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ミッション 1
しおりを挟む夜、俺は寮を抜け出すと、あの日の夜のように学習棟の中庭に向かった。
時刻は19時25分。
辺りはすっかり真っ暗となっている。
道中、女神(自動販売機)でお高いコーヒーを2本買い、ドキドキしながら先を急いだ。
今日もいるかな?
窓から差し込む月光により、光と影のコントラストでしま模様に見える廊下をぐんぐん進んでいくと、中庭に繋がる扉が見えてきた。
コーヒー2本を片腕で抱え、汗の滲む手でドアノブを回す。
いますように……いますように……!
そう念じながら扉を開けると、夏の夜風が吹き付ける。
それがとても気持ちよく、一度目を瞑って風を全身に受ける。
なんだか心が落ち着き、ゆっくりと目を開けると、視線の先には期待していた人物がいた。
気が引けるけど、結局邪魔をすることになっちゃったな。
その人は前に見た時と同じように、新緑の桜の木の下のベンチで読書をしている。
俺は迷わずに近づくと、その隣に腰掛ける。
「……君か」
ビー玉のようにキラキラとした瞳が俺を捉えたかと思うと、すぐにまた本を読み始めてしまう。
俺は今日も今日とてコーヒーを1本彼の元に置き、自分の分を開けて飲み始める。
「先輩、それ飲んでみてくれませんか?薬は盛ってないので」
「……」
目を合わせずに話しかけると、しばらくしてその人は本を閉じた。そしてコーヒーを手に取り、「また当たり?」と俺に聞く。
俺はまさかそんなことを覚えくれていたとは思わず、自分でも分かるくらい目を見開いてしまう。
「覚えてたんですね。でも違いますよ、今日はちゃんと買ったやつです。これ高いんですよ500円。外だったら150円で買えそうなんですけど、やっぱり豆が高級だからこの値段なのかなって思って、誰かに飲んでもらいたかったんです。俺コーヒーの違いとか分かんないから」
「外か……」
「どうしたんですか……?」
コーヒーを見つめる表情はぼんやりとしていて、話を聞いていたのかどうかもよく分からない。
もう1回説明しようか迷っていると、その人はやはりコーヒーを俺の手元に戻してきた。
「人からもらったものは口につけないと言ったはずだけど」
「ダメかぁー……明日の朝食セットの仲間入りかな」
そうつぶやくと、男はフッと笑う。
それは本当に小さな声で、空耳かと思う程だったが、瞬時に振り向いた俺は目の当たりにしてしまった。
少し口角が上がった美しい顔を。
わ、笑った……!
全く相手にされないと覚悟していた俺からすれば、涙が出るほど嬉しい出来事だ。
それに本も閉じていて、俺の相手をする意思を感じられる。
もう今しかない。
俺はついに決心し、目の前の美しい男に問いかけた。
「黒永晴仁先輩ですよね?」
心臓が今までにない勢いで鼓動する。
間違いないはずだ。俺の勘がそう言ってる。
緊張しながら見つめていると、男はやや間があってから「ああ」と答える。
良かった!合ってた!
悠里からコーヒーに薬を持った話を聞いてから何となくそうだと思っていたのだ。
「昼間も特進棟に来ていたな」
その言葉に驚く。
「知ってたんですか?!ああ、万喜先輩が言ったのか」
「……」
でも俺が謝りに行ったって知っても出てこなかったってことはやっぱり万喜先輩が言ってる通り、会わない方が良かったのか……?
いや、しかし、こうして話してくれてるんだ。完全に拒否されているわけじゃない。
俺は恐る恐る口を開く。
「実は……俺、悠里の兄弟で……」
「どこからどう見てもそうだな」
「あ、ですよね」
冷静に突っ込まれてしまった……
気を取り直して俺は続ける。
「悠里が先輩に対してしてきたことがあまりにも利己的で、先輩の気持ちを無視したものだったからとても申し訳なくて……俺から代わりに謝罪しに来ました」
「……」
黒永先輩は静かに俺を見つめるだけで、何も言わない。
「先輩に許してもらおうと思って言ってるんじゃなくて、弟が間違ったことをしてしまったことに対して本当に謝りたくて…………ただそれを伝えに来ただけです」
それだけ言って立ち上がろうとすると、突然「いいよ」と声がした。
黒永先輩は本の縁を撫でながら、静かにつぶやく。
「許すかどうかは俺の心のことだから置いといて、無かったことにするのはできるよ」
「え……」
その言葉に困惑する。それこそ万喜先輩が言ってた通り、都合がよすぎる。
心に傷を負いながらも、何事も無かったように振る舞うつもりなのか?
言葉に詰まっていると、「ただし」と続ける。
「条件がある」
「条件?」
「誠意を見せて欲しい」
「誠意を……見せる……?」
ど、土下座をするとか?
真意が分からずフリーズしていると、黒永先輩が若干微笑む。
ま、眩しい……
黒永先輩って意外と笑うんだ。思ってた感じと違う。もっと人への拒否感が滲み出てる人だと思ってた。
思わず見とれていると、黒永先輩は口を開く。
「来週の水曜日に期末祭っていうのが開催されるのは知ってるか?」
期末祭……?来週の水曜ってことはもしかして悠里が言ってたやつか?
「あまり詳しくないんですけど、それって何をするんですか?」
「一言で言うと、宝探しかな?」
「え……た、宝探し?」
冗談でも言っているのかと思ったが、黒永先輩は至って真面目だ。
「夏休み前に期末テストがあるだろ?宝探しで宝を見つけた生徒は、S組の誰かを自由に指名して、期末テストまでマンツーマンで勉強を教えてもらうことができる。そういうイベントだ」
「あー……なるほど」
だから悠里がS組ファンのための行事だって言ってたのか。憧れてる人がS組にいるなら、そりゃやる気出るわな。
「それで……その期末祭は誠意を示すことと何か関係があるんですか?」
「……俺は知らない誰かと1ヶ月もずっと一緒にいたくない。試験前になる度にこのイベントがあって憂鬱だったんだ。だから、分かるよね?」
俺の喉がゴクリと音を鳴らす。
「でもそれだと、俺がずっと先輩と一緒にいることになっちゃいますよ?」
「俺に好意を向ける人より100倍マシだ。それに、その後1ヶ月間俺が快適に過ごせるように努力するのも君の仕事だ」
「……分かりました。なら頑張ってみます。宝を探し出して先輩を指名すればいいんですね?」
「ああ。ただし、指名は宝を早く見つけた人から先にする。もし君より早く見つけた人が俺を指名したらこの取引は無かったことになる」
「つまり、1番に宝を見つけ出すんですね?」
「そうだ」
なんてことだ。そんなの無理ゲーすぎる。
だけどこの取引は利害が一致してる。俺は父さんの失業を阻止するという本来の目的を達成できるし、黒永先輩は夏休みまで自分が望む平穏な日々を過ごせる。ただ、先輩の心の傷は当然癒えないし、俺だけ安上がりな気もするが……
それに、気になる点がある。
「これが本当に誠意を見せることになるんですか?」
「君が本気で俺に謝罪をする気持ちがあるなら、死ぬ気で1番最初に宝を探し出してみな。そして、その後の1ヶ月、問題なく過ごせたら取引は成功だ。俺はその結果だけを信じるよ」
なるほど。それならやるしかない。
「俺、頑張ります」
「是非ともそうしてくれ」
そう言うと黒永先輩は再び本を開き、それ以降こちらを向くことはなかった。
こうして、黒永先輩との奇妙な関係が始まった。
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