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第一章
第50話
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最近の高坂の朝は、目が覚めてもなかなか起き上がれないほど、心身共に疲労が蓄積していた。まるで体がベッドに吸い込まれるように、重く感じられ、布団の中から出るのが辛い。寝床の中でぼんやりと考えるのは、いつも専務のことだった。なぜ専務は、社長にまで嘘をついて、自分を陥れようとしているのか? その動機が、高坂にはどうしても理解できなかった。
専務が持ちかけてきたティールームのプロジェクトもまた、不自然だった。なぜ、自分と長女娘のそれも既婚者であり新婚ホヤホヤの愛美に任せるのか。高坂はまた専務が何か悪巧みを企んでいるのではないかと、胸の奥に不安が広がる。
「何か裏があるんじゃないか……」とそんなことを考えながら、ようやくベッドから体を起こし、歯を磨き、髭を剃り、顔を洗う。それから昨夜溜まっていた洗濯物を洗濯機に放り込み、ベランダに干していた乾いたシャツから一枚を取り出し、着替える。着るのは、昔から愛用しているワイシャツだ。これは、紳士服のコナカで自分専属スタイリストのように振る舞ってくれていた、レストラン時代の元パートの女性が選んでくれたものだ。
「このシャツ、いいですよ。洗濯してもシワになりにくいんです」と彼女が自信満々に勧めてくれたそのシャツは、確かに手入れが簡単で、時間の無い高坂にはぴったりだった。クリーニングに出す余裕もない時期に、彼女の言葉を信じてまとめて十着購入した。特に、襟首と袖口の内側にチェック柄の布が縫い込まれているデザインがお気に入りだった。
今の妻と出会う前の若かりし頃、女性とデートに行く時など、シャツを脱いだ際にそのチェック柄がちらりと見えるのが何とも言えず好きだった。相手がその部分に気づくかどうかはわからないが、自分としては、それが洗練された大人の男の証のように感じていたのだ。だが一方で、襟首や袖口に皮脂汚れが目立っていれば、女性はどう思うだろうと心配にもなった。特に、当時の高坂が付き合っていた女性たちは、皆人妻だったことを思い出す。
彼女たちは、家庭と仕事に追われる日常から少しでも逃れたいと、非日常の関係を求めていたのだろうと、高坂は考えていた。しかし、清潔感を保っていることはその関係を続ける上で重要なポイントだったと今でも感じている。汚れたシャツを見せてしまったら、その関係が壊れてしまうかもしれない、そんな危機感もあった。
それとは逆に、もしかしたら皮脂がついたシャツを「洗ってあげたい」と思う母性本能をくすぐられる女性もいるのかもしれないが、当時はそんな余裕もなく、常に見た目を整えていた。
こうした思い出に浸りつつ、シャツを着込み、準備が整ったところで出かける準備をした。玄関を出ると、前の家の佐々木さんのお婆さんが、ちょうど門の前で庭仕事をしていた。彼女が高坂を見ると、にこやかに微笑み、大きな声で挨拶してきた。
「おはようございます! 今日もお元気そうですね。行ってらっしゃい、気を付けてね」
高坂も笑顔で応えた。「おはようございます! 行ってきます!」
その挨拶に少し元気づけられ、車に乗り込んだ。日課となっているホテル内外の掃除を一通りこなし、途中で博美を迎えに行く。そして事務所に到着すると、すでに愛美が出勤しており、高坂に元気よく声をかけてきた。
「高坂さん、おはようございます。今日の中抜け休憩の件、よろしくお願いします!」
高坂は軽く頷いて挨拶を返す。「おはようございます、もちろんですよ。今日もよろしくお願いします」
愛美の明るい声に対して、博美はほとんど無反応だった。自分には関係ないという風に、淡々と愛美に挨拶すると、そのままレストランの方へ向かっていった。
高坂はしばらくその後ろ姿を見送りながら、頭を切り替える必要があると感じた。この日は特に、体も心も重い。だが仕事が始まれば、そんなことを考えている余裕はなくなる。ティールームのプロジェクトが待っているし、専務の企みが何であれ、負けてはいけないと自分に言い聞かせて、今日も一歩を踏み出した。
専務が持ちかけてきたティールームのプロジェクトもまた、不自然だった。なぜ、自分と長女娘のそれも既婚者であり新婚ホヤホヤの愛美に任せるのか。高坂はまた専務が何か悪巧みを企んでいるのではないかと、胸の奥に不安が広がる。
「何か裏があるんじゃないか……」とそんなことを考えながら、ようやくベッドから体を起こし、歯を磨き、髭を剃り、顔を洗う。それから昨夜溜まっていた洗濯物を洗濯機に放り込み、ベランダに干していた乾いたシャツから一枚を取り出し、着替える。着るのは、昔から愛用しているワイシャツだ。これは、紳士服のコナカで自分専属スタイリストのように振る舞ってくれていた、レストラン時代の元パートの女性が選んでくれたものだ。
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今の妻と出会う前の若かりし頃、女性とデートに行く時など、シャツを脱いだ際にそのチェック柄がちらりと見えるのが何とも言えず好きだった。相手がその部分に気づくかどうかはわからないが、自分としては、それが洗練された大人の男の証のように感じていたのだ。だが一方で、襟首や袖口に皮脂汚れが目立っていれば、女性はどう思うだろうと心配にもなった。特に、当時の高坂が付き合っていた女性たちは、皆人妻だったことを思い出す。
彼女たちは、家庭と仕事に追われる日常から少しでも逃れたいと、非日常の関係を求めていたのだろうと、高坂は考えていた。しかし、清潔感を保っていることはその関係を続ける上で重要なポイントだったと今でも感じている。汚れたシャツを見せてしまったら、その関係が壊れてしまうかもしれない、そんな危機感もあった。
それとは逆に、もしかしたら皮脂がついたシャツを「洗ってあげたい」と思う母性本能をくすぐられる女性もいるのかもしれないが、当時はそんな余裕もなく、常に見た目を整えていた。
こうした思い出に浸りつつ、シャツを着込み、準備が整ったところで出かける準備をした。玄関を出ると、前の家の佐々木さんのお婆さんが、ちょうど門の前で庭仕事をしていた。彼女が高坂を見ると、にこやかに微笑み、大きな声で挨拶してきた。
「おはようございます! 今日もお元気そうですね。行ってらっしゃい、気を付けてね」
高坂も笑顔で応えた。「おはようございます! 行ってきます!」
その挨拶に少し元気づけられ、車に乗り込んだ。日課となっているホテル内外の掃除を一通りこなし、途中で博美を迎えに行く。そして事務所に到着すると、すでに愛美が出勤しており、高坂に元気よく声をかけてきた。
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