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第一章
第78話
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高坂は清々しい朝を迎え、高坂はベランダ越しに差し込む光を浴びながら深呼吸をした。空は雲一つない快晴で、その光景はどこか彼の心も晴れ渡らせてくれるように思えた。朝のルーティーンを終え、シャワーを浴びて身支度を整えると、英気を宿して仕事に向かう準備が整った。ただ、心の片隅に引っかかるのは昨夜のこと——愛美の誘いを拒否したことだった。
愛美は、結婚したばかりの新婚妻であり、しかも年下の彼女が年上の部下である自分に不倫を持ちかけるのは、どう考えてもありえないと高坂は思った。もし自分が愛美の夫だったら、彼女がそんなことをしていることに気づいたら耐えられないだろう。そして彼自身、かつて前妻によって同じような苦しみを味わわされた経験があり、その思いがよみがえってきた。
妻を置いてホテル近隣清掃に向かう高坂は、最近の生活の多くが掃除や整理整頓に追われていることに気づいていた。この会社に就職してから、勤務先でも住まわされている寮でも、彼は毎日のように掃除を続けてきた。やがて、少しずつ人が住む場所らしい環境に変わっていくと、その変化に達成感を感じるようになった。しかし、時折ふと自分に問いかける。「俺は掃除夫になったのか? 掃除をするためにこの地に来たのか?」と。
その問いを投げかけるたびに、昔、自分が経営していたレストランで働いていた宗教を信仰しているパートのご婦人の言葉を思い出す。「働くとは、傍を楽にすること」。確か天理教だったと記憶しているが、その言葉が妙に胸に響いた。その女性は、高坂にとって宗教者として尊敬できる人物であり、彼女の言葉はいつも心に深く残っていた。
それに対して、高坂の両親も新興宗教を信仰していたが、二人の行動はまったく宗教者らしくなく、彼は常に両親を軽蔑していた。しかし、そのパート女性の姿は宗教者として模範的であり、彼は彼女の言葉に耳を傾けていた。そして今、彼女が言っていた「働くこと」の本当の意味がようやく少しずつわかってきた気がしていた。自分自身の「福運」の無さと、自業自得を思い知る日々だ。
朝の清掃ルーティーンをすべて終え、高坂は一旦寮に戻り、妻を乗せて事務所に向かった。タイムカードを押すと妻はそのままレストランに行った。高坂は倉庫に入ると牛乳やジュースの箱を台車に積み込んでいた。
その時、明るい声が響いた。「おはよう!」と、佐藤英子が元気いっぱいに挨拶してきた。高坂も「英子、おはよう!」と笑顔で返す。しかしその後ろには、副支配人の品川が無表情で立っていた。
「高坂さんは、年上の人を呼び捨てにするんですね?」と品川が冷たく言った。
「そうですね、アメリカナイズされているものですから」と高坂は冗談交じりに返したが、その言葉は言い訳にもならない言い訳だった。
その瞬間、高坂は思わず心の中で警戒心が走った。品川のこの言葉が、副社長への報告に使われるのではないかという不安が頭をよぎる。先日、食事の時に山形が発した言葉から、高坂はこの職場には見えない敵が潜んでいると感じ始めていた。どこに地雷が埋まっているのか分からない。どんな小さなことであっても、それが命取りになるかもしれないという恐怖感を拭い去ることができなかった。
その後、愛美が出勤してきた。彼女の顔は晴れやかで、元気そうな笑顔が広がっていた。その様子を見て高坂はほっと安心した。昨夜、愛美は夫と和解し、幸せな夜を過ごしたのだろうかとふと考えた。そんなことを考えつつ、台車を押していると、英子が手を貸してくれた。「さっきの品川さんの言い方、ちょっとイヤミっぽくなかった?」と彼女が囁いた。
「まあ、そんなもんだろう」と高坂は軽く答えたが、内心、英子の言葉に同意していた。
「最近、思うんだけどね、高坂さんが出来過ぎるから、みんな嫉妬してるんだよ。だから気を付けてよね」と英子は心配そうに続けた。
「ありがとう、姉貴。ほんと、大好きだよ!」と高坂は照れ隠しに笑って言った。
「姉貴はやめてよ。英子でいいから」と、彼女も笑顔で返す。
高坂は、英子が本当に優しくて、心を和ませてくれる大人の女性だと改めて感じた。彼女の存在は、この厳しい職場での数少ない癒しの一つだった。レストランに入ると、皆に挨拶をして、カウンターの準備に取り掛かった。
愛美は、結婚したばかりの新婚妻であり、しかも年下の彼女が年上の部下である自分に不倫を持ちかけるのは、どう考えてもありえないと高坂は思った。もし自分が愛美の夫だったら、彼女がそんなことをしていることに気づいたら耐えられないだろう。そして彼自身、かつて前妻によって同じような苦しみを味わわされた経験があり、その思いがよみがえってきた。
妻を置いてホテル近隣清掃に向かう高坂は、最近の生活の多くが掃除や整理整頓に追われていることに気づいていた。この会社に就職してから、勤務先でも住まわされている寮でも、彼は毎日のように掃除を続けてきた。やがて、少しずつ人が住む場所らしい環境に変わっていくと、その変化に達成感を感じるようになった。しかし、時折ふと自分に問いかける。「俺は掃除夫になったのか? 掃除をするためにこの地に来たのか?」と。
その問いを投げかけるたびに、昔、自分が経営していたレストランで働いていた宗教を信仰しているパートのご婦人の言葉を思い出す。「働くとは、傍を楽にすること」。確か天理教だったと記憶しているが、その言葉が妙に胸に響いた。その女性は、高坂にとって宗教者として尊敬できる人物であり、彼女の言葉はいつも心に深く残っていた。
それに対して、高坂の両親も新興宗教を信仰していたが、二人の行動はまったく宗教者らしくなく、彼は常に両親を軽蔑していた。しかし、そのパート女性の姿は宗教者として模範的であり、彼は彼女の言葉に耳を傾けていた。そして今、彼女が言っていた「働くこと」の本当の意味がようやく少しずつわかってきた気がしていた。自分自身の「福運」の無さと、自業自得を思い知る日々だ。
朝の清掃ルーティーンをすべて終え、高坂は一旦寮に戻り、妻を乗せて事務所に向かった。タイムカードを押すと妻はそのままレストランに行った。高坂は倉庫に入ると牛乳やジュースの箱を台車に積み込んでいた。
その時、明るい声が響いた。「おはよう!」と、佐藤英子が元気いっぱいに挨拶してきた。高坂も「英子、おはよう!」と笑顔で返す。しかしその後ろには、副支配人の品川が無表情で立っていた。
「高坂さんは、年上の人を呼び捨てにするんですね?」と品川が冷たく言った。
「そうですね、アメリカナイズされているものですから」と高坂は冗談交じりに返したが、その言葉は言い訳にもならない言い訳だった。
その瞬間、高坂は思わず心の中で警戒心が走った。品川のこの言葉が、副社長への報告に使われるのではないかという不安が頭をよぎる。先日、食事の時に山形が発した言葉から、高坂はこの職場には見えない敵が潜んでいると感じ始めていた。どこに地雷が埋まっているのか分からない。どんな小さなことであっても、それが命取りになるかもしれないという恐怖感を拭い去ることができなかった。
その後、愛美が出勤してきた。彼女の顔は晴れやかで、元気そうな笑顔が広がっていた。その様子を見て高坂はほっと安心した。昨夜、愛美は夫と和解し、幸せな夜を過ごしたのだろうかとふと考えた。そんなことを考えつつ、台車を押していると、英子が手を貸してくれた。「さっきの品川さんの言い方、ちょっとイヤミっぽくなかった?」と彼女が囁いた。
「まあ、そんなもんだろう」と高坂は軽く答えたが、内心、英子の言葉に同意していた。
「最近、思うんだけどね、高坂さんが出来過ぎるから、みんな嫉妬してるんだよ。だから気を付けてよね」と英子は心配そうに続けた。
「ありがとう、姉貴。ほんと、大好きだよ!」と高坂は照れ隠しに笑って言った。
「姉貴はやめてよ。英子でいいから」と、彼女も笑顔で返す。
高坂は、英子が本当に優しくて、心を和ませてくれる大人の女性だと改めて感じた。彼女の存在は、この厳しい職場での数少ない癒しの一つだった。レストランに入ると、皆に挨拶をして、カウンターの準備に取り掛かった。
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