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第一章
第66話
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愛美の問いに、高坂は一瞬考えたが、微笑を浮かべて答えた。「私たちが直接言ったら、シェフのプライドを傷つけてしまいますよね。だから、県庁の職員さんに頼むんです。『このメニューはダメです』と言ってもらえばいい。それで、私があらかじめ用意しておいたメニューと差し替えれば解決です。もちろん、レシピや原価計算書も添えてね。スリランカのティールームだから、専門家の意見を聞いた方がいいんじゃないかと思うんですけど、どうでしょう?」
「専門家って、誰に相談するんですか?」と愛美が不思議そうに聞いた。
「以前、私が経営していたレストランで何度かインドフェアをやったことがあるんです。そのとき、銀座の宝石店『ベルエタワール』の岡崎社長にお世話になりました。岡崎社長は海外を飛び回る方で、特にスリランカに宝石の採掘権を持っているんです。よくスリランカの人たちを連れて食事に来てくださって、その縁でスリランカ大使館のシェフ、代々木スーシェフを紹介してもらったんです。今もメールのやり取りをしていて、今度、愛美さんと一緒に東京に行く時に会いに行ってみませんか?」
「スリランカ大使館に入れるんですか? 行ってみたいです!」愛美の目が輝いた。
「事前にアポイントを取れば入れますよ。それに、県庁の職員さんにだって『スリランカ大使館のシェフのレシピです』って言えば、文句は出ないでしょうね」
「それ、最高じゃないですか。ぜひやりましょう!」と愛美は嬉しそうに頷いた。
高坂はふっと笑って続けた。「帰りに、どこかのホテルで食事なんていうのもいいですね」
「素敵! もう、高坂さんと結婚すればよかったわ」愛美が冗談っぽく言う。
高坂は笑いながら首を振った。「ダメですよ。私は五十五歳、愛美さんは二十七歳。倍も年齢が違えば犯罪者扱いされちゃいますよ。それに、昔は義母と義父にいびられ続けたこともあるんです。もうそんな苦労はこりごりですよ」
「そんな事があったのですか」と愛美は驚いた様子で同情した。
「過去のことですけどね」と高坂は軽く肩をすくめたが、心の中ではあの辛い記憶が甦っていた。義両親の冷たい視線、妻の博美もその場で助けてくれることなく、ただ傍観していた――あの時、心がどれだけ冷え切ったか、高坂は今でも鮮明に覚えていた。
「疲れたので、ガストでお茶でもしませんか?」高坂が提案すると、愛美は笑顔で頷いた。「そうしましょう。私がご馳走しますから」
「ラッキー!」高坂は嬉しそうに言った。
その後、二人はガストで軽くお茶をし、ホテルに戻った。夕食の業務を終えずにタイムカードを押し、寮に帰ろうとしていた時、高坂の携帯が鳴った。目黒からの電話だったが、彼女は既にワインを飲んでいるようで、少し酔っていた。
「今、ワイン飲んでるんだけど、品川さんと専務の話、面白かったわよね」と目黒が楽しそうに笑いながら話しかけてきた。
「あぁ、あれか」と高坂は曖昧に返事をした。
「最終的にはあなたが助けたんだけど、専務ったら最初は頑なに拒否してたわよね」
「そうだな。彼女は素直じゃないからな。もう少し素直だったらいいんだけど」
「本当にそうよ。あの夫婦、二人とも性悪なんだから」目黒は溜息をついた。
高坂は無言で同意したが、心の中ではこの話題があまり好きではなかった。彼女が何を言いたいかはわかっていたからだ。
「でも、もうわかってるんでしょ? あなた、感がいいもの」目黒がさらに問いかける。
「まあ、そんなところだね。でも、もしダメだったら辞めて地元に戻るつもりだよ」
「レストランをまたやるの?」目黒が興味深そうに尋ねた。
「いや、福祉関係の仕事を考えてるんだ。身体や知的障害者のグループホームで世話人をしたり、老人ホームの調理を担当するのもいいかなって」
「高坂さんらしいわね。優しくて、誰も傷つけないようにしてるから」
「そう見てくれてありがたいよ」と高坂は微笑んだ。
「ところで、私のことは京子って呼んでくれてもいいのよ。二人きりの時くらいは」と彼女は大胆な提案をしてきた。
高坂は笑いながら、「ダメだよ。まだ何もない仲だし、酔ってるんじゃないか?」と冗談めかして言い、電話を切った。
寮に戻ると、妻の博美が夕食を作って待っていた。高坂は彼女と夕食を取りながら、今日あった出来事を少し話し、心の中にわずかに残る過去の傷を閉じ込め、静かな夜を迎えた。
「専門家って、誰に相談するんですか?」と愛美が不思議そうに聞いた。
「以前、私が経営していたレストランで何度かインドフェアをやったことがあるんです。そのとき、銀座の宝石店『ベルエタワール』の岡崎社長にお世話になりました。岡崎社長は海外を飛び回る方で、特にスリランカに宝石の採掘権を持っているんです。よくスリランカの人たちを連れて食事に来てくださって、その縁でスリランカ大使館のシェフ、代々木スーシェフを紹介してもらったんです。今もメールのやり取りをしていて、今度、愛美さんと一緒に東京に行く時に会いに行ってみませんか?」
「スリランカ大使館に入れるんですか? 行ってみたいです!」愛美の目が輝いた。
「事前にアポイントを取れば入れますよ。それに、県庁の職員さんにだって『スリランカ大使館のシェフのレシピです』って言えば、文句は出ないでしょうね」
「それ、最高じゃないですか。ぜひやりましょう!」と愛美は嬉しそうに頷いた。
高坂はふっと笑って続けた。「帰りに、どこかのホテルで食事なんていうのもいいですね」
「素敵! もう、高坂さんと結婚すればよかったわ」愛美が冗談っぽく言う。
高坂は笑いながら首を振った。「ダメですよ。私は五十五歳、愛美さんは二十七歳。倍も年齢が違えば犯罪者扱いされちゃいますよ。それに、昔は義母と義父にいびられ続けたこともあるんです。もうそんな苦労はこりごりですよ」
「そんな事があったのですか」と愛美は驚いた様子で同情した。
「過去のことですけどね」と高坂は軽く肩をすくめたが、心の中ではあの辛い記憶が甦っていた。義両親の冷たい視線、妻の博美もその場で助けてくれることなく、ただ傍観していた――あの時、心がどれだけ冷え切ったか、高坂は今でも鮮明に覚えていた。
「疲れたので、ガストでお茶でもしませんか?」高坂が提案すると、愛美は笑顔で頷いた。「そうしましょう。私がご馳走しますから」
「ラッキー!」高坂は嬉しそうに言った。
その後、二人はガストで軽くお茶をし、ホテルに戻った。夕食の業務を終えずにタイムカードを押し、寮に帰ろうとしていた時、高坂の携帯が鳴った。目黒からの電話だったが、彼女は既にワインを飲んでいるようで、少し酔っていた。
「今、ワイン飲んでるんだけど、品川さんと専務の話、面白かったわよね」と目黒が楽しそうに笑いながら話しかけてきた。
「あぁ、あれか」と高坂は曖昧に返事をした。
「最終的にはあなたが助けたんだけど、専務ったら最初は頑なに拒否してたわよね」
「そうだな。彼女は素直じゃないからな。もう少し素直だったらいいんだけど」
「本当にそうよ。あの夫婦、二人とも性悪なんだから」目黒は溜息をついた。
高坂は無言で同意したが、心の中ではこの話題があまり好きではなかった。彼女が何を言いたいかはわかっていたからだ。
「でも、もうわかってるんでしょ? あなた、感がいいもの」目黒がさらに問いかける。
「まあ、そんなところだね。でも、もしダメだったら辞めて地元に戻るつもりだよ」
「レストランをまたやるの?」目黒が興味深そうに尋ねた。
「いや、福祉関係の仕事を考えてるんだ。身体や知的障害者のグループホームで世話人をしたり、老人ホームの調理を担当するのもいいかなって」
「高坂さんらしいわね。優しくて、誰も傷つけないようにしてるから」
「そう見てくれてありがたいよ」と高坂は微笑んだ。
「ところで、私のことは京子って呼んでくれてもいいのよ。二人きりの時くらいは」と彼女は大胆な提案をしてきた。
高坂は笑いながら、「ダメだよ。まだ何もない仲だし、酔ってるんじゃないか?」と冗談めかして言い、電話を切った。
寮に戻ると、妻の博美が夕食を作って待っていた。高坂は彼女と夕食を取りながら、今日あった出来事を少し話し、心の中にわずかに残る過去の傷を閉じ込め、静かな夜を迎えた。
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