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第12話
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さてあの記憶の彼方に葬り去りたいお泊まりの翌日から、新しいルールが追加された。それは毎日必ず帰る時間の報告をするというもので、理由は教えてくれなかった。俺バイト以外ほぼ行くところ無いから聞く意味ない気がするんだけど......。家隣なんだから帰ってきたらすぐ分かるし。なんだか腑に落ちない上、若干の面倒さはあるが、篠崎が言うのだから仕方がない。
それより、その後に念を押すように、「隠し事はなし、だからね」と言った彼の光の無い瞳が忘れられない。何処までも黒く深く、触れてはいけない闇が確かにそこにあった。怖い。怖くてたまらない。それでも、あの瞳は俺だけに向けられていてほしいと、そう思うのだ。
それから日は経ち、ある日のバイト中。いつものように無感情でレジ打ちをしていると、客から急に話しかけられた。
「あれ、もしかして藤田?」
恐る恐る客の顔を見てみると、それは高校時代の数少ない友人、鈴里渚だった。高校卒業以来だから、会うのは約6年ぶりになる。連絡先は持っていたが、ほとんど音信不通になっていた。
「......鈴里か、久しぶりだな」
「相変わらずテンション低いのな」
鈴里は明るくて、根暗な俺と3年もつるんでくれた良い奴だ。出来れば、再会を素直に喜べる俺で会いたかった、と思う。鈴里は確か文系の名門国立大にサラッと合格したはずだ。この様子だとどこかしらに就職して立派に働いているんだろう。こんなコンビニバイトのフリーターとして会いたくはなかった。劣等感が身体を這いずり回るような感覚に襲われる。今すぐこの場から消え去りたかった。
「今日何時に終わるんだ?」
「後......30分くらい」
「そっか!もし良かったら、飯食いに行かね?久々に会えて嬉しいし、ちょっと話したい」
その言葉に嘘偽りが無いことを、俺はよく知っていた。それに、こんなに落ちぶれた俺にも、まだそうやって言ってくれる友人がいることが嬉しかった。
「分かった」
思わず、そう返事をしていた。
仕事を終え、篠崎には一応帰り時間が遅くなることを連絡しておく。それから鈴里と2人で適当な居酒屋に入った。
「とにかく藤田が元気そうでよかったよ。ちょっと心配してたんだ」
「まあ大分落ちぶれてはいるけどな」
鈴里は俺の卑屈な自虐を笑って流すと、「でも実際、ちゃんと自分の食い扶持稼いで生活してるんだから、落ちぶれてるも何も無いだろ」と真面目な顔をして言った。
「ありがとよ」
昔から鈴里はこういう奴だ。裏表なく、いつも俺の欲しい言葉をくれる。学生時代も所謂陽キャと陰キャの仲介役のような人間で、その両属性の良い部分を持ち合わせていた。派手では無く目立たないが、彼を嫌っている人も見た事がない。どうして俺なんかと仲良くしてくれていたのか、今でも不思議に思う。
酒も入り話は弾み、仕事の話に始まり、受験生時代の苦労話や高校時代の同級生のあれこれに至るまで、話は多岐に及んだ。
「それにしても上司のパワハラが酷くてな......。俺がターゲットって訳では無いんだけど、見てるだけで心が病んでくるっつーかさ」
「鈴里も苦労してるんだな......。あんまり無理すんなよ」
「藤田はやっぱ優しいな......。そうだ、彼女とかいないのか?」
急に恋愛方面に舵を切るもんだから、動揺して飲んでいた酒でむせてしまった。
「す、鈴里の方はどうなんだよ」
口元を拭いながらそう問うと、鈴里はすんなり答えた。
「俺はいるぜ、ほら」
鈴里がそう言って、少し得意げにスマホの画面を向ける。写真に写っている女性は笑顔が可愛らしく、鈴里の隣にいる光景がすぐに想像できた。
「凄くお似合いだと思う」
「ほんと?嬉しいな。凄く良い子でさ、もうすぐ同棲しようって言ってるんだ」
同棲?!そうか、もうそんな事考え始める歳なのか。そうだよな、下手したら結婚してても全然おかしくない年齢だもんな。
「で、藤田の方は?」
「ま、まあ、ぼちぼち」
「その感じは良い人いるだろ」
鋭いな、鈴里のやつ。まあ彼女ではないし付き合ってもないんだが......。
「どんな人?」
「......俺なんかとは全然釣り合わないくらい綺麗な人」
鈴里がにまにまと笑っている。
「なんだよ」
「いやー、藤田と恋バナができるなんて感慨深いよ」
まあ確かに、俺は高校時代、恋愛とは無縁の生活をしていた。鈴里の方は適度に彼女ができたり別れたりを繰り返していたが、それの何が良いのかもよく分かっていなかった。今なら分かる。好きな人が出来るのは、苦しくて辛くて、でも他に代えがたい喜びでもあるのだと。
「その人と上手くいくといいね」
「鈴里もな。結婚式は呼んでくれ」
「気が早いって」
また今度飲もうと約束をして、俺たちはそれぞれ帰路に着いた。思っていたよりずっと楽しい時間だった。相手が鈴里だったのが何より大きいが、俺自身の気持ちにもだいぶ変化が起きていたように思う。篠崎と出会ったことで、目を逸らし続けていた自分の人生を少しずつ直視できるようになり、自分自身をほんの少しだけ認めることが出来るようになった。篠崎のおかげだ。あそこの居酒屋の料理美味かったし、今度誘ってみようかな。
浮かれた気持ちでアパートに帰ると、もうすっかり遅い時間なのに、篠崎の部屋の電気が消えていた。まあ20歳なら夜遊びもするか、と特に気に留めることなく自分の部屋の鍵穴に鍵を差し込み、回す。いつものようにドアノブに手をかけ、扉を開いた途端、隙間から伸びてきた手に、中の暗闇へと引きずり込まれた。
床に押し倒され、何か布のようなもので手首を拘束される。暗闇で目が慣れないが、多分相手が篠崎だということだけは分かった。
「なあ、どうしたんだ」
「口の利き方には気をつけろよ、俺の所有物の分際で」
温度の感じられない声だった。篠崎の顔は見えないが、その顔を見るのがとても恐ろしくなった。カチャリ、と部屋の鍵を閉める音が聞こえ、ゾッとする。それは、俺の事を逃がさない、という意思表示のように感じられた。
それより、その後に念を押すように、「隠し事はなし、だからね」と言った彼の光の無い瞳が忘れられない。何処までも黒く深く、触れてはいけない闇が確かにそこにあった。怖い。怖くてたまらない。それでも、あの瞳は俺だけに向けられていてほしいと、そう思うのだ。
それから日は経ち、ある日のバイト中。いつものように無感情でレジ打ちをしていると、客から急に話しかけられた。
「あれ、もしかして藤田?」
恐る恐る客の顔を見てみると、それは高校時代の数少ない友人、鈴里渚だった。高校卒業以来だから、会うのは約6年ぶりになる。連絡先は持っていたが、ほとんど音信不通になっていた。
「......鈴里か、久しぶりだな」
「相変わらずテンション低いのな」
鈴里は明るくて、根暗な俺と3年もつるんでくれた良い奴だ。出来れば、再会を素直に喜べる俺で会いたかった、と思う。鈴里は確か文系の名門国立大にサラッと合格したはずだ。この様子だとどこかしらに就職して立派に働いているんだろう。こんなコンビニバイトのフリーターとして会いたくはなかった。劣等感が身体を這いずり回るような感覚に襲われる。今すぐこの場から消え去りたかった。
「今日何時に終わるんだ?」
「後......30分くらい」
「そっか!もし良かったら、飯食いに行かね?久々に会えて嬉しいし、ちょっと話したい」
その言葉に嘘偽りが無いことを、俺はよく知っていた。それに、こんなに落ちぶれた俺にも、まだそうやって言ってくれる友人がいることが嬉しかった。
「分かった」
思わず、そう返事をしていた。
仕事を終え、篠崎には一応帰り時間が遅くなることを連絡しておく。それから鈴里と2人で適当な居酒屋に入った。
「とにかく藤田が元気そうでよかったよ。ちょっと心配してたんだ」
「まあ大分落ちぶれてはいるけどな」
鈴里は俺の卑屈な自虐を笑って流すと、「でも実際、ちゃんと自分の食い扶持稼いで生活してるんだから、落ちぶれてるも何も無いだろ」と真面目な顔をして言った。
「ありがとよ」
昔から鈴里はこういう奴だ。裏表なく、いつも俺の欲しい言葉をくれる。学生時代も所謂陽キャと陰キャの仲介役のような人間で、その両属性の良い部分を持ち合わせていた。派手では無く目立たないが、彼を嫌っている人も見た事がない。どうして俺なんかと仲良くしてくれていたのか、今でも不思議に思う。
酒も入り話は弾み、仕事の話に始まり、受験生時代の苦労話や高校時代の同級生のあれこれに至るまで、話は多岐に及んだ。
「それにしても上司のパワハラが酷くてな......。俺がターゲットって訳では無いんだけど、見てるだけで心が病んでくるっつーかさ」
「鈴里も苦労してるんだな......。あんまり無理すんなよ」
「藤田はやっぱ優しいな......。そうだ、彼女とかいないのか?」
急に恋愛方面に舵を切るもんだから、動揺して飲んでいた酒でむせてしまった。
「す、鈴里の方はどうなんだよ」
口元を拭いながらそう問うと、鈴里はすんなり答えた。
「俺はいるぜ、ほら」
鈴里がそう言って、少し得意げにスマホの画面を向ける。写真に写っている女性は笑顔が可愛らしく、鈴里の隣にいる光景がすぐに想像できた。
「凄くお似合いだと思う」
「ほんと?嬉しいな。凄く良い子でさ、もうすぐ同棲しようって言ってるんだ」
同棲?!そうか、もうそんな事考え始める歳なのか。そうだよな、下手したら結婚してても全然おかしくない年齢だもんな。
「で、藤田の方は?」
「ま、まあ、ぼちぼち」
「その感じは良い人いるだろ」
鋭いな、鈴里のやつ。まあ彼女ではないし付き合ってもないんだが......。
「どんな人?」
「......俺なんかとは全然釣り合わないくらい綺麗な人」
鈴里がにまにまと笑っている。
「なんだよ」
「いやー、藤田と恋バナができるなんて感慨深いよ」
まあ確かに、俺は高校時代、恋愛とは無縁の生活をしていた。鈴里の方は適度に彼女ができたり別れたりを繰り返していたが、それの何が良いのかもよく分かっていなかった。今なら分かる。好きな人が出来るのは、苦しくて辛くて、でも他に代えがたい喜びでもあるのだと。
「その人と上手くいくといいね」
「鈴里もな。結婚式は呼んでくれ」
「気が早いって」
また今度飲もうと約束をして、俺たちはそれぞれ帰路に着いた。思っていたよりずっと楽しい時間だった。相手が鈴里だったのが何より大きいが、俺自身の気持ちにもだいぶ変化が起きていたように思う。篠崎と出会ったことで、目を逸らし続けていた自分の人生を少しずつ直視できるようになり、自分自身をほんの少しだけ認めることが出来るようになった。篠崎のおかげだ。あそこの居酒屋の料理美味かったし、今度誘ってみようかな。
浮かれた気持ちでアパートに帰ると、もうすっかり遅い時間なのに、篠崎の部屋の電気が消えていた。まあ20歳なら夜遊びもするか、と特に気に留めることなく自分の部屋の鍵穴に鍵を差し込み、回す。いつものようにドアノブに手をかけ、扉を開いた途端、隙間から伸びてきた手に、中の暗闇へと引きずり込まれた。
床に押し倒され、何か布のようなもので手首を拘束される。暗闇で目が慣れないが、多分相手が篠崎だということだけは分かった。
「なあ、どうしたんだ」
「口の利き方には気をつけろよ、俺の所有物の分際で」
温度の感じられない声だった。篠崎の顔は見えないが、その顔を見るのがとても恐ろしくなった。カチャリ、と部屋の鍵を閉める音が聞こえ、ゾッとする。それは、俺の事を逃がさない、という意思表示のように感じられた。
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