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第一章
第61話
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高坂は、まだ体のだるさが抜けきらず、ぼんやりとした頭で着替えを始めた。体は重く、まるで夢遊病者のように動いている。ここ最近の忙殺の疲労が残っているのか、肩や腰に鈍い痛みを感じながらも、なんとか身支度を整えた。寝室では妻の博美がまだベッドに横たわっている。「行ってくる」と小さな声で伝えたが、彼女は眠っているようで反応はなかった。高坂は玄関をそっと開け、外の冷たい空気を吸い込みながら一歩外に踏み出した。
ドアを閉めた瞬間、目の前に広がるのは前の佐々木家の玄関。そこでは大奥様がいつものように玄関前の掃き掃除をしていた。彼女は年配だが、掃除は毎日欠かさないようで、いつもきちんとした姿で庭や玄関先を手入れしている。
「おはようございます」と高坂が元気よく声をかけると、大奥様もすぐに顔を上げて微笑んだ。「おはよう、昨日は生垣を切っていたでしょう?」と、話しかけてくる。
「はい、そうです」と高坂は再び元気に応えた。昨日の作業の疲れがまだ残っているが、元気な挨拶を返すことで気分をリフレッシュさせた。
「高い梯子に上っていたから、心配してたのよ。落ちなければいいなってね」と大奥様は気遣いを込めた言葉をかけた。
「ありがとうございます。大丈夫でしたよ。でも、生垣の剪定が終わったら駐車場をコンクリートで打ち直しますので、お嬢さんにもそう伝えてください」と高坂は返した。
「そんなこと、もう気にしなくていいから。私らもそんなに困ってないから……」と大奥様は申し訳なさそうに微笑む。
「いえ、やりますよ。お世話になっている分、少しでもお返しさせてください。それでは、行ってきます!」と高坂は少し頭を下げてから、足早に出発した。
「行ってらっしゃい、気を付けてね!」と大奥様の声が車に乗り込む高坂の背中に響いた。
高坂が到着した先はいつものホテルの事務所。事務所に入ると、愛美がデスクに座っていた。彼女はすぐに高坂に気づき、「おはようございます」と挨拶してくれた。高坂も軽く会釈しながら応じたが、その後すぐに掃除用具の箒と塵取りを手に取り、いつもの朝のルーティーン作業に取りかかった。
彼はホテルの内外を丁寧に掃き掃除し、外周の蜘蛛の巣を払う。これが日課となっていた。細かい作業に集中することで、心を落ち着かせることができるからだ。しかし、今日は外に出て歩道の側溝が気になった。そこには雑草やゴミが溜まっており、どうしても見過ごすことができない。前回と同じように、彼はしゃがみ込んでその雑草を丁寧に引き抜きスケッパーでこそげ取った。
作業を進めていると、ふと後ろから声を掛けられた。「おはよう!」振り返ると、初老の男性が高坂を見つめていた。「驛前ホテルの高坂さんだね?」
「おはようございます。はい、そうです。高坂翔太です」と、少し驚いた表情で返事をする。この人物は見覚えがないが、彼の名前を知っていることに驚いた。
「私かい? ここのホテルの社長の兄貴だよ」と男性はにこやかに自己紹介をした。
「あっ、はい! 先日ご近所の方からお兄様のことは伺いました」と高坂はすぐに話を合わせた。
「上で燃料屋をやっているから暇な時にでも遊びに来なさい」と言いながら、彼は名刺を差し出した。それを受け取った高坂も自分の名刺を渡しながら、「そのお話も伺っていましたので、ぜひお伺いさせていただきます」と礼儀正しく応えた。
「ほぉ、すごい役職で就職されたんだね」と彼は名刺を見て目を見張った。
「恐縮です」と、やや恐縮しながらも高坂は微笑んだ。
「いつも我が町の玄関口の清掃をしてくれてありがとうな」と言って、その男性は駅舎の方へ向かって歩いていった。
その背中を見送りながら、高坂は不思議な感覚に襲われていた。社長からは一度も激励の言葉をかけられたことがないのに、その兄から感謝の言葉をもらえたことが嬉しかったのだ。そして、先ほどの社長の兄は見た目も立派で、風格を感じさせる人物だった。もっとも言動もさることながら、社長よりも二倍ほど大きな大男だったからかもしれない。高坂は、ホテル周辺を掃除するたびに、こうした様々な人と出会うことに感謝を覚えた。
「社長が何も言わなくても、こうして周囲の人たちが見ていてくれるんだな」と心の中で呟き、彼は再び作業に戻った。
ドアを閉めた瞬間、目の前に広がるのは前の佐々木家の玄関。そこでは大奥様がいつものように玄関前の掃き掃除をしていた。彼女は年配だが、掃除は毎日欠かさないようで、いつもきちんとした姿で庭や玄関先を手入れしている。
「おはようございます」と高坂が元気よく声をかけると、大奥様もすぐに顔を上げて微笑んだ。「おはよう、昨日は生垣を切っていたでしょう?」と、話しかけてくる。
「はい、そうです」と高坂は再び元気に応えた。昨日の作業の疲れがまだ残っているが、元気な挨拶を返すことで気分をリフレッシュさせた。
「高い梯子に上っていたから、心配してたのよ。落ちなければいいなってね」と大奥様は気遣いを込めた言葉をかけた。
「ありがとうございます。大丈夫でしたよ。でも、生垣の剪定が終わったら駐車場をコンクリートで打ち直しますので、お嬢さんにもそう伝えてください」と高坂は返した。
「そんなこと、もう気にしなくていいから。私らもそんなに困ってないから……」と大奥様は申し訳なさそうに微笑む。
「いえ、やりますよ。お世話になっている分、少しでもお返しさせてください。それでは、行ってきます!」と高坂は少し頭を下げてから、足早に出発した。
「行ってらっしゃい、気を付けてね!」と大奥様の声が車に乗り込む高坂の背中に響いた。
高坂が到着した先はいつものホテルの事務所。事務所に入ると、愛美がデスクに座っていた。彼女はすぐに高坂に気づき、「おはようございます」と挨拶してくれた。高坂も軽く会釈しながら応じたが、その後すぐに掃除用具の箒と塵取りを手に取り、いつもの朝のルーティーン作業に取りかかった。
彼はホテルの内外を丁寧に掃き掃除し、外周の蜘蛛の巣を払う。これが日課となっていた。細かい作業に集中することで、心を落ち着かせることができるからだ。しかし、今日は外に出て歩道の側溝が気になった。そこには雑草やゴミが溜まっており、どうしても見過ごすことができない。前回と同じように、彼はしゃがみ込んでその雑草を丁寧に引き抜きスケッパーでこそげ取った。
作業を進めていると、ふと後ろから声を掛けられた。「おはよう!」振り返ると、初老の男性が高坂を見つめていた。「驛前ホテルの高坂さんだね?」
「おはようございます。はい、そうです。高坂翔太です」と、少し驚いた表情で返事をする。この人物は見覚えがないが、彼の名前を知っていることに驚いた。
「私かい? ここのホテルの社長の兄貴だよ」と男性はにこやかに自己紹介をした。
「あっ、はい! 先日ご近所の方からお兄様のことは伺いました」と高坂はすぐに話を合わせた。
「上で燃料屋をやっているから暇な時にでも遊びに来なさい」と言いながら、彼は名刺を差し出した。それを受け取った高坂も自分の名刺を渡しながら、「そのお話も伺っていましたので、ぜひお伺いさせていただきます」と礼儀正しく応えた。
「ほぉ、すごい役職で就職されたんだね」と彼は名刺を見て目を見張った。
「恐縮です」と、やや恐縮しながらも高坂は微笑んだ。
「いつも我が町の玄関口の清掃をしてくれてありがとうな」と言って、その男性は駅舎の方へ向かって歩いていった。
その背中を見送りながら、高坂は不思議な感覚に襲われていた。社長からは一度も激励の言葉をかけられたことがないのに、その兄から感謝の言葉をもらえたことが嬉しかったのだ。そして、先ほどの社長の兄は見た目も立派で、風格を感じさせる人物だった。もっとも言動もさることながら、社長よりも二倍ほど大きな大男だったからかもしれない。高坂は、ホテル周辺を掃除するたびに、こうした様々な人と出会うことに感謝を覚えた。
「社長が何も言わなくても、こうして周囲の人たちが見ていてくれるんだな」と心の中で呟き、彼は再び作業に戻った。
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