葉を発すると、すぐに一之瀬が反応した。

「ああ、忘れてた。可愛い和真の声を誰かに聞かれたらまずいな」

 一之瀬はすぐに窓を閉めると、菊地を抱き抱えて先程までいた寝台へと引き返す。

「な、あ、朝か、盛るなっ」
「新婚旅行なのに、昨日は和真としてない」
「寝たのは悪かった」

 菊地だって反省はしている。お腹がいっばいになったからと言って、寝てしまったのは不覚だった。一応新婚旅行で、行きたがったのは自分の方なのに。

「腹減ってないのか?」
「和真を食べたい」
「腹は膨れないだろ?」
「和真が足りないんだ」
「程々に、な?」

 菊地がそういったからか、一之瀬はゆっくりと菊地の体を撫で始めた。腰に回されていた手は一度臍の方にきてからまた脇腹の方へと移動し、ゆっくりと下へと下がる。肩に回されていた手は、そのまま延長線上の腕をなぞって移動した。そうして、菊地の手のひらをゆっくりと一之瀬の指先が撫でた。

「んっ」

 自分より少し体温の低い一之瀬の指が手首を掠めた時思わず声が出た。反射的に手が何かを握ろうとしたけれど、既に手のひらからは何も無い。

「和真、俺のオメガ」

 熱い一之瀬の声が耳に響く。
 シーツはおそらくシルクで出来ているらしく、肌触りが良いと言うよりは、肌の滑りが良い。熱から逃げようと手足が自然に動いて、シーツの上を菊地の腕が上から下へと移動する。何かを掴みたいけれど、何も掴めなくて手のひらが冷えたシーツを握りしめた。

「はぁ……あつ、い」

 菊地がそう呟くと、一之瀬は薄く笑った。
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