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第一幕 人形令嬢の一人舞台

分かれ道

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話をしているうちに、回廊の分かれ道に差し掛かった。
ルナールは名残惜しそうにドロシーを見て、上擦った声で「あのさ」と切り出した。

「もし……もし、なにか困ったことがあったら、なんでも言ってね。僕だけはドロシーの味方だから」

熱のこもった瞳に正面から見つめられ、ドロシーは逃げるように目を伏せた。

「――ありがとうございます」

「うん……じゃあ、また」

ルナールがドロシーに背を向けたのを見計らい、側近のひとり――政務官ワゼル・ワンドがこちらへ目配せした。なにか話したいことがあるようだ。彼はクロッドの側近だったのだが先日クビになったばかりである。在任期間は三ヶ月。よくもった方だ。

「失礼、ドロシー嬢。昨夜マージン卿の舞踏会でなにかありましたか?」

ルナールの姿が十分遠ざかったところで、開口一番そう尋ねられた。

「なにか、とは」

「昨日の随分遅い時間、ルナール様とクロッド殿下が言い争っていたと侍従から報告があったのです。ドロシー嬢なら、なにかご存知ではないかと」

「そうでしたか。殿下が……」

ならば、口論の原因は間違いなく自分だろう。
ドロシーが舞踏会でひとりだったことについて揉めたのだと推察できる。押し黙ったドロシーを眼鏡越しに一瞥し、ワゼルはなにかを察したようだ。

「ああ、いや……特に覚えがないならかまいません。ただ珍しいこともあるものだと思いまして。……なにかあればいつでも教えてください」

ワゼルは涼しげな容貌にかすかな微笑を浮かべ、一礼するとルナールを追っていった。ルナールを中心に、同じ年頃の若手側近たちがわいわい言いながら歩いていくのは楽しそうな光景だった。ぴょんぴょん動く金茶の寝癖が見えなくなるまで、ドロシーは静かに立っていた。


――そろそろ、話しかけてこられるだろうか。


「ルナールが気に入ったか」

ドロシーは大して驚きもなく、声の主を振り返る。

クロッドが柱にもたれ、気怠そうに立っていた。

もう正午になろうかという時間なのに、昨日舞踏会で会ったときの恰好のままだ。胸まではだけられたシャツの隙間から、趣味の悪い首飾りがジャラジャラ覗いた。彼が好んで付ける強い整髪料の香りが鼻腔を擽る。

「ワゼルの奴も上手く弟に取り入ったみたいだな。腰巾着がサマになってる」

「ごきげんよう、殿下。今お帰りになられたのですか?」

「あ?」

訝し気な声を出したクロッドは、昨夜と同じ姿の自分を見下ろし、ニヤニヤ笑った。

「見たら分かるだろ。女達がなかなか帰してくれなくてな」

「さようですか。……それで、さっきのお言葉はどういう意味でしょう?」

「ただの忠告だ。しらばっくれるのは勝手だが、奴を気に入っても無駄だからな。私とお前の婚約は王命で、今更嫌がっても白紙にはならない。残念だったな」

顔合わせの頃の面影は確かにある。しかし不摂生のせいか銀髪は艶がなく、目の下には隈があり、二十四という年齢よりも上に見えた。
昔クロッドに無視され続けて、なんとか再会できたときもそう思った。彼はすっかり変わっていた。手紙の向こうにいた婚約者は道化王子になってしまっていた。

口を閉ざしたまま見つめ返すドロシーに、クロッドは舌打ちした。

「また人形ゴッコか?お前はすぐそうやって黙り込む。もう少し笑うなりなんなり愛想よくしろよ、全く……。ああ、でも昨日はお利口だったみたいだな。あのあとルナールの誘いを断ったんだって?」

ふいに大きな手が伸びてきて、ドロシーの細い顎を掬う。柘榴石の双眸が意地悪そうに歪み、翡翠の視線を絡め取った。

「その調子できちんと弁えてろ。お前は私の婚約者ものなんだからな」

ドロシーは唇を噛み締める。それしか出来ないから。

「……重々承知しております、殿下」

反応の薄いドロシーに、クロッドは顔をしかめて手を離した。

「せいぜいお勉強を頑張ってくれ。将来の王を支えるために」

クロッドは靴についた泥が落ちるのもかまわず、美しく掃き清められた回廊を足音荒く去っていく。

広い背中が見えなくなると、ドロシーは気持ちを落ち着かせようと目蓋を閉じた。癖の強い整髪料、薄荷水、王家御用達の石鹸の残り香、顎に触れた指先の冷たさ――。

「わたくしは」

静かに目を開く。

「王を支えるつもりなどありません」

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