揺れる波紋

しらかわからし

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第一章

第83話

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高坂は、乗り換えの駅の立ち食い蕎麦で昼食を済ませホテルに戻ると、ちょうど中抜けの休憩時間だった。タイムカードを押した後、フロントの渋谷に専務たちが帰ってきたかと尋ねたが、まだのようだった。高坂は大浴場の清掃が行われなかった分、念入りにワックス掛けをした。これで、全てのワックス掛けを完璧に終えたことになる。

ワックスやモップを片付けようとしたその時、先日激高されたホテル専属の清掃業者の女社長が、またしても怒鳴りながら近づいてきた。「あんたね~! 私たちに何の恨みでもあるのよ!?」と声を荒げた。

今日の高坂は、その気力もなかった。「何の恨みもございません。本当に申し訳ございませんでした」と静かに謝罪した。

「アンタがホテル内を掃除すればするほど、私たちが何もやってないように思われるでしょ!?」女社長は剣幕で捲し立てた。

高坂はその言葉に逆らう体力も気力もなく、「大変に申し訳ございませんでした」と再度謝り、一礼して道具を片付けた。

片付けながら高坂は「このホテルは経営陣がおかしな考えだから、契約している下請けもおかしな考えになるんだ」。そうでも思わなければ、自分を正当化できなかった。その時、洗い場の目黒から電話がかかってきた。

「こんにちは!」高坂が明るく応じる。

目黒は傍に誰かがいるのか、小さな声で「東京はどうだった?」と訊ねた。

心配させまいと、「ちゃんと仕事したよ」と高坂は答えた。

「何か、疲れているみたいだね。休憩時間はゆっくり休みなよ」と目黒が優しく言った。

その後、他愛のない話をして電話を切ると、目黒の声が高坂の荒んだ気持ちを和ませてくれた。

事務所に戻ると、愛美と掃除の女社長が待っていた。「博美さんは私が寮に送りました」と愛美が言うと、高坂は「ありがとうございます」とお礼を言った。すると、女社長が神妙な顔をし、「常務さんから聞きました。このホテルの社員さんの中で一番偉い人だったみたいですね。本当に申し訳ございませんでした、二回もやってしまって……」と、まるで借りてきた猫のようにすまなそうに謝罪した。

「お気になさらなくても結構ですので」と高坂は言い、一礼してレストランに向かった。人は立場や役職、金持ちなどの目に見える部分だけを見て、自分を基準に上か下かで判断する。その人のそんな部分が見える時が、何よりも疲れるのだ。

「社員の中で一番偉かろうと、経営者たちに一番蔑まれているのが自分だ」と高坂は思った。

レストランに着くと、ホールのスタッフが夕食の準備を終えていた。皆に挨拶をし、女子高生のところに行く。「いつもありがとうね」と声をかけると、彼女はニコッと笑ってくれ、その笑顔が高坂の心を癒した。

洗い場に足を運ぶと、目黒が待っていた。「高坂さん、今日から高田さんの代わりに入ってくれる派遣の藤田さんです」と紹介された。

「ヨロシクお願いします」と高坂が言い、調理場へ向かうと、目黒が「それだけ?」と訊いてきた。

「えっ、何?」

「今日は言わないの?」

高坂は派遣と聞いてあえて言わなかった。そんなことを言って派遣会社に広まったら困るからだ。

調理場に入ると、スタッフたちに挨拶をし、シェフが「高坂さんは何で、東京ホテルで食事をしなかったのですか?」と訊ねてきた。「面倒臭い」と思いつつも、「行きたい所があったので」と短く答え、そのままカウンターの準備に取り掛かった。

スマホを取り出し、目黒にショートメールを送る。「派遣の前では例の話はしないので、目黒さんもしないようにして下さい」と。

何事も忙しいので、思い付いた時にメールをすることにしていた。後になれば忘れてしまうからだ。気心を知らない内は、エッチな話はしない方がいい。全員がその話が好きかどうか分からないし、本当に嫌いな人もいるからだ。その点には気を付けなければならず、場合によってはセクハラに思われかねない。

その足で寮に帰り、妻を拾って再びホテルへと出勤した。
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