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第一幕 人形令嬢の一人舞台
人形令嬢と道化王子の婚約
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ドロシーは、由緒正しいドロフォノス侯爵家の長女として生まれた。
共に暮らす家族は、父、母、兄。
建国のときより王家に仕えており、その歴史の長さから多くの血族、多岐にわたる爵位・所領を持ち、ブレイク・ブロウクス王国の中核を担っている一族であった。
ドロシーが、王命によりクロッド第一王子の婚約者となったのは7年前。ドロシーが12歳、王子が17歳のときだった。
王陛下と侯爵家の間で交わされた政略的な婚約で、ドロフォノス家よりも力を持つ貴族家はなかったため、すんなり話は進んだ。ただ側妃殿下やその実家だけは、ドロシーと婚約するのは同い年である自分の子ルナール第二王子の方がいいのではと、最後まで難色を示していたようだ。
クロッド・イグルーシカと初めて顔を合わせた日のことを、ドロシーは昨日のように思い出せる。
雨の降る初冬だった。
父侯爵とともに王宮に向かう有蓋馬車に揺られながら、ドロシーは黒い毛皮の襟巻に顔を埋め、深く悩んでいた。予想通りの雨模様。これでは王宮の庭でお茶もできないし、外を散歩するのも難しい。王子となにを話せばいいだろう。そう思っていたのだが、顔合わせはお茶の用意もない小さな談話室で、ほんの数分だけだった。
クロッドはそのときからとても背が高くて、まだ少女のドロシーは顔を真上に上げないと目を合わせられないくらいだった。彼は小さな女の子の扱いに明らかに困っており、大きな身体を丸めて床に膝を付き、「これからよろしく」とだけ言った。
ドロシーは満足だった。
婚約式さえない書類上の婚約関係だったが全然かまわなかった。
顔合わせ以降、少しでも相手のことを知りたくてドロシーは頻繁に手紙を書いた。
――父と母はとても仲が良く、兄はちょっぴりイジワル。水曜日につまらないダンスのレッスンがある。いつもドロフォノスの領地にある森で遊ぶ。黒い色のドレスをよく着る。いつか世界中を旅してみたい。
そんなような内容だ。
彼には退屈だったろうが、必ず返事をくれた。
『家族の仲がいいのは素晴らしい。自分も弟と仲がいい。ダンスはもう少し大きくなったら一緒に練習しよう。森で遊ぶときは護衛から離れ過ぎないように。きれいな黒髪だから黒いドレスはとても似合う。自分の夢は大きなパイをまるごと食べること』
ドロシーはまだ正式なお茶会や夜会に出られる年齢ではなかったため、王子とふたりで会うことはなかったが、季節が変わるごとに贈り物が届き、ドロシーも拙い刺繍を施したハンカチなどを贈った。
ところが、ささやかな交流は突然終わりを告げた。
ドロシーが十五歳になり社交界へのお披露目が終わって、王子妃教育が始まった頃から手紙はぱったりと返ってこなくなった。王宮ではすれ違いになるばかりで、ようやく参加できるようになった夜会でも欠席を連発。私的なお茶会に招待しても来てくれない。完全に避けられていた。
当初、ドロシーは王子に嫌われている婚約者として馬鹿にされていた。やっぱりあんなに歳が離れたお嬢ちゃんなんてイヤよね。美人だけど陰気だし愛想もないし、王子にないがしろにされて当然よね。社交界に出ればこんな陰口を叩かれた。
ところが、その頃から王子にも悪評が立ち始めた。
いわく、招待された夜会で酒に酔い無礼な振る舞いをする、公務に携わらない、目下の人間に高圧的、贅沢好きで見栄っ張り、側近を次々クビにする、優秀な弟王子を毛嫌いしている、下手なくせにしょっちゅう狩猟に行く、彼に手を出され王宮にいられなくなった侍女が大勢いる――。
そのときクロッド・イグルーシカは、ちょうど二十歳。
「これまでおとなしくしていた第一王子は、女を知ってダメになってしまった」と周囲は嘆いた。この国では十五歳で社交界に参加でき、二十歳で成人。王族は成人前後が閨教育開始時期なのだ。
こうなってくるとドロシーに対する風向きは変わり、少しずつ悪口は減っていった。
それどころか婚約者の立場を憐れまれることが多くなり、不敬極まりないが「王家への生贄」呼ばわりされ、「ルナール王子の婚約者だったらよかったのにね」と母の友人たちに慰められる始末。
そう、風向きが変わった者がもうひとりいる。
ルナール第二王子殿下である。
共に暮らす家族は、父、母、兄。
建国のときより王家に仕えており、その歴史の長さから多くの血族、多岐にわたる爵位・所領を持ち、ブレイク・ブロウクス王国の中核を担っている一族であった。
ドロシーが、王命によりクロッド第一王子の婚約者となったのは7年前。ドロシーが12歳、王子が17歳のときだった。
王陛下と侯爵家の間で交わされた政略的な婚約で、ドロフォノス家よりも力を持つ貴族家はなかったため、すんなり話は進んだ。ただ側妃殿下やその実家だけは、ドロシーと婚約するのは同い年である自分の子ルナール第二王子の方がいいのではと、最後まで難色を示していたようだ。
クロッド・イグルーシカと初めて顔を合わせた日のことを、ドロシーは昨日のように思い出せる。
雨の降る初冬だった。
父侯爵とともに王宮に向かう有蓋馬車に揺られながら、ドロシーは黒い毛皮の襟巻に顔を埋め、深く悩んでいた。予想通りの雨模様。これでは王宮の庭でお茶もできないし、外を散歩するのも難しい。王子となにを話せばいいだろう。そう思っていたのだが、顔合わせはお茶の用意もない小さな談話室で、ほんの数分だけだった。
クロッドはそのときからとても背が高くて、まだ少女のドロシーは顔を真上に上げないと目を合わせられないくらいだった。彼は小さな女の子の扱いに明らかに困っており、大きな身体を丸めて床に膝を付き、「これからよろしく」とだけ言った。
ドロシーは満足だった。
婚約式さえない書類上の婚約関係だったが全然かまわなかった。
顔合わせ以降、少しでも相手のことを知りたくてドロシーは頻繁に手紙を書いた。
――父と母はとても仲が良く、兄はちょっぴりイジワル。水曜日につまらないダンスのレッスンがある。いつもドロフォノスの領地にある森で遊ぶ。黒い色のドレスをよく着る。いつか世界中を旅してみたい。
そんなような内容だ。
彼には退屈だったろうが、必ず返事をくれた。
『家族の仲がいいのは素晴らしい。自分も弟と仲がいい。ダンスはもう少し大きくなったら一緒に練習しよう。森で遊ぶときは護衛から離れ過ぎないように。きれいな黒髪だから黒いドレスはとても似合う。自分の夢は大きなパイをまるごと食べること』
ドロシーはまだ正式なお茶会や夜会に出られる年齢ではなかったため、王子とふたりで会うことはなかったが、季節が変わるごとに贈り物が届き、ドロシーも拙い刺繍を施したハンカチなどを贈った。
ところが、ささやかな交流は突然終わりを告げた。
ドロシーが十五歳になり社交界へのお披露目が終わって、王子妃教育が始まった頃から手紙はぱったりと返ってこなくなった。王宮ではすれ違いになるばかりで、ようやく参加できるようになった夜会でも欠席を連発。私的なお茶会に招待しても来てくれない。完全に避けられていた。
当初、ドロシーは王子に嫌われている婚約者として馬鹿にされていた。やっぱりあんなに歳が離れたお嬢ちゃんなんてイヤよね。美人だけど陰気だし愛想もないし、王子にないがしろにされて当然よね。社交界に出ればこんな陰口を叩かれた。
ところが、その頃から王子にも悪評が立ち始めた。
いわく、招待された夜会で酒に酔い無礼な振る舞いをする、公務に携わらない、目下の人間に高圧的、贅沢好きで見栄っ張り、側近を次々クビにする、優秀な弟王子を毛嫌いしている、下手なくせにしょっちゅう狩猟に行く、彼に手を出され王宮にいられなくなった侍女が大勢いる――。
そのときクロッド・イグルーシカは、ちょうど二十歳。
「これまでおとなしくしていた第一王子は、女を知ってダメになってしまった」と周囲は嘆いた。この国では十五歳で社交界に参加でき、二十歳で成人。王族は成人前後が閨教育開始時期なのだ。
こうなってくるとドロシーに対する風向きは変わり、少しずつ悪口は減っていった。
それどころか婚約者の立場を憐れまれることが多くなり、不敬極まりないが「王家への生贄」呼ばわりされ、「ルナール王子の婚約者だったらよかったのにね」と母の友人たちに慰められる始末。
そう、風向きが変わった者がもうひとりいる。
ルナール第二王子殿下である。
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