飛んで火に入る夏の君

柚木よう

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第8話

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 水族館は多くの家族連れで賑わっていた。やっぱりマスクをつけさせて正解だった、色んな意味で。

 「大人用チケット、2枚お願いします」
 受付で2人分のチケットを頼み、財布を取り出していると、隙間からスっと万札が差し出された。
 「これでお願いします」
 俺が制止する間もなくスタッフにそれを受け取られ、お釣りと2枚のチケットが渡される。
 「お前な」
 「純君がモタモタしてるからさ」
 「こういうのは年上にかっこつけさせるもんだろうが」
 「いいんだよ、行きたいって言ったの俺だし」
 良い訳ないだろボンボンめ。せめて直接チケット代を渡そうと何度も挑んだが、篠崎は決してそれを受け取ってはくれなかった。
 「じゃあ身体で返してくれればいいよ」
 「ふざけんな馬鹿」
 篠崎は楽しげに笑っているが、断じて笑い事では無い。クソ、この借りは必ず返すからな。金で。

 矢印に従って、最初から順番にゆっくり巡っていった。その途中、何やら人が集まっているのを発見し、俺達も立ち止まる。近くの立て看板を読みに行った篠崎が戻ってきて言った。
 「もうすぐそこの水槽で魚達のショーがあるんだって」
 「見てみるか」
 段差のついた席に2人並んで座り、ショーの開演を待った。壁一面の大きな水槽には、様々な種類の小さな魚達が泳いでいる。この中にも社会があって、それぞれ生きづらさを感じているんだろうか。自分の居場所を見つけようと必死だったりするのだろうか。
 時間になると、あたりの電気が消え、水槽が光に照らされてキラキラと輝き始めた。壮大な音楽に合わせて魚達が渦を巻き、水の演出もなかなか凝っていて見応えがある。周囲の子供達がそれに合わせて歓声を上げていて、微笑ましかった。俺も魅入っていたのだが、途中から篠崎が俺の手の上に自分の手を重ねておいてきたせいで、完全に集中力が削がれた。
 「人に見られたらどうする......!」
 小声でそう言うと、篠崎はとぼけ顔でこちらを見た。そしてちゃんとショーを見ろ、というように空いた手で前方を指さす。お前が邪魔したんだろうが......!
 サワサワと自分の手を撫でられ続けていたせいで、ずっと気が散ったまま、ショーは終わってしまった。過敏に反応してしまう俺も俺だが、あまりにしつこい。客席が真っ暗なことだけが救いだった。
 やがて灯りがつき、流石に文句を言ってやろうと篠崎の方を見ると、両手でスマホを弄っていた。両手で......?じゃあ俺の手に触れているのは......?
 「すみません!子供が席から立ち上がっちゃってたみたいで......!」
 見ると丁度後ろの席の幼い子供が立っており、俺の手と席の隙間に両手を置いてバランスを取っていたようだった。篠崎じゃなかったのか。とんだ勘違いをしていたことが分かり、急に恥ずかしくなってきた。
 「大丈夫ですから、気にしないでください」
 母親は子供を抱きかかえると、何度も頭を下げながら去っていった。他の家族連れも次の展示へと移動していき、あっという間に座っているのは俺と篠崎の2人だけになる。客席がシーンと静まり返った。
 「純君、俺が触ってると勘違いしてたの?」
 うるさいうるさいうるさい。格好のおもちゃを見つけたといったように、篠崎はニヤニヤとこちらを覗きこんだ。
 「大体子供の手なんてちっちゃくて分かりやすいし、避ければもう触ってこないのに」
 俺が何も言わないのを良いことに、さらに畳み掛けて心をへし折りにくるのだから、本当に良い性格をしている。全てが図星で、俺の顔はどんどん赤くなるばかりだった。
 「俺が触ってると思ったから、抵抗しなかったんだ?」
 「......だったら悪いか」
 篠崎に触れられてると思ったから完全に思考がショートしたし、抵抗したらもっと悪化すると思ったんだよ。お前のせいだ。ばーかばーか。
 「ねえ、どんな風に触られたの?」
 篠崎がゆっくりと指先で俺の手のひらをなぞり、指を絡ませる。より色っぽく、扇情的に。明るい空間だからこそ、篠崎が何をしているのかがハッキリと見え、その一挙一動と微かな刺激に、一々過剰に反応してしまう。やばい、これは、だめだ。
 「ち、小さい子がそんな触り方する訳ないだろ。早く次行くぞ、次」
 必死に手を振りほどき、人通りのある通路まで階段を駆け上がる。......危うく勃つところだった。思えば俺は今完全に欲求不満なのだ。後少しでもあんなのが続いていたらどんな醜態を晒していたか分からない。
 「全く、大袈裟だなあ。純君は」
 してやったりと満足気な顔で言う篠崎を無視し、先程の邪な空気を振り払うつもりで、つかつかと早歩きで次のコーナーへ進んだ。建物内の熱気もあり、顔の火照りはしばらく引いてくれなかった。

 屋外へ出ると、ポップコーンの甘い匂いが鼻をくすぐった。ここから先はイルカやペンギン等の言わば花形のコーナーが続き、子供達はポップコーンを食べながらそこを巡っていくようだった。こんな所に店を設置されたら、親は買ってやらざるを得ないだろうな。よく考えられている。ふと篠崎の方を見やると、彼もどうやらポップコーンが気になっているようだった。
 「食べるか?」
 「いや、別にいいよ」
 そう素っ気なく口で言う割には、チラチラと視線を送っている。やっぱり食べたいんじゃないか。
 「ちょっと待ってて」

 2人分の虹色のポップコーンを買って戻ると、篠崎は明らかに目を輝かせた。意外とこういうの好きなのか。
 「......ありがとう」
 そう言った篠崎にいつもの飄々とした様子はなく、まるで素直な子供のようだった。両手でポップコーンを大事そうに持っている様に、不覚にも可愛いと思ってしまう。ほんのちょっとだけでも篠崎自身に触れられたような気がして、嬉しかった。
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