21 / 23
第二幕 道化王子の三文芝居
小さな婚約者
しおりを挟む
なにも取り柄のない自分に唯一誇れるものがあるなら、それは素晴らしい婚約者がいること。
そして、その素晴らしい婚約者のたったひとつの欠点は、自分という婚約相手がいることだ。
ドロシー・ドロフォノス侯爵令嬢と初めて顔を合わせた日のことを、クロッドは昨日のように思い出せる。
場所は、婚約者との顔合わせとは思えないくらい、テキトーに用意された談話室。
小さなドロシーは毛皮の襟巻に埋もれるようにして、こちらを見上げていた。くりくりとした緑色の目が物珍しげに瞬いて、クロッドは子猫みたいだと思った。
できるだけ怖がらせないよう床に膝をついて目線を合わせる。無表情なのは緊張しているからだろう。それでも彼女は堂々たる態度でちょこんと淑女の礼をしてみせた。あまりの可愛らしさに感動したが、頭を撫でたり、飴をあげたりしたいのを我慢して、紳士的に「これからよろしく」とだけ挨拶した。
「いや、でも犯罪じゃないかなあ。私と並んでる絵面が完全に歩行者専用マークなんだよね。青い標識でダスク街道によく立ってるやつ。十二歳で婚約するのはあまりにも早すぎない?ねえ聞いてる?ルナール」
「聞いてるよ。兄上がちっちゃな女の子を押し付けられたって話でしょ」
「いや、どっちかというと女の子がでっかい男を押し付けられたんだと思う」
「まあいいじゃん。そのうち釣り合いがとれるよ。父上と母上なんて一回り以上差があるんだし」
「そこなんだよなあ……」
十二歳はルナールと同い年。ふつうならルナールの婚約者になるべきだろう。
だって、父王と義母は、ずっと前からルナールを王太子に望んでいる。幼いルナールが「王様になりたい」と言った時から、ずっとそのつもりなのだ。
なのに、何故自分の婚約者?しかも王命?
ドロフォノスは国でも類を見ない古い一族であり、代々宮中で役職を持たない、労働とは無縁の完全なる上級貴族だ。国内・国外に四十四ある所領地からの地代で莫大な資産を有し、当代のデザストロ・ドロフォノスになってからは、新規事業の融資にも乗り出して、もはや王国を裏から支配しているといっても過言ではない大富豪。ドロシーはその一人娘だ。
そんな超重要なお嬢さんが、何故ルナールではなく自分の婚約者?怪しくない?
「でもさ、ドロフォノスってちょっとヤバいって聞かない?」
おっと、聞き捨てならないセリフだ。
「ヤバいって、なにが?」
「え、知らないの。ドロフォノス家ってそこらへんの貴族が束になっても叶わないくらいお金持ちだけど裏で悪いコトでもしてるんじゃないかって噂だよ。『目的のためなら手段を選ばない人でなし』『希代の悪徳領主ドロフォノス』。競合相手はみんな消えちゃうんだってさ」
「……誰から聞いたの?」
「みんな言ってるよ。兄上は友達いないから知らないかもしれないけど」
「一言余計なんだけど」
「他にもいろんな噂があるよ。ドロフォノスの屋敷にはひとつも肖像画がないとか、建国以前の古地図にドロフォノスの家紋そっくりのマークが描かれてるとか。で、その理由はドロフォノス家って、実はずーっと生きてて、ずーっと外見が変わらないからじゃないかって。それを利用してお金持ちになったんじゃないかって」
「へえ」
「だから、ドロフォノスに対価を渡して祈れば、至上の栄華が約束されるんだって」
「へ、へえ……」
クロッドの頬が引きつる。
なんだか異教徒の信じる邪神みたい。
――それほど怖そうな雰囲気でもなかったけどなあ。ドロフォノス侯はお優しそうな方だったし、ドロシーはとてもいい子だった。
顔合わせのときのことを思い出し、クロッドは首をひねる。
ルナールの話はもちろん根も葉もない冗談だとして、あまりにも影響力の強い古い一族だから、伝説や陰謀論めいた噂が湧くのも仕方ないのかもしれない。侯爵たちが社交に力を入れておらず、表に出てくることが少ないのもミステリアスな印象に一役買っているのだろう。
一方で、ちょっぴり納得もした。
父もまた、世間ほどではないにしろドロフォノスを恐れているのだろう。でも、あわよくば王家の縁戚に取り込みたい。だけど、大事なルナールは関わらせたくない。ちょうどよく適齢期のクロッドがいるから、向こうに声をかけて婚約だけさせてもらった、というところだろうか。よくそんな勝手な言い分を許してくれたもんだ。
「ねえ、そんなことより翻訳手伝ってよ。いちいち辞書ひくの面倒なんだから」
ぶつぶつ言うルナールの課題を手伝いながら、それきりドロフォノスの怖い噂は忘れることにしたし、ドロシーとの婚約は継続されることとなった。
婚約に、否とは言わなかった。拒否権などないからだ。
クロッドは、ただ周りの目があるので食事と寝床を与えられているだけの存在。ルナールが成人して王太子を叙任できるようになるまでの弾除けというか、囮というか、安っぽい疑似餌みたいなもの。
それでも、義母は王位継承権をクロッドが持っているだけで気に入らないようで、「お前さえいなければ」というような嫌味をたびたび言ってくる。こうしてルナールの課題を手伝ってるし、囮にもなってるんだから、少しは役に立ってると思うけどな。もちろん、そんなこと口には出さない。いつもの縫い針に代わって、パンやスープに何を混ぜられるか分かったものじゃないから。
とにかく弟が王太子になったら、自分は用無し。
その事実は、クロッドにとって窮屈ながら不足のない生活のおしまいであり、唯一の希望でもあった。
そして、その素晴らしい婚約者のたったひとつの欠点は、自分という婚約相手がいることだ。
ドロシー・ドロフォノス侯爵令嬢と初めて顔を合わせた日のことを、クロッドは昨日のように思い出せる。
場所は、婚約者との顔合わせとは思えないくらい、テキトーに用意された談話室。
小さなドロシーは毛皮の襟巻に埋もれるようにして、こちらを見上げていた。くりくりとした緑色の目が物珍しげに瞬いて、クロッドは子猫みたいだと思った。
できるだけ怖がらせないよう床に膝をついて目線を合わせる。無表情なのは緊張しているからだろう。それでも彼女は堂々たる態度でちょこんと淑女の礼をしてみせた。あまりの可愛らしさに感動したが、頭を撫でたり、飴をあげたりしたいのを我慢して、紳士的に「これからよろしく」とだけ挨拶した。
「いや、でも犯罪じゃないかなあ。私と並んでる絵面が完全に歩行者専用マークなんだよね。青い標識でダスク街道によく立ってるやつ。十二歳で婚約するのはあまりにも早すぎない?ねえ聞いてる?ルナール」
「聞いてるよ。兄上がちっちゃな女の子を押し付けられたって話でしょ」
「いや、どっちかというと女の子がでっかい男を押し付けられたんだと思う」
「まあいいじゃん。そのうち釣り合いがとれるよ。父上と母上なんて一回り以上差があるんだし」
「そこなんだよなあ……」
十二歳はルナールと同い年。ふつうならルナールの婚約者になるべきだろう。
だって、父王と義母は、ずっと前からルナールを王太子に望んでいる。幼いルナールが「王様になりたい」と言った時から、ずっとそのつもりなのだ。
なのに、何故自分の婚約者?しかも王命?
ドロフォノスは国でも類を見ない古い一族であり、代々宮中で役職を持たない、労働とは無縁の完全なる上級貴族だ。国内・国外に四十四ある所領地からの地代で莫大な資産を有し、当代のデザストロ・ドロフォノスになってからは、新規事業の融資にも乗り出して、もはや王国を裏から支配しているといっても過言ではない大富豪。ドロシーはその一人娘だ。
そんな超重要なお嬢さんが、何故ルナールではなく自分の婚約者?怪しくない?
「でもさ、ドロフォノスってちょっとヤバいって聞かない?」
おっと、聞き捨てならないセリフだ。
「ヤバいって、なにが?」
「え、知らないの。ドロフォノス家ってそこらへんの貴族が束になっても叶わないくらいお金持ちだけど裏で悪いコトでもしてるんじゃないかって噂だよ。『目的のためなら手段を選ばない人でなし』『希代の悪徳領主ドロフォノス』。競合相手はみんな消えちゃうんだってさ」
「……誰から聞いたの?」
「みんな言ってるよ。兄上は友達いないから知らないかもしれないけど」
「一言余計なんだけど」
「他にもいろんな噂があるよ。ドロフォノスの屋敷にはひとつも肖像画がないとか、建国以前の古地図にドロフォノスの家紋そっくりのマークが描かれてるとか。で、その理由はドロフォノス家って、実はずーっと生きてて、ずーっと外見が変わらないからじゃないかって。それを利用してお金持ちになったんじゃないかって」
「へえ」
「だから、ドロフォノスに対価を渡して祈れば、至上の栄華が約束されるんだって」
「へ、へえ……」
クロッドの頬が引きつる。
なんだか異教徒の信じる邪神みたい。
――それほど怖そうな雰囲気でもなかったけどなあ。ドロフォノス侯はお優しそうな方だったし、ドロシーはとてもいい子だった。
顔合わせのときのことを思い出し、クロッドは首をひねる。
ルナールの話はもちろん根も葉もない冗談だとして、あまりにも影響力の強い古い一族だから、伝説や陰謀論めいた噂が湧くのも仕方ないのかもしれない。侯爵たちが社交に力を入れておらず、表に出てくることが少ないのもミステリアスな印象に一役買っているのだろう。
一方で、ちょっぴり納得もした。
父もまた、世間ほどではないにしろドロフォノスを恐れているのだろう。でも、あわよくば王家の縁戚に取り込みたい。だけど、大事なルナールは関わらせたくない。ちょうどよく適齢期のクロッドがいるから、向こうに声をかけて婚約だけさせてもらった、というところだろうか。よくそんな勝手な言い分を許してくれたもんだ。
「ねえ、そんなことより翻訳手伝ってよ。いちいち辞書ひくの面倒なんだから」
ぶつぶつ言うルナールの課題を手伝いながら、それきりドロフォノスの怖い噂は忘れることにしたし、ドロシーとの婚約は継続されることとなった。
婚約に、否とは言わなかった。拒否権などないからだ。
クロッドは、ただ周りの目があるので食事と寝床を与えられているだけの存在。ルナールが成人して王太子を叙任できるようになるまでの弾除けというか、囮というか、安っぽい疑似餌みたいなもの。
それでも、義母は王位継承権をクロッドが持っているだけで気に入らないようで、「お前さえいなければ」というような嫌味をたびたび言ってくる。こうしてルナールの課題を手伝ってるし、囮にもなってるんだから、少しは役に立ってると思うけどな。もちろん、そんなこと口には出さない。いつもの縫い針に代わって、パンやスープに何を混ぜられるか分かったものじゃないから。
とにかく弟が王太子になったら、自分は用無し。
その事実は、クロッドにとって窮屈ながら不足のない生活のおしまいであり、唯一の希望でもあった。
10
お気に入りに追加
67
あなたにおすすめの小説
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
えぇ、死ねばいいのにと思ってやりました。それが何か?
真理亜
恋愛
「アリン! 貴様! サーシャを階段から突き落としたと言うのは本当か!?」王太子である婚約者のカインからそう詰問された公爵令嬢のアリンは「えぇ、死ねばいいのにと思ってやりました。それが何か?」とサラッと答えた。その答えにカインは呆然とするが、やがてカインの取り巻き連中の婚約者達も揃ってサーシャを糾弾し始めたことにより、サーシャの本性が暴かれるのだった。
[完結]本当にバカね
シマ
恋愛
私には幼い頃から婚約者がいる。
この国の子供は貴族、平民問わず試験に合格すれば通えるサラタル学園がある。
貴族は落ちたら恥とまで言われる学園で出会った平民と恋に落ちた婚約者。
入婿の貴方が私を見下すとは良い度胸ね。
私を敵に回したら、どうなるか分からせてあげる。
もうすぐ、お別れの時間です
夕立悠理
恋愛
──期限つきの恋だった。そんなの、わかってた、はずだったのに。
親友の代わりに、王太子の婚約者となった、レオーネ。けれど、親友の病は治り、婚約は解消される。その翌日、なぜか目覚めると、王太子が親友を見初めるパーティーの日まで、時間が巻き戻っていた。けれど、そのパーティーで、親友ではなくレオーネが見初められ──。王太子のことを信じたいけれど、信じられない。そんな想いにゆれるレオーネにずっと幼なじみだと思っていたアルロが告白し──!?
忘れられた妻
毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。
セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。
「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」
セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。
「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」
セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。
そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。
三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません
【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。
華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。
王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。
王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる