飛んで火に入る夏の君

柚木よう

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第1話

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  「ねえ、これ君の盗聴器でしょ」
 玄関のドアを開けると、俺の恋い焦がれる隣人が、身に覚えしかない盗聴器を顔の横で楽しげに揺らしながら立っていた。外から入ってくる蒸し暑い熱気とは裏腹に、自分の血の気がサッと引いていくのを感じた。慌ててドアを閉めようとすると、彼は思い切り力を入れて、自らの身体をその隙間に押し込んだ。そうすれば、俺がそれ以上無理にドアを閉められないと分かっていたのだ。
 「外暑いしさ、とりあえず中入れてくれない?」
 観念して取っ手から手を離すと、彼はするりと玄関に入り、まるで自分の家であるかのような自然な手つきで鍵を閉めた。呆気に取られて彼を見つめていると、額に汗をかいた美しい顔が、不敵に微笑んだ。

 急いで床に散乱していた洋服や物をかき分け、母さんが訪ねてきた時用の比較的キレイめなクッションを置く。俺が声をかける前に、彼は遠慮なくそこに座った。
 「あー、涼しっ」
 クーラーがガンガンに効いたこの部屋は、暑い外から来た彼には丁度良かったようだ。先程までの俺にとっても快適そのものだったが、今の俺には少し寒いくらいに感じられた。傍から見れば、友達が家に遊びに来た微笑ましい光景だろう。そうであればどれだけ良かったか。しかし実際には、俺は彼のストーカーで、その事実が彼にバレてしまっている。これから先の未来は、どう考えても真っ暗だ。
 震える手で冷えた烏龍茶を出すと、彼はゴクゴクと音を立てながらそれを飲み干した。こんな時なのに、太く隆起した喉元に見とれてしまう自分が憎い。美しい顔に均整のとれた体つきは、かつてどこかで見た彫刻のようだった。神は、この男を作り出すのにどれだけの時間をかけたのだろう。写真で見るのとは比べ物にならないくらい魅惑的で、目が、離せない。
 「おーい、そんなに俺の首が好き?」
 その声が、俺を現実に引き戻した。否定したかったが、全くその通りなのだから、どうしようもない。ただでさえ絶望的な状況なのに、更に自分の首を絞めてどうするんだ。え、あ、と言葉にならない声を発しながら、口を開いたり閉じたりする俺を、彼はじっと見つめていた。
 暫しの沈黙が流れ、気づけば俺は床に額をつけていた。人生で初めての土下座だった。
 「本当に、すみませんでした」
 「あはは、リアルで土下座してる人初めて見た」
 その後返事は無く、俺はどうしたらいいのか分からないまま、少しだけ頭をもたげた。彼はこちらに目を向けないまま、空になったグラスを傾けている。部屋の中に、カラン、コロンと氷の音が響いた。
 「あの......」
 辛抱たまらず声をかけると、彼の視線がこちらに向いた。
 「え?何頭上げてんの」
 突き刺さるような冷たい声に、すみません、とすぐに頭を下げる。真っ暗な視界と冷や汗の滲む感覚は、今まで生きてきた24年の中でもワーストの経験だった。それでもきっと、今後の刑務所生活に比べればマシなのだろうが。

 「藤田純ふじたじゅん、です。○○高校卒、2000年5月15日生まれ、24歳。コンビニでバイトしてます」
 数年ぶりの自己紹介というやつは、思いの外気恥ずかしい。......いや、どういう状況なんだ、これは。やっと頭を上げることを許された俺は、警察に通報されるでもなく、慰謝料の話をされるでもなく、自己紹介を要求されていた。
 「その前は?詳しく教えてよ」
 「その前は、高校卒業して浪人してて。医学部目指してたけど、挫折して、そのままフリーター続けてます」
 あまり話したくない内容だったが、この状況ではそうも言ってられない。話を聞いていた彼はと言うと、何だかその目を異様に輝かせていた。
 「頭良いんじゃん。なんで他の学部行かなかったの?」
 「......何か全部嫌になったっていうのと、多分プライドが許さなかったから」
 大した頭もないくせに、プライドだけは1人前。それが自分だった。別に隠してもいないし、もう気にしなくなったと思っていたけれど、それでも心臓がキュッと縮こまるような心地の悪さを感じる。劣等感は、そう簡単に拭えるものでは無い。
 「あはは、正直に話して偉いね」
 彼はそう言って、俺の寝癖だらけの頭を撫でた。
 「は......?」
 人に頭を撫でられたのなんて、子供の時以来だった。年下の、自分がストーカーをした相手に、こんな状況で。それなのに、じわっと涙が込み上げるのだから、意味が分からない。どうしたらいいか分からないまま、瞬きを繰り返す俺の顔を、彼は覗き込んだ。
 「そうやってこれからも、俺の質問には正直に答えること。隠し事をしないこと。全てをさらけ出すこと。後は......俺から逃げないこと」
 日常会話をするかのように、彼はスラスラとそう言った。これから......?逃げないってどういうことだ......?ツッコミどころばかりだったが、ひとまず俺を警察に突き出す気は無いらしい。
 「返事は?」
 一応問いかけの形を成していたが、選択肢など無いに等しかった。
 「......はい」
 「うん。良い子だね」
 彼はその美しい顔をほころばせた。テレビのコマーシャルにでも出てきそうな、完璧で優しい笑顔だ。思わず写真に残したくなったが、今のこの状況でそんな事をする勇気は無い。目の前のこの美しい青年に、俺の運命は握られているのだから。
 「そんなに不安がらなくていいよ。俺、ペットは大切にするタイプだから」
 彼は事も無げに、そう言ってのけた。ああ、どうやら俺は、この男のペットになったらしい。
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