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第一章
第77話
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高坂は、明け方のぼんやりした光がカーテン越しに差し込む中、目を覚ました。昨夜の愛美の涙が脳裏をよぎり、彼女は家に帰り、夫に抱かれて慰められたのだろうか、と考えた。愛美が少しでも心の安らぎを得ていることを祈りながら、シャワーを浴び、冷たい水で顔を洗った。水の冷たさが疲れた心と体を一瞬だけでもリセットしてくれるような気がしていた。
洗濯して脱水した洗濯物が溜まっていることを思い出し、高坂はまだ手を付けていなかった昨夜の洗濯物をカゴに入れてベランダに出た。初夏の心地よい風が肌を撫で、湿った洗濯物を一枚一枚丁寧に干しながら、彼はふと水耕栽培のハーブたちに目を向けた。セージもローズマリーも、やっと芽を出してくれた。自分の手で育てる植物たちの成長を見守ることは、彼にとっては大きな喜びだった。
「ごめんね、遅くなって」と、高坂は静かに心の中でつぶやく。ハーブの播種時期は春か秋が一般的なのに、諸事情で初夏に播種してしまったことを悔やみながらも、無事に芽吹いてくれたハーブたちに感謝の気持ちを抱いていた。育てることの楽しさと責任感が彼の心を和ませる数少ない瞬間の一つだった。
その後、高坂は久しぶりにポストの中を覗き込んだ。二人暮らしの夫婦なので、手紙やはがきはそう多くはない。だが、時折、高校時代の旧友から季節の挨拶状が届くことがあり、それが高坂にとってちょっとした楽しみでもあった。しかし、今日はなく、代わりに通販や選挙前のパンフレット、見覚えのないダイレクトメールがいくつか溜まっているのを確認した。
「どこで俺の住所を調べて送ってくるんだろうな……」と高坂は不思議に思いながら、無駄な広告類を一つ一つ処分していく。個人情報の流出には慣れてしまっていたが、それでも不快感は拭えない。特に、最近では「軽貨物事業主向けの労災保険に入りませんか?」というパンフレットまで届くようになっていた。軽自動車で荷物を運ぶことはしていないのに、そんな案内が来ること自体が不思議で仕方なかった。
さらには、車検の案内まで細かく届く。生年月日や車検の期日、購入日など、教えた覚えのない情報があっさりと把握されている事実に、背筋が寒くなる時がある。普段は気にしない高坂も、そうした情報がどこでどう漏れているのかと疑念を抱くこともあった。
最近、この自治会に入会させられた際には、勤務先や役職名、さらには血液型まで書かされてしまい、その場の違和感をまだ引きずっていた。「一体何を調べたいんだか……」と不快感を覚えながらも、その時の記憶が鮮明によみがえり、思わず顔をしかめた。
高坂が最も憤りを感じていたのは、社長の妾の旧宅を寮として押し付けられ、自治会費として八千円も支払わされる始末だった。しかも、誰からも感謝されることなく、まるで彼がすべての責任を負っているかのように尻拭いをさせられている状況だったのだ。先日、ガソリンスタンドで会った大塚女史に「綺麗に使ってね」と軽く言われた時には、思わず拳を握りしめそうになったが、彼はぐっとこらえた。
地元の自宅でも住んでいなくても家があると言うだけで自治会費を取られている。二重に支払うのもおかしなもんだが仕方ないと諦めていた高坂だった。
こんな生活の中で、高坂は少しずつ心がすり減っていくのを感じていた。しかし、今日もまた日常が続く。顔を洗い終わり、ベランダから見える青空をぼんやりと眺めながら、高坂は少しだけ深呼吸をした。やるべきことはまだまだ山積みだが、心の整理をつけながら、一歩ずつ日常に戻っていく。愛美や家族、そして自分自身との関係もまた、少しずつ修復されることを願いながら。
洗濯して脱水した洗濯物が溜まっていることを思い出し、高坂はまだ手を付けていなかった昨夜の洗濯物をカゴに入れてベランダに出た。初夏の心地よい風が肌を撫で、湿った洗濯物を一枚一枚丁寧に干しながら、彼はふと水耕栽培のハーブたちに目を向けた。セージもローズマリーも、やっと芽を出してくれた。自分の手で育てる植物たちの成長を見守ることは、彼にとっては大きな喜びだった。
「ごめんね、遅くなって」と、高坂は静かに心の中でつぶやく。ハーブの播種時期は春か秋が一般的なのに、諸事情で初夏に播種してしまったことを悔やみながらも、無事に芽吹いてくれたハーブたちに感謝の気持ちを抱いていた。育てることの楽しさと責任感が彼の心を和ませる数少ない瞬間の一つだった。
その後、高坂は久しぶりにポストの中を覗き込んだ。二人暮らしの夫婦なので、手紙やはがきはそう多くはない。だが、時折、高校時代の旧友から季節の挨拶状が届くことがあり、それが高坂にとってちょっとした楽しみでもあった。しかし、今日はなく、代わりに通販や選挙前のパンフレット、見覚えのないダイレクトメールがいくつか溜まっているのを確認した。
「どこで俺の住所を調べて送ってくるんだろうな……」と高坂は不思議に思いながら、無駄な広告類を一つ一つ処分していく。個人情報の流出には慣れてしまっていたが、それでも不快感は拭えない。特に、最近では「軽貨物事業主向けの労災保険に入りませんか?」というパンフレットまで届くようになっていた。軽自動車で荷物を運ぶことはしていないのに、そんな案内が来ること自体が不思議で仕方なかった。
さらには、車検の案内まで細かく届く。生年月日や車検の期日、購入日など、教えた覚えのない情報があっさりと把握されている事実に、背筋が寒くなる時がある。普段は気にしない高坂も、そうした情報がどこでどう漏れているのかと疑念を抱くこともあった。
最近、この自治会に入会させられた際には、勤務先や役職名、さらには血液型まで書かされてしまい、その場の違和感をまだ引きずっていた。「一体何を調べたいんだか……」と不快感を覚えながらも、その時の記憶が鮮明によみがえり、思わず顔をしかめた。
高坂が最も憤りを感じていたのは、社長の妾の旧宅を寮として押し付けられ、自治会費として八千円も支払わされる始末だった。しかも、誰からも感謝されることなく、まるで彼がすべての責任を負っているかのように尻拭いをさせられている状況だったのだ。先日、ガソリンスタンドで会った大塚女史に「綺麗に使ってね」と軽く言われた時には、思わず拳を握りしめそうになったが、彼はぐっとこらえた。
地元の自宅でも住んでいなくても家があると言うだけで自治会費を取られている。二重に支払うのもおかしなもんだが仕方ないと諦めていた高坂だった。
こんな生活の中で、高坂は少しずつ心がすり減っていくのを感じていた。しかし、今日もまた日常が続く。顔を洗い終わり、ベランダから見える青空をぼんやりと眺めながら、高坂は少しだけ深呼吸をした。やるべきことはまだまだ山積みだが、心の整理をつけながら、一歩ずつ日常に戻っていく。愛美や家族、そして自分自身との関係もまた、少しずつ修復されることを願いながら。
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